帝王院高等学校
双子は王道会計の特権ですのよ
「また眠らなかった様ですね」

片側だけ開け放したカーテンからそよぐ風と光の粒に目を眇め、閉まったままの片側、薄暗い部屋の片側に蹲る影を一瞥した。
ぴくりとも動かない黒一色、解け掛けた頭に巻かれている黒布を認めて息を吐く。明るい目覚めで光に慣れた目では、蹲る男の表情までは見えない。

「食事にしましょうか」

締め切られたもう片側のカーテンを開き、バルコニードアを全て開け放つ。そよぐ風と光の粒に目を閉じて、立ち上がる隣の気配へ目を向けた。

「ああ」

何と美しい生き物だろう。
解け落ちた黒布には目も向けず、零れ落ちた感嘆の息を耐える事もない。これ以上に美しい生き物など、一人しか知らない。

「汝の金砂は至極美しい」

頬に掛かる金糸を掻いてやれば、深い深い蒼の瞳を細めた美貌に笑い掛ける。いつから傍に居たのか、それすら曖昧な男は伸ばした掌に頬を預けたまま緩く目を閉じた。
警戒心の無い、まるで子猫の様に。

「汝が帰るべき所へ、吾が必ずや導いてあげます。汝を捨てた全てに裁きを」
「…俺は、」
「名すら与えなかった父へ。汝を淘汰し光の元に生きる兄へ」
「俺の王は、貴方だけだ」

何の表情もなく、当然の事の様に囁いた男に沈黙した。父親が連れてきた時、幼かったこの男は生きながらにして死んだ目をしていた筈だ。
遠い遠い、昔の話。

「…食事にしましょうか」
「俺はもう不必要なのか?俺は貴方の枷になるのか?」
「李」
「嫌だ。戻る所など何処にも存在しない。俺は、」
「全て奪い返す、と。誓った言葉を、忘れたのですか?」
「…」
「吾はねぇ、李。青蘭の笑った顔を見た瞬間、責任を覚えました。あの子を孤独にした責任を、兄である吾が償わねばならないと」

名前だけ与えられた要はまだ幸せなのかも知れないと思ったけれど、名前すら与えて貰えなかった男の前では口にしない。
何故、同じ日、同じ春の麗らかな日に生み落ちた二人が。数分遅く生まれたと言うだけで、こうも違うのだろう。

「兄には弟より先に生まれた分、責任がある。それは、神とて同じ事。双子座ジェミニ、ポルクスは人間だった兄カストールに己の寿命を半分与えたとされます」

右目だけを眇めた男の、右目元へ手を伸ばした。泣き黒子を撫でれば、何か言いたげに口籠もる。

「ならば汝は、己の不幸の半分を兄に与えれば良い。汝を顧みない兄に、責任を」
「…王」
「吾は、汝の兄ではありません」

一瞬だけ、見開かれた双眸。
よろりと後退った長い足が、バルコニーの仕切りに躓いてどさりと崩れ落ちた。

「何をしていますか、李」

差し延べた手を呆然と見上げたまま、コンクリートの上に座り込んだ男はその手を掴もうとしない。ただただ呆然と、見上げてくるだけだ。

「俺、は。要らないのか」
「そんな事を言った覚えはありませんよ」
「些細な願いさえ許されないのか」
「李?」
「母親など思い出した事もない。あの男を兄と思った事もない。…ただ、傍に居たいだけだ」

顔を伏せた男が、陽光を帯びてきらりきらりと光を纏う。ああ、やはり彼は光の元に生きるべきなのだと瞬いた。
こんなに美しい外見を隠して生きるなど、勿体ない。

「判りました。とりあえず食事にしますよ、昨日届いた茶がありましたね」
「俺が、邪魔か」
「李、話は中で、」
「身の程知らずにも貴方を愛してしまった俺が、煩わしいのか」

ゆらりと立ち上がった男を見つめながら、部屋に入り掛けた足を止めた。聞き間違えに違いないと瞬けば、背を向けた男が手摺りの向こう側へ消える。
余りの早業に呼び止める隙もなかった。


「は?」

さらりと。
流れた風が長い黒髪を靡びかせ、何処からか誰かの笑い声を運んできた。
顔を出したまま何処に行ったのだろうか彼は、などと呆然と呟いてから、急速に熱を帯びていく頬を耐えるべく口元を押さえる。

男同士ではないか。いや、それは良い。ほぼ同体格の自分にあの美しい生き物は何を血迷ったのだろう、冗談など言える性格ではなかった筈だ。頭が悪くなったのだろうか、いや、彼は成績優秀だ。
やはり聞き間違えか。


「…まず、冷たい茶を淹れましょう」

ああ、今日は酷く暑い。











「湿った土の匂い」

少しばかり汚れた白いスニーカーを何ともなく眺め、生暖かい大気へ片手を伸ばした。
遠い太陽の中心から放たれるγ線、混じり合い生み出されたX線こそが光の元らしい。目に見える可視光線だけではなく、紫外線も赤外線も、全て等しく太陽から与えられた恩恵だと。人の編み出した定説が、完全であるかは誰も知らない。

「雨が近い」

宛てのない問い掛けに答える者はなかった。足元を眺め、次は太陽を掴むかの様に開いた手の甲を見つめる。指と指の隙間に半影が浮かび上がった。
眩しくもないのに目を細めたのは、1ミリに満たない融合影を観察する為だけだ。

「皮膚の下には血液が流れている。脊椎動物にはヘモグロビン、環形動物にはエリスロクルオリン、ヘモシアニン、ヘモバナジン…」
「マーメイドの血は青いんですって」
「素敵よね。緑の血は気持ち悪いわ」
「青と緑はとても近しい色素なのに」
「人の血は赤い。でも、人の血は太古の海と同じ成分なのよ」

博学だ、と振り返りながら囁けば、不満げに頬を膨らませた黒髪ショートの双子が同じ仕草で腕を組んだ。そうしているとまるで少年の様だ。

「私達に気付いたのね」
「プリンスルークと同じね」
「ランは知ってるわ」
「リンは知ってるわ」
「キング=ノヴァ、星の途から外れた皇帝」
「キング=ノヴァ、貴方は本当に人間なの」

良く似た二重奏に瞬いて、緩く首を傾げる。酷く賢い子供だと目を細め、二人の胸元のポケットから覗いているカードの束を指差した。

「カバラカードか」
「タローカードよ」
「日本ではタロットと言うわ」

愉快げにクスクス笑みを零す黒髪の二人を眺め、やはり子供はこのくらい小生意気な方が愛らしいと考えた。出会ったその日から息子に恨まれている自分には、この二人の親が大層羨ましく思える。

「マルクトセフィラの逆位置、バビロニア崩壊。生命の樹、貴方はセフィロトの葉脈に逆らってる」
「カプリコーンの囁き、アリエスの慟哭。死神の囁きで滅び行く定め」

いつ。
一体、何処で何を間違えたのだろうか。全ての始まりは自分、全て、自分の所為だと。知ったのは、唯一優しかった母の様に暖かい人の涙を見た時だ。
気丈に振る舞って来たのだろう。息子を失って、ずっと。けれど今度は夫を失い掛けて、元々丈夫ではない体を壊してしまった。恨むべき男に縋る程に弱って、今は。

優しい心を、憎悪で染めている筈だ。


「…迎えが来た」

近付いてくる足音。
耳だけは異常に良かった。幼い頃、失明手前にまで陥った自分は。耳だけは良かったから、明るくて優しくて暖かい方の父親から色んな話をして貰った気がする。

「君達を待つ者の元へ、帰りなさい」

ぴくりと震えた二人が瞬いて、強い光を宿していた瞳から力が抜けた。こくり、機械の様に一度頷いた二人はそのまま背を向け、振り返る事なく行ってしまう。


土の匂い。
(父親と同じ匂い)

純白のスニーカー。
(初めて見た『父親』は)
(白に酷く近い銀髪で、深く濃い紺海の様な鋭い眼差しを注いできた)

(生きていたかナイン、と呼ばれたのが初めての会話)

(漆黒の眼差しに涙を湛えた傍らの人は、)
(もう少し嬉しそうな顔せんか!と怒鳴って)
(神経質そうな銀髪の男を蹴り飛ばした挙げ句、跨って首を絞めていた)


「…土の匂いだ」

父親が。二人、居た。
母親が居ない代わりに。子供を産んだ女は目が見えない子供にも、仕事道具として結婚したに過ぎない男にも依存しなかったらしい。愛してもいない男から巻き上げた金を手に、別れの言葉もなく去っていった。後に再婚した彼女が子を残し、その末裔は英国で暮らしている。

公爵家の長女など貰ったのが間違いか、と。

酷く面倒臭げな声で呟いたのはきっと、銀髪の男だ。レヴィ=グレアム、本来ならば男爵の後継者ではなかった、チェスの名を持たない男。
彼には兄と姉が居た、と聞いたのは彼が亡くなってからだ。何の因果か、本来英国で暮らしていたグレアムを排除した貴族達に、虐殺されたらしい。公爵家の妻を欲したのは、当時アメリカ大陸の覇者に上り詰めた男がイギリスを掌握する為だけの、駒。

生み落ちた子供には、後継以外の価値はなかった筈だ。


『ハーヴィ、土の匂いだ』

きっと、あの声を知らないままだったなら。

『俺の生まれた国は、ずっとずっと東の果てにあるんだ。地図で見ると』
『だから陽が昇る国って意味の、日本』
『黄金の光を放つ太陽の国だ』

土の匂いがする。
とても懐かしい声がする。もう一人の父親は血の繋がりなどなかった筈なのに、太陽の様に暖かくて、大空の様に広い心で包んでくれたと思う。もう、二度と会う事はない筈だ。


『おい、お前』

日本人を見た。
二人の父親を亡くし、ずっと一人で生きてきて、何十回目かの夏に。小さい癖に態度ばかり大きな黒髪の、日本人を。

『この城のキングに会いたいんだ。何処に居るか教えろ』

夜を固めた様な双眸の子供を。
まるで、いつか見た大好きな父親の様に意志の強い瞳を。見たから、全ての始まりはきっと、その時なのだ。

『俺は帝王院秀皇。ミスターと呼べプリーズ、初等部に入学したんだから子供扱いするなよオーケー?』

下手な英語で。
意志の強い瞳で。
夜を固めた様な黒髪で。
侍の国からやって来た小さなミスターを、騎士に。もう二度と会う事はない父親と同じ、『ナイト』と名付けたら。


ナイトとナイン。
まるで本当の家族の様になれるのではないか、と。思ったのだろうか。

「空は青い。
  雲は白い。
  カイルークの目にも同じ景色が映っているのだろうか。私が見る空と同じ、光景が」










失敗った。
彼の今の心の声はその一言だった。

彼の愛読する少女漫画では、告白シーンはもっとこう、思わずキュンとしてしまうくらい甘くほろ苦くなければならないのに。

「一生の不覚だ。最早この世には未練しかない。…死のう」

無表情で囁いた彼は素早く辺りを見回し、誰も居ない所でひっそり孤独死しようとして足を進めた。一生片思いなのだと悲壮な決意をしたのが数年前、片思いと言う台詞に少女漫画愛読家の彼が密かにときめいていたのは秘密だ。

がさがさ植え込みを掻き分け掻き分け、裏山の手前にまでやってきた彼は、人相が悪い生徒達が集まっているのを見やり眉を寄せる。人が死のうとしているのに、何を楽しそうにしているのだろう。

つまりは八つ当たりだ。

「っはー!早く月曜になんねぇかな!今日からヤ王の新シリーズやべぇ」
「ばっか、デコメモリアルだろーが。スペインの転校生乙」
「紅蓮の君の連載も面白ぇけどさ、一昨日の読み切りも良かったよな。健気受け特集の奴」
「聖なる夜に願いを、だろ?続編キボンヌって何処に送りゃ良いんだ?Bクラスの俺が進学科エリア行ったらやべーよな」
「俺、ABSOLUTELY辞めてカルマ入ろっかな…」
「ちょ、何言い出すんだお前っ。聞かれたらやべぇって!」
「…実は俺、カルマの試験落ちたんだよ」
「「「マジ?!」」」

座り込んでこそこそやっている彼らに足音を消して近付いた男は、皆が一冊の本を見ているらしい事に気付いて腕を組んだ。煌びやかな表紙を見やり、あれは少女漫画では無かろうかと目を瞠る。
帝王院には日本文化保存会と言う愛好会があるが、主に旧世代の漫画を集めたり昔の映画を鑑賞するだけである。少女漫画で読んだ事がある漫研の様な部活動はない。いや、最近親衛隊がそれらしい活動をしているようだが、Fクラスである彼が近付けば大抵の親衛隊が逃げてしまう為、未確認だ。

「それを寄越せ」

親衛隊の公報誌ではないなら、一年Sクラスの小冊子だろうそれが、売っていないのだと思い当たった瞬間死ぬのも忘れて読みたくなった男は、元来無愛想な表情に鬼気迫る迫力を乗せてヤンキーの一人の肩を鷲掴んだ。

「出来れば創刊号から、」

今のは言い方が悪かったと、今度は貸してくれとお願いする筈だった彼を見るなり硬直したヤンキーらは、疾風の如く走って逃げる。
散乱した小冊子と逃げ去った背中を見比べた彼はやや沈黙し、まぁ良いかと息を吐いた。案外マイペースな男である。

「む。創刊号から揃っている様だな。…ん?8号がない」

ほくほく小冊子を拾った彼は、キョロキョロ辺りを見渡し、誰も居ない事を確認するとその場に座り込んだ。
いつもは小籠包とプーアル茶をお供に読書するのだが、今はそうも言ってられない。先程のヤンキー達がいつ本を返せと言って帰ってくるか判らないからだ。さくさく読んで、さくさく死のう。どうせ死ぬのだから、小冊子を読むくらいの時間は許されるだろう。

「中々に絵が達者だ。だが俺は、絵の上手い下手に左右されない」

僅かながら鼻息荒く呟いた男が、次第に猫背になっていくのを見た者は居ない。
そして。凄まじい早さでページを捲っていく手が、数十分後、七冊目の小冊子を片手に駆け出すのを見た者も居なかった。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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