帝王院高等学校
道化師は素知らぬ顔で喜劇を歌う
「そんな所で何をしてるのかな」

バルコニーから見下してくる『彼』は嫌に愉快げな表情で笑っていた。
その表情こそが『彼』の『真実』ではないのか、と。今更ながら彼を甘く見ていたらしい己を、驚愕の最中だが咎めてみる。

「こそこそ何を嗅ぎ回っているのかは聞かないけれど。あんまり首を突っ込むのは感心しないね」

あれは本当に『彼』なのだろうか。
恐らく顔には出ていないだろうこの迸る驚愕と猜疑を噛み砕きつつ、膝に乗せていたスケッチブックを下ろした。

「聞かないんじゃなくて、判ってる、って言う言い方に聞こえるんだけど…思い過しですか?」
「はは。いいね、強かで賢い。少しばかり過ぎた好奇心が頂けないけれど」
「貴方は僕の知人に良く似ていますね」

首が痛くなるほど見上げながら微笑むと、緩く首を傾げた『彼』は背筋が凍る様な笑みを浮かべ、目が眩むほど優雅に片手を上げた。

「目に見えるものが世の全てなら、肉眼ではまず見る事が出来ない微生物はこの世のものではないのかい」
「詭弁に近い真理だ」
「お兄さんは元気かい」

さらり、と。
風に靡びく黒髪、闇に浮かび上がる白い花びらが幻想的に『彼』を包み込む。酷く現実味がない光景だった。まるで映画のワンシーンの様だと、眼鏡の縁を押し上げ一つ頷く。

「僕の兄とは面識は」
「ないよ。うちの駒がお世話になった事だけは知ってる」
「駒…」
「遠野俊に興味があるのかい」
「今は貴方に興味があるけど」
「武蔵野千景君」

ひらり、と。
宙を掴んだ『彼』の手が舞い散る今年最後の桜を掴み、さらさら手放した。

「あれは駒だよ」

何も彼もに興味がある様で何も彼もから興味を無くした様な、形容し難い眼差しを細めた『彼』が囁く。

「駒に駒以外の価値はない。僅かばかりの幸運を与えられたに過ぎない、欠片」
「彼はカルマの総長だ」
「僅かばかり運命的な偶然から手に入れた、些細な地位」
「編入試験を満点合格した人間に『偶然』なんて」
「絶対有り得ないと言えるのかい?もし言い切るなら、君の瞳に映るこの世界はとても陳腐だね」

詐欺師の様だと口を閉ざす。
何を言い返そうが勝てる見込みがないのは『彼』のその絶対的自信に満ちた表情だけで判っていた。素直に負けを認めるのは余りに癪で、頭の中を駆け巡る言葉達を必死で掻き集めているだけだ。

「絶対なんて有り得ない。だからこの世界は愉快なんだ」
「現実は楽しい事ばかりじゃ、」
「楽しい事ばかりだよ」
「絶対そうだと言い切るつもりなの、貴方は」
「絶対だね」

絶対と言う言葉の存在を否定したばかりの唇が、呆気なくその言葉を奏でた。夢から覚めた気分だ。揶揄われているにしても、相変わらず無機質めいた眼差しが揺るぐ事はない。

「少なくとも、君の瞳に映る人間の世界は楽しい事ばかり。そうだろう?書き蓄めてきたシナリオが漸くクライマックスを迎えるのに」
「シナリオ?」
「タイトルは『堕落し逝く少年の生涯』」

手摺りの向こう側で漸く人間らしい眼差しを煌めかせた『彼』は酷く無邪気な笑顔を浮かべ、煌めく指先を掲げた。

「誰も邪魔しない。誰も気付かない。はは、誰かに話したくてウズウズしてたんだ。なのに誰も気付いてくれない」
「何を企んでるんですか、貴方と遠野君は」
「違うよ。あの子はね、ただの駒。王様の形をした、ただの歩兵」

カトリ、と。
壁を跳ねて落ちてきた小さな何かを拾い上げれば、チェスが一つ。最弱のポーンだ、と。ゲームには詳しくないが、判断は付いた。

「遠野俊はポーン。とても弱い、小さな駒」
「皇帝の振りをした、兵?」
「そう」
「なら貴方は」
「例えるならクイーンかな?はは、一番強いクイーン。盤上じゃまず最初に倒される女王だね」

晴れやかに笑った『彼』がまた、カツリと放り投げた駒はポーンよりやや大きいものだった。恐らくこれがクイーンだろう。

「キングは」
「君は知らない。ただね、舞台を支配している監督は別。何せピエロとウィザードが書き上げた脚本だよ。ピエロは盤上をクイーンの様に踊り、早々倒される運命だ」
「貴方は道化師だと」
「そう、俺以上につまらない人間はまず存在しない」

コロコロ。
次々に駒が落ちてくる。

「皆、ただの駒。勿論この俺も、魔法使いに踊らされた可哀想な駒の一つ」
「…その割りに、」
「楽しそうに見える、って?言ったじゃないか、俺の世界には楽しい事しか存在していないんだよ」

にこにこ笑う『彼』が、手摺りの上に駒を置いた。この距離では何の駒なのかは判別出来ない。もし見えたとしても、チェスの知識に乏しい自分がその名を知っているのか否かは曖昧だ。

「好奇心に満ちた君に最大にして無価値なヒントをプレゼントしようか。俺の話に付き合ってくれたお礼に」
「矛盾してると思う、んだけど。無価値なら聞く意味がない」
「絶対意味がないって、」
「…聞くだけ、なら」
「はは、学習能力の賜物だね。気付いているかも知れないけれど、俺は減らず口の負けず嫌いなんだ。聞き上手に徹した方が得策だよ。正論には真っ向から屁理屈叩きつけるし」
「自覚有り、なんだ」
「まぁね」

くすくす。
擽る様に笑う声音につられて、無意識に笑った。こうも潔く臍曲がりだと、いっそ清々するものだ。
全く悪怯れない所が嫌味を与えない。憎めない悪戯っ子と言うのは、『彼』の様な人間を指すのだろう。

「それで、ヒントとは?」
「俺の企みと呼ぶには余りに可愛らしい望みはね、言った通り一人の人間を堕落させたいだけ」
「かなり悪辣な企みだなぁ」
「とても愛らしい子でねぇ、綺麗なものが大好きな俺には正に天の采配としか言えない宝石なんだ」

夢見る声音が暗闇に落ちる。
山間の夜は冷え込みが早いな、と。シャツごと腕を擦り、小脇のスケッチブックを抱え直した。

「恋に狂った男の執着、かな。良い感じ、創作欲がグッと高まってきた」
「服飾デザインかい。お母様のご実家が呉服屋だったろう」
「うちの父は長く療養中で。家は叔母さんが支配しちゃって、母と兄を追い出した。僕は帝王院に受かってたから、自慢の道具にぴったりだったんだ。母から、僕の親権を事実上奪った」
「ふーん」
「父は未だに母から捨てられたと思ってるし、叔母の事を話したくても監視がなきゃ父に会えない。だから早く卒業して、家を奪い返したら母さん達を迎えに行くんだ」
「ドラマチックじゃないか!」
「ネガティブな話をしたつもりなんだけど…な」
「いいね、とても泥ついた金持ちらしい内情だ。ドロドロ底無し沼の様に深みに填まって、生きるか死ぬかの二択に迫られるんだ」
「僕の話より、」
「俄然やる気が漲ってきたよ。ああ、こう言う事か。そうか、大切にしたいものほど壊したくなるものだ。ああ、判った。違いがやっと判った」
「?」

くるり、と。
背を向けた男が片手を上げた。その手に煌めく金属がチカチカ光を反射させ、風に靡びく黒髪が踊る様に舞う。

「等価交換が前提の俺と、惜しみなく与えたい彼。成程、似ている様に見えてまるで別物だ」
「ちょっ、まだヒントを聞いてな、」
「ああ、ごめんね。今とても気分がいいんだ。だから全部話しちゃうといけないから、また違う機会に教えてあげる」
「な」

手摺りの上に小さな駒を残し、引き止める声に振り向かず去った背中へ呆然と喘いだ。
最初から最後まで自分のペースだった『彼』は未だに現実味がなく、ならばあの『彼』を操っている『魔法使い』とは誰だろうと想像して背が凍る。果たしてそれはまともな人間なのだろうか。


「そこに誰か居るのかね」
「夜間の徘徊は危険さ。早く部屋に帰りたまえ………って、武蔵野じゃないか」
「溝江君に宰庄司君、風紀の見回り?精が出るね」
「「天の君の平和な学園生活を守る為さ」」

くいっと揃って赤縁眼鏡を押し上げた二人に倣い、先程のバルコニーをもう一度見上げ、一年帝君部屋の方向へ足を向けた。

「僕も付いていって構わないかな、溝江君に宰庄司君」
「何か良い事でもあったのか、武蔵野」
「スキップが軽やかなのさ」
「ほら、うちって貿易商じゃない?」
「しょっちゅう海外に飛んでるお父様の代わりに、叔母様が良くしてくれてるんだろう?」
「お母様はブティック経営の夢を捨て切れず実家へ戻ったらしいね。それがどうかしたのかい?儲け話なら教えて欲しいのさ」
「やだな、中小企業の枠を超えないうちより宰庄司君の方が素晴らしいじゃないか。元華族なんて」

談笑しながら歩く足取りは軽い。
自称道化師相手にほらを吹いた自分に小さく笑って、最後に見た手摺りの上に置かれた馬を思い浮べる。

「溝江君、チェス得意だったね」
「嗜み程度にはだが、武蔵野も興味あるのか?」
「馬みたいな形をした駒って知ってる?」
「ああ、それはナイトと言うのさ」
「ナイト」

じっと一年帝君部屋のバルコニーを見上げる友人を見つめ、黙っていれば美形なのになぁ、などと肩を落としながらストーカー行為を咎める事はない。
人気のないバルコニーの向こうは真っ暗で、寝ているのか不在なのか判断が付かなかった。



「騎士を模した駒だよ」

















「お前らの担任、知らねぇか」

相変わらず傲慢不遜にスラックスのポケットへ手を突っ込んだ男は、ブレザーもネクタイも纏っていない為に実業家にもホストにも見えた。
ただでさえ制服にしては仰々しくシックなデザインのシャツと、スェードのスラックスは着る者を選べば制服の枠組みを軽々飛び越えてしまう。

「知るか失せろ」
「ホストパーポーは寮長室じゃないかと」
「犯されてぇらしいなテメェ」
「きゃー!」

睨む隼人を嘲笑いながら見つめ返す日向の境、思わず尻を押さえてテーブルの下に潜り込んだオタクに、長身美形二匹が沈黙した。

「オタクは食べられませんにょ!乾燥剤の如くご主人公様に寄り添う腐った生き物でございます!食べるならご主人公様を、ペロッと一口で!やるからにはがっつり!ちょっとくらい嫌がられてもめげずにっ、嫌よ嫌よも萌えの内『どうしよう無理矢理なのに気持ち良い、もしかして好きなのかな…』もえぇえええ!!!ハァハァ」

風呂や購買へ向かう生徒がちらほら見られる廊下の脇、沈黙している二人の金髪に黄色い悲鳴やら陶酔めいた眼差しやらが注がれている。尻をぷりぷり振りながらキャーキャー騒ぐ変態には誰も気付かないらしい。

「ボスー、そこばっちいよー」
「これ寝てんのか、錦織は」
「気安くカナメちゃんに触んなー。妊娠したら殺すぞコラー」
「馬鹿か」
「馬鹿ってゆった方が馬鹿なんですー。はい馬鹿決定ー、馬鹿オージ、ウマシカオージ」
「ヤキ入れんぞ糞餓鬼」
「年寄りはとっととくたばれ」
「誰が、」
「俺の何処が年寄りだ!」

バキッと言う凄まじい音と共に、廊下中に黄色い悲鳴が轟いた。

「痛っ」
「泣かすぞ隼人」
「ユ、ユウさんの馬鹿あ」
「あ?隼人の癖に」
「痛いー、痛いー」

頭を抱え屈み込んだ隼人をゲシゲシ踏み付け、テーブルの下の尻を鷲掴み引き抜いた男は、

「ハゲに苛められたんだな会長。了解、30倍返しでとりあえず高坂禿げろ」
「いきなり涌き出んな馬鹿犬」
「嵯峨崎先輩っ、お尻に凄まじい力が発生してますにょ!オタクの柔尻にこの握力は大変苦しゅうございますっ」

鷲掴んだ尻を思わず揉みしだいた男はそのまま硬直し、三つ編みにした毛先まで微動だにしない。然し両手は腐男子の尻をモミモミしたままだから何と言おうか。
流石、手が早い。ヤンキーの風上に立つ手の速さだ。まさか総長の尻にまで食指を伸ばすとは末恐ろしい。

「うぇ、ふぇ、痴漢されてる気分にょ!ハァハァ」
「嵯峨崎、嫌がってんぞ」
「やわい…」
「ちょいユウさん!犯罪!今の顔っ、犯罪者!」

飛び掛かる隼人を素早く殴り倒し、もみゅもみゅオタクの尻を揉む二年帝君に悲鳴が響きまくる。

「いやー!僕の方が柔らかいのにぃ!」
「何であんな眼鏡のお方なんかをー!」
「カァカァ鳴く鳥の翼みたいな髪の方をー!」

大多数が俊へ対する悪口だ。直接的な表現をすれば処罰される為、物凄く遠回りした悪口では何の効果もない。

「紅蓮の君が浮気?!」
「いやぁ!」
「紅蓮の君は光王子様の…!あれはデマだったのぉっ?!」
「閣下ぁっ、紅蓮の君とお別れしたら抱いて下さぁぁぁいっ」

痙き攣った日向へ、恐ろしい笑みの佑壱が振り返る。


「ドウ言ウ事カシラ、アナタ」
「知るか」
「昨夜紅蓮の君は光王子様の寝室に向かわれたんでしょう?!」
「紅蓮の君がついに光王子様に餓えた野獣の如く…!きゃああああ!」
「素敵ぃいいい!!!」
「いやぁあああっ、光王子様が下だなんてぇえええ!!!」

オタクの悲鳴は最早聞こえない。
妄想逞しいチワワ達の悲鳴で、鼻出血多量の童貞がピクピク痙き攣っている事に気付いたのは、騒ぎで目が覚めた要と隼人だけだ。

「そっ、総ちょ…っ、遠野君!」
「ボスー、しっかりー、輸血したげるから生きろー!」
「何だこの騒ぎは」

眼鏡を押し上げながらやってきた男に、悲鳴が止んだ。


「どうした俊、孕んだか?」

何故、学ランに下駄なのか。
答えられる人間が居たらなら、日向が貧血でよろめく事もなかったたろう。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!