帝王院高等学校
イヌネコアクシデントINリブラ
信じていたのに裏切られた。
唱えた台詞の身勝手さに気付いた時、それは空虚に等しい絶望へ変わった。
ああ、自分と言う余りにも哀れな生き物はなんて自分勝手なのだろう、と。


気付いたのは、憎んだずっと、あと。



「はっ、はっ、はっ」

嘘吐きだ嘘吐きだ嘘吐きだ嘘吐きだ嘘吐きだ嘘吐きだ嘘吐きだ嘘吐きだ嘘吐きだ嘘吐きだ嘘吐きだ嘘吐きだ嘘吐きだ嘘吐きだ嘘吐きだ─────他人なんてやっぱり皆、嘘吐きだったのだ。

「はぁ、はぁ、は…っ」

何処まで駆けてきたのか判らない。分解された寮の中はシャッターで隔離され、人の気配が皆無に近い。
無闇に駆け抜けた肩が喘いだ。灼けた喉から痙き攣る息が、耐えず。

「は、─────ははは、ははははは…」

笑い話、なら、良かった。
募り募った信頼が崩壊するのはこんなにも容易で、こんなにも迅速に憎悪さえ忘れ果てた虚無に擦り代わる。
無意識に、絶対的に。信じていたのに。余りにも愚かな自分と言う生き物は、信じていたのに。


他人は皆、裏切る。
実の父親だってそう、生まれた時から見てきた長男ばかり可愛がっているではないか。たった四分の一しか血が繋がっていないけれど、物心付いた時から一生だった従兄からも煙たがられたではないか。

「Don't have a hope、」

翼なんか生えていない。
二本の足しか持っていない。
だって自分は、不死鳥に憧れる地を這う犬。不死でもなければ翼もない、ただの犬。吠えるしか能がない、哀れな。

「…パンドラの中は、nothing。」

何も残りはしない。
例えば全身に火傷を負った所で、数日後には跡一つ残らず消えてしまう。ピアスの穴など開けた半日後には塞がってしまうのだから。
馬鹿ではないか。ただの。

無意識に、だから絶対的に。殻を割った生まれたての雛鳥の様に、信じ切っていた。それが当然の事の様に。誰から教えられた訳でも命じられた訳でもないのに、勝手に。信じていた。
煩わしかったのだろうか。いつかの神様の様に、戯れつく犬が煩わしかったのだろうか。いつかの言わなかっただけで。偽善でしかない優しさの下で、邪魔に思っていたのだろうか。


あの人、は。


「…」

本当は要らなかったのだろうか。
例えば寝る間を惜しんで仕込んだ手羽先の唐揚げも、例えば昼寝の合間に焼いたケーキもクッキーもプディングも、要らなかったのだろうか。煩わしかったのだろうか。

笑っていたのだろうか。そう、嘲笑っていたのだろうか。馬鹿な犬が懐いていく様をずっと、いつか捨てられる癖にと。嘲笑っていたのだろうか。

「…帰って、寝るか」

身勝手過ぎる。
そう言う自分こそ、他人などすぐに掃き捨てる癖に。隼人を信じないあの人に苛立った自分こそ、裏切られたと嘆く自分こそ、全てを容易く投げ捨てる癖に。

神様に酷く近い位置に居る自分は、倫理を無視した医者達から弄ばれて。早過ぎる成長力を手に入れた。
酸素を人の10倍多く取り込む細胞は絶えず分裂を繰り返し、自然治癒力も他人の10倍、成長も他人の10倍。もしかしたなら明日、消えてなくなるかも知れない。


十一歳の春先に気付いた。
つまり、自分は他人より早く死んでしまうのだ、と。再会した蒼い右眼の悪魔から「子供は出来ましたか」などと揶揄われて、やっと。

『残念ながら私には遺伝子を譲渡するべき機能がありません。私は陛下の検体ですからね、再三のバイオ投与で遺伝子配列が狂った様です。私には子孫が残せない』

心臓以外の痛感神経が狂った悪魔はからりと笑い、他人より五倍早く死んでしまうかも知れないのに悩む素振りも見せず、

『私の倍以上、治癒速度が速い貴方は早い内から遺伝子を残すべきですよ』
『俺はテメーらの生け贄じゃねぇ。…黙らせんぞ』
『昔以上に俗慣れされましたねぇ、汚い言葉遣いだ。然し勿論、完全体である陛下にも副作用がいつ現れるか判らない。その為に、陛下の遺伝子を引き継ぐ貴方は勤めを果たさねばならない』
『失せろ。俺はもうグレアムとは関係、』
『キング=ノヴァの様に』

独りで。
このままずっと、独りで。
死んでしまうのだろうか。自分は。誰からも愛されずに、消えてしまうのだろうか。
ついさっきまでは、あの人が看取ってくれるのだと信じていたのに。犬は人より早死にするものだから、と。当然の様に信じていたのに。

信じていたのに。
信じて貰えてはいなかった。
信じていたかったのに。
信じたままではいさせて貰えなかった。


『イチ』


だったらあだ名なんか付けなければ良かった。だったらあんなに楽しい日々なんか与えなければ良かった。こんなにも空っぽになってしまうくらいなら、恨める内に棄てて欲しかった。

明日から。
どうやって生きていこう。
昨日まで。
どうやって生きてきたのだろう。

空っぽだ。
頭の中も、存在しない心と言う箱の中も、何にも存在しない。空っぽだ。


ああ。
隼人を庇いたかった訳じゃない。自分が裏切られた様で悲しかっただけだ。
身勝手過ぎる。偽善にもなりはしない。嘘を吐くなら最後まで、騙し続けて欲しかった。

「悲しくない」

嘘で良いから、信じてると言って欲しかった。大好きだと言われるよりも、信じていると言われたかった。

「でも虚しい」

どうせ、全てが嘘なら。

「小さじ一杯、寂しい」
「…おい?」

上から聞こえた声につられ、俯いていた顔を上げる。

「誰がぶつぶつ抜かしてんのかと思や、テメェかよ」

ああ、何かが零れた。折角、我慢していたのに。

「運が悪い」
「お前まさか、」
「淫乱なんかにエンカウントしちまった」

頬に、生温い何か。すぐに冷たくなった。

「泣いてんのか?」

上から覗き込んできた男の目が見開かれる。

「馬鹿言っちゃいけないぜアミーゴ」
「はぁ?」

すぐに目を反らしシャツの袖口で目元を擦り、脇目も振らず駆け出した。

「アディオス!」
「ちょ、おい!嵯峨崎!二葉かテメェは!」

見られた。
ばっちり見られた。
然もよりによってアイツなんかに見られてしまった。これは鼻水だなどと言って、あの偏屈イギリス人に信じて貰える可能性はそれこそゼロに近いだろう。
花粉症だと言った方がマシかも知れない。

「待ちやがれ!」
「げっ、付いてくんな!」
「だったら逃げんな!」
「逃げてねぇよハゲェ!」
「逃げてんじゃねぇかボケェ!」

カーチェイスもかくやと言うスピードで分解された寮の内部を駆け抜け、飛び上がっては飛び降りる。然し背後から追ってくる罵声は未だ離れる気配がない。

「テメーは何で付いてくんだよ!ストーカーかよっ、人のケツ狙ってんじゃねぇぞ!訴えてやる!」
「誰がテメェのケツなんざ追い回すか!蹴り飛ばすぞテメェ!」
「そっとしとけや!気が利かねぇ淫乱猫め!」
「リブラ復旧のサポートくらいしろ!テメェ役員だろうが!」
「モードチェンジなんか出来る訳ゃねぇだろ!」
「勝ち誇んな馬鹿犬が!」
「んなもんゼロにやらせろ!そして犯されてしまうが良い!シネ淫乱シネ淫乱シネ淫乱!」
「………の餓鬼ぁ、」

異常に低い声が聞こえた気がする、と。僅かに低い位置にある数メートル先の廊下へ飛び降りようとして、襟を凄まじい力に引っ張られた。
飛び降りようとしていたのと相まって、一瞬喉が詰まって息が止まる。ぐぇ、とカエルが潰れた様な奇声が漏れた次の瞬間、つるっと滑った足のお陰で背中からすっ転んだらしい。

「ゲフ」
「大人しせんかコルァ!ンのケツかっ捌いて金玉取り出されてぇのか糞餓鬼が!」

然しながら背後の日向を下敷きにする事で痛みは皆無に等しいが、素早く起き上がった日向から馬乗りにされて両手を磔られてしまう。

「………」
「…ちっ」

乱れた息を整えながら舌打ちを零す男を、ぱっちり開いた赤い目で凝視してみた。
さっきのあの極道さん染みたドスが利いた罵声は、本当にこの男から放たれたのだろうか。今までの喧嘩でもこんなにドス低い声は利いた事がない。然も全体的に巻き舌だった。

「ヤ、ヤーさんかよ」
「…今更かよ。うちは光華会だぞ」
「ぎゃーっ、ヤクザー!本物のヤクザが出たぁあああっ」
「マフィアが抜かすな!」
「すんません」

基本的に英語の罵声で巻き舌など使わない。使うのはプロレスのリングアナウンサーくらいだ。
これで関西弁だったら大半の外国人は日本恐ろしやと逃げ帰ったに違いないが、極道すら恐れるアメリカンマフィアの立場にあるのがグレアムである。すっかり動転した佑壱がテヘッと笑って誤魔化したが、日向の双眸は「馬鹿め」と痛烈に物語っている気がした。

「嫁入り前の体に乗るな変態」
「その図体で雌発言はやめろ馬鹿犬が」
「初めてだから優しくして」
「本気で殺すぞ」
「出来るなら」

す、と目を細めた日向に唇の端を吊り上げた。売り言葉に買い言葉ではなく、本気で。どうせいつか死ぬなら、今だろうが後悔しないと思ったからだ。

「勘違いすんな。本気で殺すっつってんなら、抵抗しねぇって事。キャンユーアンダースタン?」
「何アタマ沸いてんのか知らねぇが、似合わん泣き言抜かしてんじゃねぇぞ」
「誰が泣いてんだ、絞め殺すぞテメー!」
「はん、」

珍しく嘲笑とは違う笑みを一瞬浮かべた唇が、近付いてきた。反射的に殴ろうとした右手が磔られていた事に気付いて、余りにも情けない話だが、目を瞑るしか出来ない。

「塩辛ぇ」
「汗だ。俺はソルティードッグなんだ。つか舐めんな」
「んな赤ぇ目してほざくかよクソ犬」
「一枚一万のカラコンだ。ハードレンズなんだ。ドライアイ万歳、俺の上から退けド淫乱」
「おい」
「淫乱が移る。淫乱菌に犯されて俺も淫乱になっちまうんだ。発情期で盛りまくって性病で死ぬんだ。大変悲しいお知らせです」
「長い寝言だな。…好い加減起きろタコ犬」

閉じたままの瞼の上に吐息が掛かる。僅かばかりの蛍光灯に照らされた空間はお世辞でも明るくはないが、ぎゅっと瞑った瞼の内側でも異常な暗さの理由が判った。
覗き込んでいるからだ。帝王院が誇る副会長様が、真上から。

「また変な噂流される。早く退け、俺はお前なんか抱く趣味はねぇ。押し倒される趣味もねぇ」
「目を開けろ、泣き虫」
「泣いてねぇっつってんだろハゲ!テメーの口に突っ込まれてぇかコラァ!」
「はぁ。どうあっても意地張るっつーなら、まぁ良い」

ファスナーが下がる様な音がした気がする。目尻を舐められた拍子にちょっぴり零れ掛けた涙を隠すべく、やはりぎゅっと目を瞑ったまま喚き散らし続けた。

「大体、ストーカーで変質者な所は昔から全く変わってねぇ!ちぃっとばっかし背が伸びたからって調子乗ってんじゃねぇ!」
「煩ぇ口だな。テメェは蝿か」
「仮面ダレダーはバイクに乗る正義の蝿だ!舐めんな!謝れ!」
「舐めてねぇ、舐めんのはテメェだ」
「俺はダレダーレッドをリスペクトしてる!馬鹿にすんな!」
「判ったから、─────咥えろ。」



何だろう。
聞いてはいけない台詞をうっかり聞いてしまった気がする。
何だろう。
そう言えばさっきのファスナー音は何だったのか。恐ろしい仮説が成り立ちそうな予感に、全身の毛穴が縮まる気配。まるでバスケットボールの如く浮かび上がった鳥肌に、果たして気付いているのだろうか。

「く、く、く、くわ、咥え?!」
「ああ。ほれ、あーん」

日向がどんな顔で「あーん」などと抜かしたのかは知らない。とりあえず判るのは、その「あーん」がタコさんウィンナーの様に可愛らしいものではない気がすると言う事だけだ。

「…」
「おい」

ぷるぷる震えながら、ついでにぶるぶる首を振ってみた。固く閉じた唇が情けなくぷるぷる震えているが、どうか察して欲しい。カルマ副総長にも恐いものはあるのだ。

「ちっ」

舌打ちと共に、佑壱並みの握力が顎を掴んだ。ミシミシ軋む顎が砕ける方が先か、ケルベロスと恐れられるヤンキーが乙女な悲鳴をあげるのが先か、

「ぶるぶるぶるぶるぶるぶる」
「あーんっつってんだろうがっ、腐れ犬が!」
「ぷるぷるぷるぷるぷるぷる」

恐怖に震える狼にも、怒りに震える獅子にも判らない。

←いやん(*)(#)ばかん→
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