帝王院高等学校
黄昏と光明の境で視る宵の夢
毎晩毎晩、眠る前はいつも、このままずっと眠り続けたいと思う様になった。
大好きな幼馴染みが遠い人になってしまって、幼馴染みだけが友達だった自分は常に一人。


目覚めるのが怖い。
他人の視線が怖い。
ロッカーを開くのが怖い。
生きているのが嫌になる。


誰にも言えない。誰かに言っても何も変わらない。目立たない様に気付かれない様に、ひそりと。
身を縮めて、息を潜めよう。


憧れ、と言うより、羨望していたクラスメートが居た。彼は何処にでも居る様な極々普通の容姿で、なのに誰とも関わろうとせず常に独りだった。拒絶されている訳ではなく、排他している様に見えた。他の全てを。
凛とした彼を見るにつけ、救われる気がした。自分の方が幸せ者に思えたから、その時だけは。

そんな彼に仲間が出来る瞬間を見た時に、僅かだけ絶望したのだ。そんな彼に笑顔が生まれるのを見た瞬間、凄まじい羨望が背を駆け抜けたのだ。
何故、彼だけ。何故、自分ではなく彼だけ。


醜い感情に吐き気がした。
自分には誰も居ない。唯一の友達だった幼馴染みすら居なくなって、常に独り。


このまま一生独りなのだと諦めた先に、友達が出来た。
楽しくて毎日楽しくて仕方ないけれど、今まで無関心だった筈の皆から憎悪の目を向けられる。ロッカーを開くのが怖い。毎日毎日、誰とも知れない相手から手紙が届く。毎日毎日、誰とも知れない相手から監視されている気がする。


外部生に近付くな。
それから始まった手紙は十通に届いた頃、変化した。



警告はした、と。

誰かが冷笑している気がする。
誰かがいつも見張っている気がする。


自分は何処にでも居る極々普通の高校生だ。喧嘩が強い訳でもお金持ちな訳でも、まして人を惹き付けるカリスマ性に満ちている訳でもない。
太陽の様に一人が平気な訳でも、俊の様に人々を魅了するカリスマ性に恵まれている訳でもないのだ。



人は幸せよりも不幸の方が、ずっと強い威力に思える。幸せは慣れるのに、不幸には慣れようとしない。



いっそ、
このまま目が覚めなければ良いのに。









「おい」
「何ですかダーリン」
「その上目遣いやめろ、鳥肌が立つ」
「可愛いと思った癖に」
「マジで死ぬか」
「高坂君の好みど真ん中ですもんねぇ、ふーちゃんは」
「ぐ」
「諦めなさい」
「巫山戯けんな」

白々しい笑みで扉をノックせず開いた男の左手に、袖を摘まれた長身が見える。肩越しにクスリと小さく笑った美貌に痙き攣りながらも、最早諦めの境地だ。
言動こそ偉そうな日向以上の俺様は、叶二葉様の為に存在する称号…などと宣えば、穏健派名高い白百合親衛隊から寝首を掻かれるだろうか。

「ご機嫌ようマイスイートハニー」

何で俺まで…とやるせない舌打ちを噛み殺しながら、嘘臭い愛想笑いを隠しもしない二葉の肩越しに部屋の中を見た。

つまりは目の前の、…理事長室。

「ヴァーゴ!」
「な、何でベルハーツが…!」

赤いベルベットの上にクッションの山、良く似た二人がぬいぐるみを抱き締めながら睨んでくるのに息を吐く。滅多に足を運ぶ事がない赤い塔の下部、スコーピオの中枢部は学園のマザーコンピューターが犇めいているらしい。
一階、いや、正確には二階部分になるだろう、赤い階段の上り詰めた先のエントランスを越えれば、学園長の居住区と理事会議室などがある。

「マジで一遍ヤらせろ二葉ぁ」
「好い加減諦めなさい高坂君」

高坂日向がこの世で二番目に苦手とする「女」だ。別に女嫌いと言う訳ではないが、一番苦手とするのは当然だが母親、苦手と言うだけで嫌いではない。
相棒にして愉快キングである二葉は根底が社会資本主義にしてどうにも合理的な人間である為、二番目の兄の娘でしかない二人の姪を毛嫌いしている節がある。何の得にもならない女を相手にするイコール無駄と思っているのだろう。

つまり日向は体の良い『生け贄』だ。


「お久し振りですねぇ、マイスイートツインズ」
「ああヴァーゴ、何故そんな奴と…!」
「脅されているの?ああっ、美しい貴方が穢れてしまう!」
「何がヴァーゴだ何が。こいつが『乙女』なのは星座だけじゃねぇか」
「ヴァーゴから離れなさい!」
「硫酸飲ませるわよベルハーツ!」
「おや、なら水割りで」
「…テメェはロックで飲めよ」

現学園長、いや、学園長代理と言うべき女性は帝王院駿河、つまり学園長にして帝王院財閥総帥である男のファーストレディだ。体が弱い為、表舞台には殆ど姿を現さないが、始業式当日の早朝に会っている。
中央副会長続任命令と労いの言葉に、『孫を宜しく』と笑った人。世間知らずだろうか、と嘲笑った時もあったが、彼女は恐らく神威を血縁とは思っていないだろう。
けれど二人の仲は余りに良好だ。毎月毎月、彼女を伴い学園長の見舞いに向かう神威と学園長代理は実の親子の様に見える。

「相変わらず糞煩ぇ双子だぜ」
「あははははは!相変わらずモテますねぇ、高坂君。妊娠は勘弁して下さいよ、一応あんなんでも私の姪っ子なので」
「誰があんな餓鬼とヤるか!」

飛んできたナイフを最小限の動きで躱し、部屋の最奥、起きているのか寝ているのか曖昧な無表情さで腕を組んでいる男を見やる。

「いい加減離れなさいっ」
「アンタなんかがヴァーゴに触らないで!」
「リン、ラン、幾ら節操無しの高坂君でも傷付くんですよ。謝りなさい、形だけでも」
「テメェが一番ウゼェよ、腐れ眼鏡」

ナイフを投げた張本人だろう双子は足早に近付くと、日向の袖を掴んでいる二葉の腕に抱き付いて睨んできた。
一人は日向の腕を叩き払い、一人は日向の喉元に銃を突き付けてくる。身長差、恐らく30cm強。190近い日向相手に二人とは言え女だてらに勇ましいものだが、

「いやぁ、お熱いお熱い。リン、ラン、殺したくなるほど愛しい婚約者に逢えて良かったですねぇ」
「ぶっ殺すぞ。助けろボディーガード」
「いやぁ、男子校へ乗り込んでまで高坂君恋しさにやって来た健気な彼らを邪魔するなんてとてもとても」

ケラケラ笑う二葉の尻を蹴り付けるが避けられ、再びナイフを取り出す双子にがっくりと肩を落とす。

「消え去れベルハーツ!」
「目障りなベルハーツ!」
「おやおや」

愉快げに笑う二葉が日向を庇う気配はない。叶の才能を存分に受け継いだ双子に倒される日向を嘲笑う為、ではなく、負ける筈がないと考えているからだろう。多分。
極道ですら逃げ出す双子を『騒がしい蛾』くらいにしか思っていないド鬼畜野郎は、極悪死刑囚ですら『今すぐ殺して下さい』と容赦を願うだから鬼畜なのだ。

「高坂君、万一死んでしまったら骨は拾って燃えるゴミの日にそっと捨ててあげます。諫早湾辺りに」
「長崎かよ」

多分、きっと。
日向が負ける筈がないと信じているから…だと、思う。多分。


「ベル」

漸く存在感を示した男の静かな声音がもたらされた。腐っても相手は女、どんなに凶悪だろうが、一応異性である双子相手に手を出す訳にもいかず、ひらりひらり、二人の攻撃を躱していた日向がバックステップ一つ、強く床を蹴ると双子の真上を宙返りし、最奥のデスクへ足を向ける。

悔しそうな双子の気配を背後に、フェミニスト、と口パクで呟いた二葉を視界の端に捉えた。
…喧しい男だ。手を出せば出したで、女子供に手を出す最低男とでも宣うだろう。叶二葉とは、最早晴れやかなほど期待に背かず、ありとあらゆる選択肢に『嫌がらせ』を準備している男だ。

「恐れながら手を煩わせてしまい申し訳ありません、…陛下」
「そなたの気に病む所ではない」

まさか理事長自ら動くとは思って居なかっただろう双子が、背後で舌打ち混じりに息を呑むのが判る。見れば見る程に神威にしか見えない色違いの美丈夫は、そんな二人など視界に入っていないかの様に無表情のまま、優雅に一礼する二葉へ目を移した。

「我が姪が大変失礼致しました。きつく叱っておきますので、どうぞご容赦を」

中身はともかく、黙っていればこれ以上ない日本至宝の和美人が、ヨーロピアンなこの部屋で着物をはためかせる光景はあまりにメロンコリックだ。
平成末期の今が明治大正時代と錯覚してしまう日向に罪はない。まるで鹿鳴館に迷い込んだ作家か書生、どちらにせよ耽美にも程がある。似合い過ぎるから笑えない。

「不可解な点が見られた」
「どう言う意味ですか?」
「彼女らに雇われていた間者は既に拘束してあるが、セキュリティで捕えた不審者は計十名」
「おや?…確かに、可笑しいですね」

日向が引き渡してきた侵入者は6人、日向を狙撃しただろう一人と、双子。計算しても9人だ。

「リン、ラン。もう一人は何処に居ますか?」
「違うよ!陛下にも言ったけどっ、全部で9人だもんっ」
「もう一人なんか知らないもんっ」

弾かれた様に顔を上げた双子が同じ仕草で首を振る。1人は甘える様に二葉の腕へ抱き付き、1人は日向を睨め付け、隙あらば暗殺する覚悟がありあり見えた。

「私に隠し事したら、お仕置きですからね」
「嘘じゃない!ヴァーゴに嘘なんか言わないっ」
「お願いヴァーゴっ、信じて!」
「デケェ猫が二匹…」

鳴りを潜めた俺様は極力彼女に目を向けない様に、顎を掻きながら天井を見つめている。ぼそりと呟いた台詞で、涙ながらに二葉を見上げていた双子が凍えた眼差しを注いできた。
明らかに嘘泣きじゃねぇか、と冷めた眼差しを二人へ注いだ日向もお得意の嘲笑一つ。おや、と片眉を跳ねた二葉が揶揄めいた笑みを滲ませる。

「暫く様子を見ましょう。陛下へ一応伝えておきますが、期待なさらない方が宜しいでしょうね」
「カイルークはどうした」
「最近、思春期がやって来た様で」
「遠野俊」

一瞬、二葉の愛想笑いが凍り付いた刹那を日向だけが目撃する。と言う日向こそ余りの驚きで表情を無くしたのだが、野性的な美貌の無表情と言うのは保養になるだけだ。
いや、二葉すら霞む美貌の理事長を前にすれば、日向ですら霞む訳だが。

「ご存じでしたか」
「カイルークが左席委員会へ肩入れしている現状を鑑みるに、想定は易い」
「恋愛感情云々と言う訳ではなく、真新しい玩具で遊んでいると言う方が適切な表現でしょうが」
「当然だ」

囁く様に吐き捨てた男が、相変わらず読めない無表情のまま立ち上がる。慌てて頭を下げる双子を横目に、日向だけが緩く目を細めた。

「ノアである限り、チェスたる者の義務を果たさねばならない。配偶者を得て、後継を残す。バロングレアムの然るべき義務を」

我が子にすら無関心な男が、恐らく初めてだろう「親としての言葉」。


「来年には本国へ戻らねばならない。そもそも、来日自体が男爵にあるまじき失態だ」

ぼんやりと理事長の背中を見つめている二葉を横目に、

「…貴方にそれを命じる権限はない筈だ」
「そなたの言葉通りだ。私は最早ノアに非ず」
「今更、」
「今更、父親面をするな。…とでも言うか、ベル」
「…」
「これは父としてではなく、前ノアとしての純然たる事実確認に過ぎない」

口を噤んだ日向を最後に一度眺め、静かに出ていった背を苦々しく見送った。
正論過ぎて返す言葉が無い、とはこの事だ。確かに今更、二葉は勿論神威が高校など通う必要はない。何せ二人共、暇潰しと言う名目で大学教授をしていた事がある。
笑い話だが、佑壱も、だ。僅か7つの時に語学部を主席卒業した佑壱は、短い間だが客員教授だった。

佑壱に許されて、神威には許されないもの。
自由と言う、平等である筈の権利が。佑壱に許されて、神威には許されない唯一だ。


「…ヴァーゴ?」
「どうしたの、ヴァーゴ?」

双子の声がする。
緩く振り返った日向の網膜に、夢から醒めた様な蒼眼が映った。

「二葉」
「陛下に報告しておいて頂けませんか」
「おい、」
「定例巡回に行ってきます」

ふらり、いつもの様に風紀の見回りに行くと部屋を出ていく二葉を、双子が追い掛ける。理事長秘書である男に止められ、騒ぎ立てる双子の声の煩わしさに眉を潜めた訳ではない。


「あの格好で歩き回るつもりか、…あの馬鹿は」


あの表情は、久し振りに見た。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!