帝王院高等学校
彷徨いし者の通過点
「ちわにちわ!」

購買で仕入れたパンを抱えて、覗き込んだ校庭のいつもの場所にはその姿は無かった。
煉瓦で作られた道の先に、寮から続く地下遊歩道の入口がある。アンダーライン、と表記された看板を何ともなく眺め、入口の建物をぐるっと一周しても探し人は見付からない。

「あらん?みーちゃん?可愛いみーちゃんはどちら?」

キョロキョロと辺りを見回せば、アンダーライン入口から寮までを繋ぐガーデンスクエアの植え込み向こう側から、バサバサと何かが蠢く気配。
無駄にお洒落な校庭は何らかの施設があるが、アンダーライン真上にはアクエリアス噴水から続くせせらぎを集めたパイシーズ泉があり、屋外遊歩道となっていて夜間はライトアップされている。
鼻歌混じりに何ともなく植え込みを突っ切り、

「ふぇ?きゃ!」
「誰か居ますか」

覗き込んだ途端、顔に張りついた何かに飛び上がれば、静かな声が響いた。
バサバサと羽ばたく音。ああ、白い鳩だ、などと舞い散る羽根をそのままにズレた眼鏡を押し上げる。

「おや、汝は…」

長い黒髪。
静かな夜を固めた様な双眸。
見上げる程の長身が誰かを思わせたが、それ以上に、その美貌が。

「ふふ、迷い込まれたましたか天皇猊下。此処はこの学園で最も悪辣な場所ですよ」

開け放たれたバルコニー、鳥かごだらけの部屋を背後に腕を組んだ男が優雅に笑った。
見覚えがある。
白一色の部屋。並んだベッド。デスクトップパソコンの真上にすら、鳥かご。いつか来た時は満足に眺める事など出来なかったから。

「保健室…」
「西寮へは来てはならぬと教えられませんでしたか、汝は」

にたり、と。
妖しく笑う唇。

「茶を淹れましょうか。丁度、奈良へ旅行中の知人から土産を頂きましてねぇ」
「ふぇ」
「本来なら汝のクラスメートだったでしょうね。さ、中へどうぞ猊下」
「あにょ、お邪魔しますなりん。冷たいお茶がイイにょ」

僅かだけ見開かれた眼差しが、瞬いた気がする。酷く不器用な笑みは一瞬、



「では、ジャスミンを浮かべた冷茶を淹れましょう」








両親に情はありません。
蝿の様に後から後から涌いては集る大人達に、現実の恐ろしさを学ばせられました。


形ばかりの両親を持つ子供と。
物心付く前から独りぼっちだった子供と。
大好きな母親を目の前で失った子供と。

一人では意味すら知らないままだった寂しさを学んで、いつか行こうと約束したのです。
三人だけの楽園へ。他の誰も居ない、他の誰も知らない秘密基地の様な世界へ。いつかきっと一緒に行こう、と。
指切りをしました。


けれど一人は気付いていました。それがとても拙い幼稚な夢だと。どうせ叶わないのだと気付いていました。
その冷めた眼差しに気付いていたもう一人の子供は、ならば二人で行こうと覚悟しました。行く気がない奴は連れていく必要がないと。


不協和音。
小さな綻びは徐々に溝を深めて行ったのです。気付いた時には最早手遅れな程に、こんなにも。



一人は寂しいと学んだ子供は、ならば二人で行こうと唆しました。
残る子供は何の疑いもなく頷いて、今や操り人形。その約束さえあれば何も怖くない。二人で行こうと誘い掛けた声を信じれば、他に何も必要ない。



拙く幼い約束は、時を越えて今も、密やかに。







行こうあの空の下へ。
手と手を繋いで何処までも。
二人きりなら怖くない。
ずっと居るよ。此処に居るよ。君の隣。

ジグソーパズルのピースは見付かったか?

ほら、この約束さえあれば生きていける。






「漆黒のマントを翻す夜と獅子が女神へ口付ける夜の境、望む聖夜にまた会おう」

僕は君に約束をしました。
君は薄く瞼を開いて、けれど頷く事も首を振る事もしませんでした。
きっと君は来ないでしょう。きっと僕は待ちぼうけ。謎なぞめいた約束は、きっと君には難し過ぎる。

「Close your eyes、瞳を閉じたらお休みのキスを」

忠誠を誓う騎士の様に。
果たされない約束を抱いたまま、瞼を閉じる額へ口付けを。
こんなに美しい生き物を初めて見たから。長い様で至極短い人生で初めて出会った奇跡だから。


せめて思い出だけでも残ればと。


純粋な言霊は、この時魔力を秘めたのです。





「ぁあああぁあああああ!!!」

悲鳴を聞きました。
背中に赤い翼を生やした獣の咆哮を、放心した子供を護るべく気丈にも立ち上がろうとした獣の叫びを。聞きました。
大人達に囲まれ、踏み付けられながら小さな子供を庇う黒髪を。


ああ、騎士が二人。
自分と同じ、ナイトが二人。
金と翡翠のナイトが、目の前に。



「…それに何をしている?」

魔力が暴走したのはこの時からだった様に思います。ああ、来ないだろうと思っていた美しい生き物が、他人の手に掴まる光景に。焼き切れる音を聞いたのです。

気丈にも立ち上がろうとした獣が後退り、この世の恨み固めた様な眼光を恐怖に染めた翡翠の眼差し、背後を走る雷鳴が大気を揺らす音を聞きながら。



「その穢れた手を離して貰えないか」

久し振りに。
全身の細胞が唸りを上げるのを聞いたのです。それは最早人と言うキャパシティを遥かに越えて、誰もの網膜を鮮明に焼き付けた事でしょう。


「私が人間である内に」

ああ。
君の赤い紅い、血の色に熟れた瞳が僕を映さない現実に眩暈がしました。

ああ。
その表情を絶望に染めるのは僕だけだった筈なのに。もしも約束を守ってくれたなら、獅子と女神が交わる夜に再び出会えたなら。

「グレアム?」

人としての理性など持ち合わせていない穢れた僕は、与えられた頭脳と能力を以て君を手に入れたのに。
君から求めてやまなくなるよう魔法を掛けて。僕と言う魔物を手放せなくなる様に、いつか。


「グレアム、ね。だから何だと言うのか、君達は。何度も同じ事を言わせないで欲しいものだ」

吠える異国の人間を見た。
過度の出血で崩れ落ちた金色を見た。

「『それ』を離せ」

祈る様に小さな子供を抱く黒髪の子供、呆然と見つめてくる赤毛の子供、微動だにしないプラチナ。

「…脆弱にして愚かな人間共よ」

笑う誰かの声を聞いた。
ほら、だから内緒だと言ったのに、と。
詰る様な、揶揄う様な。



「その身を以て贖え」



ああ。
闇を垂直に貫く白い稲光が見える。真っ直ぐに真っ直ぐに、まるでそれはチェスの駒。

僕は、君の名前が知りたかっただけ。













「失敗だ」

お通夜ムードの不良達が見える。
その中心に小さなノートブックを覗き込んだ眼鏡が見えた。痛々しい程の金髪に所々黒ともグレーとも付かないメッシュが混じり、手首のアクセサリーと同じくメタリックカラーの黄色い眼鏡を掛けているが、明らかに真面目な生徒ではなさそうだ。

「Soledio(太陽神)総受け計画その5、突如現れた『着物野郎』により順調に失敗」
「班長、日本語可笑しいよ。失敗に順調なんて変」
「このままじゃあ、馬鹿猿班に丸投げだろーがアホー」
「「「すんませんでした!」」」

スヌーピー集団が一斉に土下座する。呆れ顔の北緯は煌びやかなコミックスを片手に溜め息一つ、舌打ちせんばかりの隼人を見た。

「リストアップした攻め候補だけど、一位神帝、二位光王子の時点で無理があり過ぎるよね」
「俺様攻めが少な過ぎるんだからあ、仕方ないでしょー」
「三位朱雀の君、は、行方不明だし。副長はリストアップしたら暴れそうだし…」
「ダメダメ、ユウさんには無理。ありゃ俺様じゃなくてただのワンコ攻め」

何せ俊を容赦なく説教する平凡の皮を着た『鬼』疑惑が相手だ。最近では何処で仕入れたのか、教鞭を振り回し尻を叩かれる始末。


時に勝手に引退表明した某総長だが、カルマだけに留まらず全ての不良からスルーされていた。何せ昔から大きな喧嘩が起きると決まって、


『俺はもう駄目だ』
『駄目な男なんだ。ダメンズなんだ』
『暫く修行の旅に出る。探して下さい』

などと、自己嫌悪を引き摺って引退しようとする。いや、探して欲しい所を見ると落ち込んでいるだけだろうが。
とにかく喧嘩した後やら佑壱に叱られた後やら、毎回家出宣言するカルマ総長の引退発言など何の効果もなかった。


なので。
帝王院学園に棲息する不良達は一致団結、期間限定『新総長』を総長ならぬ総受け化計画を立てた。
実際の稼働日は来週の日曜だ。日曜は日曜で町中の不良達によるデモンストレーションがある訳だが、それは顔を知られている帝王院学園の人間には参加出来る場面が少ないので割愛しよう。


「下駄箱にラブレター計画は親衛隊の馬鹿共が余計な世話焼いた所為で、脅迫状と勘違いされっし」
「ユーヤさんに内緒でエルドラド動かしたら、負けて帰ってくる有様か」
「何なの!あんなチビ相手に馬鹿なんじゃないの!」
「なら班長直々に動いたらどう?」
「…すいません」
「結局アンタも山田太陽が苦手なんじゃない」
「む〜、だってさあ」

ぱたん、とパソコンを閉じた隼人がわしわし頭を掻き、


「フッツーなんだもん、なあ」
「普通、ね」
「だって俺らですよ?カルマのイケてる隼人君ですよ。フッツー、知り合いになったら涙流して喜ぶんじゃないのお?」

カルマに入りたい男は後を絶たず、隼人に抱かれたいと言う人間も少なくない。モデルを始める以前から、だ。

「なのに。…変な奴なんだよねえ。ボスに取り入ろうとしてる様には見えないし」
「総長を殴る奴だからね」
「馬鹿でチビで不細工…ではないけどジミーの癖にさあ」
「緑茶片手に溜め息吐いてる様な若年寄りだからね」
「なんか、ねえ」
「ヤり逃げして傷付けるのが可哀想になった、って?アンタが言うの?」

歯に衣を着せない北緯にスヌーピー集団が痙き攣り、些か眉を吊り上げた隼人が小さく舌打ち一つ。
まともに着ていない制服のネクタイを弄びながら、

「最初は本気で犯してやるつもりだったのにー。慣らして油断したらパクっと一口、泣こうが叫ぼうが人間不審にして、」
「学園から追い出すつもりだった、でしょ。ケンゴさんはまだそのつもりみたいですけど」
「アイツがさあ、感情剥き出しにしてんの。面白そうだったしねえ」

思い浮べるのは屋上から盗み見した叶二葉の表情。初代外部生を排除しろ、と言ったその口で、傷付けた健吾を恐らく殺すつもりだった狂暴にして矛盾した男の。
西指宿の腕が未だに使い物にならないのを知っている。義理の兄の右腕に刺さった矢は、間違いなく健吾の心臓を狙っていた筈だ。但し、健吾が避けるのは計算済みだろう、が。

「教師に呼び出させる計画も何故か失敗してるし、一班五回まででしょ。俺らはどの道終了だよ、班長」
「次は馬鹿猿班、か。…まだマシかねえ」
「カナメさんは総長命令でもない限り、こんな下らないイベントには参加しないから」
「カナメちゃんは無関心だもんねえ」

溜め息一つ、立ち上がった隼人が頭を掻いた。健吾の班と言えば揃い揃って喧嘩好きのカルマ最強班だ。頭脳派揃いの諜報とは違い、一般離れした身体能力の人間が揃っている。
先陣を駆ける健吾は言うに及ばず、工業科を統べる3年3人組が問題だ。娯しい事には命を懸ける、叶二葉に似た思考回路の持ち主ばかり。

「出来るだけ猿共の邪魔すんぞ」

呟けば、北緯だけが目を細めた。
五回。五回失敗すれば、作戦は健吾の手から離れてしまう。日曜までに五回失敗すれば最後だ。日曜まで、せめて日曜まで健吾の行動を制限出来れば。

「馬鹿猿で最後にさせる」
「…日曜までとは限らない気がするけど、ね」
「ボスが満足すれば終了だろ。日曜が最後だ」

この強かに愚かで酷く脆い計画も消える。つまらない悪戯は悪戯のまま、誰にも知られる事なく。
いっそ始めから何も無かったかの様に、


「…ユーヤのタコは動かせんな、全力で」


消えてしまわなければならないのだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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