帝王院高等学校
腹時計が鳴れば朝ですわよー!
「ぷはん」

くあーん、と大きな欠伸一つ。
右手を包帯でぐるぐる巻きにされた男は、涙が滲んだ眠たげな目元を擦り擦りむくりと起き上がった。

「むにゅん」

ベッドサイドの眼鏡を掴み、窓側のスリーピングビューティーを眺めながら、逆側に落ちたブランケットを引き上げ、転げた枕も掴み上げる。然し視線は終始眠れる美人の寝顔だ。

注がれる朝の白い陽光がキラキラと、白銀の髪に柔らかなの光を漂わせている。透ける様な白肌は実際真珠の様に白く、けれど二葉の様な女性的な儚さはない。絶妙、そう、絶妙としか言い難いバランスで雄と雌が共存し、他を隔絶した美しさを織り上げているのだ。
神威の遺伝子は美と美の二重螺旋を刻んでいるに違いない、などと黒縁眼鏡を押し上げながらうんうん頷いた男は、爆発音を響かせた腹を撫でた。何だろう、この違和感は。

「お味噌汁の匂いがしないにょ」
「…ん」

ごそりとブランケットへ潜り込もうとした男が薄く目を開き、眩しげに瞬いて呟いた。無意識にプラチナブロンドを撫でてやれば、僅かに開いていたらしい扉から小さな鈴の音。

「みゃうん」
「はっ!」

白い、真っ白な猫が長い尻尾をぴんと立てながら、絶妙なキャットウォークで一度鳴いた。びくりと肩を震わせた眼鏡は恐る恐るベッドから降りると、足元に擦り寄ってきた猫を恐々撫でる。
噛む気配も唸る気配もない。

「う、うっうっ、にゃんこが僕に頬擦りをォ!うっうっ、僕はついに猫耳萌えの世界に足を踏み入れてしまいましたよお母さァアアアんっ」
「アダム」
「みゃう」

ぴょん、と俊の腕から飛び降りた猫はブランケットの上を小走りに進み、上体を起こした神威の手元に頬擦りをした。何て羨ましい光景だろうかと前屈みで猫の尻を凝視し、

「あ、男の子…」

雄のシンボルを見付けるなり頬を染める。白猫のアダムは男の子だったらしい。ならば黒猫のタンゴとうっかり昼メロな状況になるかも知れないではないか。

「魔法使いが暮らすアカデミー、優等生魔法使いのアダムは出来損ないの平凡魔法使いタンゴと出会う」
「新作か」

白髪で金の目を持つアダムは生徒会長でもあり、このままでは落第確定のタンゴの課題実習を教える事になった。

「お前なんかに教えて貰わなくたってっ、一人でやれる!邪魔すんな!」
「出来ないから俺が呼ばれたんだろう。手を煩わせるな」
「っ」

自分に逆らうタンゴにアダムは当初憤りながらも次第に面白く感じ始め、ついついタンゴを揶揄って苛めてしまう。その度に一々ムキになるタンゴが、アダムは可愛くて仕方ない。それが愛情に変わるのは早かった。


「そんな二人の仲がちょっとイイ感じになって来た頃!隣国の極悪魔法集団がアダムを狙い始める!ついに実習試験の日!緊張に固まるタンゴにチューしちゃうアダム!慌てるタンゴに愛の告白っ!

『お前の頑張りを俺は知ってる。失敗しても気にする必要はない、何度でも追試に付き合ってやるから、肩の力を抜け』
『アダム…っ、でも、オレ、オレっ』
『大丈夫だ。お前ならきっとやれる。俺は信じているぞ、…愛しているからな』
『!』

抱き合う二人!勇気を貰ったタンゴは意気揚々と試験に向かう!だが然しっ、その試験中に極悪魔法集団が襲撃してきたのです!」

ハァハァ息も荒くしゅばっとベッドに飛び上がった腐れは拳を握り締め、無表情で眺めている神威と驚いて跳ね逃げた猫に構わず唾を飛ばした。

「タンゴを人質に取った極悪魔法集団に打つ手なしのアダム!俺様最強魔法使いのアダムは、愛する人の為に自ら極悪魔法集団の手に!」
「やはり俺様会長か」
「恋人が連れ去られていくのを見たタンゴは、巨大魔法艦隊に唱えた事もない召喚魔法を!」
「王道展開だ」
「平凡なタンゴは実は大黒魔法使いの孫だったのですっ!!!」
「そうか」

イマイチ反応が鈍い神威に、僅かばかり落ち着いた男はハァハァ荒い息を整え、ハァと切ない溜め息だ。

「もう。カイちゃん、GWは目の前なのょ。早い印刷所でもギリギリなんだからねィ、間に合わなかったらコピ本になっちゃうにょ」
「簡易印刷物の小冊子だったな」
「ホッチキスでぱちぱちするにょ。だからあんまり分厚い本作れないなりん。コンビニじゃ両面印刷出来るとこ少ないんだから」

もう一度、凄まじい爆発音を発てた腹に流石の俊も沈黙した。ズレ落ちた眼鏡を押し上げ、ベッドサイドの時計を見れば9時を過ぎている。
一時間以上妄想に走っていたらしい。因みに一時間以上俊の妄想を聞いていた神威は、お揃いの牛柄パジャマではなく白いブラウスに黒のカーゴパンツ姿へ着替え済みだ。相変わらず素っ気ない格好も、バーテンの休憩中に見えるから美形は得としか言えない。

「ぽんぽん空いたなりん。えっと、確かこっちら辺にカップ麺が入ってたよーな」

牛柄パジャマのままクローゼットを覗き込み、尻をぷりぷり振りながら非常食用のインスタント食品保存ケースからあれこれ取り出した。すっかり空になってきたおやつストックには、母親が入学式の日に持ってきたらしい差し入れの重箱が入っている。
今日、出掛けるついでに持って帰ろうと取り出して振り返った。

「ほぇ」

振り返った瞬間目の前に神威を見付け飛び上がりながらも、大盛りきつねうどんと大盛りとんこつラーメンを掲げてみる。神威の視線が何故か下半身に注がれている気がしてならない。

そう言えば昨夜…、思い出し掛けた頭をぶんぶん振る。あれは夢だったのだ、と思いたい。幾ら童貞だろうが腐男子だろうが、襲われるのではなく襲いたいのだ。男なのだから。一応、腐女子ではなく腐男子ですもの。

「おうどんとラーメン、どっちがイイにょ?」
「ファーストの姿がない」

緩く目を細めた神威に首を捻った。文脈からファーストが誰かの事だと言うのは判ったが、誰の事だかまでは判らない。

「珍しい事もある。…セカンドの気配もない」
「カイちゃん?お蕎麦が良かったにょ?でも、お蕎麦は昨日のおやつに食べちゃったからないにょ」
「見せろ」

屈み込んできた神威が、相変わらず目的語が足りない台詞を呟きながら右手を掴んできた。ああ、昨日の火傷かと瞬いて、抱えていたカップ麺を下ろす。

「何ともないにょ。大袈裟過ぎょ」
「廃棄物溶解処理、バイオ燃料の自動生産を目的に開発されたものだ。細胞に特殊バクテリアを有する小動物は、触れる有機物を悉く融解する」
「カイちゃん、もっと判り易く喋れないものかしら?お侍さんみたいなり」

包帯を解こうとした神威が一瞬動きを止め、緩やかに顔を上げた。さらり、プラチナの前髪が頬に掛かる。

「あんまり難しく喋ると友達出来ないにょ。テレビで言ってたからねィ」

呆然としている様に見える美貌を、よしよしと撫でた。きっとまだ日本に慣れていないのだろう、だから淋しくてスキンシップが激しくなるのだろうと訳知り顔で頷く。
だが然し、それなら入学式の直前に神威が日向へ親しげに話し掛けていたのは何だろう。今なら判るが、あの時連れていかれた部屋は中央委員会の領域である筈だ。あれから一度も足を運んでいないが、エレベーターに最上階の表示はない。一般生徒が行ける所ではないのは判る。

「おうどんとラーメン、迷ったら半分こしましょ。そーしましょ」
「俊」
「お湯入れて3分待つなりょ。今日のスープは何かしら、昨日はカレー味だったにょ」

立ち上がり掛けて、強く腕を掴まれた。余りの強さにびくりと肩を震わせれば、眠りから醒めた様な双眸の下で自棄に紅く栄える唇が不似合いな笑みを滲ませる。
嘲笑う様な、何か企むかの様な。なのに金色の瞳は未だ此処ではない何処かを視ている様で、

「友人、か。不必要な存在だ」
「へ?」
「使えぬ駒は掃き捨てねばならない。この世で最も必要なものはイニシャルコストではなくランニングコスト、つまり人件費だ」
「あにょ、」
「可か不可か。等しく均一でしかない人間の価値は二つ、要か不要か。使える駒には価値があろう。但し些末事だ、替えは幾らでも沸いて出る。それこそ、掃いて捨てる程」

きしり、と。カップ麺のケースが軋んだ。
近付いてくる妖艶にして冷酷な笑みを浮かべる唇をひたすら見つめているだけだ。何かが神威の地雷に触れたのは判るが、喜怒哀楽が判り難い美貌からは読み取る事は出来ない。

「セカンドにすら、永劫の価値はない。血を分けたファーストですら排他した私に、淘汰の果ては虚無だ。何も残りはしない」
「カイちゃん」
「何も、残らない。私には全てが与えられ、与えられない。記憶に残らないものばかり与えられ、だからこそ引き替えに何も残らない」
「欲しいものがあるにょ?」

瞬いた。気がする。
相変わらず薄ら笑いを浮かべた口元の真上で、蜂蜜色の眼差しが瞬いた気がする。然し唇ばかり見つめていたので定かではない。

「ずっと前、父ちゃんが言ってたにょ。自分は世界一幸せ者だけど、そんな自分が世界一幸せにしたい人だから、うちの母ちゃんが宇宙一幸せ者だって」
「…」
「だったら、世界一幸せ者の父ちゃんと宇宙一幸せ者の母ちゃんから産まれた僕は、誰よりもハッピーなのかしら」

ぺりぺりカップ麺のフィルムを剥がした。爆発音を轟かせた腹は沈黙し、何だか食欲もない。

「だからカイちゃんとタイヨーと桜餅、皆と友達になれたにょ」

けれど手元ばかり見つめたまま、掴まれた左手ではなく包帯ぐるぐる巻きの右手を駆使し、何とかフィルムを剥がしていく。

「たまに掲示板とかに、男の癖にキモいんだよとか、変な小説書いてんじゃねぇよとか、悲しくなるコメがあるにょ。百人の誉め言葉より一人の辛辣な意見の方が威力があるって、知らないのかも」

ぽたり、と。
開封しようとした蓋の上に、水滴が落ちた。急速に鼻が詰まる。喉がひくりと痙き攣って、最近泣き虫になったなと他人事の様に考えた。

「間違った事を訂正するのは正義だけど、そこに自分の感情を加えたら悪なのょ。正数に負の掛け算をしたら、マイナスにしかならないにょ。だから、きっと、ああ言うのは心が貧しい人だと思うにょ。他人を傷付けなきゃ自分を保てない、心が貧しい人」

また。今度はぽたぽたと。
一度決壊したらもう無理だ。昔は不良に絡まれたって陰口を叩かれたって、担任に辛辣な言葉の暴力を受けたって。耐えられたのに。今とは違い独りぼっちだったけど、泣かなかったし、誰にも、親にも言わないで耐えられたのに。

「でもそれは、死にたいくらい悲しくなると逆恨みしたくなる僕のしょぼい意見だから、間違ってるのかも知れないなり」

ごしごし目元を擦った。弾き飛んだ眼鏡を拾おうと手を伸ばせば、ぎゅむりと抱き締められる。ひくりと鼻先が震えた。駄目だ、嗚咽が耐えられそうにない。

「愚かな人間如きの言葉に胸を痛める必要はない。間違っているのはお前ではなく、賤しいその人間だ」

今だって、靴箱には生ゴミや腐葉土、果てはガラスの破片まで詰め込まれている。ラブレターに見せ掛けた呼び出し状も、机の上にあった菊花のしおりも昔なら悲しかった筈だ。
同じ様に嫌がらせを受けている太陽が呆れ顔で『低俗』と罵って、当の本人以上に憤る要や隼人が片付けてくれるから耐えられたのかも知れない。

「カイちゃんに友達は要らないにょ。だ、だから、ぼ、僕も要らないにょ。すぐにポイ捨て出来る玩具と一緒で、チューしたりするのも、あ、挨拶と一緒…ぐすっ」

ぐりぐりと神威のブラウスから覗く鎖骨に額を擦り付けた。

「言葉の難解さを、思い知った」
「エッチな事したりするのも、ぐす、ぼ、僕が童貞だから揶揄ってるにょ。ひっく、カイちゃんなんか水虫になればイイなり!」
「…俺が悪かった。口調が気に食わないと言うなら考慮しよう。泣くな」
「ぐすっ、友達じゃないならっ!ラーメンもおうどんもあげないもん。ぐす、独り占めするもん。ぐすっ」
「お前がタンゴなら良かったんだ。俺は猫に好かれる」

頬を撫でた両手が、滑り落ちて両顎を掴んだ。羽根の様に柔らかく、けれど力強く。

「お前が黒猫なら、撫でるだけで事足りる。だがお前は猫の様に我儘ではなく、単純でもない。見も知らぬ人間の言葉に傷付き、…俺を友人と言う」
「ずずっ。さわ、触んないでちょーだい。腐男子だからって、嫌われてる人に優しくするほど腐ってないにょ。そんなのは浮気されてもめげない健気受けだけにょ」
「俺は俺みたいな人間に近付くのも嫌だ」

瞬けば、零れ落ちた涙の粒を真顔の神威が舐める。酷く嫌そうに顰められた眉が、いつもの無表情さを掻き消している。

「俺は、俺みたいな人間が息をしているのも好きじゃない」
「カイちゃん、…喋り方が変な感じ」
「消えてなくなれば良いと思った。そうだ、あの日。あの酷く暑い日に、焼け死ねば良いと。…思ったんだ」

ちゅ、と。目元に当たる、何か。

「約束をした。黒の袴を纏う誰かと、満月の夜に。待ち兼ねて十時間待った。まだ陽が高い内から、俺は」

次は鼻先に当たって、今度は頬に。滑り落ちてくる唇の最終地点に気付いて、フィルムを剥がしたカップ麺を二つ、掻き抱く。

「約束は果たされていない。けれど俺は、」

唇に触れる刹那、吸い寄せられる様に近付いた気がしたのは勘違いだろうか。


「あれがお前なら良いと、…思ったんだ」

かたり、零れ落ちたカップ麺を拾う手など、何処にも。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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