帝王院高等学校
突然変異はいきなり変わる事らしいよ
「1mSv辺りの確率的影響による被曝についての疫学仮説は実に様々だ」

人生は一辺の曇りなく、薔薇色だ。

「デオキシリボ核酸、つまりDNAである二重螺旋ポリ核酸の鎖型で遺伝情報は内部伝達され、一方のポリ核酸が傷つけられたとして、もう一方を雛形に僅かな時間で修復される。つまりDNA内部情報は同時に二ヶ所、それも同じ伝達部位を損傷しない限り確定的影響は極めて低い」

いつかそんな事を酷く冷めた表情で宣った余りにも美しい子供は、今頃何をしているのだろう。
私は突然変異だと極めて冷酷な笑みを浮かべ宣った子供は、今頃また何かを傷付けているのだろうか。

例えば、己の遺伝子を。
心と言う、目には見えない細胞を。傷付けているのだろうか。

「ベルゴニー=トリボンドーの法則から、細胞分裂を起こし易い脊髄・上皮細胞・造血細胞は必ず衝撃を受けるとされている。反して分裂し難い骨や筋肉は影響を受け難いと言われている。頻繁に細胞分裂を繰り返す受精卵が被曝すれば消滅するが、2ヶ月以上成長した胎児は健康障害の懸念は低い。
  放射線障害は2つに分けられる。即ち確定的影響、並びに確率的影響だ。前者は必発であり、後者は必ずしも発生するとは限らない突然変異と言えよう。主に癌が上げられる。白血病もそうだ」
「失礼します教授、お電話が入ってます」
「タイムアウト、少しばかり早いが此処で切り上げようか。レポートは次回ゼミまでに提出するように。では失礼」

白衣は性に合わない、などと言うセルフセンスでどちらが学生か判らない格好をした男は、春らしいスイートピンクのニットベストとオフホワイトのカーゴパンツと言った出で立ちで颯爽と講堂を後にする。
通りすがる女生徒から逐一声を掛けられ、愛想の好い笑みと共に片手を上げながら辿り着いたプライベートオフィスのドアを潜るなり、掛けていた伊達眼鏡を外しそれまでの笑みをぴたりと掻き殺した。

「もしもし。…ああ、やはり君か。何か用かな?」

小脇に抱えていたテキストを何の感慨もなく下ろし、デスクの上の経済新聞を手に取りながら同時に椅子へ腰を下ろす。
実に興味深い記事へ目を奪われ些か上昇した気分は、然し何の興味もなかった受話器から漏れたニュースで一瞬の間もなく意味を失った。

「ネイキッドを見付けたのか?何処で?何故?ああ、良い、理由などどうでも良いさ。我が最愛のプロフェッサーネイキッド、素晴らしくも恵まれたIQ350の天使は何処に居るのかな?
  いや、彼は現キングダム最高幹部だからな。憎きグレアムが闇に染めて連れていってしまったから、私の心は憎悪でおぞましくも染まり切っていたんだ」

文学的な謳い文句ですね、と言う皮肉にすら笑える。
母親譲りだろうブロンドを掻き上げ、黙っていれば神経質そうに見えるらしい切れ長の目元に笑みを乗せれば、一瞬で雰囲気が変わった。誰も見ていないのが残念なほどに。

「彼は堕落しただろうか。神天使ルシフェルが闇に染まりルシファーとなった様に、穢れ切った俗世に嫌気が差しただろうか。酷く下らない希望を抱いて、一度捨てた国に舞い戻った私の天使は」

笑いが止まらない。
先日手放した何処かの会社の株が大暴落した記事よりも、ずっと。
己を突然変異だと宣った子供を思い出していたからこそ、尚更。

饒舌に上機嫌で足を組み替えた。

「へぇ、エデンも見付けたのか。あの無意味に目立つ悪魔が何故こうも見付からなかったのか、逆に不思議だな。
  然し、数学物理には何の価値もない凡庸な子供だ。全世界の言葉を操れた所で、発揮する場がない。それよりも世界共通である数学の方が実に実用的だろう?例え彼をエンジェルと呼ぼうが、ね」

赤と、黒。
全く違う対の二人を思い出した。酷く人間味ない子供を。

なのに瞳の色だけが同じだった。
サファイアを携えた、二人。可愛らしい子供。自分だけが特別だと思い込んでいた、可愛らしい二人。

「と、言う事は。プロフェッサールークも日本に居るんだろうね。これはまた、素晴らしく面倒臭い」

株を知っているかい、と。
二人の子供に問い掛ければ、片やブッシュドノエルを焼き、片や国家予算を軽々越える利益を出した。

ストック、確かに木の幹と言う同音異義語があるが、だからと言ってクリスマスでもないのに切り株のケーキを焼いてしまう馬鹿な子供に興味はない。馬鹿な癖にプライドばかり高い、すぐに治る、と言う理由であっさり腹を切る様な扱い難い子供だった。
日本人はあんな狂った生き物しか居ないのだろうかと本気で疑った程だ。

但し、痛みがないからと言う理由であっさり首を切るだろうもう一人の狂った子供は面白かった。もう少し育っていたなら殺されるのを承知で襲っていただろう。
あの頭の中には一億桁を越える円周率が詰まっている。数学に愛された、愛しい天使。

「私が幾らネイキッドを愛していようと。あの何を考えているのかさっぱり理解出来ないルークが隣に居たら、手も足も小切手も出せやしない。私の小さなポリ核酸が叫んでいるんだ。彼に近付けば私の細胞は修復不可能にまで追い込まれる、と。謂わば彼はラジカルだ。つまり、放射能」

あらゆる世界の言葉を操り、あらゆる数字を跪かせ、生きながら死んでいる様な、つまりはこの世のものではない様な。無機質めいた有機質の美貌に何の感情も滲ませない、神々しい生き物を知っている。

「ルークに犯された人間は必ず跪いてしまう。確定的影響だ。逃れられない」

株を知っているかい、と。問い掛ければ、彼は囁く様な声音で呟いた。


『興味がない』

彼が口を開けば国家予算が動き、彼が瞬けば軍隊が動く。彼が目を向ければ老若男女問わず跪き、彼が万一微笑めば神さえも従うだろう。

「困ったな。ネイキッドの頭脳は非常に惜しい。何せ彼は極めて非凡にして凡庸な生き物だから、死ぬまで最終定理を解こうと足掻くだろう。然しルークは違う。彼に解けないものはない。つまり、彼にこの世の価値はない」

どうしたものか。
諦めるには余りにも惜しい頭脳を迎えに行き、神すら呑み込む銀色の宇宙に喰い殺されるべきか。

我が身惜しいと耐えるべきか。


「ああ、だからアダムとイブは禁忌の実を食べてしまったのだろうか…」

いつの間にか切れていた通話をそのままに、興味など欠片もない経済新聞を開いたまま。


「確かに人生は一辺の曇りなく薔薇色だ。ネイキッド、私にはジャパン行きのチケットが林檎に見えてきたよ」


人生は一辺の曇りなく無価値である、と。一度だけ微笑んだ余りにも美しい生き物を。
思い出せば、きっと。跪いてしまうだろう。





『人とは生死に理由を求めたがる動物である。知恵を付けたばかりにその生涯の大半を無意味に浪費している』
『人生は一辺の曇りなく無価値だ』
『何故ならば明日地球が崩壊したとして、悲しむ者など存在しない』
『燃え尽きる間際の星の炎は宇宙を駆け巡り、万一地球とは違う星に生きる生き物に届いたと仮定したなら』
『我々の死の叫びは、一粒の星の光として観る者の一時の歓喜を招くだけに留まるだろう』
『誰もが、他人の生死に理由など必要としない』

『己以外の、誰もが』





「アダム?何処に居るの、アダム?一緒にホットミルクを飲みましょう、アダム」

きっと幸せ、多分幸せ、とても幸せ、だから幸せ、君に出会った刹那から一辺の曇りなく、幸せ。
君は今、何を考えているのだろう。


「何処に行ったのかしら、あの子は…」

私は全て知っているけれど。






「有難うございました」

腕を必要以上に絡めてくる少年を仮面の下で微笑みながら、軽く肩を引き寄せる。抵抗する様子など皆無だ。

「礼など不要だ、エンジェル」
「あ」

寧ろ好機と言った風体でしなだれ掛かってきた重みに、益々笑いが止まらない。つまりこの状況の不似合いさに、だ。

「僕、」
「俺にはね」
「…え?」
「不似合いなんだ」
「不似合い?」
「この役割は」

細いうなじ。
少し力を込めて握り締めれば折れてしまいそうな、細い、細いうなじ。
何処かで見た事がある。白いうなじ。熱にうなされた額に浮かぶ汗、紅く染まった頬、荒い息遣い。

「君の様な純粋な魂に、俺は余りにも似合わない」
「そんな事…」

水、と。
喘いだ唇は酷く熟れた林檎の様に紅く染まって、何かを訴えていたのではないだろうか。
まるで夢物語だ。余りに記憶が曖昧過ぎる。

「俺と言う余りにも穢れた生き物には、…この世のほぼ全てが不似合いだ」

細いうなじ。
細い三日月を受けて益々白く、潤んだ眼差しを真っ直ぐ受けながら、尚。
抱き締めたいとも愛しいとも思えない哀れな雄。だから、この年まで初恋すら経験していないのだから、


「哀れな生き物」

軽く力を込めて叩いたうなじ。
傾く細い体を抱き上げて、職員棟に近いゲート付近に下ろした。

ああ。
こんなにも小さな生き物に手を挙げてしまった。自己嫌悪で死にそうだ。
ほら、膝を抱えて座り込んでしまう。通り掛かった誰かがびくりと驚きで肩を震わせたのが判った。

そうか。
銀色の。偽りの長い髪が。
余りにも恵まれたあの男に似せた、不恰好な変装が。邪魔なのか。

不恰好な細い月よりも、もっと。


「イチ」

剥ぎ捨てて、脱ぎ捨てた。
銀色の長い髪は意識を失った愛らしい生き物の上に。

「イチ」

仮面は投げる様にダストシュートへ。引き替えにスペアの眼鏡を取り出せば、どうやらカラーレンズらしい。最近は神威が何処からか仕入れてくるお洒落眼鏡ばかり掛けている為、黒縁眼鏡ですらお洒落だ。
こんなにお洒落な眼鏡を掛けたオタクが存在する筈がない、と伸び切った前髪を掻き上げるながら走って行ってしまった愛犬求めてひた歩けば、目を丸めた見知らぬ誰かが指を差してきた。幾ら何でも指を差すのは失礼ではないのか、と。眉を寄せれば、惚けた様に腰を落とす。

「か、か、か」
「こんばんは」
「カ、ルマ…」

どうやら思ったよりも認知度が高いらしい。何の為に銀髪だったのか判らないくらい、初期の写真、つまり中学入学時期の写真が出回っている様だ。黒髪でもばれてしまうのはどうしたものか。

「内緒」
「な、ぃ、しょ?」
「ね?」
「はっ、はぃ!」

こくこく頷いた生徒へ笑い掛けると、今更ながら異変に気付いた。
何だろう、この不思議な光景は。


「あらん」

階段の登り口が頭の上に見える。
途切れた廊下が遥か向こうに見えたが、足元は真っ暗な空洞だ。何だろう、この落とし穴は、と。屈み込めば、ガシッと誰かの手が伸びてきた。足首に。

「ヒィ」
「…何だこの感触、誰か居るんですか?」

凄まじい力で握られた足首に無表情で怯めば、聞き慣れた、然し余りにも愛想がない冷たい声音と共に落とし穴から飛び上がってきた長身を見た。
ああ、何だ要かとサングラスの下で涙目を耐えれば、跳ね上がった要がスラックスの埃を払い目を見開く。

「そっそっそっ、総長?!ちょ、何、何、何があったんですか?!」
「え?え?え?」
「何でこんな所でそんな格好を…!」
「いや、その、」
「ユウさんに見付かったら不味いですよ!とにかく、行きましょう!俺の部屋に!」
「はい?」

怒っているのか喜んでいるのか全く判らない要が、ガシッと手首を掴んできた。何故要の部屋に行かなければいけないのだろうかと首を傾げつつ、そもそもこの異常な光景を前にどうやって三階まで上がるのだろうかと瞬いてみる。

「カナちゃん。お父さんにも判る様にこのロールプレイングな状況を教えてちょーだい」
「白百合が犯人です」
「すいません出だしからハァハァが止まりそうにありません」
「光王子への嫌がらせ八割、俺への牽制半分、でしょうか。ラウンジゲート付近に山田君が残されている筈ですが、」
「不味いな」
「…ですよね」

決行は明日だ。
明日を無事に迎える為には太陽の機嫌を損ねてはいけない。あの平凡な少年が王子様へ突然変異する為には、


「さァ、我らが総長を救い出しに征こうか」


まだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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