帝王院高等学校
始まりと終わりを繋ぐ墓標
ああ、嫌に澄み渡った空だ・と。

「お気を付けてマジェスティ」

赤い赤い、血に濡れた様な塔を見上げながら、何処か生暖かい風の匂いに息を吐く。磯臭いコンクリートに湿度の高さを思い知らされた。恐らく雨が近いのだろうと心中密かに独りごちるだけで、さして興味はない。

「…学園長の世話を頼む」
「御意。またのお越しをお待ち申し上げております、マジェスティ」

勢揃いしている使用人達が折よく頭を下げるのを片手で制し、門ではなく裏庭を目指した。
校舎内やラウンジなどでは有線放送が流れているが、此処に至ってはいつも洋楽が流れている。音楽には一切興味が無い左脳派筆頭の二葉とは違い、歌手顔負けの歌声を備える日向には好評の様だ。中央委員会によって決議された下院会議の報告を、月に数回学園長である帝王院隆子の元へ届ける役目を買って出る程度にはこの空間を気に入っている。

「セントラルライン・オープン、理事会からの連絡はあるか」
『検索開始、…100%。コード:ルークの受信履歴はありません』

丁度切り替わったBGMはアメイジンググレイス、船乗りが好みそうな歌だと僅かばかり目を細めた。

「クロノスライン・オープン、業務連絡」
『圧縮ファイル3件確認、受信順に解凍します。…20%……97%、一件目。Subject:左席ニュースタイム23、号外☆白百合閣下電撃プロポーズ』

お姫様でも迷い込みそうなイングリッシュガーデンを囲むように、白薔薇の花壇がある。

『春の風に誘われて、またもや左席委員会に恋の気配が訪れた。

  本日未明、左席委員会終身名誉ご主人公である山田太陽副生徒会長(15)に、中央委員会紅一点叶二葉風紀委員長(17)がプロポーズを表明したのである。
  双方18歳未満であり、入籍までは至らなかったものの、8月末に誕生日を迎える叶二葉風紀委員長のこれからの行動が注目される所だろう。尚、この件に関して左席委員会は後日記者会見を開くと声明を発表しているが、中央委員会はノーコメントを貫いている』

煉瓦造りの東屋には、蔓草を巻き付けたテラコッタのプランターが幾つか、煉瓦を積み上げたテーブルの隣に白塗りのロッキングチェアが一つ。
ガーデン中央には、冬の天体を散り嵌めた大きな羅針盤が描かれている。羅針盤の上に立てば、日の高さで時間が判る影時計にもなると言う。

『2件目、コード:腐会長より一斉送信。明日は待ち侘びた社会見学でございますにょ』
「おーい、そっちの剪定終わったら手ぇ貸してくれー。この鋏じゃ駄目だ、ソーラーライトが引っ掛かっちまう」
「棟梁ー、このホースリール延長出来ましたかねー?」
「こらーっ、真ん中のオブジェに機材置くなっつってんだろ!大理石だぞ大理石っ!」
『今夜は早めにご飯とおやつを食べて、八時間以上は寝ましょ。因みに明日のおやつは525円までなり』

庭師やら清掃員やらで賑わうガーデンを一瞥し、こちらに気付いて小走りにやってくる責任者へ向き直った。
地獄耳には拾える音声も、彼らには聞こえないらしい。無意識に耳元の受信機ピアスに触れた男は瞬いた。

「これはこれは理事長…じゃなく、帝王院理事。ご無沙汰してます、煩かったでしょ?すぐに終わりますから勘弁してやって下さい」
「いや、構わず。時間が許せばアンダーライン付近も頼みたいと思っていた所だ、費用は上乗せする」
「へい、いっそ学園中任せてくんな!いつも世話になってんですから幾らでもやりますよ。たんまり貰ってるってのにこの上また請求したら、罰が当たっちまう」
「然し、」
「何なら、今度此処でバーベキューでもご馳走して下さい。腹空かした野郎ばっかですから、破産するかもなぁ!」

色黒で小柄だが声だけは大きい男が快活に笑い、それぞれ作業中だった男達が次々に頭を下げてくる。校舎内や寮は区画保全委員会や専門の業者が担当しているが、スコーピオだけは別だ。
理事会役員の休憩宿泊を目的とした部屋や、学園長の私室がある。なので初代学園長の指名により、外部の業者が招かれていた。現在に至るまで代替りこそしたものの、指名先は変わっていないらしい。

「それにしても…、何か暫く見ない内にまた男前になられましたなぁ、帝王院理事」
「私を煽て上げても、何の得もないと思うのだが」
「がっはっは!いや、最初見た時はこれが男かって疑ったもんですがなぁ!うちの息子はこうはいかねぇ。いやはや、帝王院理事長瓜二つの男前がまだ居たのかと感心してますよ」

うちの息子、のフレーズでピアスだらけで傷んだ茶髪をバンダナで纏めた若者が痙き攣り、剪定中の白薔薇をポトリと切り落とす。見ていた仲間が揶揄う中、目が合った彼は小さく頭を下げてきた。

「最近まで長い反抗期でしてね。満足に挨拶も出来ねぇ馬鹿に育っちまった。…おいっ、余所見しながら鋏持つな!」
「うるっせぇな!わーってんよ!」

何処かで見た顔だと思えば、ああ、最近までABSOLUTELYに属していた男だ。びくびくと辺りを窺いながら草を切り落としている彼は、確か日向の配下にあったと思う。つまり二葉に遊ばれていた時のトラウマが残っている訳か。
二葉の姿がないと判るなり、判り易く手捌きが良くなった。

「帝王院学園長のお加減はどんなもんですかい?」
「お祖母様は健勝だが、お祖父様は変わりなく」
「…そうですかい。人付き合いこそ下手なお方だけんど、オイラは駿河さん好きなんですがねぃ」

快活に笑いながら仕事へ戻って行った男に僅かだけ目を伏せ、花壇の脇から奥へ続く芝生を踏み締めた。

『3件目。Subject:エブリィモーニング左席、特集☆熱愛順調?!話題のあの人に迫る。
  昨夜に引き続き、恋多き左席委員会の紅一点、嵯峨崎佑壱生徒書記(17)のその後の熱愛日報をお伝えしたいと思う。
  筆者(遠野俊15歳)は、元中央委員会書記であり二年Sクラステイクンである彼にあの噂の真相を尋ねてみた。何故、高坂日向副生徒会長(17)の左薬指に書記章である指輪が嵌められていたのかを。

─────俺は嵌められたんス。いや、嵌めたのは確かに俺っスけど嵌められたに違いないんス。え?顔が赤い?いや、目と髪だけ確かに赤っスけどね─────

  顔を赤くした彼は否定を繰り返していたが、ハメるだのハメられただのハメハメハだの、余りにも際どい台詞の羅列に熱愛が順調である事を悟った。帝王院史上稀に見るイケメンカップルに、親衛隊の黄色い悲鳴が聞こえる気分だ。
  また、当の二人には以前から交際が噂されていたと言う証言もある。顔を見合わせる度にイチャイチャと痴話喧嘩を繰り広げていたそうだ。親衛隊との大人のお付き合いが多々確認されている光王子に、オトメン紅蓮の君が激怒しても致し方ないだろう。
  ゆくゆくは紅蓮の君の健気受けフラグも期待される所だが、先日のベストカップルアンケートにてピナイチよりイチピナの方が人気がある事が判明しているため、嵯峨崎書記にはカルシウムを与え今以上の長身になって頂きたく思う。

  編集後記。
  攻めに必要な要素アンケート、第一位:受けに対する執着心。二位:ルックス・テクニック。三位:余裕』


小さな。
記念碑にしては安普請で、墓石にしては小さ過ぎる黒い石が、一つ。
雑草だらけの芝生の中央にぽつり、と。放置されている。


「…」

あれを置いたのは誰だろうか、と。来日してからすぐに見付けたこの黒曜石に、微かな興味があった。
素人が彫った様な走り書きのスペルはナイトオブナイト、黒騎士と言う一文だけだ。こんな誰も訪れない所に放置されているオニキス、見上げれば青い時計盤を掲げた最上階が見える。

一度、も。
アメリカに連れられてからも、こうして帰国してからも、一度も。最上階へ上がった事はなかった。
真紅の塔には極力近付かない様に、無意識で警戒していたのだろうか。理事であり生徒会長でありながら、祖母への面会の大義名分がなければ、恐らく。

「…」

けれど迎えに行ってしまった。
無意識に、この塔の最上階のまだ上まで、真っ直ぐに。



あの時、駆け上がったのだ。











何処で間違えてしまったんだろう、いや、本当は自分が一番の愚か者だと知っている。
認めてしまうには、余りに沢山のものを失ってしまったから。

『お前を私の妻にしてやろう。判るだろう?為すべき事は』
『期待を裏切らないでくれよ』
『サラ』

愛していた人が居た。
可哀想な生活を強いられていた人に、けれど瞳にはいつも、気高く強い光を讃えていた美しい人に。恋をした。
人生、最初で最後の恋をした。

愛してもいない男に抱かれて。
愛してもいない男に、酷く優しく抱かれて。
虚しさと彼へ対する罪悪感は、少しだけ。その直後に愛しい男の腕の中へ招かれて、狂う程の幸福を知ってしまったから。

『遺伝子は残してきたか?』
『失態は許されない』
『あれは、同じ女を抱かないそうだからな』

甘さの欠片もないピロートーク、悪魔が囁くのは簡単だった。
愛しい人の子供が欲しい。それは悪い事、だろうか。


膨らんでくる腹を撫でながら、嬉しそうに笑う愛しい人が優しくしてくれる、ハニービスケットを噛る様な幸福に浸っていた。
膨らんだ腹を青冷めた表情で凝視した黒髪の美しい男への罪悪感は、ビスケットの欠片ほど。


名前を付けて欲しいと言った。
これから不幸に陥るだろうアジアの男に、幸せの絶頂にあった自分、は。
名前を付けて欲しいと言った。


「早く、出ておいで」

何度も何度も、ああ、280日の間ずっと語り掛けてきた。
決して報われる事はないだろうと思っていた恋が、子供の目覚めと共に叶うかも知れない・と。

「幸せそうじゃのう、レディ」
「ええ、とても幸せよ。
  ねぇ、あの方は喜んでくれるわよね?ナイトの子供だと思っているのにあんなに優しいんだから、きっと喜んでくれるわ」
「不安は罪悪感から産まれると言う。何に罪悪感を覚えているのかな、君は」
「そんなもの、ある筈がない」

腹の中で自分ではない命が動いた日の悦びは、きっと死ぬまで忘れない筈だった。この世の誰よりも幸せにしてやるつもりだった。

「いいや、君には心の奥底に秘めた罪悪感が存在する。パンドラの奥底に、幾重にも封を重ねた罪悪感がのぅ」
「やめて。そんなもの、私には不必要よ」
「同じ親だからこそ言うのじゃ。我が子は己の生い立ちに気付くなり、当て付けの様に姿を眩ませた。今やアジア最大の島国暮らしらしい」
「やめなさい」
「折角、─────母親を作ってやったのにのぅ」

幸せに、なるつもりだった。
愛しい人の妻になって、あの人を幸せにする為に、赤ちゃんの名前を貰って。
親子三人、誰よりも何よりも幸せに。なる筈だったのに。

「王に成り代わるなどと、アレも下らん事を考える」
「あの人は神よ。キングは世界の神にして、王」
「向かうは極楽か、奈落か」

嘲笑う様な声音で歌う男が肩を竦めた。化け物の癖に、と睨み付けて、また。波打った腹を優しく、何度も何度も。撫でたのだ。


家には帰れない。
エンゲージリングをくれた優しいボーイフレンドを捨てて、親の制止を振り払って出て来たのだから。もう、戻るつもりもない。


沢山のものを失ってしまったから。
罪悪感を感じる心も、何も彼も。残っているのは愛しい人への恋心と、赤ちゃんだけ。



「早く出ておいで。

  早く貴方の名前を呼びたいわ。貴方には名前が2つ与えられるのよ、これはとても凄い事なの。だって貴方は、神様の子供なのよ。
  私と彼を幸せにしてくれる、キリストの生まれ変わり。


  早く出ておいで、愛しいベイビー」



何処で間違えてしまったんだろう、などと。ああ、懺悔には程遠い笑い話ではないか。

「己が幸福の礎に、他者の不幸があるか」

だから間違っているのは自分だと。



「可哀想な女子じゃのぅ」


初めから知っていた癖に。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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