帝王院高等学校
拝啓、スイカを求めて三千里。
それは前髪をヘアピンで止めたデコ丸出しのオカン、嵯峨崎佑壱の一言から始まった。

「一つ疑問がある」
「イチ先輩の髪型が既に疑問なんですケド」
「ふ、可愛かろう。存分に見つめろ山田」

勝ち誇った表情のオカンを、塩っぱい平凡の目が見つめたのも致し方あるまい。因みに長閑な朝飯風景IN一年帝君部屋だ。
何やら不機嫌通り越して今にも氷河期を迎えそうな庶務の低気圧には気付かず、右手に握ったお箸で隼人が狙っていたエビフライを奪い、左手で分厚いBL雑誌を読み耽る器用なオタクが眼鏡を虹色に煌めかせている。

「ハァハァかわゆいにょアキトきゅんハァハァ平凡受け萌っ!ハァハァハァハァそんなアキトきゅんに無意識に恋しちゃってる俺様会長萌ぇえええいっそ抱いてぇえ!!!ハァハァ」
「テメー何様だボケっつー高坂みてぇな野郎が黄土色…オードー?生徒会長っつーのは何となく判ったんスけど、一般の生徒会っつーのは選挙方式なんでしょ?うちと違って」
「ハァハァああっ、アキトきゅんに横恋慕しちゃう副会長!いつもの腹黒さも恋の前では無意味!」

全く話を聞いちゃ居ない俊の隣には、日本昔話張りに盛られた白米を光の速さで胃に収めた神様会長の姿がある。無言で空いた茶碗を佑壱に差し出し、やはり無言でお代わりを求めていたが、セルフサービスと目も向けず吐き捨てられた様だ。

「あ、俺ちょっと部室行って来る。昨日充電器忘れてきたから」
「じゃぁ僕も行くよぅ」

だからと言って神威が凹む事はない。見事なしゃもじ捌きで山盛りのご飯をよそい、溌剌と納豆を掻き混ぜて佑壱に嫌がらせしている。
佑壱は納豆の匂いからして大嫌いらしい。しょぼい嫌がらせで機嫌を直したかに思われたが、神威の黒縁眼鏡は相変わらず今にも雷鳴を響かせそうなほど曇っていた。

「大丈夫だって、高野達と待ち合わせしてっから。部室の合鍵持たせてるし…勝手に作ってただけとも言う」
「寮も安全じゃなぃんだよぉ。一人になったらぁ、駄目ぇ」
「モードチェンジで直通なのに。桜って心配性だなー」

左席委員会権限により、どう言う仕組みかは未だに判らないが寮から校舎までエレベーターで行き来する事が出来る。瞬間移動かどこでもドアか、エレベーターに乗ること数分で部室直通だ。
俊は既に使った事があるらしいが、隼人に説明されても良く判っていないらしい。どこでもドアの正式名称はモードチェンジと言う。自治会役員以上に許された特殊権限だ。一般の生徒には使えないらしい。

「そうそう、副会長が叶並みに二重人格で腹黒で破壊的に性悪なのも何となく判ったんスけどね」
「ハァハァ、王道転校生なんかに構ってるから会長に負けちゃうにょ!」

通信システムすら理解しているのか甚だ妖しいオタクは、太陽が出ていく背中を見送り、鋭く舌打ちを零す。然し再びBL雑誌に目を落とし、黒縁眼鏡をレインボーに煌めかせた。

「あっ、ワンコ書記がアキトきゅんにっ!この野郎っ、寡黙な癖に美味しい所を持って行きやがる!流石ですっ」
「何かすいません俺が書記で」

俊の尻の下に分厚い原稿用紙の束が見える。クリップで閉じられたそれは、掛け算すら怪しい癖に世界各地の言葉を理解出来ると言う右脳の天才にして機械音痴なワンコ書記が執筆したものだ。

「ご飯お代わりー」
「三杯目ですよハヤト、ほっぺに米粒が付いてます。死んで下さい」
「やだ、ほっぺとか言い方がかわゆいカナメちゃん。一発いっとく?」
「死ね」
「ツンデレなんだから」
「殺す」

小競り合いを始めた二匹を余所に、オタクの尻の下。渡されたBL本の感想文と、余白を埋める為の短編小説がぎっしり並ぶそれは、今や一年帝君部屋だけに留まらず、コピーされて一年Sクラスの本棚にも並べられている。一年Sクラス生徒達の愛読冊子だった。

「で、何が疑問なんですか副長」

唯一佑壱の話を聞いていた北緯が可愛らしく首を傾げ、桜お手製うさぎ饅頭を頬張る。

「うちの生徒会にゃ双子が居ねぇ」

オタクの眼鏡がヒビ割れた。
因みに神威の眼鏡にもヒビが入った。

「ふたご!」
「…迂濶だ」
「ふたごォオオオ!!!」
「由々しい事態だ。俺は直ちに出掛けてくる」

バルコニーから叫ぶ俊や光の速さで消えた神威を余所に、オカンは好物のビーフジャーキーを貪った。

「ナミオ、見分けが付かねぇ双子なんざ居るのか?」
「大なり小なり相違点はあるから、一卵性でも滅多に居ないと思う」
「ナミオー、そこのエビフライの尻尾取ってー」
「班長、食べカスにまで手を出さないでよ」











その時、彼は心中で激しく葛藤していた。


「…」

黙々と箸を進める居候達を横に、向かい側の母親が鋭く目を細めた事に気付いてビクッと肩を震わせる。母親の隣の父親は三本目のコーヒー牛乳を一気に飲み干していた。

「何をしている」
「あの…」
「残すつもりならば容赦せんぞ」

そんじょそこいらの餓えた野良犬より恐ろしい低い声音。彼はつい最近まで母親が本当は男なんじゃないかと本気で疑っていた。
何せ一日の大半が剣道着なのだ。近所のオバサマ方が『王子様』と呼ぶ母親は、竹刀を持たせたら見た目が怖い父親を容易く土下座させる。いや、普段は父親を立てる善き妻なのだが、キレると笑いながら竹刀を振り回すのだ。ただでさえ無表情に近い母が笑うなんて、息子ですら恐ろしい。

厳かな食卓。
純和風の料理が所狭しと並ぶ長卓、座椅子に敷かれたペルシャ製の特注座布団に正座した皆は疑問に思わないのだろうか。


松茸ご飯。味噌汁。山盛りの刺身。茶碗蒸し。ヤマメの唐揚げ。松阪牛の炙り。此処までは高級料亭だ。
なのに、チョコレート、ポテトチップス、ビーフジャーキーまで並んでいるのは…何?

「アレク、ポテチお代わり」
「今日のお味噌汁も美味しいです、叔母様。やはり赤出汁は貝ですね」
「…」
「枢機卿、余程納豆がお気に召した様ですね。そんなに熱心に掻き混ぜたら、ポリグルタミン酸が一層ネバネバを増すでしょう」
「サー=ルーク、納豆には芥子が合う。ひま、口元にポテチが付いてるぞ」

お子様味覚の父親は、ポテチやらチョコやらで飯を食べる変人だ。一心不乱に納豆を掻き混ぜる銀髪は、明日には飽きているだろう。無関心そうな彼は変な事に興味を示すが、酷く飽きっぽい。
が、その時の少年はそれら全てが可笑しい事だと知らなかった。何せ食卓に並ぶ誰もが異議を唱えなかったのだから、産まれてこの方六年、この屋敷で育った彼に違和感など気付く筈もない。

家が極道だからか、常に大人に囲まれた彼に友達も居ない。
幼稚園では園児だけに留まらず、先生達にまで腫れ物に触る扱いを受け、今や登校拒否だ。一応、山の中にあると言う私立学校にこの春から籍を置いてはいるが、実際は雇われた家庭教師が毎日やってきて彼の勉強を見ている。
だから小学校へは入学式にすら行っていない。

「ひな」
「は、はいっ」
「残すつもりか」
「ぃ、ただきま、す」

右隣で微かに笑う気配がした。
キッと睨めば、涼しい横顔が俯いて、口だけで「馬鹿」と言った気がする。ムカつく事この上ない。
隣の性格最悪男は、つい先日いきなりやってきた居候その1だ。もう一人の居候は未だに良く判らないマイペースさだが、コイツは違う。

母親曰く、従兄弟と言うらしい。

日向と誕生日が近く、一人っ子である日向にとっての兄弟として仲良くしろ。と言うのが両親達の言い分だ。
仲良くしろも何も、初対面で投げ飛ばされ踏みつけられた恨みは一生懸かっても忘れられそうにない。無理だ。こんな性悪、どうしたって仲良く出来る筈がない。

「日向君、ジャーキーが残ってますよ。要らないなら、僕が食べてあげましょうか」

何が日向君、だ!
普段は糞餓鬼とかそこの馬鹿とか金髪とか言う癖に!

「気遣いは無用だよ二葉、甘やかすのはひなの為にならない」
「嫌だな叔母様、叔母様の手料理があんまり美味しいから我慢出来なかったんです。日向君の為じゃなくて、僕の卑しさですよ」
「ふふ。お代わりなら幾らでもあるから、たんと召し上がれ」
「有難うございます。僕にも叔母様みたいなお母さんが居たらなぁ」
「二葉…。私はお前も息子だと思っているよ」

何がボクだ!
畜生っ、お母さん達の前でだけイイコ振りやがって!トイレの電気わざと消したり靴の中にミミズ入れたりする癖にっ!

礼儀を何よりも重んじる誰よりも武士道精神に富んだ母の手前、言いたいけれど口を閉ざすしかない。悪口のフラストレーションは確かに蓄積されて行った。
余り上手とは言えない日本語は、二歳の頃に誘拐されて暫くイギリスで生活した為だ。漸く喋れる程度の幼児に、日本より厳格な国の親戚達はこぞって教育を施した。

たった数ヶ月、らしい。
鬼の様に怒った母親と、その母親以上に怒った父親と組員達によって助け出された時の記憶はない。ただ安堵感だけは覚えていた。
いつも恐ろしい顔をしていた義理祖母の記憶も微かにあるが、何より、両親達に救い出されていなければ死んでいた状況だったらしいので、凄まじい恐怖の中に居たのだろう。だから前後の記憶を無意識に忘れてしまっても仕方ないと言えば仕方ない。
未だに毎月精神科の医師がやってきて、カウンセリングを施していく。外に出られるほど回復したのは、四歳の誕生日を迎えてからだ。

「ご馳走様、でした」
「ひなちゃん、後で一緒にお風呂入ろう」

呑気にチョコが乗ったご飯を掻き込んでいた父親は、好きだ。何せ母親の様に勉強を強いたりしないし、サッカーボールが欲しいと言えばトラック一杯買ってくれる。
でも、いつまでも父親と一緒にお風呂に入ったり、苛められたと泣き付いて居てはいけないのだ。幼稚園に行かなくなった一番の理由は、『似てない』と笑われたから。
金色の髪も茶色い目も、全部。黒髪の父親にも青い瞳の母親にも似てない、から。捨て子、と幼稚園の誰かが言った。


捨てられていた子供をヤクザが拾った。
いつかまた捨てられる。
だってヤクザだから。
あんな子と一緒に遊んではいけません。
ヤクザの子供なのよ。


人間なんか皆、嫌い。
屋敷の大人達は大好きだけど、他人は皆、大嫌いだ。仲良くなった子も居たけど、親が遊ぶなと言えば誰もが居なくなった。
公園だけの友達も、自分の学校の友達と遊んでいる時は遊んでくれない。夏休みになれば毎日。結局、一人。

「暑いなぁ、今夜は」
「明日はもっと暑いらしいぜ」
「坊っちゃん、明日はスイカでも食べましょうや」
「いつだったかスイカ割りしたいっつってたでしょ。2つ仕入れて、庭でスイカ割りしましょう」
「公園で遊んだ後は喉が乾くでしょうしなぁ」

見た目は怖いけど。皆こんなにも優しいのに。他人はヤクザだからと言って近づくなと言う。

「プールにも海にも行けねぇワシらを許しておくんなせぃ、坊っちゃん」
「ワシらは水着が着れねぇ体でしてなぁ」

何が正しくて何が悪いのかは判らないけれど。六歳でも判る。悪口は、それを言った方が悪いのだ。

「明日は勉強が終わったらサッカーの続きをやんます。プールは別荘に行けばいつでも入れます!」
「坊っちゃん…!」
「何と健気な!」
「サッカーは明るい内しか出来ないので、スイカ割りは夜します。新しく出来たスーパー行きます」
「ワラショクですね、坊っちゃん」
「町内会のヨネさんが言ってました。6時過ぎたらワリビキシールを狙うです」

吹き出した二葉が腹を抱えて転げ回っているのを睨み付けて、何と庶民的な、と感涙に噎び泣く組員達に胸を張った。

「黄色いスイカ、あるかなぁ」
「スイカは赤ですぜ」
「赤の方が甘くて旨いんですぁ、坊っちゃん」

家の中は幸せだ。ビーフジャーキーは固すぎて好きじゃないけれど。
公園の中は楽しいけれど、他人達の嫌な目があるから。





「あれ?」

夕暮れ時の町内。
オレンジ色の空の下に、それは現われた。サッカーボールを抱えて、真新しい擦り傷に絆創膏。背広を脱いだ組員達の暑いコールを聞きながら、橋の上には牛若丸ならぬ、


「危ないよ!」
「What?」

聞こえたのは英語。

「Watch out, you'll fall down!(落ちちゃうよ!)」

だから同じく英語で叫べば、夕暮れに溶ける赤い髪を靡かせた体躯がふわり、と。舞い降りた。

「ねぇ、義兄様を知らない?」
「え?」
「義兄様を探してるの。セカンドだけ連れてくなんて、酷い義兄様」

まるで天使の様に。

「ねぇ、知らない?」
「知ら、ない」
「そう」

燃える様な赤。
海や空を固めた様な蒼。
それら全て、この世のものではないかの様な儚さを秘めて。

「もし誰かに聞かれても僕の事を話しちゃ駄目だよ。セカンドはきっと、近くにいるから」
「う、ん。言わないよ」
「左目が蒼くて、右目が碧い。悪魔を見ても、嬲られても。言っちゃ駄目」

意味は判らなかった。
まるで催眠術に掛かったかの様に頷けば、微笑んだ天使が背中を向ける。

「そうだ、これあげる。美味しいよ」

微動だに出来なかった。組員達の呼ぶ声が聞こえた様な気がしたのに、ただ。渡された包みを握り締めたまま、


「赤いスイカ、買わなきゃ」

包みの中に入っていたビーフジャーキーが、好物になったのはその直後だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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