帝王院高等学校
ツナマヨベーグルは如何っスかー
「閣下ぁ、激し…っ」

正直に言おう。
面倒臭い。それも重度に面倒臭いのだから救われない。絶えず寄って来る相手を振り払うのも面倒だから抱けば、今度は腰を動かすのも面倒になる。
毎日毎日その繰り返しだ。

「しゅん」

忘れる為に繰り返し。
(この呆れるほどの虚しさを)
(蝕み続ける焦燥を)
(喘ぐ他人から目を逸らしたまま)

「しゅん」

そして忘れない為に繰り返し。
(本当に欲しいものを)
(手に入れる為なら未来永劫)
(どんな愚か者にでもなってやる)


「あっ、ぁ、あっあっ、や…ぁ!」
「しゅん」
「日向様ぁっ」

急速に。
それもスピードを落とすと言うよりは完全な停止。突然無重力空間に放り出された様な、突然凄まじい重力に圧し潰された様な、だ。
何事だ、と見開いた眼球が乾く感覚。飼い猫が人間の言葉を喋ったら、きっとこんな心境に陥るだろう。いや、ピヨンは喋る猫だ。あのふわふわな毛並みが堪らない。あのタラコ唇でご飯と言われたら、皆の目を盗んでシーチキンを2缶やりたくなる。

などと、つまらない事を走馬灯の様に考えている場合ではないだろう。

「…」
「光、王子?」

何の前触れもなく熱を失った半身に瞬いて、違和感に気付いたのか小首を傾げる少年を見た。
薄い避妊具越しに他人の粘膜の感触、内壁に包まれた我が身は未だ律動を刻んでいる筈だったのだ。どんなに面倒臭かろうが、吐き出してしまわなければ終わらなかった筈なのに。

「あ、の?」
「興醒めだ。…失せろ」
「え、ぁ…っ」

上り詰める間際で放り捨てられれば、誰だろうと訝しむだろう。不満げに眉を寄せた相手から身を退いて、舌打ち混じりに乱れた衣服を整える。

「柚を呼んでこい」
「っ。失礼します…っ」

暗にお前では欲情しない、と。告げれば涙を滲ませながら走り去る背中。
罪悪感など皆無だ。ひたすら真っ直ぐ思慕を向けてくる相手を、一度でも抱けば普通情が湧くものではないのか、と。いつか考えた事がある。女より男の方がリスクが少ない分も考慮した上で、相手には不自由しない環境は喜ばしいものだった。
昔はまだ、男より女の方が抱く回数が多かった気がする。


『人魚姫は本当に不幸だろうか』

派手な女遊びを知られれば嫌われる気がしたから。可愛いな、と余りに嬉しくない誉め言葉を惜しまず注いでくれる手に縋る様に。
ずっと。

『泡として消えても。彼女は好きな人の傍でずっと、彼を守るだろう。広い海の一部として』
『あんな馬鹿王子を〜?違うんじゃない?きっとさ〜、人魚姫は恨んでると思うんだ〜』
『そうかも知れないな』
『でしょ〜。でもシュンシュンってばロマンチストなんだね〜。そんな所も好き〜』

欲がある。
見守るだけの愛など要らない。他人を不幸にしてでも手に入れたい望みがある。人間の貧しい欲だ。


「宜しいでしょうか、サブマジェスティ」
「…お前か」

微かな気配に目だけ向けて、ブレザーの内ポケットから取り出した煙草を咥える。この学園でそれを咎める人間は居ない。

「執務室へお戻り願えますか」
「は、仕事ならあの性悪ワーカーホリックにやらせとけ。目を離せばストーカーしやがるからな」
「マスターではなく、マジェスティの承認印を」
「だったら奴を呼び付けりゃ良い。腐れサボり魔を」
「畏れながら、俺には陛下の回線への交渉権限がありません」

たった半年前までは。
ビールを舐めただけで卒倒する人が居たのに。

「…ちっ、テメェが執行部じゃねぇっつー事をつい忘れちまう。面倒臭ぇ、承認してやっから自治副会長にでも収まれや東條」
「いえ、お心だけで」
「図書委員長なんざ名ばかりの雑用だろうが。欲がねぇ奴だな、お前」
「買い被り過ぎですよサブマジェスティ、…欲ならあります」

手に入れる為なら未来永劫、何でも出来ると思っている。この考えは変わらないだろう。
誰を不幸にしようとも、


「へぇ、何が望みだニルジオ。先月代替りしたらしいな。葬式は行ったのか?」
「お耳汚し申し訳ありません。所詮見知らぬ他人と同じ、日本での暮らしの方が圧倒的に長いので」

例えば。
目前の何を考えているのか判り難い後輩の様に。同じ匂いがするこの男もきっと、全てを犠牲にする覚悟と無慈悲さがあるだろう。今の今まで大切にしていたものを容易く放り捨てる、決意が。

「父親の葬式くらい出とけ。その程度の休暇、ウエストが喚こうが俺様がくれてやる」
「恐縮です」

だから気に入られているのだろう、あの無慈悲な神から。

「北はお前の領土か。ハラショ、蟹とキャビアが食いたけりゃお前に胡麻擦る必要があんな」
「ご冗談を。俺はサバーカ、忠実な犬です」
「犬、ねぇ」

恐らく失言に気付いただろう後輩が、表情を変える事はない。分厚い面の皮は二葉に通じるものがあるな、と目を細めて、火を点けたシガレットを吸い込んだ。


「なぁ」
「何か?」
「いや、何でもねぇ。…承認印だったな、それか?」
「はい」

東條の手から書類を受け取り、普段は付けていない指輪を、首元のチェーンを引っ張って摘み出した。右中指の指輪を取り外し、チェーンに通した太めの指輪と重ねる。

「朱肉は」
「こちらに」

胸元から朱肉の箱を取り出した東條へ頷いて、2つの指輪を重ねたままインクに押し付けた。
複製や盗難を防ぐ為に、会長副会長の承認印はこうして2つに分けられている。一瞥しただけではただの指輪だが、重ね合わせるとリングの一部分に印影が現れる仕組みだ。
また、神威の指輪、日向の指輪、二葉の指輪、佑壱の指輪。中央委員会執行部の指輪を4つ重ねると、帝王院学園章の図柄が現れるのは一般の生徒でも知られている。

「はい、確かに賜りました」
「テメェも苦労すんな、大体そりゃ自治執行部の仕事だろうが。ウエストはまた遊んでんのか」
「恐れ入ります」
「ちったぁ説教、」

軽く頭を下げた東條を引き寄せて、手渡す筈だった朱肉を放り捨てた。
今の今まで日向が立っていた位置に刺さるボーガン、自分と大差ない東條を植え込みに投げ飛ばして跳ね避ける。また、刺さる弓矢。

「閣下!」
「ちっ、失せろ東條!邪魔だ」

バックステップで後退る度に、スレスレで刺さるそれは明らかに日向を狙っている。一発目の矢は東條諸共狙っていたのだから、相手はまともな人間ではない。
珍しく声を荒らげた東條から離れる様に立ち回り、裏庭へ裏庭へ走った。

「ちっ、くそが」

暫し走り抜けて立ち止まり、矢の攻撃が止んだ所を見ると、どうやら離宮の何処かから狙撃されたらしい。
中央キャノンの東端に居た日向を狙うには、北東キャノンか南東キャノンだ。後で鑑識させれば確実な位置が判るだろうが、どの道犯人は逃がしただろう。

「プライベートライン、」

言ってから、手に何も持って居ない事に気付いた。朱肉を放り投げた時に、指輪も放り捨てた様だ。
印鑑部分の指輪はチェーンに通していた為、ちゃんと胸元に漂っていたが、IDチップが入った指輪がなければ通信回線を開く事も不審者を追跡する事も出来ない。失態だ。

「英国の奴らか、組関係か。…ちっ、思い当たる節が多過ぎんな」

こんな事は日常茶飯事だ。
学園の中まで狙われる事は今まで無かった分、僅かばかり油断していた己に腹が立つ。場所が場所だけに銃や爆弾を使う事はないだろうが、部外者の東條を巻き込まれて判断力が低下した。

「くそが」

せめて誰かに連絡せねば、と。舌打ちし掛けた時に、左薬指に気付いた。
訳もなく息を呑む。後先考えない大馬鹿野郎が残したプラチナには、金のラインが三本。会計と書記を示すものだ。

「…」

声を真似れば回線が使える。
例え不正利用が露見しても、緊急事態だと言えば日向を咎められる人間はいない。例え、これが書記の指輪だろうと。

「ちっ」

グシャグシャと頭を掻いた。
ただの書記なら悩まず使ったに違いないが、要らないオプションさえなかったらの話だ。

「グレアムにも通じんだろうな、これ」

敷地内だけで使えるただの指輪なら。トランシーバーより少しだけ発達しただけの、携帯端末なら。

「あーあー、畜生。…見付けたらぶっ殺してやる」
「んだと?」

苛々と左手で頭を掻きながら、ボーガンの犯人へ恨み言を宣えば。
すぐ真横から声を掛けられて、ぴたり、と。また、曰く飼い猫が目の前で喋った時の様な心境に陥った。
中央キャノンの西端、特殊学科が支配する南西キャノンを目前にしたこんな場所に。誰が居ると思うのか。

「な」
「危ねぇな、テメー。飛び降りた瞬間誰か居たからビビっちまっただろーが、謝れ」

ふわふわなドーナツを齧ったまま器用に吐き捨てる、嫌味な面構え。日向より僅かに低い位置に偉そうな双眸があり、小憎たらしいくらい傲慢な双眸は流れる髪と同じく灼熱の色を纏っていた。

「…あ?ンだ、怪我してんじゃねぇか淫乱」

左手で咥えたドーナツを掴み、無駄にデカいバスケットを下ろした右手が伸びてくる。頬を撫でて離れた指先に、赤。
恐らくそれは自分の血だろう。

「何かあったのか?別にどうでも良いけどよ、どうせまたホモの修羅場だろ。俺を巻き込むんじゃねぇぞ、ホモめ」
「いつ俺様がテメェを巻き込んだ馬鹿犬が」
「たった今だハゲ」
「あ?」

ぱくっと残り半分のドーナツを一口で頬張った佑壱が、ゴキンッと凄まじい音を発てる。少しばかり首を傾げただけで鳴く骨は、明らかに穏やかな音ではない。


「出て来い雑魚共!この俺が誰だか判ってんならなぁ!」

背後へ叫ぶ佑壱に弾かれた様に振り返れば、ガサガサと黒服達が現れる。見覚えが無い男達は揃ってサングラスを纏っていたが、日本人ではないのは一目瞭然だ。

「逃げ場はない」
「お命頂戴しよう、サー=ベルハーツ」

ほれ見ろ、と言う佑壱の恨めしい目が刺さるのが判る。お前の所為で巻き込まれた、と無言の重圧。
思わず此処に居ない二葉に八つ当たりして、然し先程の様に後輩を庇うべく背を向けたりはしなかった。必要ないからだ。東條は寧ろ足手纏いと言った方が相応しいだろう。

「掛かって来い、カスが何人束になろうが関係ねぇ。…光華会三代目若頭、この俺様が叩き潰してやらぁ」
「まぁまぁ、そうカリカリしてねぇでツナマヨベーグルでも食えや」
「むっ」

一触即発の雰囲気を台無しにしたのは佑壱だ。
獰猛な雄の眼差しで黒服を威嚇していた日向の口に、レタスとツナマヨがたっぷりはみ出たベーグルを無理矢理放り込み、ぐぐっと押し込んで宣うに、

「どうだ美味かろう」

そんな状況ではない。
文句が言いたいのに口の中の事情で唸るしか出来ない今現在、舌打ちすら出来なかった。

「暴力からは何も産まれないのだよ、君達」

お前誰だと言う台詞を悟った様な表情で吐き捨てた佑壱のポケットから、煌びやかな文庫本が見える。俊から渡された課題だが、それを知らぬ日向の眉が目一杯寄ったのも致し方ないだろう。
BL本を読む度にストレスが溜まる嵯峨崎佑壱17歳は、感想文も新作小説も書かなければいけないと言う使命感に燃えていた。心待ちにしている読者(一年Sクラス一同)と愛する総長の為に、ストレスが溜まろうとBL本を読まなければいけない、あ、ストレス発散には料理、ならば調理室で読めばストレスが溜まっても発散出来るじゃない一石二鳥一挙両得。流石俺、完全無欠。

四字熟語マスターの彼は今や、〆切に追われた作家気分だ。アルバイトで翻訳をしているのも原因だろう。


「愛は地球を救うのだよ諸君、左席運営費の為にドーナツ一個百円、ベーグル一個二百円で如何っスか?会長命令で薄利多売が信条なもんで」
「びゃきゃひゃ!」

馬鹿か、と叫んだ日向の口には無駄にデカい良心的お値段のツナマヨベーグルが未だ詰まっている。つつつ、と手を差し出してきた佑壱が二百円と呟き、バチンと叩き落とせば目に見えて落ち込んだ。

「副会長の癖に無銭飲食した。俺には商売の才能がないんだ、レジ打ちしたらレジ爆発するし。消費税の計算したくても計算機爆発するし。もう良い、ふて寝する」
「おいっ」
「ぐー」

大きな籠を枕にガチの鼾が聞こえてきた。いや、最初から何だか違和感があるとは思っていたのだ。目の下には隈があるし、いつもなら喧嘩を売って来た筈なのにベーグル喰わせてくるし。

「この状況で寝るなクソ犬が!寝るなら中入ってろ!」

飛び掛かってきた黒服達を相手にしつつ、健やかな寝息を発てる佑壱へ叫ぶ。起きやしない。
黒服の一人が佑壱に近付いた。無意識にブレザーの内ポケットへ伸ばした左手が、目当てを掴む前に。


「何で邪魔するの、お前」

ぱちり、と瞼を開いた男の手が、黒服の脚を掴んだ。日向が眉間を押さえたのも致し方あるまい。
完全に寝惚けているのが判る。

後はもう、阿鼻叫喚だ。
目も当てられない。


「Give a hell, fucking you.(地獄に落ちろ、雑魚共)」

暴力からは何も産まれないのではなかったのか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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