帝王院高等学校
浮気じゃないのよ飲茶よアッハーン
「気の休まる暇がないね」

彼は酷く賢い子供だったのかも知れない。地獄の光景を前に全く動じる素振りがなかった彼は、恐らく無邪気に笑っていた。
無垢な笑みに魔女の狡猾さを秘めて、ひそりと。

「道化師のお次は奇術師かい」

雷鳴轟く闇色の空を背後に、大切なものを抱き締めたまま。全てを見透かした眼差しでその声は、

「君の計画に乗ってあげようか。但し交換条件がある。俺の頼みを聞いてくれるなら、…いつか必ず俺は君の役に立つだろうよ」
「等価交換、か」
「価値の軽重は、己が淘汰するものだと思わないかい?」
「…可愛くない子供だな、君は」
「誉め言葉として受け取ろう」

決して善ではない契約を交わした時、全ては密やかに始まった。

「互いの求めるものを手に入れる為に、一度だけ」
「変わっているな」
「有難う」

己より優れた人間など存在しないとばかりに笑う子供と出会った日に。

「でも、俺のする事なんか君よりは遥かに可愛らしいと思うよ」
「安寧を得るには試練が必要不可欠だ」
「狂わせたいのかい」
「いや」


魔法を掛けたのだ。





「私が狂っているだけだろうな」







バサバサと。
まるで分厚い本が捲れる様な音、舞い散る白羽根が踊る空間に漂ったのはエキゾチックな香りだった。

「ああ、それは生きていますよ」

ソファの背凭れに止まっていた灰色の鳩へ手を伸ばせば、硝子ポットに湯を注いでいた背中が振り返る。くるくる喉で鳴いた鳩が器用に背凭れを横断し、肘掛けへ飛び降りた。

「右翼の骨が未発達でしてねぇ。恐らく、己の体重を支え飛ぶ事は永劫不可能でしょう」
「飛べない鳩しゃん…」
「憐れんで下さいますか」
「飛べないと、可哀想なんですか?」
「価値観は人間が決めるもの。己が基準であれば、己より劣る全てが憐れみの対象でしょう」

小さく笑う気配。
白一色の部屋は一度攫われてきた時のそれと同じ、何処にでもある様な医務室だ。カーテンでセパレートされたベッドが3つ、窓の向こうには地下遊歩道といつか零人に案内されたアンダーライン非常口がある。

「どうぞ、天の君」
「ふぇ、有難うございますにょ」
「砂糖は必要ですか?」
「あにょ」

茶菓子と共に湯気を発てるソーサー、酷く落ち着かない状況にもぞもぞと手遊びしながら見やれば、にこやかに首を傾げた美貌が瞬く。
誰かに似ているな、と。考えて、口から出たのは一言、

「あにょ、お氷下しゃい」
「ああ、アイスティーが宜しかったでしょうか」
「有難うございますにょ」

投げ込まれた氷を目で辿れば、小さな争う声が聞こえてきた。目の前の男は胸元で結った髪を弄びながら足を組み、気付いている素振りはない。

「今朝、動かせたのは貴公ですか?」
「へ?」
「カトルキャノンのモード切り替えがなされましたね。昨日はサンクキャノンでした」

校舎は中央宮のみをサンキャノンと呼び、離宮はそれぞれ2から5までのフランス数字で呼ばれている。エントランスを有したゲートが1を示すアンキャノン、それから時計回りにドゥーからサンクまで続く。
第5サンクキャノンは今現在俊が腰を据えている向かい、地下遊歩道を挟んだ南東棟だ。隣接するのは特殊学科がひしめく、横長い白亜の寮。

「あにょ」
「その様子ではご存じなかった様ですね。お気になさらず、ならばアレの仕業でしょう」
「アレ?」
「ええ」

何だろう。佑壱の声が聞こえる。
なのに目の前の男は悠然と微笑んだまま、湯気を発てるジャスミンに口を付けた。背後をじっと見つめたまま。

「何の用ですか、カトレア」

俊の背中の向こうへ、優雅に。
振り向こうとした俊の耳に凍る声が聞こえたのは早かった。聞く者全ての魂を凍らせる、声が。

「貴様の仕業か、ユエ」
「何の用ですか?見て判らないとは愚の骨頂、来客中ですよ」
「高坂に刺客を送り付けたのは貴様の仕業だろう」
「洋蘭」
「李は何処だ」

目元に笑みを乗せたまま、余裕を匂わせる仕草で首を傾げた男へ。長い腕が伸びていく。
真横を凄まじい早さで飛び越えていった男の腕が、躊躇いなく。


「二葉先生」

無意識に口を開けば、薄いレンズ越しに瞬いた瞳が見開かれた。後ろ姿では気付かなかったらしい男の腕を掴んだまま、再び聞こえた佑壱の声に息を吐く。

「遠野、君?」
「ちわにちわ」

1キロも離れていない。日向の声も聞こえる。また喧嘩でもしているのだろうか。何故、気にならないのだろう。二葉も、目の前の男も。

「何故、貴方がこんな所に」
「お茶してました。まま、二葉先生もお座り下さいにょ」
「水で良ければ喉を潤して行きなさい、洋蘭。どの道、李は此処には居ません」
「逃がした訳ですか」
「目測だけで物を言うなと言っているのです。何が不満か知りませんが、汝は昔からそうでしたね」

握り締めた二葉の拳が凄まじい音を発てる。ストイックな横顔に笑みはない。太陽の前ではあんなに嬉しそうな笑顔を浮かべる癖に、だ。
本来ならば変装王道主人公が偽りの笑顔に気付いて大岡裁判張りの素晴らしい手腕で指摘し、腹黒副会長のハートをキャッチしてハートキャッチプリキ●ュアになる筈なのに。

曰く「人を馬鹿にした微笑みがムカつく、愛想笑いの方がマシだ」らしい太陽に、二葉の本音の笑顔は煩わしいだけと言う。

「まァまァ、マツリ先輩。二葉先生も色々苦労なされてらっしゃるんです。可愛いから虐めたくなる気持ちも判らない事もない事もなくはないですが、お手柔らかに」
「はい?」
「天の君、マツリではなくジエとお呼びなさい。吾が名は祭美月、メイユエでも構いませんよ」
「いえいえ、親しき仲にも礼儀ありなりん。まっつんと呼ばせて頂きます、まっつんお代わりィ」

茶菓子の飲茶を一瞬で咀嚼した俊がしゅばっと立ち上がり、優雅に頷いた男が立ち上がる。毒気を抜かれた二葉が珍しく唖然と口を開いている様を写メに収め、悩まず太陽へメールした。後から何をされるのか今からドッキドキだ。笑顔でキレる太陽は、近頃教鞭でビシバシ叩いてくるからやめられない。オタク心を鷲掴みだ。
因みに午後一の授業はフランス語だが、腐った豚汁を食べて腹を下したらしい零人が体調不良によりプリント自習に変更済みである。サボっても大丈夫だろう。

「リィさんとはあの声がエッチィお方でしょうか、まっつん先輩」
「ええ、李上香は残念ながら勉学が不出来でしてねぇ。このままでは普通科すら危ういと、Fへ入れたのです」
「リィ、シャンシャンさん」
「但し、容姿の造形はこれ以上なく素晴ら、」
「美月!」

空気を切り裂く声音に飛び上がれば、眼鏡を押し上げた二葉が音もなく立ち上がり、いつもの愛想笑いを張り付けて首を傾げた。ああ、この二人の仕草は瓜二つだ。

「本当に無関係でしたら、部外者の侵入を許した貴方の不手際ですよ」
「吾のセキュリティを掻い潜った侵入者は、李に追わせています。汝に言われるまでもない事」
「失敗した時は覚悟なさい。私はアジアの連中の様に甘くはありませんよ」
「戯れ言を」
「楼月の後継者であるなら、相当の行為を」
「左様、吾に刃向かえば明日は無いものと心得なさい」

興味をなくした様に出ていった背中を見送って、新しい飲茶を受け取りソファへ座り直す。美月はともかく、二葉の方はこの男を毛嫌いしている様だ。凄まじい殺気がビシバシ注がれてきた。うっかり喘ぐかと思うくらいには。

「二葉先生とはお友達関係ですか?」
「いえ、少々説明に困難しますねぇ。吾の家が通貨取り扱い商である事はご存じですか?」
「おっきい銀行でらっしゃると」
「巨万の金が絡めば、裏とも通じる。それは中国だけではなくこの国もそうでしょうが…祭家は元々、朝廷仕官の家でした」
「タイガーさんのお家がどーとか」
「タイガー?ああ、大河は確かに吾が仕えるべき家に充たります。嫡男ジュチェは関西に居りますがね」
「ジュチェ、きゅん」
「この国では紅き鳥、朱雀と書きます。洋蘭に不様な敗北を期し、行方を眩ました吾が主です」

二葉に喧嘩を売るとは素晴らしい勇気だ、と瞬けば、それに気付いたらしい男がカップを片手に微笑んだ。

「大河と言えば中国を統べしアジア最強の家。裏社会は全て大河に通じると言って宜しいでしょう。事実、祭はその最たる地位にあります」
「マフィアさん…あにょ、サイン頂けますか?」
「決して朱雀が弱かった訳ではなく、不可抗力ですよ。あれが中等部二年でした。洋蘭は吾と同じく高等部一年、余裕をなくした洋蘭が周囲を巻き込んだのです」

佑壱からパクったハンカチに「まっつん」と言うサインを貰い、中々笑いが判る男ではないかなどと頷いた。世間の噂は宛てにならない。

「巻き込まれたのは屋外授業中だった一年生でした。本気になった洋蘭を止める術はない」
「二葉先生は恐ろしい鬼畜攻めですもの」
「後輩を巻き込んでまで争うほど、朱雀は愚かではなかった。但し、手を緩めれば己の身が危うい」
「成程。…スゥたんは健気受けですね?」

この時、大阪で無駄にデカイくしゃみをした金髪が居たとか居ないとか。

「結果、じりじり長引いた争いに幕を引いたのはアレでした。来日したばかりの、あの男」
「?」
「…つまらない話をしました。茶のお代わりは必要ですか?」

首を傾げた男へ首を傾げ返し、ゆるゆる指で閉められたカーテンの向こう指した。
一つだけ、閉められたベッドカーテン。何も不自然ではないそれが、唐突に気になったのは。アレ、と美月が口にする度に不穏な気配が漂ってきたからだ。

「僕はそろそろ帰ります。そちらのお客様にお邪魔しましたとお伝え下さいにょ」
「…」
「李さんは、大人しいワンコさんですね」

ぺこり、と。
頭を下げて入ってきたバルコニーから出ようとすれば、シャッと開いたカーテンの向こう側に黒装束の男。



ああ、蜂蜜色の瞳だ、と。
無意識に笑えば、喉元に伸びてきた手に気付く。

猫が戯れている様だと思った。


「そのお目め、誰かにそっくりね」
「李!」
「…貴様は何者だ、遠野俊」
「声までそっくりね」

美月の鋭い声を横目に睨み付けてくる黒装束の男の顔を覆う布をマジマジ眺めれば、がらりとドアが開く音。
二葉が閉めていった扉の向こう側に、もっさりした黒髪と昭和と宴会芸の匂いがする黒縁ヒゲ付き眼鏡がキラリと光る長身の姿。

「あらん?カイちゃん」
「姿が見当たらないと思えば、ナンパか」
「ちょっとお茶してました」
「やはりナンパか」

ジトっと見つめている様に見える神威へ息を吐き、黒装束の男から手を離す。と同時に振り上げた足で黒装束を蹴り払えば、驚愕に目を見開いている美月が息を呑んだ。

「うちのタイヨーがお世話になったみたいで、一度ご挨拶しようと思ってましたにょ」
「ぐ、」
「今度うちのタイヨーと遊んで下さる時は僕も交ぜて欲しいなりん。…生きている事を後悔させてやろうかァ」

耳元で囁いて、咳き込みながら睨み付けてくる黒装束の男から目を離した。縫ったばかりだろう新作コスプレを片腕に引っ掛け、忙しなく眼鏡を押し上げている神威だけが微動だにしない。

「まっつん、お茶ご馳走様でした」

唖然としている美月に頭を下げ、遂にはコンソメポテチまで何処からか取り出した神威に肩を落とし、しょぼしょぼとドアへ足を向けた。ポテチやるからおいで、と言う副音声が聞こえたが、ポテチはうす塩派だ。
此処でバルコニーから出ていけば案外ねちっこい神威に何を言われるか。ちょっと太陽とイチャイチャして構ってやらなかっただけで、部屋に帰ってからチュー攻めに遭ったのだ。

「あにょ」
「何故俺が鬼畜風紀委員長の写メなど受け取らねばならん」
「はふん。間違えてカイちゃんに送ってたにょ」
「俺が誠心誠意プ●キュアの衣装をこさえている間に、他の男とコンソメポテチをしばいていたか」
「誤解ょ!一口焼売12個しか食べてないにょ」
「…」
「何なの、浮気したお父さんを見る奥様みたいな眼差しは。キャバクラのライターが見付かったお父さんみたいな気持ちになるにょ!ハァハァ」
「…」
「…あにょ、ツナマヨベーグル買ってあげるから許して下さい」
「200円で済ませるつもりか」

神威には聞こえていたらしい。
うちの嫁(仮)は地獄耳なのだろう、恐ろしい。

←いやん(*)(#)ばかん→
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