帝王院高等学校
静寂を纏い続ける秘め事
排気ガスを撒き散らしながら駆けていく車の波。
真上で存在感を放つ陽光を見上げ、酷く渇いた笑みが零れた。



「今日は、いつだ?」

先程まで仕事をしていた筈だ。
可愛げのない部下達に捕まって、笑顔の社長にいびられて、そろそろ帰る時間だと時計を見上げたまでは覚えている。

あの時、時計の針は夕方五時を示す直前だった筈だ。


「…暑い、な」

なのに今、太陽が頭上で輝いている。目の前には流れる車の波。見知らぬ人々が通り過ぎていくメインストリートの隅で、ただただ佇むのは自分だけだろう。

「新装開店しましたー、お立ち寄り下さいー」

アルバイトの青年が半ば押し付ける様に、チラシ入りのポケットティッシュを配っていった。ああ、風俗には全く興味はないのだけど。貰ってしまって今更返す事も出来ない。妻なら笑顔で全部ちょーだい、とでもほざいたのだろうか。
いつか親友が笑った事がある、気がする。お人好しだ、と。

『困った顔してないで、嫌なら嫌って言いなよ秀隆』

駅前は人混みの渦、地下鉄へ流れ込む人混みを何ともなく見つめたまま、ガラス張りのビルを振り返った。
息が詰まる。


「どうしたんだ」

懐かしい声を聞いた気がした。
懐かしい目を見た気がした。
心臓がアクセル一杯踏み締めた様に、早鐘を鳴らす音。乱れた呼吸、痛む左胸、瞬きを忘れた網膜が、痛い。

「そんな所で昼寝でもしていたのか?」

笑う顔。
流れる黒髪。
いつか“彼”は言った。

お前の髪は綺麗だ、と。
私と同じ色だ、と。


「早く帰らないとまた怒られるぞ、秀隆」

囁く声音が鼓膜を震わせる。
何故、今更。何故、この男が。

「何、しに、来たんだ」
「酷い言い種だ」
「俺から奪うのか、今更」
「何を」
「全てを!」

通り過ぎていく人々が振り返る。構う事なく振り上げた腕、


「二度と俺の前に姿を現すな!」

血を吐く様に叫んで一目散に走り出した。掻き分ける人の波、車の波を飛び越え、割れるクラクションを無視してタクシーに飛び乗る。

「出してくれ!」
「お客さん、大丈夫ですか?」
「…ああ」
「どちらに向かいましょう?」

心臓が痛い。
息が詰まる。
耳鳴りがする。
そうだ、携帯。愛しい人に電話しよう。あの声を聞けば大丈夫、怖いものなど何処にも存在しない。

「お客さん?」

遠くで誰かが呼んだ気がした。
自分のものではない別の手が携帯を開いた。
自分のものではない誰かの唇が吊り上がる。

駄目だ、息が詰まる。
声が出ない。頭が痛い。
返せ、それは俺の携帯だ。
駄目だ、今から電話しなければいけないんだ。



「もしもし?」


返して、くれ。


「今から帰るよ。ん?ああ、楽しみにしてる。ああ、判った」

何でもするから。他の何でもするから。他の何でもあげるから。それだけは奪わないでくれ。




「すぐに帰るよ、
…愛しいシエ。」






  ─────神様。














昔話をしましょう。
“彼”には大切な親友が二人居ました。それはとても幸せだった頃の話です。
“彼”の世界へ幸せを脅かす人間が割り込むのは、もう少し後の話。“彼”はこの世で何より、二人の親友が大好きだったのです。


『今日もカッコイイなァ、秀隆』

いつしか、誰より何より清々しく晴れやかに微笑む人に、“彼”は恋をしました。
別れは一方的に『愛してる』と書いた映画チケット二枚。愛しい人と観る筈だった映画を、ホットミルク片手に肌寒くなってきた晩秋。
親友達と肩を並べて、コメディなのに全く笑わず眺めた事を覚えています。



けれど、それすらまだ幸せだった頃の話。


まだ昔の話をしましょうか。
お腹が空いて、足がもう棒の様に重くて、息をするのが苦しいくらい喉が渇いて、見知らぬ誰かに投げ付けられた石で傷付いた額が痛くて、


『どうしたんだ、お前』

最早絶望の瀬戸際に追い詰められた時に、“彼”は一筋の光を視ました。

『何、どうしたのヒデタカ』
『ヒロキ』

覗き込んでくる二人、見知らぬ人間はとてもとても怖くてただただ唸るだけしか出来なかった“彼”に、誰より光を纏う“彼”が囁き掛けたのです。

『傷だらけだ。こんなに痩せて、お腹が空いただろう?』

幸せでした。
優しい父母を思い起こさせる、優しい人でした。涙が出るほどの幸せでした。真綿で包まれる様な、身の程を知らぬ幸せに浸っていたのです。目が眩む程の、幸福に。
(神に感謝したいくらい)
(それまでの絶望が虹色に思えました)



『おいで、秀隆』

あの人の為なら何でも出来る。
あの人の為なら命など幾らでも懸ける。
あの人を守る為なら、他の全てを犠牲にしても構わない。


『可愛い秀隆』

貴方へ誓う永遠の忠誠。
(俺は貴方の為に生まれてきたのだと)
(ただただ、ひたすら)

『私と同じ名を持つ、私だけの騎士』
『お前は決して馬じゃない』
『ナイトの、騎士だ』
『知っているかい?馬を持たぬ騎士に明日は無い、と言うが』

貴方が笑ってくれるなら、貴方が笑っているから。


『チェス盤上のナイトは、自身が馬の形をしているんだ』


この世に意味があるのだ、と。

(信じていました)
(大好きな両親が居なくなって)
(一人はとても寂しくて)
(とてもお腹が空いて)
(酷く喉が渇いて)
(足が棒の様に重くて)
(全身がズキズキ痛くて)
(心が空っぽで)
(死んでしまいたい、と)
(思った時に、差し伸べられた手)


(涙が出るくらい)
(いつか裏切られると判っていても)
(泣きたいくらいに)


(幸せだったから)


あの人の笑顔さえあれば他の何にも意味などなかったのです。あの人の笑顔さえ絶えなければ、他の何にも価値などなかったのです。



『…ふん、汚い生き物が。何だその眼は』

幸せを脅かす人間が現れました。
何度も何度も繰り返し殴られ、ゴミの様に蹴られました。それでもまだ、あの人の笑顔さえあれば涙が出るくらい幸せで、他の全てがもうどうでも良かったのに。



あの金色の人間は、何故俺だけで我慢出来なかったのだろう。
何故大切な親友にまで手を出したのだろう。

見下されても殴られても蹴られても、それが俺に対してだけなら幾らでも我慢出来たのに。


あの人の笑顔さえあれば、殺されても構わなかったのに。




『ぁ、あぁあああ、』


他の何も、欲しくなかったのに。
(あの人から貰った名前があれば)
(あの人の笑顔さえ護る事が出来たら)
(神様)
(俺の望みはそんなに悪い事でしたか?)


『うわぁあああぁあああああ』

いつも頭を撫でてくれる優しい人が獣の様な悲鳴を上げました。砕けたステンドグラス、赤い赤い塔の中でマリア像を握り締めた大好きな人が酷く悲しい悲鳴を、今。


『ヒロキ』

だから呼んだのです。
やめなさいと。君が罪を犯す必要などないのだと。


『貴様ァアアアアア!!!』

だから、この世界で最も大切なあの人がそんなにも辛い叫びを放つ必要などないのだと。



『大空、泣かないで』

貴方達へ幸せをあげる。

『秀皇、泣かないで』

貴方達がくれた沢山の幸せをあげる。
貴方達だけが俺の世界の全てだったから、



ああ、この世で一番好きだった女性に思いを告げる事は出来なかった。この世で一番好きな人が愛した女性を、どうして嫌う事が出来ただろう。

あの晴れやかな笑顔を護りたいと思ったのは、秘密。
この世で一番大好きな秀皇、俺はほんの少しだけ君が羨ましかったのかも知れない。


いつだって光で満ちている貴方が。
いつだって無償の優しさを注いでくれる貴方が。
大好きで、憎くて。



けれどやっぱり、貴方の笑顔さえあれば他の何も必要ないと思えるから。


『─────下等生物が。』


今日、神様を殺そうと思います。
(神など存在しない事を)
  (知っていました)
    (始めから、ずっと)






Secret have been stealthily.
静寂を纏い続ける秘め事







ああ、とても月の綺麗な夜でした。


(俺の名前はナイト
  (神様から貰った名前)
    (これがあれば何も怖くない)
  (さァ)
(─────征こうか。)



    (彼を傷付ける全てを)
          (殲滅する為に)











『チューしたら一生一緒なんだって』



『でもアキちゃんまだ甲斐性ないんだよねー。ほら、まだ幼稚園児だもん。小学生なったら、大人だけどー』
『結婚は高校まで出来ないんだって。ヤスちゃんがゆってた』
『だからねー、高校生なったらお嫁さんにしてあげるから、ちょっと待っててねー』
『浮気したら叩くからねー』
『こうゆーの亭主関白ってゆーんだよー』
『旦那様に逆らったらいけないの』



『判った?
  ─────ネイちゃん。』




騒がしい患者ばかりやって来るな、と。
喧嘩の最中に階段から落ちたと言う作業着姿の二人を手当てし、付き添いの生徒に小言を聞かせていれば、蹴り開けられたらしい扉に眉を寄せた。

「シリウス、急患だ!」
「おや、これはまた珍しい来客じゃのぅ」
「ひ、」
「ひぃいいいいい」
「ぎゃーっ!!!」

凄まじい勢いで窓から出ようとしている三人に溜め息一つ、オリジナル作業着の背中には揃って『伽屡眞』の刺繍、二の腕には昭和の匂いを感じて止まない『疾風三重奏』とある。

「これ、医務室を走り回るでない」
「ごっめーんっ、冬ツッキー!」
「たっちゃんまたねー!」
「失礼しましたぁあああっ」

確かに逃げ足の早さは文字通り疾風迅雷と言えなくもない。

「所で閣下、腕に抱いておられるのはどなたですかな?」
「どなたもソナタもあるか!御託は良い、早く診ろ!」
「ほっほっ、殿下に続いて師君まで随分人間らしくなられた」
「…っ」

青銅の面に漆黒の衣、帝王院学園では崇拝されているそれを、海の向こうでは黒右翼と呼ぶ。
著しく国家主義の陪審員、忠実なる神の下僕。唯一と崇める神の命令にのみ従い、常に秩序安寧を執行する男が、今。

「ぅ」

微かに唸る腕の中の生き物に、目に見えて狼狽えていた。口元に茶褐色の汚れを認め、

「吐血でもなされたかな?」
「何をのうのうと…!」
「どうもこの学園の生徒はストレスを抱え易いらしい。今日だけで胃潰瘍の生徒を五人、」
「殺されたいのか貴様!」
「ぅ、ん………煩いよねー…」

狼狽極まる珍しい男の腕の中で、図々しくゴロリと寝返りした少年がむにゃむにゃ呟く。存外図太い。
ピタリと沈黙した男がウロウロ彷徨い歩き、ベッドの上のブランケットを蹴り払ってその少年を横たえた。

「うーん、………化学の課題やってない気がするよねー…ぐー」
「セントラルライン・オープン、一年Sクラス担当の化学科教師を後程執務室に呼び出せ」
『了解しました』

真面目そのものの声音で宣った男がベッド脇に腰掛け、むにゃむにゃ寝言を宣う少年に無意味過ぎるほど顔を近付けた。
聴診器を片手に頭を掻き、危篤の亭主を見守る妻の様に手を握る男へどうしたものか首を傾げる。

「すまんが、診察させて貰えんかのぅネイキッド」
「黙れシリウス、聞こえないだろうが」
「うーん」
「ああ、こんなに苦しそうな声が…!」
「では勝手に診察させて貰うとしよう」
「汚い手で触るな」
「然し脱がさねば診る事が出来んからのぅ」
「脱がすつもりか貴様!」
「暴力はいかんぞ、ネイキッド」
「うーん、うーん」

目の下に立派な隈をこさえた少年は恐らく睡眠不足だろうが、コートも仮面も外す余裕がないらしい二葉と言えば少年の手を握り締め耳を澄ましたままだ。
逆側に回り込みブレザーへ手を掛ければ、

「うーん、タンスに眼鏡ー」
「「…」」

一体何の夢を見ているのだろう。

「タンス?」
「何故そこで私を見るんですか」
「うーん………ドラちゃんのパンツは、被らないでー」


だから何の夢を見ているんだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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