帝王院高等学校
遠き誘いの黙示録
塞げば良いよ。

見たくないなら目を閉じて。
(Close your eyes)
聞きたくないなら耳を塞ごう。
(お休みなさいのキス一つ)


思い出したくないんだね。
忘れてしまえば良いんだよ。
だって君は何も悪くない。
幸せになりたかっただけなんだ。
この幸せな日々が何一つ変わらず、そう、不変の日常であればそれだけで良かっただけ。


不便だね。
脳味噌に刻まれた記憶は決して消えない。不条理だと思わないかい?幸せは容易く消え去るのに、記憶は中々消えないんだ。


思い出したくないのかい。
忘れてしまえば良いんだよ。
でも記憶はまるで油汚れの様にこびりついて、じわり・じわり蝕んでいく。

肉体を。
精神を。



(Magician whispered, Doesn't recollection anytime.
  奇術師は囁いた。思い出す必要はないのだと。



忘れてしまえば良い。
でも容易く記憶は消えない。
どうしよう。時間がないのに。
夜が明けてしまう。夜が明ける前に行きたい。
楽園へ。光に満ちた、幸せの国。
逃げよう。逃げよう。忘れてしまえ。永遠に、見付からない様に、どうすれば良い?




「…ああ、そうか。」








き誘いの示録








消えてしまえば良いんだ。







この躯ごと、世界から。










「また逃げましたね」
「こりゃ、逃げたね」
「今回はスヌーピーですか」
「うーん、執務室の上座に座るスヌーピー陛下、シュールだねー」
「突っ込む所はそこですか」
「影武者のチョイスが絶妙だ。犬好きだから、あの人ー」
「他人事ですか、天涯猊下。今日の下院総会は天皇不在になるんですけど?」
「リコールしてやろっかなー、左席会長権限で」
「…本当にすみません。副会長である私の監督不行き届きです」

昔話をしましょうか。
とても幸せだった頃の話を。

「ああ、うん。人手不足理由に風紀委員長まで兼任させてるのに、躾まで頼む訳には行かないし。氷炎の君は悪くない悪くない」
「申し訳ありませんでした坊っちゃん、…次こそは陛下の首だけでも」

逃げ出した親友の執務席に巨大なぬいぐるみ。眼鏡が似合いそう、と密かに有名な長身が拳を握るのを認め息を吐く。

「首だけじゃ働かせらんないでしょ」
「取り乱しました。お許し下さい、大空坊っちゃん」
「あのねー、俺はもう山田の跡取りじゃないんだよ。執事振らなくていいですって」
「何を仰いますか!明治初期から続く使用人家系、小林家の名に懸けて永遠にお仕え致しますとも!」

広い執務室、信頼出来る人間は極僅か。
帝王院の名に群がる虫は後を絶たず、左席会長でありながら一般には知られていない自分は日々命懸けの親友業に勤しんでいる。嫌がらせを数えればキリがない。

「日夜坊っちゃんのお写真を崇め、日夜坊っちゃんの体調を管理し、髪の一本から爪の先まで磨き上げ、いつか再び社交界へ!」
「先輩のお父さんは叶一門でしょ。仕えなくて良いから茶道でも極めたら?」
「良いんです、分家ですから。再従兄弟の冬臣兄さんが継いでますし、そもそも私に武道の才能はありません」
「象牙の万年筆片手で折る人の台詞かい」

それでも極僅かな気の置ける仲間達と、いつも笑っていた頃。

「あーあ、秀隆だけ連れてくなんて」
「陛下の言う事しか聞かない駄犬め」
「秀隆は優しいし、ボディーガードにはぴったりだもん」
「まぁ、確かに…」
「浮かれてるなー。久し振りに会えた『お義兄さん』に陶酔してるから、秀皇」


幸せが狂い始めたのは、いつ。



「中等部最後の日くらい、皆で祝えばいいのに…」



まだ幸せでした。









二匹の羊達はいつも一緒に居ました。
一匹増えて三匹になってからもそれは変わらず、まるで兄弟の様に仲良く。

ある日一匹の羊が言いました。
逃げよう、と。

もう一匹の羊にはとてもとても大好きな、この世でただ一人愛する人が居ました。欲を満たす為に抱くのではなく、愛を満たす為に語り合う事を知りました。
けれど羊には婚約者が居たのです。18歳の誕生日を迎えれば有無言わず籍を入れられてしまう。好きでもない女性と。

いや、それだけではありません。
その女性はきっと、羊の家を乗っ取ってしまうでしょう。得体の知れない狼と共に、羊ごと蝕むつもりなのです。


判っていました。
だから逃げようと思いました。
家族も家も捨てて、二人の親友とまだ小さい、けれどとても聡明な子羊を連れて、皆で。


『楽園に行こう』

作戦を起てました。
敵が油断した瞬間こそ好機だと身を潜めて、極僅かな人間にだけ伝えた作戦。


軈て運命の夜はやって来たのです。
誕生日を控えた満月の夜。



皆の手を引いて逃げ出していた筈の羊は、見てしまいました。



『義兄、様』

吹き飛ばされたのかぐったり倒れ込む子羊を守る様に身を構え、唸る親友を。
得体の知れない狼の下に組み敷かれたもう一人の親友を。弾き飛んだボタン、引き裂かれたシャツ、割れたステンドグラスから覗く赤い月、それら全てがまるで別世界の様でした。


『逃げ、て!─────秀皇!』

ああ。
こんな時まで親友は羊の心配ばかりしています。酷く屈辱的な暴力を受けている筈なのに、こんな時まで。

『何故、こんな酷い事を…』
『ああ、私を慕う愛しい弟。これ以上失望させないでくれ』
『どうして!神威まで…!』
『頭の悪い人間に生きる価値などない』

笑う狼が憎くて。
解けた目元を覆う包帯の下、月と同じ赤い眼差しが『父上』と呟いたから、憎悪は益々加速した。

誰を呼んだんだ、今のは。
お前は誰の子だ。
狼に似てきた怜悧な美貌、今はまだ幼い分だけ曖昧なそれは、いつしか目の前の狼と瓜二つに成長するのだろう。

憎くて。
全てを壊したくなって。
真っ直ぐ注がれる眼差しから目を逸らした。


『秀隆』


何処で作戦が知られたのかなどには興味はありませんでした。知らせていた極僅かな誰かが密告しただけの事と、親友達以外の全てを信用していない羊には何の感慨もありません。

『行こう。…私達だけの楽園へ』

組み敷かれた親友を蹴り払う狼を見ました。縋る様に手を伸ばす子羊を見ました。

全てが憎い。

何故自分ばかりこんな目に遭わなければならないのだろう、何故自分達ばかり不幸に誘われるのだろう。消えてしまえば良いのに。全て。
全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て一欠片も残さず、全て。



『Close your eyes.』


全部、壊れてしまえば良いのに。



『ひでたかァアあ゛あアああぁあアあアアア!!!』





神様が落ちていくのを見ました。
割れたステンドグラスの向こう側、とても神様とは思えない悲鳴をあげながら闇へ消えていく金色を見たのです。

ふらり、と。
立ち上がった親友が抱き付いてくるのを抱き返し、ぽっかりと空いた左胸を押さえました。
左側には心臓がある筈なのに。

『秀、隆』

何故自分はこんなにも空っぽなのだろう。

『秀隆、秀隆ぁ…!!!』

何故、親友は声を押し殺して泣いているのだろう。
判らない事ばかり。
自分は此処に居るのに。
ほら、ちゃんと目を開ければ判る筈なのに。



ひろき、こっちをみて。
なまえをよんで。
ほら、ここにいるよ。
おれは、ここに。



『なんでないてるの、ひろき』

いつも二人で居たじゃないか。
まだ小さい頃から、初等部に入学した頃から、いつも、二人だったろう。

『秀…た、か』
『そう、俺は此処に居るだろう』
『ひでたか、が…』
『可笑しな大空、俺はいつも此処に居るのに』

近付いてくる微かな気配。
親友を抱き寄せて立ち上がれば、足を怪我したのか、それでも必死に近付いてくる小さな生き物が見えた。

『ちち、うえ』

月明かりを浴びて金色に煌めく白銀、血を吸った月の様な赤、ああ、これは子羊ではなく、狼の子供。


『…近寄るな』


消えてしまえば良いのに。
ああ、そうだ。その割れたステンドグラスでその憎らしい顔をぐちゃぐちゃにしてやれば、



『ひでたか!』


悲鳴染みた親友の叫び。
目を見開き呆然と座り込む小さな生き物。
何かを握り締めた右手から滴る、赤。


『何をしてるんだ!か、神威に何を…!』
『だって、狼が食べに来るから』
『な、』
『殺さなきゃ、食べられる』

今、此処で。
例え世界の果てまで逃げようが追い掛けてくるだろう?楽園へ逃げようが追い掛けてくるだろう?
狼の姿をした悪魔、いつか幸せになった時にまた、邪魔をするに決まっている。

『いつか俺とシエを食べるんだ』

振り回した破片、落ち着いてと叫ぶ親友こそ錯乱しているなと笑えた。

『父親を殺された恨みで、悪魔は何処までも追い掛けて来るに決まってる』

引っ張られる。
遠くなる小さな生き物、親友の悲鳴で駆け付けた警備員達が分厚い扉を閉めた。
どうして邪魔をするんだ。
生かしておけば必ず後悔するのに。
今を逃せばいつか必ず後悔するのに。

『離せ大空、アイツらは可愛い俊を食べようとするんだ。俺が守らなきゃ、家族を』
『何を言ってるの!何をやったのか判ってるのか?!』
『シエのお腹には、子供が居るのに』

大切な家族、守る為なら何でも出来る気がした。それこそ悪魔に魂を売る事も、今なら。



『ご無事ですか?!』

誰かが言った。
遠ざかる真紅の塔を痛々しい表情で眺めた親友が震えている。春先の、温かい夜なのに。

『氷炎の君、何かあったんですか?』
『は?』
『ひで、たか?』
『それより褒めて下さい小林副会長、今までネズミ一匹捕まえられなかった俺が狼を倒したんですよ』

ふ、と。
糸が切れたマリオネットの様に崩れ落ちた親友、いつも冷静沈着な先輩を前に胸を張った。
いつも怒られていたから。褒めて欲しくて。会長の犬と呼ばれ続けて、虫一匹殺せない役立たずと呼ばれ続けて、だから、褒めて欲しくて。

『初等部の東雲君からはヘタレって苛められるし、そうそう、この間のパーティーは怖い嵯峨崎君から毛も引っ張られたし』
『ひで、たか?ねぇ、どうしたの』
『一体何を、』
『お前なんか帝王院に相応しくないって、言われる。そんな俺が狼を倒したんです』
『ねぇ、どうしたの。秀隆は、』
『でも、良いんだ。邪魔な飼い主はもう、居なくなったからな』

口元を覆って音もなく泣いた親友が不思議だった。そうだ、全て壊してしまえば良かった。もっと早くこうしていれば良かったんだ。

『早く行こう。待ってるだろうから』

狼は帝王院秀皇を食い殺そうとする。なら、帝王院秀皇を消し去ってしまえば良い。世界から。どうせ家族など始めからなかったのだから、捨てるも何も、悩む必要などなかった筈だろう。
親友を傷付けた愚か者、自分の事ばかり優先して何にも気付かなかった哀れな人間。王様と崇められて、きっとそれに慣れていたのだ。

『さようなら、意気地なしで無慈悲な皇子の君』

愛しい家族は楽園で待っている。
ああ、婚姻届けを貰いに行こう。
まずはご両親に挨拶して、年下だからきっと反対されるだろうけど、何とかなる。何とかならなかったら駆け落ちしよう。
狭いアパート暮らしなんて最高だ、狭ければ狭いほど良い。愛しい人とずっと一緒に居られる。子供が産まれたら川の字で寝てみたい。

ああ、そうだ。
もし女の子だったら大変だ、女の子の名前も考えておく必要がある。愛しい人は細かい事に気付かないから、女の子にも俊と名付けそうで怖い。

『あ、流れ星。見たか今の、願い事するの忘れてた』
『…』
『どうしたんだ、オオゾラ?』
『ひで、たか』

早くあの笑顔が見たい。
空っぽな左胸ごと包んでくれたら良い。これから築いていく家庭、きっと幸せに満ちた暖かい世界が待っている。早く、早く。夜が明ける前に、こっそりと。


『行こう、大空』

←いやん(*)
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