帝王院高等学校
痛みに怯える闇の中で
「十五年振りの対面、か」


現実味がないな、と呟けば、何処かで聞いた台詞だと彼は酷く愉快げに笑った。
此処は何処だろう。


「逃げ続けている再会、だろう?」


暗い。
暗い。
暗い。
一面、真っ暗だ。


「人の生死に意味はないんだ。
  綺麗事を幾ら並べても、結局、この星自体が消滅すれば何の意味もない。ミルキーウェイの価値は短冊業者が一番知ってる様に」
「キリストの死が甘いカカオの香りを蔓延させた様に」
「何かに価値を付けるのは今を生きている人間だけ。全て消えてしまえば、無価値に変わる」
「著名であろうと、英雄であろうと、か」
「神と名付けられた人間も・ね」

クスクス、クスクス。
彼は彼の父親に似て非なる程の聡明な子供なのだと、今更思い知らされながら息を吐いた。

「死のうとした事はあるか」
「それは貴方自身の経験かい」
「…答えになってないな」
「殺せる筈がないよ。人は皆、己自身を」
「自殺には幾つもの方法がある」
「共通した理由は一つ、他人から与えられた絶望さ」

吸う気もないのに着火した煙草は紫煙を漂わせながら、白く。黒を経て灰を越え、白く。
この世から消えていく。

「傷付ける事は得意な癖に、傷付けられる事にはいつまで経っても慣れない。身勝手な生き物だね」

夢と現実の境が曖昧だ。
奪われた腹癒せなのか、奪いたいだけの我儘なのか。最早教えてくれる人は何処にも居ない。


「道化師の屁理屈はやめてくれ」
「そう、俺はピエロ。貴方の手の中で踊り続ける哀れなピエロ」


暗い。
暗い。
暗い。
此処は何処だろう。


「何を求めているの」
「…何も」
「そうやって内側に閉じこもって部屋に鍵を掛けるんだね。何も聞かず何も見なかったら、貴方は傷付かないから」

違う。
努力はした。
逃げてなどいない。戦おうとしている。沢山沢山頑張ってきた、ずっとずっと我慢してきた。何で、誉めてくれないんだ。
沢山沢山、傷付いて来たのに。


沢山沢山、痛いのに。
(痛いのは何処?痛いのは何処?痛いのは何処?痛いのは何処?痛いのは何処?)


「何を考えているの」
「私と言う生き物の存在価値を」
「答えは見付かったかい」
「…いや」
「だろうね。何せ、人は無価値な生き物だ。宇宙から見れば微生物程の価値もない、余りにも希薄な存在」
「微生物、か」
「ご不満かい?」
「なら、アメーバも誰かを愛しているのだろうか」

クラシックが聴きたかった。

「ロマンティックだね」

この手から消えていく幾つもの幸福を忘れる為に、ずっと。眠ってしまいたかった。

「イブは私を忘れてしまったんだ」
「アダムが掛けた魔法が弾けたんだ。そう、貴方が」
「…私が」
「イブに与えていた林檎の赤さに気付いても、流れてから血の色を知った人間に残るのは悔いだけ」
「…未練だ」
「似た様なものだよ」
「この世には神も仏も居ないのか」
「見た事があるのかい」
「いや」
「信じた事があるのかい」
「…どうだろう、昔の記憶は忘れてしまった」
「知られたくなかったから?」

笑う声が囁いた。
頬を撫でる他人の指を見つめながら、口付けをねだる様に擦り寄ってきた笑みを一瞥する。

「人殺しの自分を。逃げ出した自分を。知られたくなかったから、貴方はまた、逃げ出した」
「…違う」
「あの白い悪魔が自分の子供ではないと判って安心したんだろう?名付けた癖に愛せなかった貴方は父親の義務を放棄した。だから、父親の権利もない」
「私は、」
「秀隆は死んだよ。他の誰でもない、」


貴方の命令で。


囁いた唇が笑う、笑う、笑う。
だから手を伸ばした。嘲笑う唇のまだ下、空気を運ぶ喉元を掴み、躊躇わず締め上げる。


「貴方は独りぼっちだ」
「違う」
「ナイト、貴方は自らそれを願った。死んだ秀隆に成り済まし、秀隆が得る筈だった幸福を奪った」
「…違う」
「この世に神様なんか居ない」

何故、笑っているのだろう。
暗い暗い、ひたすら黒一色の世界の天井に一つだけ小さな窓がある。

「私にはシエと俊、大空も、そうだ、部下の皆も居る」

オレンジ色の空、ああ、まだ夕方なのに何故こんなにも暗いのかと考えながら、締め上げても締め上げても黙る気配がない喉に目を細めた。

「貴方は独りぼっちだ」
「違う」
「帝王院秀皇は人殺しの裏切り者」
「…黙れ」
「秀隆も神も君が殺した癖に。秀隆が得る筈だった幸福を奪って、何食わぬ顔で彼女の傍に居た癖に」
「煩い…!」



何故。
何故。
何故。

真っ暗な世界では彼の姿形も己の両手も見えない。では、この声は誰のもの?


「貴方は誰」

では、この声を封じようとしている両手は、誰のもの?

「誰からも覚えて貰えない貴方は、」
「黙れ…黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!」
「誰からも必要とされていないお前は、」
「私は!」
「─────誰だ?」


ああ。
自分に酷く似た声が耳元で囁いた。
何故、自分は窓を見上げているのだろう。
何故、この手は力なく重力に従っているのだろう。



何故、何故、何故。
幾つもの疑問符が浮かんでは闇に消える。



ああ、─────空が赤い。



「誰から、も。必要とされていない俺は…」
「誰からも必要とされていないお前は」「誰からも必要とされていない貴方は」「誰からも必要とされていない君は」「誰からも必要とされていないお前は」「誰からも必要とされていない貴方は」「誰からも必要とされていない君は」「誰からも必要とされていない俺は」



誰からも必要とされていないお前は
「何」
「何」
「何」
「何」
「何」
「何で生きているの」
「他人の命を奪った癖に」
「独りぼっちの癖に」
「早く死ねば良いのに」
「だって、」



「誰もお前なんか必要としていないんだよ、秀皇」



見上げた空は血に染まった林檎の様に紅く、夕暮れの静寂を招いたまま、


「俺、は。誰、なんだ?」

ひたひた、と。
何かが滴り落ちる音ばかり、絶えず。










とてもお腹が空いていて、この世の人間全てが憎かった彼は、差し伸べられた見知らぬ人間の手をただただ睨む事しか出来なかったのでしょうか。
ぐったり倒れた体は傷だらけで、酷く痩せ細っていました。喉から放たれるのは唸り声ばかり、鋭く睨み付ける双眸は鈍くも強い光を湛えています。


「失せろ、人間共…」

艶やかな黒髪は煤汚れて、本来なら立派な体躯も最早満足に立ち上がる事すら出来ない程に衰弱していて、


「私は、秀皇」
「帝王院秀皇」
「君と同じ、ヒデタカだ」

何処かに帰りたかった覚えがありました。けれどその間に受けてきた他人からの暴力に、彼はもう、憎しみ以外の感情を忘れてしまったのです。

「おいで」
「此処は寒過ぎるから」
「暖かいソファの上で、ホットミルクを飲まないか」

差し伸べられた手。
温かい手。
傷つける手。
守ろうとする手。


「蜂蜜を少しだけ落とした、甘いミルクを」

痛いのは体か、心か。
寂しくて悲しくて痛くて辛くて憎むしか方法を知らなかった彼に、初めて与えられたその優しさは。



「私と一緒に暮らそう、秀隆。」

涙が出るくらい、嬉しくて、嬉しくて。






親愛なる神様へ。
貴方の為なら何でも出来ると思いました。薄汚い俺を拾ってくれた貴方の為なら、貴方以外の何を犠牲にしても構わないと思えるくらいに。



「また、遅刻かよ」

そこはいつも穏やかな風が吹いていて、そこはいつも太陽にとても近い楽園だった。

「下院総会が長引いてるんだ。昨日、殆ど寝てないのに」
「ねね、デートしよっか。アイツまだ来ないし」
「え?」

彼女の所へ手紙を届けるのが俺の役目。神様と同じ名を持つ俺は、紛らわしいと言う理由でシューちゃんと呼ばれていた。

「この俺を待たせる様な馬鹿たれに情けは不要じゃア」

最初は戸惑ったけれど、今は凄く気に入っている。

「そうと決まれば早速出発っ!よし、何処に行こっか」
「待ってなくて良いのか」
「商店街のコロッケは飽きただろ?秀隆は毎回買って帰ってるみてェだけど」
「秀皇は、君の事が好きなんだ」
「シューちゃんは無口だな」

俺を無口だと笑い飛ばす人はいつも笑っていて、消毒液の匂いがして、ほんの少しだけ、太陽の匂いがした。


「秀隆」

彼女が泣いた日の事を覚えている。随分やつれた神様に呼ばれて、いつもの白い封筒を受け取った日。
お気に入りの万年筆を折りそうなくらい握り締めていた神様は、今日で最後だと言った。

「サラに子供が出来たらしい」
「サラ?ああ、あの美人の外国人か」
「私の子供だと言われた」
「交尾したんだ」
「…遊びで子供が出来たなんて知られたら、俊江さんに殴られそうだ」
「シエはとても優しいから、きっと怒らないよ」

昼間にも関わらず暗い部屋の中で、締め切ったカーテンの真下で。デスクに腰掛けたまま、口元を覆った神様が震えているのを見た。

「最後にしよう。あの人を今以上に愛してしまう前に、壊すんだ」
「告白したんじゃなかったのか」
「答えを聞く前で良かった。…映画館に行けないのは残念だけれど、YESでもNOでもきっと、未練が残っただろう」
「諦めるのか」
「どうせ、子供扱いのまま抜け出せない。彼女からしてみれば、………俺なんかただの高校生だ」
「そうやって、逃げ出すのか。欲しいものを欲しいと言えない癖に欲しがる事はやめられないのか」

痛いのは心。
重力以外の不自由を強いられた人間の心。目には見えない小さな箱の中。コンピューターのハードディスク、詰め込んだ思い出の数だけ未練が残る。


「秀皇は弱いな」
「俺は弱虫だな」
「けど、俺は秀皇をずっと守るよ」
「秀隆に甘えて、自分を守ろうとしている」
「俺は君だけのナイトだから」
「俺は、シエの騎士にはなれないみたいだ」


痛いのは、心。





「会いに。来てしまいました」

血を流しているのは目に見えない箱の中。

「色々、話したい事があった筈なのに。顔を見たら、全て吹き飛んだ」
「何の用だよ」
「…会いたくて」
「こっちは立て込んでて忙しいんだけど。そっちとは違って、働いてる社会人だかんな」

救って欲しいのは身体ではなく心。誰の目にも見えない、この世で最も曖昧な部分。


「会い、たくて」
「何つー面ァしてんだ、お主」
「会いたくて、会いたくて、会いたかったから、我慢、出来なくて」
「我慢ねィ」
「嘘だけ残したまま忘れられてしまう事が怖くて、だから…」

傷付いているのは、心。

「何が嘘なんだ」
「全部。名前だって、約束だって、全部嘘だから」
「あのギザったらいしい愛の告白もかよ、クソガキ」
「違う!あれはっ、」
「だったら!グダグダ抜かす前に言う言葉があんだろっ、ボケェ!」



俺は誰。
俺は俺。
私は誰。
私は私。

彼女は誰。
遠野俊江。
大人の女性。
太陽の様な女性。
愛しい愛しい、女性。


他に何を望むのだろう。

浅ましい人間。
尽きない欲求。

手に入れた途端に増す欲望といつか失う時の不安、焦り、憎しみ、怯え、浅ましい人間だからこそ。


「愛して欲しい」
「開口一番がそれかよ」
「っ、俺と結婚して下さい!」
「イイけど、…まず先に聞きたい事がある」


眠い痛い眠い痛い眠い痛い眠い痛い眠い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い怖い嫌だ、忘れないで。
笑ってずっと傍に。




落ちる。
落ちる。
落ちる。
血を流しているのは何?
あのオレンジの空を染めているのは誰の血?
痛いのは何処?
眠たいのは何故?
此処は何処?
自分は、誰?
痛いのは何処?
痛いのは何処?
痛いのは何処?




「良い、って、今…」
「お主、─────歳まで誤魔化してねェよな?」

傷付いているのは、誰の心?

←いやん(*)(#)ばかん→
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