帝王院高等学校
卵は割れない様に気をつけましょう
まだ空に太陽が昇っていた時の話だ。


「特売の卵と納豆が安かったわねー!納豆3パック49円、1日三食で49円って事よ。どうなの!倒産しないのかしら!安過ぎるわよ幾ら何でももやし10円!ヒーハー!」

庶民派が売りの安売りスーパー袋を五つ、軽々ウキウキ抱えた彼女は尻を振り振りリズミカルに歩きながら、点滅を始めた信号に慌てて駆け出した。


「あらん?」

然し彼女が交差点を渡るより早く、凄まじい勢いで目の前に停車した黒塗りの車が軽やかな歩みを止めた様だ。
何事かと不満げに眉を潜めた彼女の前で開いた扉。厳しい男達がぞろぞろ降り立てば、通行人達がそそくさと避けて通る。明らかに不審過ぎるから、それも致し方あるまい。

「わァお、何事じゃい」

サングラスに黒服、如何にも三流映画で良く見る光景だ、などと僅かばかり感心げな彼女の前で一人の黒服が歩み寄ってきた。

「失礼、遠野俊江さんですね」
「そーよ。こう見えてアラフォーだから、スカウトはノーサンキュー」
「お時間、頂けますね」

ぞろぞろと他の黒服達が背後へ回る。右も左も黒服、前には黒塗りのベンツと、疑問文ではなく始めから命令するかの様に肯定の言葉を宣う男。
だからノーサンキューっつったろ、と。眉を寄せるだけで不満を留め、

「ナンパの勉強してから出直しなさい。おばちゃんは暇じゃないの、昼ドラ見逃したら怒るわよ」
「我らが主のご命令です。どうぞ、車へ」

小柄な彼女に何が出来たと言うのか。手にはスーパーの袋が五つ、内の一つには安かった卵のパックが3つも入っている。投げ付けて逃げるには余りに惜しい。

「随分な分からず屋ねィ、オッサン達」

どうしたものか。

通行人は誰一人助けてくれそうにない。そそくさと避けて通る彼らは、一様に顔へ『関わりたくない』と書いてある。
…情けない。これが侍の子孫か。
可愛い旦那と可愛い息子なら躊躇いなく助けてくれるだろう。何せ呆れ果てるほどのフェミニストである男共は、雌と名が付けば小鳥や虫にも優しいのだ。
夏場の蚊すら殺せないヘタレ親子だが、雄には果てしなく強い。夫婦喧嘩したその日に八つ当たり宜しく銀行強盗を一瞬で沈めた旦那と、如何にも不良と言う赤毛の親友を持つ息子は、世間一般で言えばまともではない筈だ。

ああ、今此処に二匹のどちらかが居れば。こんな目に遭わなくて済んだのに。

「さぁ、車にお乗り下さい」

クスン。
か弱い母を許して下さい、しゅーちゃん、俊。




「テメェらァ、生意気抜かしてんじゃねェぞ!」


…か弱い?
ああ、今此処に二匹のどちらかが居れば、卵3パックを無駄にせず済んだのに。畜生。

「弱い癖にナンパなんざ40年早いんだよガキャア!帰って母ちゃんの乳でも吸っとけっ、たわけ者がァ!」

蹴り蹴り殴り、飛び掛かり。
目にも止まらない早さで黒服達を蹴り飛ばしていた彼女は、怯んだ彼らに背を向けた途端、態勢を立て直した一人に捕まった。
ちっ、と顔に似合わない舌打ち一つ、クルクル巻いた茶髪を振り乱し必殺技を掛けようとして、



ドゴォン!



「わァお。」
「…女性相手に複数とは、卑怯な」

ビシッ、と。
風を切る音は竹刀らしい。ゆるゆる見上げれば、サラサラ風に靡びく金の髪を掻き上げた美青年が凛々しい眼差しを眇め、光の速さで黒服達を凪ぎ払う。

「下衆共、命乞いは不要だ。潔く腹を切るが良い」
「誰かと思ったら…、アリィじゃないのよォ。相変わらず時代錯誤な喋り方ね」
「シェリー、無事か。君が囲まれているのを見た時、私の胸は張り裂けそうだった…!」
「相変わらず大袈裟だわねー」

ぎゅむっ、と。
抱き付いてくる美青年…ではなく、自分より僅かばかり年下の女性を抱き返し、袴姿の金髪女性の胸元に埋まりながら背中を叩く。
身長差20cm、遠野家最強の母は爪先立ちでぷるぷる震えた。ドンマイ。

「何を言うのか!私がこの世で最も愛している人は君だと言ったろう!…私が男であれば、悩まず君を奪ったものを」
「アリィは高坂の餓鬼大将の奥さんじゃないのよォ」
「君に振られたから新しい恋に逃げただけだよシェリー、今も君は愛しいミストレスだ」
「いやん、私にはシューちゃんと言う愛しいダーリンが」
「判っている。…離婚したらすぐに連絡してくれ」
「いやだから諦めろっつーの」

ぎゅむぎゅむ抱き締められた彼女は、むぎゅっと尻を鷲掴み、真っ赤な顔で離れた美青年面をマジマジ見上げた。

「っ、シェリー!この様な戯れは寝室で…!」
「張りがイイお尻…アリィが男の子だったら、クール強引攻めね!」
「シェリー?」

ああ、顔は相変わらず美形だ。美男子だ。然し乳もなければ恥じらいもないこれは女性である。白昼堂々昼ドラを素で演じた彼女の名は、アリアドネ。
旧姓アリアドネ=ヴィーゼンバーグ、20年程前に求婚されてすっぱり振ったのだが、30年以上前から求婚しまくってきたとんでもなくウザイナンパ男、高坂向日葵と結婚し、今や一児の母だ。

「それより、アリィこそどうしたのよ、こんな所で」

4区の半分を自宅として所有する日本最大広域暴力団、光華会は勿論4区を拠点としている。今現在、俊江がショッピングを楽しんでいた此処は7区だ。4区からは割りと離れている。

「…愛しい君に詳しく説明する事は出来ない。たが私を信用し、共に来てくれ」
「つまり偶々見掛けたからお茶しないって事ねィ」
「素晴らしい観察眼だシェリー」
「ま、良いけど。そうそう、うちの息子が帝王院に入ったのょー。中々言う機会がなくてさァ」
「何だと?」
「アリィのとこの息子も帝王院だったわよねィ、今思い出したけ、ど!」

荷物を半分持ってくれる人に並んで、カフェ求め長閑に歩き出せば。路地裏から出てきた余りに不審過ぎる男達に眉を寄せた。

「んもぅ、またさっきの奴ら?」
「無礼な男だ。名を名乗れ」
「アリィかっこよす」

庇う様に進み出た長身にポッと頬を染めつつ、

「アリアドネ=ヴィーゼンバーグとお見受けする」

どうやら今度は自分ではなく、元貴族にして現極妻へのナンパらしいと息を吐いた。良く絡まれる日だ。
何ともなくスーパーの袋を覗き込めば、卵が一パック割れているのが見える。まだ二パックある、大丈夫だ。

夕飯はスクランブルエッグで良いだろう。

「それは最早捨てた名だ。我が家名は高坂、用件ならば相当の手段を踏め」
「貴公には駒になって頂きたい」
「…何だと?」
「ミシェル侯の邪魔となりしベルハーツを、葬る為に」

肩に掛けた長い巾着から素早く竹刀を抜いた金髪が、それ以上に素早く動いた男達の手に捕われた。何やら深刻な話を聞いた気もするが、それより卵が気になる遠野家紅一点。喧嘩は大好きです。

「シェリー、行け!」

何だこの男達は、と息を呑みつつ、逃げろと叫ぶ友人に頬を膨らませる。全く以て馬鹿馬鹿しい。
大体、現高坂組長相手に喧嘩で負けた事はないのだ。舐めて貰っては困る。その昔、夥しい数のバイクを前に、一人で暴走族を潰した事があるのだから。

「か弱い女性に暴力奮うなんて最っ低じゃい。根性叩き直してやらァ、掛かってきやがれ!」
「っ、シェリー!危険だ!」

助走なしで飛び掛かり、容易く避けた一人にスーパーの袋を投げ付けた。ああ、卵が割れる音がする。
騒ぎの最中だが、取り急ぎ亭主にメールしておこう。卵の絵文字だけで十分だ。仕事帰りに買ってきてくれるだろう。

「アリィ、こっちだわさ!」
「シェリー、後ろだ!」
「ちっ」

まずは友人から救わねば、と。ペットボトル三本入りの袋を投げ付け、怯んだ一人の脛を蹴りそのままの股間に回し蹴り、一瞬痛そうに眉を潜めた友人へ『君は女の子だろ』と隙を生んでしまったらしい。

「野郎…っ、あっ」

背後から首を掴まれ、後頭部にガツンと凄まじい衝撃を受ける。僅かに息を呑み、首を掴まれたまま躊躇わず体を捻って蹴りを放った。が、無理な態勢には変わりない。

「っ」
「煩わしい女だ」
「男の風上にも、置け、ねェ!」

蹴られた相手はまるでダメージを受けていない様だ。相手が悪過ぎる。40過ぎのオバサンには荷が重い難敵だ。

「っつー…」
「煩わせる女だ。早々に消えろ」
「っ、シェリー!Hands up!その汚らわしい手を離せっ、殺されたいかぁ!」

鬼の如く竹刀を振り回す人が青冷めた表情で駆け寄ってくるのが見えた。此処で倒れる訳には行かない、と。気を張るのも限界だ。
目が霞む。畜生、3日連続徹夜でBL本を読み更けた所為だろうか。万全の体調だったら一矢報いたのに、返す返す口惜しい。

「臭ェ息撒き散らしてんじゃねェよ、…ヘドロが」
「女如きが…!」
「ならば君にはこう言おうか」

穏やかな声音が路地裏に落ちた。
10人近く居ただろう覆面の男達が、まるでジェンガが崩れるかの様にバタバタ倒れていく。相変わらず首を掴まれたまま、霞む視界で見たのは着物姿の長身だ。


「飼い犬如きが、何故勝手をしているのかね」
「とっ、棟梁?!な、何故此処に!」
「ああ、こんな事が知られれば信用問題だ。一門筆頭である私の監督不行き届きだと、顧客から分家、果ては弟達からも叱られてしまう」

よよよ、と。
袖口で涙を拭う仕草をした男に、ほっと息を吐いた友人が竹刀をビシッと突き付けた。

「冬臣、私の怒りは最早限界値を越えている。…判っているか」
「そう、一分の漏れなく私の責任だ。文仁なら不貞共を連れ帰り、鬼畜に拷問するだろうが…弱ったね」

にこにこと微笑みながら一歩一歩近付いてくる男に、首を掴む手が震えている。立っているのも苦しい今、この手だけが支えだ。
が、その手が離れるのと同時に抱き寄せられた。綺麗な顔に擦り傷をこさえた友人の金髪を見やり、一度笑いかけて目を閉じる。眠い。限界だ。

「…和服萌えぇ」
「しっかりしろシェリー!」

騒動の中、二秒で送った卵メールは届いただろうか。投げ付けたスーパーの袋の中身は全滅だろう。

今夜はオムレツだ。



「弱った、私は容易く殺してしまうから。…おや、良かった。辛うじて生きているよ」
「シェリーの前で、」
「気を失った様で助かった。一般人には見せられない光景だからねぇ」

崩れ落ちた男達をにこやかに蹴り転がした男が着物の襟元を正し、呆れた様に佇んでいるスーツ姿の己よりまだ背が高い男へ目を向けた。

「ねぇ、文仁?」

長い髪を胸元で一つに結った男は冴え渡る美貌を眇め、

「…叶の当主が身一つで観光か」
「機嫌が悪そうだね、文仁。高坂組の警護は二葉とお前の担当だろう?」
「だとしたら尚更、兄さんがわざわざ出てくる必要はない。早く京都に、」
「私にも雇用主は居るんだよ、文仁」

冷えた美貌の長身の背後に、先程交差点で停車した黒塗りの車が停まる。呆れ顔の男が一人、後部座席から降り立てば、唖然とした表情の文仁が振り向いた態勢のまま固まった。

「わざわざご足労頂き申し訳ありません」
「何故こうなるまで見過ごした。彼女に傷を付ければ、ただでは済まさんと言ったろう」
「声を掛けるタイミングを計っていたら、会長自らお越しになられて計画が狂ったんですよ」
「良く言うわ。泳がせていた飼い犬を捕らえたお前にとっては、一石二鳥だろう」
「これはこれは、手酷い」

笑う和装へ息を吐いた初老の男は、竹刀を握る女性が抱いた人を見やり、眼差しを緩めた。

「龍一郎には似とらんな。可笑しい話だが、我が妻の若い頃に似ている」
「息子の初恋は殆どが母親ですからねぇ」
「…連れていけ」
「仰せのままに」

見事な白髪を撫で付け、サングラスを押し上げた男へ叶最強の男は優雅に頭を下げた。

「明日はアレが見舞いに来る。…悟られてはならんぞ、冬臣」
「重々、承知してございますよ」

走り抜ける車の波が埃を舞わせ、大気を唸らせる空だけが目の当たりにしただろうその光景を、



「神威坊っちゃんは私の手にも余る方ですからねぇ、駿河会長」

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