帝王院高等学校
夢の国は東京じゃなくて千葉だよ
扉の向こうの静けさに違和感を抱いた直後、全く同じ顔をした子供達が固まる様にして硬直しているのを見た。
ずぶ濡れの室内には所々煤焼けた跡が見える。一つ息を吐き、未だ微動だにしない子供達から目を反らしてデスクトップの電源へ手を伸ばした。

「再起動…は、まぁよい。悪い方へ自我が発達し、我儘が過ぎる」

ラボの項目に赤文字の警告を認め、もう一度息を吐いた。部屋の後片付けも大切だが、この部屋には客人を招いていた筈なのだ。

「危害は加えるなと言うたのにのぅ。何でゴミ処理ネズミなんぞ解放したのか…」

頭が痛い。不法侵入者、つまりは叶財閥の秘蔵っ子が零人にまで手を出したら不味い、と手を回したのが失策か。ついでに東雲財閥の放蕩息子に灸を据えるつもりだったが、

「ふーむ、ネズミが数匹足りん様だが、…これは不味いだろうかのぅ」

片手に携えていたままの寿司折りに目を向け、何度目かの嘆息。



「好物の天むすは後回しか」







約束と言うには余りにも一方的な、つまりそれは命令だった。
はっきり言おう。なんて可愛げのない子供だろうかと思った回数は数知れず、そう言う自分も恐らく可愛げのない子供だったに違いない。

早い話が同族嫌悪だ。答えは初めから判り切っていた。それなのにその一方的な命令に従っているのは、何故。
嘲笑いたいから、だろうか。約束を忘れた余りにも身勝手な子供へ、自分は覚えていたのだと。約束を守ったのだ、と。

皮肉の様に語り聞かせ、押し付けがましい約束と言う名の命令に逆らいたかったのだろうか。




縋る様に舞い戻っておいて、今更何を言い訳染みた戯れ言を宣うか。



「清廉の君」

ぽかん、と。
消えた背中を見つめたまま、見上げ過ぎて痛くなって来た首を無意識に押さえてみる。
まるで逃げるように居なくなった背中は、大半の生徒から恐れられている人のものだ。

「…に、良くあんなコト言えますねー、アンタ」
「と、言われましても」
「清廉の君と言えばアンタ!あれ、確か光王子と同じ不良チームの幹部で!っつーコトはつまり不良の中の不良だろ!」
「まぁ」
「光王子とアンタが昔からの付き合いだか何だか知らないけど!光王子はともかく清廉の君が怒ったらどうすんですか!馬鹿かアンタは!」
「高坂君が何とかするんじゃないですかねぇ」

にこにこ、呑気な事を宣う二葉の声を聞きながら、未だ立ち去った東條の面影を探しながら痙き攣った唇を持て余しつつ、

「光王子に頼ってばっかで恥ずかしくないのかい。アンタも一応男だろ、戦えよ」
「一応、私の方が先輩なんですけど」
「あ、忘れてた」
「そもそもイーストはABSOLUTELYのランクBでしてねぇ。ランクAの私に逆らう訳がないと言いますか、上司なんですけど」
「ランクエー?清廉の君って武道やってるって聞いたコトあんだけど。黒帯がどうとか…」
「おや、私はそんなに弱そうに見えますか」
「腕相撲なら俺でも勝てそうな気がします。何ならハンデで左手使ってあげてもいいですよ」
「実は私、両利きなんですよねぇ」

沈黙。

「見たかい清廉の君のあの顔!青汁に一晩漬け込んだ苦虫を噛み潰した様な顔だったやないか〜い」
「おや、言い得て妙な。苦いものは体に良いと聞きます。つまり私はイーストのヘルスケアにも心を費やす、メディカルサプリメントな生徒会役員なんですねぇ。ナイチンゲールですか、うふふ」
「滅びろナルシストエゴイストサディスト」
「おや、私はそんなに不細工でしたか?」

見上げ過ぎて反り上がっていた顎をガシッと掴まれ、ぐるんと半周、グキッと鳴った気がしないでもない首に眉を寄せれば、目の前に覗き込んでくる無駄な美貌が見えた。

「いや、まぁ、不細工ではない、気がしないコトもない………気がしないコトもない様な…」
「言われた事があるでしょう。優柔不断」
「ぐ」

だから裸眼には慣れていないのだ。早まった鼓動は恋愛的なアレではなく恐怖によるものだろう。

「問1、目の前に美しいふーちゃんが居ました。選択肢は?」
「近い近い近い、」
「1、キスをねだる。2、求愛する。3、跪いて『ふーちゃん様の奴隷になりたい』」
「4、それ以上近付くと泣く」
「困りましたね、私の美しさはハムレットですか」
「悲劇なのは俺の状況…だ!」

とりあえずこのまま好き勝手されてはならないと足を振り上げ、ガコンッと一発。
決まる筈だった蹴りは確かに決まった筈だが、脛を蹴られた筈の男は満面の笑みで首を傾げ、

「足癖が悪い様ですね」
「ちょ、待て、待って下さい、近い近い近い近い近い」
「近付かないでどうしろと仰いますか」
「離れればいいんじゃないかなー?!」
「離れてどうしろと仰いますか」
「速やかに俺を離して、この無駄にロープレ染みた状況の寮を元に戻せっ!」
「困りましたね」

頬を撫でる手。
耐えず蹴り付けても離れる所か痛そうな表情も見せない美貌、蒼い何かが近付いてくる。灰色の何かが吊り上がって、真っ白な肌に三日月を浮かべたら、

「私は貴方を泣かせたいんです」
「近、」
「凛々しくも優柔不断にして余りにも弱い勇者様。悪い魔王はいつも隙を窺っていますよ」
「近ぃ、」
「ほら、」

ちゅ、と。
額に当たった何かが音を発てた。やはり何かがおかしい。普通、赤い筈だ。
三日月型に吊り上がったそれは普通、赤い筈だったのに。何故こんなにも、灰色なのだろう。

「凄まじい表情ですね。…こんなに青冷めて、可哀想に」

灰色の何かが笑みを消した。

「可哀、想?」

本来赤い筈の何か。そうだ、佑壱の髪と同じ様に赤い筈だ。散り行く桜の花びらの様に、これは。

「可哀想。…こんなに青冷めて、可哀想に。もっと赤い筈なのに」
「他人事の様に仰いますねぇ。青冷めているのは、」

手を伸ばしてみた。
灰色のそれに触れれば自棄に冷たい。見た目通り血の気が失せたかの様に冷たい。
キスした時はあんなにも暖かかったのに、何故。見開かれた黒と蒼を何ともなく見つめ、日本人なら当然である筈の右目を見た。

「何で黒いの」
「は?」
「黒じゃなかっただろ」

瞬いた蒼を眺めながら、自分が口にしている台詞の意味を考える。何を宣っているのだ自分は。まるで昔から知っているかの様な物言いではないか。

「青かったけど、黒くなかった、気がする」

馬鹿らしい。
この男に出会ったのはほんの数年前、中等部時代だろう。そう、この男は今の自分と同じ高等部一年生で、まだ今より少しばかり幼かった様な気がする。

「何を、藪から棒に」
「勘違いした。黒だ。そう、初めから黒かった。何でこんな勘違いしたんだ、俺」
「…」
「黒、そうだ、あの時助けてくれた不良も黒かった。上から下まで真っ黒で、上から下まで真っ白なアンタとはまるっきり違って、言葉遣いも悪かった気がする」

濃紺の着物、金色の刺繍が施された真っ白な羽織り、白が良く似合うと誰かが言った。そう、白百合の名に相応しく、白が。

「離せ」

いつも無意味なほどに傲慢な態度で助けてくれる仮面の男は真っ黒だ。目の前の二葉とは圧倒的に違うのは、余りにも無口で偉そうな態度の割に意外と優しい所か。
温かいものを飲むとほっとする。それが甘いものなら尚更、カフェイン含有の緑茶よりずっと、体に良い筈だ。

「外側だけ真っ白な奴が、触んな。腹の中は真っ黒な癖に」

凄まじい過虐心が沸き上がる。泣かせたいと言った相手を泣かせたらきっと、物凄く満たされるだろう。
何からも恵まれた強い相手を泣かせたら、きっと、多分、いや、絶対。気持ちが良い筈だ。

「アンタは俺が嫌い、俺はアンタが大嫌い。…だったら、俺の負けになるんだろうね」

力が抜けた拘束を振り払う。

「物語はそんな簡単じゃない」

足元で誰かが笑った。闇から伸びてきた手が足首を掴む。二葉は気付いていないだろう。

「でも俺は好きでも嫌いでもないんだ。無関心な俺相手に一生嫌がらせしてろ、叶先輩」
「逃げるつもりですか」
「あはは、」

バックステップ一つ、足首を掴まれたまま何もない真っ暗な闇へ背中から飛び込む。
伸びてきた手、笑みがない美貌は白百合の名に凡そ相応しくない雄臭さが窺えたが、


「関心が無い奴から逃げるつもりも、関心が無い奴をこれ以上相手にする暇もないだけだよ」

今にも追い掛けてきそうな手が止まったのを見たのが最後。
その表情がどうだったかまでは見ていない。





「お帰りなさいませご主人公様!」
「…っぶねー」

ぎゅむん、と抱き締められて、詰めていた息を吐き出した。ああ、どうやら無事一階のエントランスまで着地したらしい。

「タイヨーちゃんタイヨーちゃん、僕がパトロールしてる間に僕の目を盗んで逢引きなんて!なんてつれないタイヨーちゃんでしょう、GJ!」
「…俊、期待を裏切らないねー、お前さん」

足首を掴まれた時は叫び出しそうな恐怖だったが、ネタが判れば何と言う事はない。サングラスがずれ落ちた男からグリグリ頬擦りされながら、眉間を押さえた。

「ただ一つ言わせて貰いたいんだよねー」
「ご安心なさって!二葉先生とのイチャコラは監視カメラ映像をハッキングして掘り出しますにょ、ハヤタが!」
「人の足を無理矢理引っ張んな!馬鹿俊!」
「ヒィ」

とりあえず二葉には効かなかった脛蹴りを一つ、悶え狂っている俊の背中をゲシゲシ踏みつけ、軈て聞こえてきた啜り泣きに鼻を鳴らす。

「ふぅ。やっぱ俺が弱いんじゃなくて、あっちが化け物だったのかい」
「総長…!」
「しくしくしく」
「そこで突っ立ってる錦織、俊のこの格好はどーゆコトなのかなー?」
「いや、俺にもさっぱり…」
「しくしくしく」

無言で要に手を差し出した太陽へ、当の要が首を傾げた。短い息を吐いた太陽が要のブレザーを指差し、頷いた要が脱いだブレザーを俊へ渡す。

「頭に被って頂いた方が安心でしょうか。サングラスは余りに目立ちます」
「ふぇ」
「カルマのポスター、最近見掛けないけど。前はあっちこっちに貼ってあったんだよー。神崎が所属してるプロダクションのスポンサーが、帝王院財閥の傘下企業だって」

言われて瞬いた俊が、外したサングラスを要へ渡しながら眉を寄せた。

「そー言えば、一回だけパヤちゃんのロケ先に付いてった事があるにょ」

凄まじい表情だが腰を抜かす者はいない。怯んだ要はともかく、平凡な割りには図太い太陽である。

「ホントに不良なんかい、カルマって」
「記念にお写真撮って貰ったよーな」
「ユウさんがアルバムにしていたと思いますよ。あの時のネガはハヤトのプロダクションに残ってるんでしょうか」

その時の集合写真が地元の雑誌に載った事は、隼人だけしか知らない。要に知られたら肖像権がどうだと騒ぎ立てるからだ。また、俊と隼人のツーショットや、弁当を頬張る俊なども撮られていたので独り占めしたかったからとも言える。
まさかそれが不良ではない一般人にカルマの名を知らしめるきっかけになった、などとは勿論、隼人ですら知らない。

「ポスターと言えば、総長が失踪してユウさんが暴れ回ったので、風紀が回収していましたね」
「あ、確か俺らの卒業式の日に紅蓮の君謹慎事件があったんだっけ。工業科の一年達をボッコボコにしたとか」
「ヒィ!不良さんみたい!」

二人の冷めた目に、震える腐男子は気付かなかったらしい。

「分校からの昇校生は県外出身ですから、噂でしか知らないユウさんに勝てれば名が上がるとでも思ったんでしょうね」
「ハァハァ、少年漫画みたい!ハァハァハァハァ」
「それよりさ。何か良く判んない事態だけど、神崎なら元に戻せんのかな、これ」

未だバラバラに分解している周囲を指差した太陽へ、要も首を傾げた。

「施設管理は区画保全委員会の仕事ですから、左席に権限はない筈ですが」
「区画保全って美化委員のコトだっけ?うちのクラスの美化委員って誰だっけ」
「さぁ」
「タイヨータイヨータイヨー」

しゅばっとさりげなく太陽に抱き付いた俊が、要のブレザーでほっかむりをしたまま何処ぞを指差した。

「なに?」
「ミッキーが居るにょ!」
「は?」
「猊下…夢見る少年の心を忘れないなんて、尊敬します」

うっとり呟いた要に太陽の塩っぱい眼差しが注がれつつ、

「あっち見るなり!まっ黒くろすけかと思ったらっ、ミッキーだったにょ!」
「はいはい、ミッキーは黒ネズミだもんねー」
「いや、本当に黒い鼠が居ますね」

要が瞬いたのに振り返った太陽が、足元へチョロチョロ這ってきた小さな生き物を認めびくりと肩を震わせる。

「ぅおわ、…どぶネズミ?」
「この帝王院に害虫が入り込める訳ないでしょう」
「ちっちっちっ、ミッキーちゃんお菓子お食べになる?」

うんめー棒を手にしたオタクが、黒い鼠へ手を伸ばした。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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