帝王院高等学校
魔王裁判は容赦無しでございます
「弱りましたねぇ」

その声だけが支配した空間。
最奥の脇にパイプオルガンが見られるが、血に濡れた男は一瞥にもしない。
パイプオルガンに腰掛けた少年がカタカタと小刻みに震えている。但しその少年はオルガンを演奏する為に存在している訳でも、縛り付けられ立ち上がれない訳でも無かった。

「マ、スター、お、お許し下さ…」

血の気を失った表情は哀れなほど白く、元々白い肌を尚蒼白させている。血塗れの男は血に濡れた頬を白い手袋で拭い、不思議げに首を傾げた。
謝罪の声が小さな波の様に寄せては返す。広いホールの中央、崩れ落ちた大人達が何度も何度も。

「いつ私が許しを乞えと言いました?」

それが誰に向けた台詞かは知らない。

「ぉ、お許し下さい閣下!」

ただ、叫んだ。この異様な雰囲気から逃げたい一心で。

逃げたのだ。
必死で、逃げたのだ。
閉じ込められた懲罰棟から、少年の財力で集めた不良達を使って、密かに。
どうせ処罰されてしまうなら自主退学しよう、と。両親に縋って違う学校に転入しよう、と。
金と体目当ての不良達が暴れ回っている内に、換気口から脱出する事には成功した。但し長く細いダクトから出た先は、地下の廃棄物処理エリアだった様だ。

異様なフロアに震えながら、それでも外を目指して歩いた。駐車場まで行けば、雇った人間が車を用意していた筈なのだ。
後は何処にでも行けば良い。学園から一歩出てしまえば、もう。恐れるものはない。身の安全は法律が守ってくれる筈だった。だから、やっとの思いで此処まで辿り着いたのに。


「おや、まだ居たんですか君は」

今頃気付いたかの様に振り返った美貌が、何処までも柔らかく微笑む。
必死で辿り着いた先、地下とは思えない巨大なホールには黒装束の男達が居た。こそこそと密談している光景に興味と恐怖、明らかに学生ではない彼らが気になっただけ。

扉の隙間から覗いていた少年の肩に、それは触れた。
覗き見はいけませんねぇ、と。鈴を転がす声音で。ホールに群れていた大人達が一斉に振り向いた。


後は、地獄。
半狂乱に陥った大人達が、次々に倒されていく。逃げようにも先程まで覗いていた扉の内側にいつの間にか飛び込んでしまった少年は、扉が分厚いシャッターで見えなくなっている事に気付いた。
恐ろしい争いから逃げる内にシャッターとは真逆の方向へ逃げ延び、パイプオルガンの椅子に躓いて。もう、逃げ場など何処にもない。

「余計な話を聞かれてしまった様ですねぇ、よもやただの生徒に」
「お許し、を!マスターっ」

数人の男達が苦しげに繰り返す。異様な雰囲気が少年の肌を貫いた。
無意識にごめんなさいと呟き、カタカタ震える体を抱き締める。目の前で優雅に微笑む男が、愛しい人と同じ帝君次席である筈の彼が、恐ろしくて仕方なかった。

「高坂君の忠告を聞かず、愚かな行動に出た君は懲罰棟で反省するべき咎人」
「ごめん、なさ、ごめんなさいごめんなさい…」
「地下への立ち入りは許可が必要だと。知らない筈はありませんよね?」

可笑しい、と。
今更気付いた。崩れ落ちた大人達には傷一つ見られないのに、何故、この男はこんなにも血塗れなのだろう。そうだ、始めから血塗れだった気がする。

「普通科へ降格した君は、自主退学するつもりだったのでしょう?逃げる手筈を整えていたくらいですからね」
「そ、んな…違う!違いますっ、僕は!」
「残念ながら君のお仲間は誰一人君を待っては居ませんよ」

まさか、と。
漸く気付いたのだ。可笑しい筈だ。確かに始めから準備を重ねてはいた。問題を起こせば必ず懲罰棟に入れられて、それから処罰が決まる。だから懲罰棟を調べに調べ、換気ダクトから出られる事を知ったのだ。
けれど。余りに簡単過ぎた。今になれば判る、余りに簡単過ぎたのだ。

地下に警備員が居ない筈がない。懲罰棟の監守が追ってくる気配もなかった。学生手帳は叩き折って捨てたから、カード反応を見て自分の現在地を調べる事は不可能だった筈なのに。

「気持ち良かったでしょう?風紀の目を盗み、一時だけでも逃げ延びた気分は」

今頃気付くなんて。
そうだ、違うのだ。始めから、此処に追い込まれていただけ。

「君は爪が甘過ぎましたねぇ。校外へ出れば救われるのだと思っていたのですか?Sクラスの生徒に手を出して、五体満足で居られると」
「ど、して…だってあんなっ、あんな奴居なくなれば良い!左席は皆様の邪魔でしょう?!光王子にあんな無礼を働いて!っ、閣下にも!アイツはいつも暴言をっ、」
「はい」

トスっ、と。軽い音がした。
恐る恐る横を見れば、パイプオルガンに鋭いナイフが刺さっている。

「お口チャックしましょうか?」

つつ、と頬を伝う冷たい何かは冷や汗ではないのだ、と。爆発しそうな心臓を押さえる事すら出来ない。

「君の罪を振り返ってみましょう」

逃げ場など何処にもない。
唯一の扉はシャッターの向こう、恐らく駐車場で待機している筈の人間達は、目の前で微笑む男を赤く染めた。
生きているのかさえ判らない。生きて帰れるのかさえ判らないのに、今は。

「被告人、二年Aクラス八代楓。罪状、進学科エリアへの不法侵入。及び進学科生徒への暴行未遂」
「ぃ、や」
「また、進学科生徒への多岐に渡る嫌がらせ行為」

少年には愛しい人が居た。
西指宿麻飛、誰よりも自信に溢れた凛々しい男。彼の為なら何でも出来るのだ。彼の邪魔になるものは全て葬るつもりなのだ。
許せなかった。愛しい人を狂わせたあの生き物が。何の取り柄もない平凡な顔、特に目立つ要素もない癖に何故か自信に満ちたあの生き物が。

「加えて懲罰棟からの脱走」

特に過激な光王子親衛隊が動こうとしないから。代わりにやっただけ。
あの平凡な生き物は、それ以上に嫌われている左席会長を隠れ蓑にしているだけだ。始めは小さかった嫌がらせも、徐々に加速してきた。

「地下への無断侵入。…随分罪を重ねてしまいましたねぇ」

目立たないから。
山田太陽よりも遠野俊に皆の目が向く。嫌がらせの具合も遠野俊の方が酷いから、誰もが山田太陽に気付かない。
今だ、と。思ったのだ。一人になったあの憎い生き物を見た時に。

「留学を傘に海外へでも行くつもりでしたか?校外へ出れば救われるのだと、愚かな考えを」

愛しい人があんな生き物に毒されてしまう前に、あの目障りな生き物を消さなければいけない。金と体で雇った不良達を呼び付けて、じっとタイミングを計った。

ただ待つだけでは気が済まない。テニス部だった少年は常に持ち運んでいたラケットを握り締め、近付いた。あの不細工な顔を滅茶苦茶にしてしまえば、少しは気が晴れると思ってしまったから。
近頃部屋へ呼んで貰えなくなった鬱憤も、降格した腑甲斐なさも、全部。八つ当たりだと知っていたけど、本当は。

「ご…め、」
「反省していますか?」
「ごめ、ごめんなさ、ごめんなさいっ!」

ふわり、と。
微笑んだ美貌の放つ慈悲深い問い掛けに縋り付いた。例えそれが魔王と揶揄される男だとしても、何故彼が慕われるのか判った気がしたのだ。
自分が間違っていた。報われない恋が辛くて、少し前までクラスメートだった友達達には見下されて辛くて、ちっぽけな自尊心が邪魔をして新しいクラスには行きたくなくて。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃっ」
「彼は被害届を出していません。よって、君は暴言未遂の罪を免れる」
「ぼ、僕が間違ってましたぁっ、ごめんなさいごめんなさいっ」
「謝る相手が違うでしょう?」

そうだ。
あの時彼は逃がしてくれた。左席権限を使っていたなら、懲罰棟でのうのうと反省文を書く暇さえなく強制退学だったろう。強制退学させられた息子を、両親はどう思うか。最悪勘当させられていたに違いない。

謝らなければ。好きにはなれないけれど、本人に。卑怯な事をしたのだと、気付いたから。


「まぁ、君が再び彼に会えればの話ですがね」

天使の様な微笑みを浮かべた男の手が、喉元に伸びてきた。何だと瞬く間もなく、尋常ではない力で締め上げられる。

「ぐ、ぁっ」
「気持ち良かったでしょう?私の目を盗み一時だけでも逃げ延びた気分は」
「がっ、ぁあ、かはっ」
「己の罪を恥じ、罪悪感を覚えた今も。心を入れ替えた君は、私の言葉通り謝罪する意識に目覚めた」

苦しい。爪先が浮いている。
目の前には天使の微笑。ジタバタと足掻いた手が、パイプオルガンの甲高い音を響かせた。

「罪を許された気分になったでしょう?逃げるよりずっと、気持ち良かった筈です」
「ぁ、あ」
「不愉快この上ない。…貴様が例え国外に逃げようが、のうのうと見逃すと思ってんのか?」

囁く低い声音が鼓膜を震わせる。白濁していく網膜、酸素を求める肺、暴れる力を失っていく肢体、

「勘違いするな。懲罰棟じゃ手が出せねぇから誘い出しただけだ。敷地内から出ようが、国外へ逃げようが同じ事」

もう駄目だ。と、手放し掛けた意識は、喉から離れた手によって辛うじて取り戻せた。

「うぇ、ごほっ、げほ!」
「風紀の支配下を離れさえすれば、生徒の安寧を保護する義務なんかない。判るか、俺が貴様を守る義務だ」

崩れ落ちた尻、耳障りなパイプオルガン、荒い息遣い、全て自分のもの。

「助けて欲しいか?」

囁く声に必死で頭を振った。過ぎた恐怖と苦しさからただただ必死に、

「ああ、幸せな生き物だな人間は。容易く希望を見出だして、すぐに絶望する。馬鹿な生き物」

腹を踏み付けられる。
見下す男の表情に微笑など欠片もない。

「目障りだ。見逃すと思ってんのか?のうのうと謝罪させるとでも?ああ、謝れればアイツは容易く許すだろう。そもそも加害者を逃がすくらいだ」

息が出来ない。
磔にされた死刑囚の様な恐怖で、もう。

「でも俺は許さない。人は罪を繰り返す生き物だからだ。逃せば必ず同じ過ちを繰り返す。昔から言うだろう、元の木阿弥」

今なら判る。
天使など何処にも存在しない。人間らしい感情など、この男の何処にも存在していない。

「貴様に帰る家はない。八代の名で所有する一切の資産を剥奪した。貴様の両親はとっとと逃げたらしいぞ」

魔王だと。皆が口を揃えた。けれどそれすら相応しくない気がする。クスクス笑う声音を響かせているのに、この無機質な表情を見れば。

「罪状、学園内に於ける重度の冒涜。よって本件は死刑相当とする」

助けてくれ、と。叫んだ所で誰も来ないだろう。そもそもそんな声を出す気力はない。

「但しアキが庇った件を考慮して、生かして置いてやる」

魔王の背後に白衣が見える。にこにこと笑う数人の白衣達が、担架を担いで覗き込んできた。

「マスターネイキッド、こんにちは」
「これが新しいモルモット?」
「好きにして良いの?」
「オジジに言わなくて良いの?」

歌う様な声音。同じ髪型、同じ顔、同じ白衣。まるでクローンの様な男達がにこにこ微笑む光景、

「好きにして下さい。ああ、死んだ方がマシだと思う目に遭わせて頂ければ最高です」
「あらら、マスターネイキッド不機嫌くん」
「あは、マスターネイキッド怒ってる」
「馬鹿な子、マスターを怒らせたら怖いよ」
「でも大丈夫、ボク達が大切に大切に実験してあげるから!」


白濁していく視界。
もう、何も聞こえない。
もう一度だけ愛しい人に会いたかった。



「えげつねぇな、テメェは」

呆れを過分に含んだ声音に肩を竦め、汚れたブレザーを脱ぎ捨てる。ばさり、と。音を発てたその上に、汚れた手袋を。

「汚らわしいものに触れてしまいました。さて、お風呂に入らなければ」
「駐車場を血だらけにすんな。他の生徒に気付かれたらどうすんだよ」
「消してしまえば良い」
「汚れを?目撃者を?」
「どちらも」
「気狂いが」

吐き捨てられた台詞には構わず、ポイポイ脱ぎ捨てて従者から渡されたガウンを纏った。他人の臭いはそれでもまだ、消えない。

「然し弱りましたねぇ」

日向が付いてくる気配は無かった。脱走した生徒の処罰が済んだ彼は、然し同じ台詞を再度繰り返す。
担架で何処ぞへ運ばれた少年の事は最早忘れていた。ならば何を気に病んでいるのかと言えば、偶々見聞きした黒装束達である。

自分の部下ではない、別動部隊。
見覚えがある男達ばかりだったが、気になる事を話していた。彼らが密談を止めた刹那、盗み見ていた少年に気付いたのだ。

「私に何の連絡もなく動いているとなると…些か愉快」

二葉が少年に気を取られている合間に逃げられた。逃げる気配は判ったが追わなかったのは、恐らく神威の手駒だからだ。
何を話していたのか吐かせようと痛め付けたが、彼らはひたすら口を閉ざした。舌打ちしたい気分だ。

「私に隠れて何をしているのでしょう、陛下は」
「閣下、湯の用意が整ってます」
「ああ、お風呂上がりのロイヤルミルクティーもお願いします」
「畏まりました」

この時、殺してでも喋らせれば良かったと。己の失態に気付くのはまだ後の話だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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