帝王院高等学校
副会長とご一緒に歌いましょう
何だあれは、と。


無意識に呟いた台詞に答えはなかった。
ゆるゆる見上げれば、取り繕った様に白い部屋の中。唯一灰色の鳩を残し、窓の向こうの羽ばたきさえ最早聞こえない。
漆黒の艶やかな長髪は何の音も残さず姿を消していた。


「王」

呆れたのだろうか。
二度も同じ人物相手に無様な醜態を晒した自分から、愛想を尽かしたのだろうか。
情けない情けない情けない。
誰にも負けてはならないのだと、知っているのに。

「…」

二葉になら、負けなかった筈だ。
気配にすら気付かなかったあの弱い生き物には負けなかった筈だ。ならばそう、決して油断した訳ではないのだから、自分は完全なる敗北を期したのだ。



意味が判らない。
決して油断した訳ではなかった。特に何かが秀でている様には見えないあの普遍的な生き物を、だから決して舐めていた訳ではない。
油断すれば鼠から命を狙われる世界で生き抜いてきた。吸い込む空気にすら警戒して生きてきた。


嘲笑う声がする。
自分とまるで同じ顔をした、けれどまるで別の生き物が。嘲笑う声が聞こえる。


「話があるんスけどー」
「…」

開け放したままのバルコニー、近付く気配には気付いていた。気付いていたからこそ警戒せず佇んだまま、緩く背後を振り返る。

ああ、嫌な顔を見た。
自分を地獄へ突き落とした女を思い出す。気が狂ったまま、医師に看取られて死んだ女を。
そう、目の前の男に良く似た、たった一人の医師に看取られて、我が子からは見向きもされず死んだ女を。

「調べさせて貰いましたよお?ねえ李先輩、不可解な事があるとついつい調べたくなるからあ」
「神崎、隼人」
「いきなりですけど、…その覆面の下、見せて貰えません?」

にたり、と。
笑う顔が良く似ていた。まるで双子の様に、あの煮ても焼いても食えない医者に、酷く。

「天狼星」
「はあ?」
「大犬に従いし灼熱に心当たりはないか」
「大犬座って、シリウスって事?悪いけど、星座にはキョーミないんですけどー。因みにボクちん蠍座だからあ」
「我が国では天狼星と呼ぶ。最も太陽に近き恒星だ」

気配だけで判る。
見た目には現さずとも、警戒心を隠さない態度が。ただ然し、それだけだ。こんな程度では、二葉は愚か光の王子にすら適わない。

「聡明名高き貴様に問う。俺は頭が悪いからな」
「いきなりネガティブ発言されても反応に困るんですけどー」
「我が意に適う答えであれば、貴様の意に応えよう。…布一枚、剥ぎ取りたいと望むなら」
「アンタさあ、下院総会に出なかった?」
「闇と光、真に強きはどちらだ」

ぱちぱち、瞬いた灰色の眼差しを見つめる。恐らく生来のものではないだろうその眼差しは、然し人工的なものにしては余りに感情を映し過ぎている。
何かの後遺症だろうと目星を着けて、ならばその髪の色もそうではないのかと目を細めた。

「闇と光?RPGか、ファンタジーかあ。中二病みたいな事ゆっちゃってさあ、アンタ高三でしょ」

可哀想に。
身内からそうと知らず陥れられた哀れな生き物。アジアンでありながら、恐らく物心付いた時には既に金の髪に灰の眼差しだったのだろう、哀れな羊。

「それ、風紀委員長と副会長のこと?それなら答えたげる、明らかにあの眼鏡のほーが強い。圧倒的」
「然らば相当の理由を」
「実際喧嘩してっからねえ。昔の話だけどお、…叶二葉の野郎はいつか絶対潰す」
「そうか」

最早この生き物に意味はない。
闇を最も強いと説く若い生き物、何不自由無く生きてきたのだろう。

「ちょっと、」
「用は済んだ。早々に立ち去れ、この領域は王、祭美月のものだ。貴様を招かない」
「待てっつってんだろ!てめぇがグレアムの人間だってのは調べが付いてんだ」
「貴様は話に聞くより頭が悪い様だ」
「あ?」
「迂闊に口を開くものではない」

がらり、と。
開いたドアの向こう、大きな箱をキャスターに乗せて入ってきた白衣の男を見やり息を吐く。背後で口を閉ざした生き物は気付いていないのだろうか。

「おや、月の君は何処へ行かれた」
「王に用ならば俺が伝える。去れ」
「それはいかん、神聖な医務室に何の用もなく足を運ぶ養護教諭は居らんだろう。タコが入っとらんたこ焼きも然り」
「悪いが、俺は頭が悪い。その喩を理解する事は不可能だ」
「ふむ、己をそう貶めるものではないぞ上香。師君はIQ180を誇る秀才ではないか」

背後で「はあ?」と言う声が上がる。何をそう驚いているのだろうかと考えた。
この程度では、二葉にすら届いていない。仕えるべき美月には勿論、白の黒羊には全く。

「星河の君。いや違うな、師君は最早帝君に価わず。この名称は相応しくないのう」
「おっさん、初対面でちょっと失礼ブッコキ過ぎですけどー」
「これは失礼、初対面ではないんだがのう。今季着任した養護教諭、冬月龍人だ。怪我をしたら指名してくれ」
「絶対いや」
「可愛い顔をしてつれない事を言う」
「はっ、馬っ鹿じゃん?隼人君は格好良いの!」

揶揄めいた眼差しを真っ直ぐ隼人へ注ぐ男の、酷く穏やかな眼差しの奥に気付いて廊下へ出た。
人間と言うものは不可解な生き物である。姿形を変えても、何処か通じ合うのだろうか。


「理解不可能だ。俺は頭が悪いからな」

馬鹿だ馬鹿だと繰り返しながら、決して振り払おうとしない人がいた。聡明にして気高いその人は、いつか自分を光の下に導くと言う。

「侵入者を捕らえに行こう。捕えてから先は、王の命ずるままに」

酷く不器用で優しい、生き物。この世で唯一、形振り構わず従おうと思えた唯一、の。


油断などしない。
敗北したのは生まれた日だけだ。数秒後に産み落ちた時点で、自分と言う動物は「無価値」の烙印を捺されたのだから。


「理事長自ら動くか、笑わせる」

笑った事はない。
泣いた事もない。
死ねと命じられれば悩まず、主人の言葉に従うのが自分の望む全てにして唯一、産み落ちた刹那から何一つ与えられなかった自分に、あるのはそれだけだ。

大犬座に従うシリウスの様に輝けはしないけれど、寄り添い手足となれるだけで良い。
憎い黒羊、何も彼も与えられた黒い羊。果たして本当に黒羊なのだろうか。誰も彼もから崇められしあの生き物は、光の下で生きている癖に。

「…我が王の御前へ、誰よりも早く。捕えた人間を、必ず。理事長より早く、中央委員会より早く」

何をしても適わない。
産み落ちた刹那から、死ぬまでずっと、きっと。



「誰よりも早く、…神より、早く」

何の感情も浮かばない真紅の眼差しを思い出した。頭が悪い自分には憎むしか出来なかった頃に見た、眼差しを。













AKY。
何でも縮めてしまうのが魅力の日本語であるが、近頃の若者はご存じだろうか。

「諦めるな、空気が読めないくらいで」

我らが主人公は正にこれに当たる。
と言うのも、脱け殻の様に成り果てた山田太陽を肩に担ぎ、一歩踏み出そうとした所ですっ転んだからだ。

投げ捨てた唐草マントが原因だ。
ずべっと転んだオタクを前に、目元を手で押さえた嵯峨崎佑壱以下、これ以上なく目を見開いた川南北緯、つられてすっ転んだ加賀城獅楼、ビクッと肩を震わせる錦織要でカルマの反応が別れた。

腐っても腐男子、大切なご主人公様を守るべくすっ転んだ瞬間両腕で抱え、然しポジティブ、前向きに倒れた為に腐男子より小さい山田太陽は見事オタクとアスファルトで挟み撃ちだ。
彼の死は多分無駄にしない。

「…」
「しゅ、俊君…?」

何とも言えない雰囲気の中、恐る恐る声を掛けた桜の前でギラッと光ったアンパン●ンほっぺ型眼鏡を鷲掴んだ男は、右手でそれを握り潰し、左手だけで太陽を抱え起き上がる。
寝起きの様な不機嫌な眼差しはいつも以上に潜められ、最早そんじょそこらの人間は目を合わせる事すら不可能だろう。
辛うじて踏み留まった佑壱以外の皆も息を呑み、すっ転んだ獅楼は起き上がり掛けた状態で硬直してしまっていた。


「ってぇ」

ちっ、と舌打ち一つ、前屈みで転んだ為にこさえた額のたんこぶを撫でながら、瞬いた男は呻く。
凝視してくる皆をさっと一瞥し、鷲掴んだ眼鏡を見やり一言、

「あァ?何で割れてやがんだコラァ」

ビクッと震えた佑壱以下…略に罪はない。桜に至っては最早震える事すら出来ない程度には硬直し、石像宜しく微動だにしなかった。

「誰だ貴様ら、喧嘩なら絶賛買うぞ、あァ?」
「そ、総長?」

佑壱の呟きにギッと目を向けた男が首をポキッと鳴らす。一瞬、だ。
誰一人反応する隙を許さず佑壱の目前まで近付いた俊の拳が、だから誰一人反応出来ないまま真っ直ぐ、佑壱の腹へ伸びた瞬間。


「土産を渡し忘れました」

割り込んだしなやかな手が、ふわり、と。佑壱の前で受け流す様に拳を掴み、もう一方の手に携えた紙袋を掲げる。

「先程の焼売と、吾が好む黒煎茶です。どうぞ、天の君」
「ふぇ?…んん?まっつん?」
「はい」
「あらん?僕ってば何でまっつんとフォークダンス中なりん?え?え?」

キョロキョロ辺りを見回す極道面が、額に走った激痛でクネクネ悶えるのを麗しい微笑で見送っていた男が、ポケーっと見つめてくるカルマの端、硬直した桜が抱き抱える太陽を見やり瞬いた。

「時の君、ですか?」
「あら?あら?もしかして記憶喪失?!何を思い出そうとしてもタイヨーの寝顔しか思い出せないにょ!
  それはそれで良し!

ぐっと拳を握り締め、佑壱にたんこぶを撫でて貰うオタクの叫びを余所に、

「近い内にまたお越し下さいね、天の君」

満面の微笑を讃えた男が背を向ける。余りの麗しさにカルマの中心で萌えを叫ぶオタクにはやはり誰も突っ込まず、空気を読んだ獅楼が美月の写メをバシバシ撮っている事にも突っ込まず、いつの間にか居ないマイペースな隼人にも気付かず、


「次は、時の君とご一緒に」

追記するなら、未だに壊れた笑いを響かせながら膝を抱え、ホイミホイミと呟き続けるゲーマーにもやはり誰も突っ込まなかった。


「鬼退治に行きます。探さないで下さい。
  あはは、探さないよねー、俺が死んだってホモになったって夕陽が居るからねー、太陽は要らないかー。あはあははあはあはは、今日もお空に太陽がー、無くても地球は回ってるー♪」

山田太陽に毒消し草を。
鬼畜菌を消し去る万能薬を求む。










「あ〜あ、残念♪」
「あ〜あ、失敗♪」
「な〜んてね」
「キューピッドの矢、馬鹿王子には刺さらない♪」

黒いブラウス、ブルーアメジストのロープタイを軽やかに結った二人は良く似た顔に笑みを浮かべ、弾む様に人気のない廊下を進んだ。
地下に校舎を有した初等部生徒が、地上へ出る機会は少ない。ただでさえ授業中である今現在、二人はある意味浮いていた。

だが然し、二人を見咎める者は居ない。何かの魔法を使ったかの様に二人は、誰にも出会わず蝶の様にひらひらと歩いているのだ。

「あはは!ねぇリン、ベルハーツのあの顔見た?」
「あはは!見た見た!馬鹿みたい、他人なんか庇っちゃって!」
「プリンスヴァーゴは何処に居るんだろう♪」
「プリンスルークはずっと上♪きっとヴァーゴも一緒だよ!」
「ランの下僕はベルハーツにやられちゃったかな♪あんな弱い奴らじゃベルハーツにも勝てない」
「リンの下僕はファーストにやられちゃったって♪ほっんと、野蛮人!だからアメリカ人って嫌い」

歌いながら舞う様に、ひらり・ひらり、羽ばたく様に。両腕を翼の様に広げ進む二人は、然しその翼を止めざる得なかった。


「ねぇ、ラン」
「うん、リン」
「何か居るね」
「誰か居るね」
「出て来なさいよ」
「隠れんぼならお断りよ」
「リンは鬼ごっこが好きなの」
「間違えて殺しちゃうかも知れないけど」

ひたり。
余りに微かな足音に眉を潜めた二人は、現れた白髪の男に瞬いた。漆黒のスーツに、同じく漆黒のストールが首に。酷く理知的な面差しは年老いていて尚、品を感じさせる精悍なものだ。

「「誰、オジサン」」
「答える義理はない。我が帝王院学園に土足で踏み込む愚者にはな」
「「キャハハ!生意気!」」

揃って甲高い笑い声を響かせた二人は短いボブの黒髪を掻き、

「生意気だねラン!」
「生意気だねリン!」
「クソジジイ!」
「遊んであげようか!」

歓喜に満ちた眼差しを真っ直ぐ、佇む初老の男へ注いだ。が、然し、二人がそれ以上喜びを現す事は適わない。

「傷を付けるのは好ましくないぞ、ネルヴァ」

世界を静寂に導いた囁きに、息を吐いたスーツ姿の男が振り返る。

「プリンス、ルーク?」
「違…う?ま、さか…」

驚愕に満ちた二人の表情を背後に、折よく頭を下げた男はひそりと目を伏せた。



「キング=ノヴァの意のままに」


ひらひら舞う羽根が歌う事はない。
蝶は蜘蛛の巣の中、だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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