帝王院高等学校
陛下は何処までもマイペースでした。
「さて。陛下は勿論、閣下達も来ませんね」
「何を呑気に!」

騒がしい声音を聞き止め、戯れる蝶々から目を離した。離宮と中央キャノンを繋ぐ三階渡り廊下の『上』で腕を伸ばし、真横の桜を横目に胡坐を掻く。
日本に来た当初は中々慣れなかった座り方だが、いつの間にか覚えていたらしい。神経質な秘書の前ではまだ見せた事がないが、今や立ち上がる事もままならない義母だけは『まぁ、凛々しいこと』と笑った様な気がする。

『あの子は知らぬまま、今も』
『貴方を憎んでいるのでしょう』
『旦那様の様に』

ごめんなさいね、とは。言わなかった女性は、罵っても良かった筈だ。息子も主人も奪われた彼女は、何をしても許される筈なのだ。

『秀皇は貴方の話ばかりしていました』
『貴方の様になりたいと』
『帝王院の後継者として相応しく在りたいと』
『私にだけは良く話してくれました』
『旦那様は厳しい御方でしたからね』

昔見た時はもう少し清々しく、若々しく、晴れやかに。微笑む人だった筈だ。

目を離したからか。
不自由と言う名の自由の枠組みで胡坐を掻いて、護るべきものを見誤った果ての結果か。


愚かな生き物だ。
何度殺しても飽き足らない。
自分と同じ顔をした兄弟でも親子でもない生き物を、あの日見捨てた時。
赤い塔の真下で。
赤い首輪を纏う黒髪の騎士が微かな息の下、鋭く睨み付けてくるのを視た。明けの明星を背景に。

お前も敵か、と。
雄弁に告げる眼差し。
ならばお前も殺す、と。
獰猛な猛禽類の唸り。


助けてくれ、と。
自称“弟”は呟いた。祈る様に。
ああ、お前の体には確かに同じ遺伝子が流れていた筈だ。22年の短い人生に幕を下ろそうとしている金髪濃蒼眼の生き物は、愛すべき“身内”だったのかも知れない。

『ロード』
『救、けてく、れ、陛下…』
『そなたは私の「道」で在るべきだったのだ』
『兄、様』
『あの日、私があの子に出会わず。あの日、私があの日のまま今日まで生き長らえていたなら。そなたは空を知らぬままだろう』

同じ遺伝子、同じ金髪、同じダークサファイア。自分と全てが同じ、別人。
たった『22年の短い人生』を、終えようとしている。傍らにはよろめきながら立ち上がる黒髪の騎士、東の空が徐々に白んでいった。

『た、すけ…』
『絶望の淵で眠るが良い。…私に憎悪を教授した、私の「道」よ』
『…た、』



風が吹いた。
月が西へ西へ追いやられていく。
見殺しにしたのは自分だ。
いや、事実上殺してやりたかったのかも知れない。命令に背いた駒を、あの日。

あれは狡猾な手段で帝王院財閥を蝕んでいた。日本を掌握し軈て世界を手に入れ、牙を剥くつもりだったのだろう。


赤い赤い塔の、最上階。
割れ散ったステンドグラス、嘆き悲しむメイド達、荒み切った世界でただただ呆然と空を眺めていた生き物を視た。
東の空を掌握する太陽の光に照らされ、レッドゴールドに輝く髪。空虚な眼差しの下は赤く腫れ上がり、ただただ静かに、

『…生きていたか』

およそ姿形に似合わない声音で。

『父上』

ただただ、空を睨み付けたまま。
割れたステンドグラスの破片を握り、覚束ない足取りで、然し純粋な殺意を隠さず駆け寄って来た生き物を。
秘書達が取り押さえて尚、狂った様に吠えた生き物を。

『生涯、呪おう。我が身の愚かさを嘆き、底の見えぬ絶望の淵で眠るが良かろう』

ああ、似ている、と。
すぐに判ったのだ。この小さな生き物は自分と同じ遺伝子を秘め、自分とまるで同じ憎悪を強く抱いている。

『呼ぶ権利は与えんが、その愚かしい頭に刻み込め─────父上』

生まれて間もない子供にはおよそ相応しくない感情を、同じ遺伝子を受け継いだが為に聡明過ぎた脳に刻んで。


『我が名は帝王院神威、…そなたの死神だ』



「然し困ったね」

およそ困った風ではない声音に瞬いて、過去の幻影を振り払う。
舞い散る桜吹雪に目を細め、胸元から零れ落ちた砂糖菓子を掴んだ。

「会議の開始時間までもう1分しかないよ」
「だからー!全校放送をっ!」
「王呀の君に聞いてみないと。ただの役員でしかない平凡な僕に決定権なんか、…あれ?東條君?」

口の中に放り込んだ紫色の飴はじわりじわり舌先を転がり、綻ぶ様な甘さを伝えてきた。

「そのウィッグって…やっぱりそう言う事?」
「ああ、ウエストには高等部自治会長の役目があるからな」
「でも図書視聴覚の進行はどうするの?陛下の身代わりは君で良いとして、紅蓮の君には全く期待出来ないし、光王子はさっき紅蓮の君といちゃつ…いや、日課の喧嘩をなさってたから同じく期待出来ないし」
「光炎の君とは連絡が着いた。そもそも執行部の人間であれば誰でも構わないのだから、わざわざ閣下を据える必要はない」
「他の役員で大丈夫?嫌がりそうな気がするけど…男前の嫌がる顔はけしからん、もっとやれ」
「何か言ったか?」
「何が?」

話を聞くからに、どうやら気紛れな神威と二葉が見付からず、自治会役員達に迷惑を被っている様だ。覗き込めば長い銀髪を手にした白髪の生徒と、それを見やる黒髪の生徒が見えた。
これからある会議なら、下院総会だろう。全学部一斉に行われ、壁にあるモニタに一部始終映し出される比較的大きな会議でもある。理事会の上院会議に比べれば遥かに小さいが、初等部から最上学部までの生徒自治会がそれぞれ集まり、去年の報告と今後の予定を報告するので実に三時間以上必要だ。


ガリ、と。
小さくなった飴玉を噛み砕き、ひらりと飛び降りた。
突然降ってきた部外者に僅かながら驚いたらしい二人を眺め、スニーカーに絡んだ桜の花弁をアスファルトへ爪先を叩きつける事で払い落とす。

「陛下?」
「二年Sクラス東條清志郎」

すっ、と手を差し出して白髪の生徒から銀糸を奪い、成程、少し見ない合間に短くなったあの髪は此処に在ったのかと目を細めた。
瞬いたもう一人の生徒には目もくれず、無駄のない動作でそれを纏い、東條が別の手に携えていた銀のマスクを奪う。

「下院の正装義務はあったか」
「は?あ、いや、特には…」
「ならば構わん、ブレザーのみ着用するとしよう」

近場の昇降口から中へ入り、会議室へ真っ直ぐ歩いた。ただそれだけで実に様々な生徒が黙礼したり、息を呑む気配。

「ご機嫌よう、神帝陛下」
「マジェスティ、お足元お気を付け下さい」

片手を上げるだけで返事をし、恭しく頭を下げる受付の生徒を通り過ぎ今正に会議室へ入り掛けた体に、


「わっ」

短い衝撃。見れば腹の辺りに埋まる黒髪が見えた。嫌な沈黙を見せた周囲には構わぬまま、額を押さえ屈み込む小柄な生徒を眺める。

「い、たた。すいませ、急いでたもん、で…」

不意に目を上げた生徒が目を見開き、その音が聞こえる程に息を呑んだ。ああ、彼の事なら良く知っている。身長も体重も血液型も果ては下着の柄まで実に様々。わざわざ調べるまでもなく毎日、教えてくれる生徒が居るからだ。

「大儀ないか、山田太陽」
「コンニチハ、神帝陛下」

愛想笑いにしては余りに痙き攣った笑みを零した生徒が、冷めた眼差しを真っ直ぐ注いでくる。父親に瓜二つだとは口にしないものの、遺伝子の秘めた効力を目の当たりにした思いだ。
こうも似ていない様で双子の様に似た親子も居ないだろう。

「大変失礼しました、申し訳ありま、」
「問題ない。構わず行け」

ぱちくり、と瞬いた随分下にある双眸を横目に、ブレザーを手にした生徒へ片手を上げて、羽織りながら席に着く。
刺さる視線に紛れた凄まじい視線に意識だけ向ければ、満面の笑みで無関心を装いながら殺気を向けてくる少年が判った。

「あ?テメェが呼び出さず来るなんざ珍しい事もあんな、帝王院」

隣にドサリと腰を下ろした男へ目を向け、緩くマスクを押さえたまま首を傾げる。自分が良く知る目前の少年は、もう少し穏やかな口調だった様に記憶しているが、これが同世代同士の気安さなのだろうか。

「随分機嫌が悪い様だな、ベル」

囁いた、だけだ。
英名を呼ばれる事を何よりも嫌う男が、ほんの僅かに目を見開き椅子から転げ落ちそうになったのを認め、

「…ま、さか」
「カイルークが見当たらんと話し込む生徒を慮り、代理出席したが。何か問題があるか?」
「冗談、でしょう。…陛下」
「ネイキッドは今し方私の個人回線で呼び付けた。拒否するだけのセキュリティを持つまい」
「そりゃ、…理事長の呼び出しを断る生徒は居ないでしょうが」
「どうしたベル、先程の様に気遣わず話すが良かろう。今の私は一人の生徒でしかない」

口を閉ざしそっぽ向いた日向に首を傾げ、相変わらず刺さったままの視線に笑えた、気がしただけだ。実際口元の筋肉は一ミリたりとも動いていない。

「あれがシリウスの最高傑作か」
「…恐れながら、不用意な発言は」
「些か驚いたのだ。実際見れば、良く似ていると判る。但しリヴァイアサンには似ていない様だな」
「リヴァイア?」
「ああ、そなたは知らんか。シリウスには双子の兄が居た」

瞬く日向を横目に、視線を注いできた生徒が先程入り口で衝突した太陽から殴られている光景を見つめ、騒めく会議室ではこの程度の雑談など誰も聞いていないだろうと呟いた。
何しろ日向に話し掛けた瞬間からスペイン語で話をしている。スペインは二葉のお気に入りで、校舎のデザインにも採用されたほど前々代理事長の趣味だった。帝王院の家系は代々スペインやらイタリアやら、西洋を好んでいたと言う。屋敷にはいつでも、ウィーンの交響楽団が寄贈したクラシックが流れていた。

「シリウス以上に技術を有した聡明な男だったが、唐突に姿を消した」
「…」
「シリウスも大概そうだろうが、それ以上に頑固で実直な男だった様に記憶している。然し、父上からの覚えはめでたい男だった」
「前ノヴァが?」

僅かに驚いた様な声を出した日向を見やり、血を分けた父親はそれよりまだ神経質で堅物だったと心の中だけで呟いて、『幼馴染み』だった男を思い浮べる。

「私が爵位を継承した日、あれは姿を消した。残されたシリウスが暫く探していた様だが、いつしか諦めたのだろう。軈て技術部長の座を得たシリウスは全世界を飛び回ったが、兄の名を口にした事はない」
「そうですか」
「私を唯一叱り付ける、友だ」

囁いて議長が打ち鳴らす警鐘に背を正す生徒らを眺め、短い開会の挨拶を聞いた。見ればいつの間にかやってきたらしい二葉が、ブレザーを優雅に羽織って日向の横に着席している。

「おや、御三家大集合ではありませんか。陛下が議会へ出席なさるのは何回目でしょうかね、私のお願いで高坂君が出席する事は多々ありますが」
「脅しの間違いじゃねぇのか腐れ鬼畜野郎」
「議長、高坂君が私の太股を妖しい手つきで撫でてきます」
「え?!こ、こほん。光炎の君、そう言う行為は寝室で、」
「殺すぞテメェ」

嘘泣きする二葉に狼狽える議長役の教頭を見つめ、若いとは賑やかなものだと眩しくもないのに目を伏せた。
大切なものはいつも消えていく。胡坐を掻いたままでは何にも手は届かない。もう、子供が嘆く様を見るのは沢山なのだ。

「それでは下院総代表、中央委員会生徒会長並びに左席委員会生徒会長より開始宣誓の挨拶をお願いします」

騒がしい向かい側の席へ目を向ければ、何事か話し込む左席委員三人が見えた。

「聞いてないよ?!」
「ど、どぅしよぅ」
「サブボス、任せた」
「神崎ぃ!」

クスクス笑う二葉を余所に立ち上がり、片手を上げる。

「これより本年度下院総会を執り行う。我が帝王院学園に於ける永劫の隆盛を願い、また実現するよう皆々気を引き締めた協力を願いたい」

こんなものか、と着席すれば割れんばかりの拍手が響いた。議長の警鐘で再び沈黙した会議室の入り口が開く、音。

「ちょ、ちょっと困ります!」
「幾ら左席委員会の方でも会議は始まってるんですからっ」

風紀委員達が狼狽える声音、眉を寄せた二葉が入り口を見やってから視線を注いできた。
笑えた、と。思った。実際口元の筋肉は微動だにしなかったかも知れないが、剥がした仮面を入り口目がけ投げ付ければ、20メートルはあっただろう入り口の乱入者の手に収まる。

「む」

ボサボサにも程がある黒髪に所々桜を散らし、すっと眼鏡に手を掛けた男へ皆の視線が向いている。但し、仮面を外した「神帝」へ突き刺さる左席の視線は刄の様だ。

「カイ、君…」
「何、で、カイさんが…」
「やっぱ、そーゆこと」

但し、直後彼らすら沈黙したのは、狐耳と尻尾を着けた着物姿の長身が優雅に踊ったからでも実は妖狐だったからでもない。

「これより本年度下院総会を執り行う。一同、誠心誠意取り組みながらも萌えに馳せる心根を忘れるなかれ」

がたり、と。腰を浮かせたのは何も神崎隼人だけに限らなかった。いつでも飄々とした二葉までも腰を浮かせ掛け、頭を押さえた日向が見える。

「左席委員会執行部庶務、ブラックK灰皇院。マスタークロノスの名代として出席許可を願いたい」
「え、へ、」
「良かろう、そなたの来訪を心より歓迎する。…中央委員会長、帝王院神威として」

プラチナの髪、ダークサファイアの双眸、狼狽える教頭の代わりに口を開いた自分。自らも気付かない内に微笑んだ唇があったが、


「感謝する、俺様攻めよ」


彼の手に掲げられた眼鏡から、皆の視線が離れる事などなかった。

←いやん(*)(#)ばかん→
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