帝王院高等学校
バスルームは避けて通れない雄の戦場
「むにゅ」

ころりと転がって、目を開けた。
カーテン越しの空はまだ薄暗い。時計を見ようと起き上がれば、隣ですぅすぅ寝息を発てている凄まじい美貌が目に入った。

「カツラ付けっ放しなりん」

枕元にはお洒落な銀の栞を挟んだ文庫本が見える。眠る寸前、携帯で日課のブログ更新をしていた時にはソファーで読書していた筈だ。
もそり、と起き上がればいつの間にか増えた文庫本が艶やかな組み立て式の本棚に並べられている。昼間勝手に入って掃除する佑壱の仕業だろうが、赤や黄色に青などの原色に塗った木箱を壁に打ち付け、お洒落な寝室へ変化した。

「お風呂入るの忘れちゃったにょ」

いつの間にかパジャマに着替えている自分は、ブログ更新後にクッションに寝転んだ筈だ。付けっ放しのテレビ、物真似番組を寝転びながら見ていた記憶がある。
ならば着替えさせたのは神威だろう。いつも俊が寝るまで起きている神威が、俊より遅く目覚めている事はない。近頃気付いたら居なくなっていて、気付いたら傍に居る。いつ寝ているのか、何ともミステリアスな男だ。

シャワーでも浴びようと腰を上げて、パジャマを脱ぎながらリビングを横切る。
脱いだ服を脱衣場に放り捨てて、外した眼鏡を鏡台に置けば鏡に映る己の顔。
いつ見ても同じ、可愛げの欠片もない顔から目を離してバスルームに飛び込んだ。

産んでくれた母や父を恨むつもりはない。けれど欲を言えば、もう少し垂れ気味の目元が良かった。鼻がもう少し高かったら尚良い。眉間の皺がなければ最高だ。
隣の呉服店の跡取りにして若旦那である元不良のお兄さん曰く、顔の作りは悪くないらしい。ただ表情筋が些か未発達過ぎるのが欠点だ、と。

シャワーヘッドを掴み、送水ボタンを押し込む。暫し吹き出した水を足元に流して、曇った壁掛けの鏡を見やった。


「…」

湯気を発て始めたシャワーヘッドを鏡に向けて、湯で曇りを落とす。濡れて歪んだ鏡に写る己の顔を何ともなく見つめ、頬に力を込めた。



ニヤリ。


「!」

ダメージ絶大だ。
笑顔がそら恐ろしい。この顔が他人だったら悩まずコマンド逃げるを選択しただろう。我ながら見事な人相の悪さだ。

「…切な過ぎる」

もし自分がイケメンだったなら。
そう、可愛らしいチワワ達に囲まれて剰え親衛隊なぞ作って貰えて、人気投票で票が入るくらいのイケてる腐男子だったなら。
毎日毎日鏡を見て、プリクラも積極的に撮っちゃったりなんかして、ラブレターを貰って浮かれたり、告白されたら速攻頷いて宜しくお願いしますと叫んだに違いない。

神威の様に。
あの最早無駄過ぎる美貌は望まないけれど。誰からも好かれるくらい、整った容姿だったら。
もう少し毎日が楽しかったのではないかと、思うのだ。過ぎた望みだ。こうして立つ事が出来て歩く事が出来て息をする事が出来て、友達にも恵まれた。これ以上望む事など何処にあるのだ。

つい最近まで友達なんか居なかった癖に。
つい最近まで嘘ばかり吐いていた癖に。
つい最近までネット世界だけが本当の自分で居られる場所で、つい最近まで更新する度に寄せられる見ず知らずの誰かからのコメントだけが心の支えだった癖に。


人間は欲の塊だ。
なんて醜い生き物だろう。
一秒毎に欲を満たすと、一秒後にはそれ以上を望んでしまう。満たされたばかりの感動を忘れて、新たな欲に餓える。

なんて醜い生き物。
なんて浅はかな動物。
満たされない欲は自己保身に走る。



何故自分ばかり不幸せなのだと。
何故自分ばかりこんな目に遭わなければならないのだと。

初めて嫌がらせを受けたのは中学入学直後。最近受けている可愛らしい嫌がらせとは規模が違った。

毎日毎日脅迫レターが届く。
無記名の手紙が自宅にまで届く。

今日死ね、命令に背けばお前の親を殺す。剃刀レターなど序の口、果ては爬虫類の死骸や生きた百足、使用済みコンドーム。
全てクラスメートの仕業だ。

二年生に上がるまでが一番酷かった。
登校拒否になったのはクラスメートの陰口を聞いてからだったけれど、嫌がらせをしていたのは学年で一番の人気者だった少年と、その彼女だった。


一度だけ。
入学直後だ。彼女の方がコンビニで万引きしている所を目撃した事がある。すぐに見付かって事務所に引き摺られていった少女と目が合い、彼女が愕然と目を見開いたのを見た。

初犯だったからか、それとも彼女が反省したからかは知らないが、その件が学校に広まる事はなかったと思う。
目撃したからと言って誰かに言うつもりもなければ、話す友達も居ない。何の因果か生徒代表で入学式を終えてから、話し掛けてくる人間は少なかった。私立進学校となればそれもまた当然と言えるか。

けれど彼女には言い知れない恐怖だったのだろう。人気者の彼女と、居ても居なくても同じ自分とでは皆の信頼が違うのに。例え彼女の犯した罪を吹聴しても、それを信じる人間など皆無だった筈なのに。
学年で一番の人気者で不良と呼ばれる生徒と交際を始めた彼女は、不安因子を消す事にした様だ。

陰湿にして悪質な嫌がらせが加速した。二年生に進級するまでの半年間、ずっと。一日も絶えず。
登校拒否宜しくテストや行事以外登校しなくなっても、自宅に脅迫文が届いた。夜になると明らかに素行の悪い連中がうろつく様になった。

余り目立てば通報される。
彼らは極力目立たず、けれどその存在を誇示するかの様に存在感を消しはしなかった。見えない威圧、監視されている様な恐怖。
眼鏡を掛けただけで気付かれない事に気付いた。丁度その頃知り合ったばかりの佑壱達に、時々、どうしても耐えられなくなった時だけ会いに行った。追い返される事がないと気付いてからは、頻繁に。

ある切っ掛けでアルバイトを始めた。少ない小遣いから毎月の携帯代を遣り繰りするのは難しかったから、多くシフトを入れて貰った。
仕事柄お洒落な服を着る機会に恵まれて。仕事帰りにカフェへ行けば、皆が格好良いと誉めてくれる。

眼鏡を手放さなくなった理由は、単に絡まれたくなかったからだけではない。
中学生が働ける様な仕事ではなかったし、総長として祭り上げられたカルマが想像以上に有名なチームだったからだ。


嫌がらせが止んだのは春を控えた冬の終わり。
新しい仲間が増えたばかりのカフェに、傷だらけの彼が投げ込まれたのが切っ掛けだ。

泣き喚く彼女が要の手で引き摺られてきた。いつも冷静なバーテンが呆れた様に溜め息を吐いたのが判る。学年で一番強いと有名な人気者が、健吾の足の下で何度もすいませんでしたと繰り返す声。

『マジ意味判んね、いきなり喧嘩売って来やがって( ̄〜 ̄;)』
『どうかしたか、健吾、要』
『そこの女が俺達に声を掛けて来て、』
『そしたらコイツがいきなり殴り掛かって来たんス(´`)』

二人の纏う制服はこの辺ではまず見られない。一目で私立と判るブルジョアなデザイン、派手な見た目に反比例して少女と見間違う二人は格好の鴨だったのだろう。

『美人局か。…くく、外じゃ男に見えんだなテメーら』
『笑い事じゃありませんよ』
『不細工女がユウさん見て赤くなってるっしょ(´`)』

笑う佑壱につられたのか、他の仲間達も笑い始めた。圧倒的不利な状況に泣きながら謝罪を繰り返す人気者も、この状況で佑壱に見惚れる少女も。他人事の様だ。

『ンな餓鬼誰が相手にすっか。鷹翼中学の制服だろ、それ』
『ユウさんだって中学生じゃんよ(´∀`)』
『はん、18以下の女は抱いてねぇ』
『ヒュー、ユウさんの癖に年増フェチー』
『そう言うハヤトはバイだろヽ(´▽`)/』

他人事の様だった。
あんなに怯えていた恐怖の対象が、今や泣きながら土下座している。次々と放り込まれてくる傷だらけの少年達に見覚えがあった。自宅近辺で見掛けた、監視員ばかりだ。

『コイツら、お前らがカルマだって気付かなかったんだろ?』

ひぃっ、と。恐怖に痙き攣る少年達。
カルマの名だけで、抵抗する気力も尽き果てた様だ。絶望を滲ませた表情から血の気が引いていく。
気丈にも睨み付けていた彼女も、今や失神しそうな表情だ。

『カナリアとか言うチームらしいっスよ(´∀`*)』
『あは、聞いたことないしー』
『同じく、聞いた事もありませんね』
『うぜー。で、どうするんスかコイツら』

全ての視線が自分に集まる。


『総長』

佑壱が擽る様な眼差しを向けてきた。バーテンが静かに置いたグラスにはコーラ、からり、と。氷が鳴く。

『ゆ、許して下さい。もうしませんっ、すいませんでした…!』
『いやぁっ、帰りたいっ』

カルマの名を前に泣き叫ぶ。
人を虐げる時には快楽に満ちていたのだろう表情を絶望に染めて。


握り潰したサングラス。
恐らくその時、自分は笑っていた。醜い生き物だから、欲に餓えた動物だから。硬直した少年達をただただ見つめて。失禁した少女を前に、ひそりと。

これ以上ない優越感に浸っていた筈だ。


『跪け』

憎かった相手が脇目も振らず跪く光景。憎悪に支配された醜い表情を晒しているのに、仲間達はひたすら満面の笑みを浮かべていた。

『一度の過ちは許す。俺達は悪魔じゃない。なァ、皆』

声も出せなくなった部外者を何の感慨もなく見下しながら、



『…二度と俺の前にその面ァ、見せんな』


憎かった二人を。
見たのは、それが最後だ。





醜い生き物。
虎の威を借る何とやら。弱い癖に、弱いからこそ勝利の優越感は凄まじかった。
負ける筈が無い。カルマと言う免罪符がある限り、許される。勝者の称号も、過ぎた暴力も。全て。



『お前なんか教え子じゃない!』

全て。
正義の味方の様に。許された筈だ。



「しゅん」

いつの間にか開いていた背後の扉から、声がした。出したままのシャワーから吹き出す湯気が辺りを包んでいる。

「俊」

どれくらいこうしていたのだろうか、と。床に座り込んだまま瞬いて、再度呼ばれたのと同時に掴まれた肩が震えた。

「起こしちゃったなりん。ごめんにょ」
「俊」
「濡れちゃうから入ってきちゃめー。あっち、」
「脱いだ」

条件反射で振り返れば、床に転がったシャワーヘッドを拾い上げる腕が見えた。
スポーツ選手もかくあらん、と言うしなやかな筋肉を纏う長い足を呆然と眺めれば、とんでもないものを見たのだ。

「…」
「どうした?」

あんな所まで白髪…いや、銀髪なんて、と。驚愕に見開いた目が開き過ぎて痛い。
ガン見だ。凝視しまくりだ。とんでもない所の毛事情だけではない。とんでもない所の密度、いや、ぶっちゃけてしまえばエスアイゼットイー、サイズが、だ。

「カ、カイちゃん、そそそそれなァに?」
「檜の入浴剤だ」
「じゃなくてっ、ふにょ」

二十四時間循環したままのバスタブは常に適温の湯で保たれてあり、いつも入浴剤をポイっと放り込む俊の言い付けを守り、近頃では神威が先に入った場合も入浴剤の香りで満ちている。
今日は檜か、と鼻を蠢かせている場合ではない。ひょいっと抱き上げられて神威と一緒に入浴している場合でもない。

「カカカカイきゅん」
「何だ」
「この状態は何でございましょうやら!」

混乱し過ぎて自分が何を言っているのか判らない。ふー、と年寄り臭い息を吐く神威の足の間に収まってしまったオタク。なんて余りに残酷だ。

ちょっとでも動けば、あのとんでもないナニが尻やら太股やらに当たってしまうだろう。圧倒的に負けているアレ。清々しい程にビッグなソレ。
腹には神威の両腕があり、逃げようにも逃げ出せそうな気がしない。

心臓が弾き飛びそうだ。
何だこの熱愛カップル的状況は。こんなんチワワとっ、いや、太陽とイケメンがやれ!
近頃のマイブームは顔を合わせる度に冷戦を始める美形。あの二重人格的カホリがむんむんする腹黒スマイルが堪らない、涎を耐えられない有様ラブ二葉様だ。脱いだら凄そうな細身ながらしっかりしたボディもポイントが高い。何より眼鏡ボーイの癖にアキバ系にはならない美貌が素晴らしい。時代は眼鏡!インテリ眼鏡の裏側は様々な萌で満ちている、と腐業界では遥か昔から暗黙の了解だ。

「俊」

耳のすぐ近くで囁かれた声に、顔がいきなり熱くなった。湯気の所為だ。いや、この視覚の暴力的状況による羞恥の所為だ。などとぎゅっと目を瞑り、いつか習った中国王朝名をブツブツ唱えれば、顎がグイッと後ろに逸れた。

「ぅわ、」

かぷり、と。耳のすぐ下に吸い付く唇の感触、素で驚き「何しやがる」と叫び掛けた口を必死で塞げば、顔を上げた神威の眼差しとかち合う。
甘い甘い、蜂蜜色。濡れて張り付いた銀を掻き上げる光景が嫌に扇状的だった。逃げる様に目を逸らせば、薄緑色の湯の底に、自分の尻と先程間近で凝視したとんでもないナニが見える。見てしまえばもう、目が離せない。同じ男とは思えないそれ。血の気が引く音。

「余程興味深い様だな」
「…」
「触れて確かめるか?」

湯の中で掴まれた右手が、とんでもない質量を認めて。

「ぷにょ」
「好きに触るが良かろう」
「き、ききき、」
「おっはにょー、一緒に朝シャンしよー」

悲鳴を上げる直前、またもや許可なく開いた扉の向こうに隼人の姿を見付けた。何故彼が全裸だったのかはともかく、腰にタオルを巻けと言わせて貰おう。

「…あ?ンでてめーが入ってんだ雑用。出てけ」
「断る」
「きゃー」

素っ裸で逃げたオタクは、リビングで朝食の準備をしていたオカンによって無事捕獲された。

←いやん(*)(#)ばかん→
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