帝王院高等学校
全てに秀でた者など、何処に
無愛想・と言うより、常に怒っている様に見えた祖父は、白髪交じりの髪をきっちり撫で付け、いつも杖を片手に踏ん反り返っていた。
いや、老いてもピンっと伸びた背筋がそう見せたのだろう。

『万能なものなぞ、何処にも存在せん』

神だ仏だと崇め奉られていた彼は、何かにつけてそう呟いた。妻にも子供にも愚痴を吐けない彼だからこそ、縁側で将棋代わりのチェス盤を睨みながらまるで独り言の様に繰り返したのだろう。
正面で盤面を見つめていた男は余りに整い過ぎた容姿を歪めもせず、ひたすら淡々に駒を動かすだけ。煎り過ぎた鏡餅の欠片から煎じた自棄に黒い焙じ茶を啜り、眉間に皺を刻みながらも文句一つ零さず啜り続ける老人を前に、それこそ繰り返し。

『存在しないからこそ、憧憬するんじゃないですか』
『それもまた然り。偶像崇拝とは正に対象無き八つ当たりだ。存在しないものへの恨み辛みならば、罪にはならん』
『チェック』

男は常に馬の形を模した駒で王を追い詰めた。但し、自棄に黒い焙じ茶を啜り、すっと目を細めた男は狼狽える事無く最弱の駒を掴み、鮮やかに男の攻撃を妨げる。

『万能の様に見えるキングだろうが、変化したポーンには適わない』
『将棋で言う所の歩、ですね。おっと』
『チェックメイト』

毎回毎回190手。
引き分け寸前まで粘った勝負は黒い焙じ茶を啜る老人に軍配が上がる。ポリポリと顎を掻いた男は負けて尚悔しがる様子を見せず、のんびり笑うのだ。

『また負けた』
『ふん。儂に勝てると思うてか、若造』
『もう30過ぎたんですが』
『は、儂にとってはまだまだ赤ん坊だわ』

本当の親子の様だ、と。
祖父にカチンとする度、遠回しな嫌がらせをする祖母は煎り過ぎて灰になった餅の欠片を余所にほのぼの笑い、無駄に長い廊下を雑巾掛けする母は曲がり角でドリフトに失敗したのか派手に転び、また何かしらを壊したらしい。ガチャンっと言う音と共に家政婦の悲鳴が聞こえてきた。

『俊江!お前はまた暴れとるのか!』
『うっせェジジイ!年寄りがデケェ声出してんじゃねェや!』
『馬鹿者が!女の分際で何だろう口汚さか!』
『んだとテメェ!泣かすぞジジイ!』

常に怒っている様に見える厳格な祖父と、常にこの世を舐めているとしか思えない母の口論は余りに激しかった。

『しゅしゅしゅ俊兄ちゃ〜ん!』
『また始まったか』

幼い従兄弟の一つ年下の弟の方はヒィッと哀れな息を呑み、似合うと言う理由だけで伊達眼鏡を掛けているクォーターの血が満面に出た一つ年上の兄の方は我関せず、「こっちに被害があれば全員破滅させる」と言う剣呑な表情を隠さずに弟ばかり可愛がっていた。

『舜、危ないからこっちに来い。いっそ二人で出掛けるか。…そうだな、新婚旅行も吝かでない』
『カズ兄、舜が怯えてる』

それはもう、目に入れても痛くない程のブラコン振りだ。
あっちじゃ父娘の口論、いや、今にも武器が出そうな状況、片や体格に恵まれた長男から羽交い締めにされている医学界の神、片や家政婦と母親の二人から羽交い締めにされているちびっこ。
こっちじゃ弟に怪しい視線を投げ掛ける兄へ分厚い漫画を投げ付け、従兄の背中に張りつくちびっこ。間に挟まれた自分はブラコン兄から今にも殺されそうな視線を投げ掛けられ、溜め息を零す余裕もない。

『父』
『何だ息子』
『笑ってないで、手を貸してくれ』
『良いじゃないか、賑やかで』

喧喧囂囂、あっちこっちで諍い合う皆を眺め、ひたすら微笑んでいた父親をただ見ていた。酷く幸せそうに、酷く羨ましそうに。

『家族は良いものだな、息子』

眺めていた父親の、家族の話は知らない。尋ねた事は勿論、聞かされた覚えもないのだ。

『お前もいつか好きな人を見付けて』

家族は常に三人だった。いつからかそれにプラスアルファされて、この賑やかな光景が産まれたのだ。


『世界の誰より、幸せになるんだ』
『父さんより』
『ああ、俺以上は無理だな。世界で一番幸せなのは母さんで、次に俺だから、俊は三番目だ』
『母ちゃんが一番』
『世界で一番幸せだと思ってる俺が、宇宙で一番幸せにしたい人だから、つまりママが一番だろう?』
『成程、屁理屈だ』
『何処まで可愛くない息子だろう、そんなところも可愛いぞ』
『成程、矛盾だな』

理解出来ないものは、唯一。
にこやかに微笑んでいた横顔をただ眺めながら、時が止まったかの様に無機質な眼差しでひたすら笑うだけの人形の様な横顔を眺めながら、唯一。



愛情と言う名の執着から綺麗なものだけ淘汰され、憎悪に等しい依存が残る。
朝から夜へ移り変わる様にゆっくり、常に絶えぬ重力よりも密やかに、気付かれぬまま、そっと。

変化したそれはまるで別のものへと姿を変えてしまうだろう。明日にはもう、影も形も残らない、無残なまでに。




Stay with you、投げ掛ける望みはひたすら自己犠牲の皮を着たお節介でした。
ああ孤独に嘆く憐れなお姫様、僕は軈て貴方へ辿り着き囁くでしょう。Stay with you、なんて恩着せがましい願い。
強かなお姫様の仕掛けた罠へ、自ら踏み込む僕の名は『道化師』。

ねぇ、王子様をまだ待っているの?
…なんて可哀想なお姫様。












「白百合閣下、陛下はお見えでございますか?」
「先程お出になられましたよ。どうかなさいましたか?」
「言い付けの品が届いておりますので、献上に」

コンセルジュめいた男を一瞥し、明らかに学園の人間ではない事に瞬いた。差し出してくる箱を受け取り、日向が出ていった後にいつの間にか居なくなった神威を思い浮べながら受け取った箱を開ける。

「おや」

何の事はない。ただの携帯端末だ。

「機種変とはまた、珍しい。最新機種ですねぇ。陛下が物に興味を持たれるとは」
「いえ、ご命令ではカメラ内臓のものならば何でも良いと」
「カメラ?」
「はい、カメラです」

ひたり、と。沈黙しつつ顎に手を当てる。携帯と言えば終始右手に握り締め、四六時中バシバシ撮影しまくっている眼鏡を思い出したからだ。

「最高品質のデジタルカメラは勿論、傘下の傘下にはテレビ局、果てはカメラ製造業者まで有する男爵が………写メ派?そんなまさか」
「顔が笑っておいでですね、閣下」
「これが愉快以外の何と言えますか!陛下が写メ!いやはや、持ち前の万能さを以て一眼レフ顔負けの映像を撮られる事でしょう。うふふ」

満面の笑みでターンを決めた男に役員から拍手が上がり、呆れ果てたらしい従者が一礼し去っていく。

「お待ちなさい」

くるりとターンしたついでに会長デスクへ腰掛けた男はひょいっと足を組み、扉へ手を掛けた男を呼び付けた。

「何か?」
「聞き忘れていましたが、セントラルの人間が何の用ですか」
「ですから陛下のご命令で、」
「ええ、ですから直属部署の人間ならば何ら不思議はないのです。例え本国からジェット機かっ飛ばして来日したとしても、ねぇ」

にたり。
唇の端を器用に持ち上げた男が眼鏡を押し上げ、優雅に優雅に首を傾げた。役員達の半数は与えられた職務を熟したまま、残りの数人が素早く扉を封鎖する。
何一つ表情を変えない男は皺一つないスーツの胸元へ手を当て、

「お耳汚し恐れ入りますが、私は陛下のご命令に従っております。ただ、それだけ」
「成程」

口が堅い、と心中舌打ち混じりに頷いて、怠惰に持ち上げた手を振った。力ずくで聞き出すのは簡単だが、万一コレより下らない理由だったら報われない。

「左脳主義が拭えなくていけない。目先の謎に取り縋るタチでしてね、気分を害したなら謝罪します」
「恐れ多いお言葉、恐縮でございます」

と、左手に握ったままの携帯をデスクへ置いてから立ち上がる。
静かに出ていった背中を見送った役員が見つめてくるのに小さく笑い、指輪を嵌めた己の手へ目を落とした。

「シークレットライン・オープン、施設内端末マップを」
『了解』

照明が消えた室内一杯に学園内の地図が表示される。
2km司法の広大な敷地内は駐車場は勿論、校門に当たるグランドゲートから細分化されていて、その領域に確認された全人員が小さな点で印されていた。

何の変哲もない白い丸は一般生徒、青い丸は教師、緑の丸が業者を含む各施設の従業員であり、赤い丸が風紀名簿に記された要注意生徒だ。
且つ十字架の形をしたものは中央委員会役員であり、中央執務室の中心、黒い十字架が表す二葉の周りに多数の白い十字架が刻まれている。金色の十字架はラウンジゲート方面で点灯し、動く気配がなかった。

「高坂君はお風呂ですかねぇ。光炎の君が大浴場に足を踏み込めば、一網打尽で剥かれそうな気がしますが」
「あの辺りはリラクゼーションパートではありませんでしょうか」
「ああ、学園内で唯一お汁粉を置いている愉快な自動販売機がありましたね」

愉快げに肩を揺らした二葉へ皆が首を傾げるが、手袋を嵌めた手で眼鏡を押し上げた男はもう別の所に目を奪われたらしい。
黒い時計のマークが点在する辺りを凝視し、唯一それから離れた赤い時計のマークを暫し眺めている様だ。

「左席のもの、ですよね。天の君ですか?」

風紀名簿に最近増やされた、超一級指名手配生徒である遠野俊と言えば、学園中がその名を知るだろう今季一番ど派手な生徒だが、別の意味でまた有名だ。
安寧保守に命を懸ける風紀役員を入学早々胃痛持ちにした挙げ句、毎晩毎晩学園内を徘徊して回っては、風紀が手を焼く不良達を怯えさせ、深夜の逢引に勤しむカップルを誘導し同性交遊促進に手を貸している。善悪の判断が難しい危険人物として、風紀副委員長以下各班長が日々涙を呑んでいる。


何しろ左席委員会長だ。
その実質与えられた権力や神帝に並び、教職員や生徒の懲戒免職・除籍権限を有する中央委員三役を罷免出来る。
つまり、正当な理由があればいつでも二葉や日向、果ては神威ですら中央委員会席から引き摺り落とせるのだ。

「左席委員会に中央委員選別権限はなかったと思うが、リコールされてしまえば同じ事だよな」
「天皇猊下の機嫌を伺えって事だろ?左席が嫌ってる奴は、何だかんだ理由付けて審問会議開かれそうだ」
「全くだ。風紀諸君も頭が痛いだろう」
「無駄口叩いてないで仕事仕っ事〜。新歓祭まで日にちがない系なんだから〜」

こそこそ雑談していた役員達に、相変わらず忍び込むのが上手い北斗が手を叩く。びくっと肩を震わせた皆が渇いた笑みを浮かべ、取って付けた様に職務を再開した。

「マジェスティはどっちも帰った系ですか、マスター」
「近頃連日七時には帰宅する愛妻家陛下はともかく、高坂君には溜まりに溜まった書類と私のストレス発散と言う役目が待ってるのにねぇ」
「あ〜…はは、サブマジェスティはああ見えて真面目系だから、毎回ちゃんと仕事してる系ですよね〜」
「陛下が期日にならなければやらない仕事を代わりにやらせておきたいのですよ。いつ陛下が駆け落ちなさるか判りませんし」
「ほ、本気系?」
「冗談です」

指をぱちっと鳴らせば、明かりが付くのと同時に地図が消える。8時を告げるBGMと同じくして立ち上がった役員達が頭を下げるのに手を振り、勤務終了を労った。
基本的に進学科生徒である彼らはこれから食事を取り、零時を回るまで勉強に励むだろう。他人事ながら良くやるものだと肩を竦め、二葉のお疲れ様と言う言葉一つで足取り軽く出ていった役員を見送った北斗がおざなりに手を叩いた。

「相変わらず、中央役員はマスターの犬系っスね〜」
「調教の賜物ですかねぇ」
「こっわ!」

報道部でもあり、風紀委員でもある北斗が愛用のノートパソコンを開きながらケラケラ笑う。朝一発行の記事を編集するつもりだろうと察して、先程見た地図をもう一度思い浮べた。

「何か考え事系?」
「いえ、ただ教職員は計90人だった様に記憶してましてね」
「先生の数なんか覚えてない系っス」
「まぁ、私も万能ではありませんし」

足りなかった様な気がしたのだ。だからと言って調べる程の事ではない。自由に外出を許された立場だ。


「勘違い、…でしたかねぇ」


答える者は、居ない。

←いやん(*)(#)ばかん→
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