帝王院高等学校
真っ暗な所は危険なカホリ
「ご無事でしょうか、ライトエンジェル」

優雅にお辞儀した男が片膝を付き、乱れた服を掻き寄せる少年の指先に口付けを落とせば。哀れ、屍と化した被害者らを縛り上げ草むらに転がしていたもう一人の男がなけなしの眉を寄せた。
因みにライトエンジェルは何も光の天使と言う訳ではないだろう。LightとRightでは意味が違ってくるものだ。

「ナンパしてる場合かよ」
「おやおや、うちの相棒は嫉妬深くていけない。不粋な男、そう思いませんか?」

問い掛けられた少年は瞬き一つせず、暫し小首を傾げた銀糸の男を眺め、僅かばかり唇を吊り上げたのだ。

「本当に不粋なのは、あんな奴らなんかじゃない」

微かに顎を反らした佑壱は、正に見下していると言った風情で「襲われていた」筈の少年を見据えている。首を傾げたまま微動だにしない仮面の男を見つめ唇を吊り上げた少年は、掴まれた手を逆に握り返し囁いた。

「本当に酷いのは、あの男。僕を虫けらみたいに捨てた、あの男」
「…それは酷い話だ」
「でしょう?僕を何度も抱いた癖に、僕を好き勝手遣った癖に。こんな事で、手を切ろうとしたんだよ」
「君を襲わせて?」
「そう、本当の加害者はあの男」

解けたネクタイに光る、金のタイピン。学園中探しても少ないだろう愛らしい容姿に笑みを滲ませ、壊れ物に触れる様な仕草で俊の手を両手で持ち上げた彼は、



「神崎隼人」

近場の木を蹴り付けた、表情の無い美貌にただの一瞬も怯まない。ただただ微笑んで、もう一度。

「隼人が僕をこんな目に遭わせたんだ」
「…寝言は寝て言えよ、カマ野郎」
「そう、君はやっぱり隼人を庇うんだね。光王子もそう、隼人を庇った」
「黙らせんぞテメー」
「貴方は、…僕を信じてくれますか?」

今にも殴り掛かりそうな佑壱が、然し足を止めたのには理由がある。

「月が導くままに」

空には猫の爪先ほどの細い光。
恭しく跪いた男が酷く優雅に唇を吊り上げ、笑みを消した少年の頬へ手を伸ばしたからだ。

「貴方の言葉を受け容れましょう、愛らしい人」

だから。
本来ならば隼人を庇わなければならない筈の男が、だ。高が光王子親衛隊長であるだけの3年の言葉を、手放しで受け容れるとは想像だにしていなかったから。
暫し惚ける程度には有り得ない言葉を聞いた、と。瞬きすら忘れて、


「─────…けんな、よ」

今にも座り込みそうな力の入らない体を支えたまま、勝ち誇った表情を浮かべた少年ではなく、仮面の下で微笑んだままの男へ手を伸ばした。

「は、隼人がンな事すると思ってんのか、アンタ。冗談だろ、アイツがンなダセェ真似する訳が、」
「絶対と言う言葉の存在を示す方法が、一つだけ存在する」

謳う様に囁く様に、長い偽りの銀糸を靡かせ立ち上がった男は、


「絶対は絶対存在しない」
「っ、だから隼人がやったっつーのか!」
「隼人がやったとは言っていないだろう?ただ、やっていないとは言えないと言っただけだ」
「本気で抜かしてんのかよ、アンタは!どうかしてんじゃねぇのか!」
「なら本人に尋きなよ」

割り込んだ少年が俊の腕に抱き付いて、佑壱を真っ直ぐ睨み付けた。


「僕とセックスしたか、本気になったセフレがうざくなって捨てようとしたか。本人に聞いてごらん、紅蓮の君!」
「テメー、ブッ殺すぞコラァ!」
「不粋な男だ」

佑壱の頬を掠めた銀が、先程佑壱が蹴り付けた木の幹に突き刺さる。

「絶対の信頼と言うのは、素晴らしい言葉だが」

小麦色の健康的な頬を伝う赤が、驚愕に見開かれた紅い双眸を嘲笑うかの如く、強く。



「Close your world、
  絶対と言う言葉の存在割合は、だから0だと言ったろう」

銀糸の下、黒曜石の双眸を細め笑う男の唇と酷く。

似ていたのだ。














「な、なん、なん、何、何、」

まともに喋れない程には狼狽えている平凡少年が、背後から抱き竦められて無理矢理キスされている事態に目をおっ広げた。
何事だと言い掛ける度に角度を変える他人の唇、余りの近距離に黒い髪が見えるが、それだけだ。近過ぎて輪郭すら判らない。

どさり、と。
音がした。
恐らく購買で仕入れた菓子やら夜食やらを携えていた要だろう、が。襲われていたら一度くらい助けてあげます、などと宣った要が助けてくれそうな気配はない。

「なっ、んぅ、なに、んむっ、むむむっ、な、はぁ、なぅむ!」

喋らせろ。
ファーストキスがどうだとか言うつもりはない。憎き性悪野郎に奪われたからだ。平凡なりの自尊心と共に。
だから殴らせろとも言わない。首絞めさせろとは言うかも知れないが、まぁそれも我慢しよう。


「ん、ゃっ」


舌を入れるなこの野郎。
山田太陽の怒りは満足に取り込めない酸素から肺が悲鳴を上げるに連れ、益々強まった。


「………落ち着け。」

股間目がけて放ちまくった太陽の蹴りは、然し足が長過ぎる不審者には全く届かぬまま。首根っこを掴んだ凄まじい力に引き離されて、うっかり助けてくれたらしい誰かを蹴り付けた様だ。

「!」
「あ」

弁慶が泣くと言う脛を、引っ張られた衝撃も加わって凄まじい力で。息を詰めた男が然しその場で足を踏み締め、果敢に仁王立ちする光景を尊敬の眼差しで見つめつつ、じりじり逃げ腰全開の太陽は両手を上げる。

「わわわざとじゃ、ないんですっ」
「ああ、…判ってる」
「すいませんでした光王子!」

土下座で許されるだろうか。
痛みを耐えているに違いない日向は、その美貌も加わって恐ろしい表情で睨み付けてくる。気がする。
帝王院ナンバーワンだろう俺様野郎に脛蹴り、明日からの非難も恐ろしいが、今は無事部屋に帰る為に全力を尽くす必要が、


「人の許婚をそんな熱い目で見ないで下さいませんか、高坂君」
「ぐわっ」

じりじり後退った太陽の背中が、ぎゅむりと抱き締められた。潰れた悲鳴一つ、頭の上に乗った何かが酷く聞き慣れた男の声を奏でているが、未だ痛みと格闘しているらしい日向の顔が恐ろし過ぎて確かめる余裕はない。

「ほら、山田太陽君が怯えているではありませんか。ちょっと足下にされたくらいで大人げない。高坂君の結婚式で仲人してあげませんよ」
「テメェの所為だろうが!」

ガツン、と自動販売機を殴り付けた日向の拳が、バチバチ電気の火花を散らす機械に埋まっている。

「きゃー」

エレベーターパネルを殴り壊したいつぞやの佑壱を知らない太陽はもう半泣きだが、未だに一言も喋らない要は、

「……………山田君、緑茶が出て来ましたよ」

日向がぶっ壊したお陰で、ガタンガタン次々に落ちてくる緑一色の取り出し口を指差した。どうやら冷静な表情で混乱を極めたらしい。

「おや山田太陽君、そんなお茶の一杯や二杯いつでも買って差し上げましたのに。ほら、このカードを使えば買いたい放題ですよ」

満面の笑みで中央委員会役員カードを取り出した二葉に、今にも零れそうな涙を目一杯浮かべた太陽が痙き攣った笑みを滲ませて、

「お、俺のカードでも、買い放題ですよ」
「成程、正論です。左席委員会の副会長さんですからねぇ、愉快な事に」
「ゆ、愉快じゃないし。アンタらの所為でこうなっ、」
「立候補なさったのは貴方でしょう?」

くいっと太陽の顎を掬い上げた男は背後から覗き込み、何一つ変わらないいつもの笑みを、然しいつもとはまるで違う裸眼で浮かべたまま、


「何の力も無い癖に、自己顕示欲だけは強い貴方が。惨めな自己満足の為だけに名乗りを上げた。我々の責任など何処に存在しますか?」
「な」
「何も知らない癖に、何も出来ない癖に、何の力も無い癖に。宝の持ち腐れと言う言葉をご存じですか、山田太陽副会長?」
「な、んでアンタにそんなコト言われなきゃいけないんだ!何も出来ないとか何の力もないとか!アンタこそ俺の何を知ってるって、」
「セントラルライン・オープン」

優雅に微笑んだまま太陽を見つめ、呪文の様に呟いた男の唇から紡がれたのは意味不明な言葉の羅列。

「システム強制隷属、リブラ全切断」
『了解。………18%、』

ガタン、ガタン、と。
遠くから何かが崩れる音と、静かな地響きが伝わってくる。何事だと辺りを見回した太陽が、自動販売機から拳を抜いた日向の慌てた様な表情と、エレベーターパネルを叩き押す要を見たのだ。

「二葉ぁ!何を考えてやがんだテメェは!」
「っ、もう制御が利きません!光王子っ、どうにかして下さい!」
『………54%、』
「ンなもん再構築する暇があっかよ!最低三時間は、」
「駄目だ、此処も崩れる…!」
『78%、』

揺れる、揺れる。
まるで寮そのものが動いているかの様に、近付いてきた地響き、ガシャンガシャンと言う音が廊下の継ぎ目を塞ぐシャッターだと気付いたのは、僅かな浮遊感を認めてからだ。


「ぉ、ち、」
「全員屈め!!!」

『─────100%。』

落ちる、と。
呟き掛けた太陽の言葉を日向の叫び声が遮ったのとほぼ同時に、背後から抱き竦められた体が再び地面に戻る。

倒れなかったのは奇跡だ、と。
条件反射で目を閉じた太陽が、然程落ちていない事実に再び目を開けば、



「な、んだ、─────これ…」


浮いていた。
違う、まるでルービックキューブの内側に迷い込んだかの様に、太陽達が立つ2・3メートル程度の足場を残して切り取られたリノリウム。

「何、これ。は、ははは…SF映画かい」

先程まで目の前にあった自動販売機が何メートルも離れた所に見えた。真っ暗な穴の向こう、に。


「に、錦織っ!錦織っ、錦織ぃ!」
「こっちです!聞こえますか!」
「えっ?」

太陽の足の下から聞こえてくる要の声に、二葉の腕を振り払って屈み込む。
真っ暗な穴の中、休憩スペースのテーブルの上で光のキーボードを叩きまくっている日向の四角く切り取られた足場、そのまだ下、最早暗さで良く見えないが、必死に手を振っている人影が見えた。恐らくあれが要だろう。

「大丈夫か錦織!暗くてあんま見えない!」
「ええ!恐らくアンダーラインの上に居ます!俺はともかくそちらは、」
「喚くのはやめなさい、青蘭」

覗き込んだままの太陽の背中を、また。抱き込む様に覆いかぶさってきた男が、要に聞こえるのか判らない呟きを漏らす。

「大丈夫でしたか?!俺は壁伝いで一階に登りますからっ、」
「何時如何なる状況であれ、冷静を欠いてはならない」
「そのままそこに居て下さい!光王子が元に戻して下さると思いますから!」
「孤児院に戻りたいと泣き喚いたお前に、私は何度も語り聞かせたでしょう?」

暗闇の中から響く要の声よりも、耳元で囁かれる言葉の方がずっと、怖い。
寮の全てを切り離した世界、暗さに慣れた目が漸く、鉄の骨組みが足場を支えている事に気付いた。日向が腰掛けているテーブルの周りに設置されていたベンチ、シャッターに覆われた購買、全てが正方形に切り離された姿で色んな所に浮いている。
天井が刳り貫かれている所もあれば、暗いと思っていた所がコンクリートである事に気付いた。然程高さはない様だ。但し離れている分だけ距離があるが、一つ一つ飛び下りて要の所に行けない事もないだろう。

「随分驚いて頂けた様ですねぇ、山田太陽君。問1、貴方が知らないもの。これがその答えの一つ、中央・左席各役員上層部に与えられたシステムです」
「…だから学期明けて所々場所が変わってた気がしたのか。もしかして、」
「ええ、キャノンも稼働可能です。各階の隙間を縫い、リブラ内部のエレベーターからキャノンへ直行する事も出来る」
「それのくらいは、知ってた、けど」
「ああ、神崎文化部長ですか。先日調べましてねぇ、彼が前左席会長代理である事は判明しています」

にこり、微笑んだ二葉を仰ぎ見れば、麗しいとしか呼べない笑みが何かを企んでいる様に思えた。何がしたいのか、相変わらず理解不能なこの男の裸眼をマジマジ見たのは初めてかも知れない。

「そしてもう一人、飼い犬に手を噛まれるとはこの事ですね。…聞こえているでしょう、イースト」

目を上に上げた二葉につられ、見上げた先に階段が見えた。一階分だけ切り取られたプラモデルの様な螺旋階段は鳥かごの様に、背を向けている男を包んでいる。

「君が執行部入りを悉く辞退した理由…、陛下は既にご存じですよ」
「…そうですか」
「君に望む事はただ一つ。『清廉たる職務遂行』だけです。判りますか?」

振り向いた白髪の男が、余り表情豊かではない美貌で深く頭を下げた。



「一生徒を尾行する暇があるなら、慎んでクラウンリングを受け取りなさい」


背が凍る様な殺気は、上からか、背後からか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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