帝王院高等学校
爽やかな週末の朝は慌しい
「おはよう、全世界の人間共。今日も素晴らしい一日の始まりだ」

バルコニーに素足で降り立った彼は酷く作り物めいた笑みを浮かべ、手摺りに忘れられたチェスの駒を摘み上げた。

「ポーンは巧くやってるかな?ねぇナイト、もう我慢の限界だよ。あれから何年待たされてると思ってるんだろうね、君は」

掌の駒を見つめながら、真っ白な朝日を見上げ笑みを深める。目覚めの朝に相応しい太陽だ。何処かで聞いた名前である。

「平凡で何の取り柄もないもう一つのポーン、山田太陽君は今から秤に掛けられる。めくるめく艱難辛苦の試練を乗り越え、果ては天国か地獄か」

謳いながら部屋へ戻り、チェス盤を取り出した。ケースからガチャガチャ取り出した駒を左右非対称に並べ、後攻の黒い駒を一歩、進めた。黒い馬の駒は未だ手の内に。

「主人公と勘違いした遠野俊君にはとっても素敵な捨て駒になって貰おう。それこそ独楽の様に盤面を回り回って、果ては極楽に程遠い奈落」

カツカツ駒を進めて、白駒で容易く弾いた二つのポーンを見つめ肩を震わせる。初期値から動いていない黒いクイーンを王手目指して進めれば、いよいよ笑いは弾けた。

「ははは!困ったな、俺がやられた。ビショップなんかに」

白のビショップの範囲に、クイーン。チェックはチェックメイトに至らず、賢者の駒に弾かれた。

「賢い賢いビショップ、さてあの気位高い叶二葉はこの俺を倒せるんだろうかねぇ。あの物忘れ激しい、お馬鹿ちゃんは…」

目を閉じれば思い出す。
低気圧の空、分厚い雲は今にも泣き出しそうで、いつもなら煩いくらいの蝉の泣き声が酷くか弱かった。

「ずぶずぶと、底無し沼に填まって行く。ビショップターンエンド、」

一番最初に動かした黒のポーンで白いビショップを弾き飛ばす。

「哀れ賢者は勇者と勘違いしたポーンに倒された。可哀想な二葉君、…忘れたりするから」

愛しい愛しい白のビショップを摘み上げた。ころりと転がり落ちた黒い馬が白いキングを弾き飛ばしたのに気付いたが、扉をノックする音に笑みを控える。

「おはよう、いい匂いがするね」

扉を開けて首の骨をこきりと鳴らす。おはよう、と笑顔で返してきた他人へ笑い返せば、また笑いが復活し掛けた。


「お腹ペコペコだ」

爽快な週末の始まりだ。









「ユウさんが居ない?」

基本的に北棟往来権がないAクラスの獅楼が、健吾の足の下で涙目ながら頷いた。

「朝っぱらからワンワン電話してきやがって、迷惑この上ねーっしょ(´`)」

ぐりぐり獅楼の腹を踏み付ける健吾は欠伸を噛み殺しながらガシガシ頭を掻く。直属の舎弟が居ない要のメルアドは、幹部以外まず知らない。
幹部リーダーでもある要なら佑壱の居場所を知っているに違いないと考えたらしい獅楼は、佑壱の部屋の一階下にある要の部屋には足を運ばず、一度普通科エリアに戻ってから健吾と裕也の部屋に行ったそうだ。

が、元Sクラスの左席委員である二人は、授業の必要がないため大抵朝が遅い。土日に通常授業がある進学科や、ダンス練習などがある国際科はまだしも、週5日制の他学科は昼近くまで寝ていても可笑しい話ではないだろう。

朝七時に健吾達の部屋をノックした獅楼は廊下で叫びまくり、起きてきた裕也に睨まれながらも事の本題、要の連絡先を聞いた。が、半分寝ている裕也は「プライバシー保護」と呟いて扉を閉めたのだ。
舎弟の親衛隊員達に止められながらもノックを続け、それでも起きない部屋の主の携帯を鳴らしまくった。裕也は早々に携帯の電源を切っていたらしく、それから小一時間して起きてきた健吾に蹴られ殴られ、漸く要を呼び出して貰えた、と言う訳だ。

最初から俊にメールした方が早かったのだが、後の祭り。一介の舎弟が総長にメールなど恐れ多いだろう。
かくいう俊はメアド交換を強要し、不良に苛められた時は宜しくお願いしますと折り目正しく頭を下げてきた。確かにその辺のヤンキーからは恐れられている獅楼だが、これが本当に総長なのだろうかと頭を抱えてしまう。いや、オタクの振りをしているだけだと判ってはいるが。

「現地集合じゃないですか?我々に言わず外出するのはいつもの事ですし」
「新しい女でも出来たんじゃねーの(´∀`)ゞ」

獅楼に構わず会話する二人を余所に、朝風呂やら朝食やらで賑わう廊下を通りすがる皆がビク付きながら去っていった。溜息一つ、壁に凭れながらベジタブル味のスティックバーをもそもそ咀嚼している裕也を見上げる。
獅楼と大差ない体格の裕也はカロリーメイトやらサラダやら、およそ男子らしかぬ食生活が目立つ。肉食の健吾とは真逆にお代わりもしない。あればあるだけ食べる隼人や俊が異常だとは判っているが、それにしても粗食にして少食だ。

「ユーヤさん、そんなの食べてたらユーさんから怒られるよ」
「バレなきゃ、構わねー」
「つーかそんなの美味しくないよ」
「不味くねーから、関係ねー」

漸く食べ終えたらしい裕也は、ゴミ箱にパッケージを投げ捨てるついでに健吾の尻を蹴った。手加減しているのは明らかだが獅楼は顔を顰め、尻を押さえ大袈裟に飛び跳ねる健吾が騒ぎ始める。だが表情は笑っていた。

「いやーん、健子ちゃんのバックバージンが奪われたー(*´∀`)」
「カードキー忘れたぜ。黒烏龍奢れ」
「なに、今日はヘルシアらんの?」
「ヘルシアは、苦ぇぜ」

獅楼を助けてくれたのか否か、大きなロック系のロゴが入ったダークグリーンピタTと、シンプルな黒のチノパン姿の裕也に飛び付いた健吾は寝間着らしい蛍光オレンジのジャージを翻し快活に笑う。
殴ったり蹴ったり笑いあったり、何を考えているんだこの二人は、と眉を寄せながら立ち上がる。相変わらず美人だが情け容赦ない要は耳に当てていたらしい携帯を閉じ、首を傾げていた。

「電源落としているみたいだな。もうそろそろ開店時間だろう、ランチの仕込み中なんじゃないか?」
「あ、成程。今日はアレもあるし、榊の兄貴だけじゃ大変だもんね。判った、おれ早目に出るよ」
「副長の邪魔するなよ。ただでさえ図体ばかりでトロいんだ、お前は」

こう言う風に、親しい者以外にはキツい言い方をする要だが、全くの他人には話し掛けもしないのだから随分マシだ。獅楼が入隊したばかりの頃は、まだ身長も低かった獅楼を目の敵にしていた気がする。と言うより、弱かったのは事実なのでお荷物だったのだろう。
幹部リーダー、四重奏の要に睨まれていた頃は皆から笑われていた。愉快な方ではなく、嘲笑的な方で、だ。

「わ、判りました…ぐすん」
「一々泣くな情けない。少しは使える様になったかと思えば、大して変わっていないらしいな」
「が、頑張ります」
「期待に添えよ」

不敵に笑う要にいっそ泣いてしまおうかと思ったが、やめた。そんな事をしたら殺される。佑壱は対敵に関してのみ辛辣の鬼畜だが、要は弱い者を逐一苛めたがるド鬼畜だ。ちょっとでも隙を見せたら百パーセント苛められる。過去の経験から間違いない。

こんな時に帝王院一の美人でありながら、仮面を被るとド鬼畜不良に早変わりする男を思い出してしまう。風紀巡回中の彼は笑顔で違反者を駆逐しているからだ。非常に楽しそうに見えるのは気の所為ではないだろう。つくづく、太陽の凄さが判る。

「やまつん、あれで中々男らしいんだよなぁ」

去っていく要を見送りながら、腕を組んだ。最近、異常に怖い表情をする様になった友人、山田太陽は初等部の時に机が隣同士になった事がある。当時から加賀城財閥の跡取りとして取り巻きが居た獅楼は、分家筋の年上の親戚以外話す人が居なかった。同年代は取り巻きが近付かせなかったからだ。
今では、体育科に進んだバスケットのエースとして名高い二つ年上の親戚とも交流が薄い。獅楼がカルマに入る前からだから、カルマがどうだと言う話ではないだろう。本家跡取りの獅楼に、線引きしたに違いない。最近はたまに会うと敬語を使われてしまう。悲しい話だ。

日本最高位に帝王院財閥、東雲財閥が続く。元は平安時代からの神社の家柄である帝王院は、江戸時代に将軍家お膝元商人として海外貿易も行っていた東雲財閥よりも古い家柄だ。東雲財閥の歴史は嵯峨崎財閥と大差ない。数百年と言った所か。
嵯峨崎より僅かに歴史が長い加賀城財閥は、安土桃山時代に東北で温泉宿を始めた創設者が戦国時代を乗り越え、江戸時代に一攫千金を築いた。厳しい昭和の戦争で崩壊し掛けたらしいが、昭和末期にはゲーム業界にまで拡大する。

今や帝王院・東雲に続き、ベスト3に入る富豪として知られている。
セレブ番組では度々紹介されていて、跡取りである獅楼もパーティーやらに呼ばれ写真責めに遭うのだ。目立つのが好きな父親は反抗期の息子にピアスやら指輪やら、イケてる不良グッズを頻繁に送り付けてくる。青春時代に不良漫画をこよなく愛していたらしい父親は、不良なんかやめなさいと嗜めてくる母親を逆に嗜めている様だ。
やるならやり通せ、と。

「かぶくならかぶき通せとか、言ってたなぁ」
「前田慶次か?」
「ひっ」

がしっと尻を掴まれ、耳元に囁かれた低い声に飛び上がる。べろんと耳を舐められる感触に拳を握り、無意識に腰を捻った。

「うぉ、ちょっ、待、」
「え」
「痛って!」

バキッと言う確かな手応え、たたらを踏みながらも倒れなかった男は頬を押さえながら不機嫌げに睨み付けてくる。きゃあと言う誰かの悲鳴に、舌打ちした男はひらひら手を振った。

「おら、見世物じゃねぇぞ。散れ散れ」

相変わらず赤い髪の、男。可笑しいのはその髪が、だ。

「ど、どーしたん?それ」
「あ?これか?」

殴られた頬から手を離し、左右非対称の髪を指差した零人にコクコク頷く。殴った頬が赤い事には今は目を瞑ろう。

「どうだ、惚れ直したか?」

むにぃ、と勝ち誇った笑みを浮かべた男はすぐに顔を歪めた。頬が痛かったらしい。

「ご、ごめん。つーか、セクハラするから!つい、こう、うっかりっ」
「はん。へなちょこパンチ如き避けられなかった俺様の失態だ。気にすんな」
「男らしっ。じゃなくて、そうじゃない。何でおれと同じ色になってんだよっ」

そうだ。零人の赤毛は佑壱より僅かに明るい、ワイルドレッドだった筈だ。兄弟でも違うものかと感心した記憶がある。
なのに、今やアッシュレッドだ。どうしても佑壱と同じ色にならない獅楼が妥協した結果愛用しているものだが、佑壱よりも茶色に近い。

「似合うだろ、興奮する前に褒め称えろ」
「赤い髪の人が赤に染める意味が判んないっ。バっカじゃん」
「赤っつーか、…金だからな」

何事か呟いた零人が息を吐き、頬を膨らませる獅楼の脇腹を擽る。飛び跳ねた獅楼にニヤニヤ笑いを浮かべ、擽ったさの余り悶え果てるまで一頻り擽り終えてから手を離した。

「おうおう、涙浮かべて睨んでも効果ねぇよ。寧ろ逆効果だな。良い具合だ、これからも俺を煽り続けろ。のび太曰く、教師の立場と男の本能で苛まれる葛藤が必需らしい」
「はぁ?!もうっ、あっちいけよっ!何でおればっか苛めんだよっ」
「え?可愛いから?」
「きぃー!」

もう一度殴ってやろうと拳を振り回したが、当たったのは最初の一度だけだ。あれは零人にとって不意討ちだったらしい。

「腰の捻りが足んねぇな。やっぱありゃマグレか。恐ろしい奴だ、侮れん」
「褒めてないだろっ」
「まぁまぁ。朝飯食ったか?食ってないよな?良し、行くぞ」
「ちょちょちょ、食べたし!豚汁掛けご飯食べたし…!」
「んだぁとぉ?ご主人様より先に飯食うとは、何て偉そうな奴だ」

どっちが偉そうなんだ、誰がご主人様だと怒りの余り混乱を極めた獅楼の腕を掴み、真っ直ぐエレベーターに向かう零人はカジュアルだった。黒のジーンズ、フード付きの白いパーカーだ。

「恋人も居ない犬を散歩に連れてってやろうっつってんだ。つべこべ言うな」
「はい?」
「気分的にベンツよりよりスカイラインだな。良し、こっちだ」

散々暴れ回った獅楼がくたびれ果てた頃には、シルバーフォルムのスカイラインは軽快に山道を下っていた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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