帝王院高等学校
喧嘩するほど仲良しさんにょ
真っ暗、だった。




何の気配も物音もしないリビングに響くのは、冷蔵庫のモーター音と、外を時折通り過ぎる車のエンジン音だけだ。


「ただいま」

いつも、ならば。
何処に居てもすぐに判る。賑やかな愛しい人は、二階の子供部屋に居ようとも声が聞こえるからだ。例え読書中だろうが、寝ていようが。寝言すら騒がしい彼女が、判らない筈がない。

「ただいま」

馬鹿の一つ覚えが如く繰り返す言葉に返してくれる人は居ない。

「ただいま」

歩いた。繰り返しながら。
さして広くはないリビングから汚れたまま放置された食器が残るキッチン、

「ただいま」

蓋が開いたままの洗濯機がぽつりと置かれたランドリーを越えて、入浴剤の香りがするバスルーム、庭の手前に小さなサニタリー、朝になれば日が射し込むサニタリーから続く階段を昇れば、



「ただいま」


夫婦の寝室。


「…」

廊下のクローゼットを挟んで子供部屋へ向かえば、壁一面本棚の圧迫した六畳で最後だ。

「シエ」

天井まで続く、高い高い本棚。
勉強机の上には少し前まで「懸賞で当たった」パソコンがあったと思う。入寮の際、この部屋の主と共に姿を消したそれはクリスマスプレゼントのつもりだった。
ビールのポイントシールを集めている息子に笑って、帰り道ドラッグストアに立ち寄るのが日課だったいつか。毎日毎日ビールの空き缶を踏み潰す妻は、毎日毎日安売りの枝豆を買い占めて晩酌に付き合った。

簡単な事だ。
キャンペーンをしていた会社を掌握して、息子が書いた葉書通り最新式パソコンを贈らせる。
懸賞好きな妻にも、同じ。

「シエ」

稼ぎの少ない大黒柱から、欲しいものがあっても口にしない家族へささやかなプレゼントを。



「……………イン………ン」

有り余る程の幸福を、ひたすら惜しみなく与えてくれる家族へ、ささやか過ぎるプレゼントを。
自分の欲しいものはいつも手の中にあって、自分以上に幸福な男などこの世界の何処を探しても見付からないだろうから、ずっと。


隠し事ばかりしてきた。
そんな己に吐き気した。
いっそ殺してしまおうと思うくらいに。自分を。
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、死んでしまえば良いと思っていたから、今も。


親友が止める声がする。
まだ駄目だ、と。ばれてしまっても良いのか、と。諫める声がする。
何の気配も物音もしない家には自分の鼓動すら聞こえない。誰の気配もない世界に、一人。愛しい妻も子供も何処かに行ってしまったのだろう。


「…は」

もう、帰って来ない。
秀隆の様に?
私が殺した親友の様に?


「はは、ははははは」

隠れていれば良いのか。
(狂ったまま)
消えた振りをして逃げ続ければ良いのか。
(弱い自分から目を背けるだけ)

全てを奪われ何も彼もなくした自分に幸せを与えてくれた家族をまた、失って。それでも耐えなければいけないのか。

(俺ほど中身がない人間など居ない)
(何せ俺は、存在してはいけないのだから)


そうだ。
帝王院秀皇はもう、存在しない。


「………ル、ライン」

遠野秀隆には何の力もないのだ。ひたすら凡庸なサラリーマンに、何が出来るだろう。
笑わせるな、何も出来ない。何も出来る筈が無い。ほら、怖いのだろう?逃げろ逃げろ逃げろ、大切な家族を見殺しにして、また。逃げろ逃げろ逃げろ、お前には何も出来やしない。


大切な家族すら守れない平凡な男に、何が。



「セントラルライン、ジェネラルインスパイア」

真っ暗な部屋中に浮かび上がる漆黒の十字架、それを見上げながら本棚から一冊の本を引き抜いた。
開いた分厚い書籍には何も書かれていない。本の中央、刳り貫いたページの窪みに隠しておいたプラチナリングを何の感慨もなく見つめ、最早要らない本から手を離す。

「…システム起動」
『システムバックアップ再インストール開始。……………78%……99%、』

このまま静かに暮らしていければ他に何も望まないのに。

『マスタースキャン開始』
「改竄、か。記憶にないシステムだ」
『声紋認証エラー、起動切断』
「俺が作った機械が俺以外に従うのか」
『網膜認証エラー、起動切断』
「クイーンに次ぐ強固なルーク、笑い話だな」
『セキュリティ排除。
  ガーデンシステム全切断、活動領域を切り替えます。………89%…99%』

このまま静かに。
永遠に見逃してくれれば、地獄の業火に焼かれたまま眠っているのに。



親友の声がする。
やめろ、と。まだ早い、と。
親友が諫める声がする。優しい優しい親友の、可哀想な可哀想な親友、の。





『マスターナイトを確認、ご命令を』


後悔するのだろうか。
大切なのは常に、一人だけなのに。









「俺の子か」


大正浪漫迸る学生帽に学ラン、カランコロン懐かしい音を響かせる下駄を履いた男はマントを翻し、何処ぞの貴族宜しく片膝を付いた。
但しボサボサの黒髪と顔半分を覆う分厚い眼鏡が頂けない。

「俺の子か、俊」
「僕…お母さんになってしまうにょ!まだ15歳なのにっ」
「惜しむらくは性交渉の事実がない点だな。気に病むな、出産は若い内に済ませた方が楽と聞く」
「生まれる訳ねーだろーがー」
「左席には阿呆しか居ねぇのか…」
「聞き捨てならないお言葉ですねぇ光王子、…俺はいつでも貴方々とやり合う覚悟がありますよ」
「カナメちゃんのそーゆーとこ、」
「二葉にそっくりだな」

至極冷めた目で突っ込む隼人と呆れ果てる日向に、笑顔で拳をバキポキ鳴らす要が一歩踏み出した。
だが然し、


「だ、大丈夫!会長が15歳でも俺は17歳なんで何とかなる!よし、産婦人科に行くぞ」
「はふん」
「その手は何だ嵯峨崎書記」
「退け、無駄にデケェからって見下してんじゃねぇぞコラァ」

テンパったらしい佑壱が俊を抱き上げ、眼鏡を曇らせた神威が佑壱の肩を鷲掴む。

「庶務の癖に生意気抜かしやがって、先輩を敬え餓鬼が」
「…ほう、書記の分際で刃向かうか」
「お、おい、テメェら落ち着けや」

日向だけが痙き攣った、第一次従兄弟戦争の前触れだ。何せ神威の言葉を中央委員会に変換すれば、会長に逆らっているのが佑壱に変わる。下剋上逆転だ。

「大体、始めから気に食わねぇんだよテメーは。毎朝毎朝どんぶり飯5杯も食いやがって」
「すすすみませんっ、調子乗って今日も8杯食べましたにょ!」
「ふ、コーヒーだけの朝食で済む燃費の良さとは笑わせる。それが健全な思春期動物か」
「カカカカイちゃんっ、嵯峨崎先輩のこめかみがピクピクしてるにょ!逃げなきゃ!」

間に挟まれたオタクは眼鏡にヒビを入れたり、キレた佑壱の雄フェロモンに涎を垂らしたり、学ラン神威にハァハァしたり大層忙しい。
ゴキッと首の骨を鳴らした佑壱の危険過ぎる眼差しが神威を捉え、集中豪雨を巻き起こす曇った眼鏡を押し上げた神威が珍しく唇を吊り上げる。

「むにょ!」

俊の下半身を鷲掴んだ神威が神掛かり的な早さでオタクを引き抜き、そうは行くかと佑壱がオタクの上半身を羽交い締めにした。引っ張られた腐男子と言えばギチギチ軋む腹の辺りをぶるぶるさせながら、このままでは腹がちぎれるか、足が伸びるか足が長くなるかしかないと歓喜の悲鳴だ。
痙き攣った日向が佑壱の髪を引っ張り、神威に回し蹴り一発。相変わらず避けない神威は俊の尻を奪い、長過ぎる髪を鷲掴まれた佑壱と言えば、今にも殺さんばかりの目で日向を睨む。

「この淫乱が!禿げたらどう責任取ってくれんだテメー!犯すぞ!ハゲ散らかしやがって!」

きゃー!
と言う悲鳴で光王子親衛隊の半数が倒れた。どうやら彼らは副会長受け派らしい。

「誰がハゲだテメェ!気色悪ぃ事抜かしてんじゃねぇぞ糞犬が!穴裂けるまで突っ込まれてぇのか!ああ?!」

きゃー!
と言う悲鳴で光王子親衛隊の半数と腐男子が気絶した。俺様会長は攻めだと信じて疑わない腐男子は、自分んちの副総長を軽々売り払う様だ。
隼人と要が膝を抱える。

「ハァハァハァハァ」
「俊」
「どうしましょうどうしましょうどうしましょうカイちゃん!ピーがピーしてピーな事に!」
「俊」
「俺様(副)会長が(副)総長に言葉攻めっ、言葉攻めををを!!!」

副、と言う単語を取っ払えば、俺様会長と強気総長の王道完成。然しながら俺様だが副会長であり、強気と言うよりは総長以外どうでも良い無関心系俺様オカンである。

「はっ、キスの一つも満足に出来ねぇ雑魚がハゲ散らかすな腐れイギリス野郎が!勝手にケツ振ってろド淫乱!」
「どっちが淫乱だテメェ!所構わず女食い散らかしてやがったのは何処のどいつだ腐れロン毛野郎が!毛玉が!」
「俺の何処が毛玉だ!キューティクル100%だろうが!」
「論点ズレてんだよ!何がキューティクルだボケカスが!」

よって、高レベルな美形二匹による実に日常茶飯事な低レベル争いが勃発した。通りかかった真面目な生徒らは早々遁走、互いの親衛隊達が見守る中、意味不明な奇声を上げ続けるオタクをお姫様抱っこした奴は、


「俊」
「きょえーっきょえっきょえっ」

涎を垂れ流し奇声を垂れ流し、ついでに鼻水やら色んな液を垂れ流しながら光速でブログ更新しまくる腐男子を覗き込み、キョロキョロ辺りを見回した。
向こう側の騒ぎに気を取られている皆は、オタク二匹のイチャイチャなど見てもいない。

「俺は学んだ。俊、お前は面食いと言う人種らしいな」

無表情で宣う男が黒縁眼鏡を掴む。パキッと音がした。
木っ端微塵である。

「俺は学んだ。全てのノイズを排他し続ければ、お前が何に興味を得て、何に好奇心を揺さ振られるのか気付き得ない事を」

ぶちり、と。
何かが引き切れる音は砕いた眼鏡の代わりに、黒髪を引き抜いた神威の右手で起こった。
人間ではまず有り得ない左右対称の顔が現れ、相似した様に左右同じ握力を有した両腕が廊下脇のベンチに腰掛ける俊を囲い込む。


「俊」

未だ携帯を凝視したままウヘウヘ怪しく笑う俊を緩やかに覗き込む、眼。
通り過ぎる生徒達が弾かれた様に振り返り、地味な眼鏡を至近距離から見つめる長身を見ていた。

「Must take care of me.(俺を構え)」

囁く声は全てを静寂させる。
光に満ちた銀糸、月を閉じ込めた様な飴色の眼差し、高い鼻、艶やかな肌、全てに愛された美貌は横顔だけで見る者の足を止めた。

「あらん?何か近過ぎるにょ。カイちゃん、あっちいって」

ぱちん、と。閉じた携帯を胸元に抱き締め、満足げに息を吐いた俊が漸く顔を上げる。余りの近さに手を伸ばし神威の胸元を押した。
相変わらず無表情な美貌が緩く首を傾げると、同じく首を傾げた男は眼鏡を押し上げて。

「何で怒ってるにょ?」
「…」
「む?今度はちょっと困ったお顔ねィ」
「俺に憤怒の感情は存在しない」
「ちっちっちっ、喜怒哀楽がない人なんか居ないにょ!そうっ、物語に起承転結があるよーに。やおいには起承転結なんかないですがっ」

またもやハァハァ妄想に走り始めた俊の頬スレスレ、凄まじい音がした事にヒィと悲鳴を飲み込めば、腐に曇った眼鏡がヒビ割れた。
神威の左手が、壁に埋まっている。

「カカカカイちゃん?!」
「何を考えている」
「ひょえ?!カイちゃんのお手てが大事件勃発でアレがアレしてますにょ!」
「ならば良かろう」

埋まり込んだ左手をそのままに、右手で俊の顎を掴んだ美貌が近付いてくる。

「調教を怠った俺の不手際か」
「カイちゃ、」
「愛らしいが学ばぬ猫は、煩わしいが学ぶ犬と等しく同じ」
「カ、」
「何度も命じただろう。俺を構えと、俺は何度も命じた筈だ」

静寂の月に似た眼差しが一瞬、灼熱の太陽を凌駕する熱を帯びた様に見えたのは。
気の所為、だろうか。



「Why, don't you sight me?(何故、俺以外を見るんだ)」


食らい付いてきた唇の熱さだけが、今。

←いやん(*)(#)ばかん→
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