帝王院高等学校
今も昔もオカンはマイペースですね
この日、帝王院を揺るがす噂となった出来事がある。これはその一部始終を記した記録だ。

「嵯峨崎の野郎、どっちに逃げやがった…!」
「お待ち下さい閣下!」
「光王子様ぁっ」
「抱いて下さい閣下ぁあっ!」

またしても唇を奪われたヘタレ…いや、副会長が見えた。
凄まじい目付きで周囲を見渡し、チョロチョロ付いてくる親衛隊達には目もくれない男は何の罪もない近場のダストシュートを蹴り付け、凹んだ蓋には構わず舌打ち一つ。

「セントラルライン・オープン、コード:ファーストを探せ!」
「あっ、ずるい…」

喧嘩に中央委員会権限を惜しみなく使う日向へ親衛隊の一人がうっかり呟いたが、他の親衛隊達は一人や二人殺していそうな日向を前に頬を染めるばかりで誰も突っ込みやしない。

『…82%………100%、対象を同現在地に捕捉』
「あ?」

どうやら佑壱は日向と同じ所に居るらしい。どう言う事だと凄まじい目付きで辺りを見回した日向に、何事か気付いたらしい親衛隊の一人が指を差した。

「あのぅ、閣下の薬指なんですけどぅ…」
「嵯峨崎ぃ!何処に隠れてやがる、死にたくねぇなら出てきやがれ!ぶっ殺す!」

矛盾しまくる日向に、親衛隊達がこそこそ囁きあう。左利きである日向の指輪は利便性を考えて右手にあるが、左薬指に光る指輪に金のラインが二本しかないのは何だろうか。
副会長は金ラインが三本、風紀であり会計でもある二葉の指輪には金の二本ラインの中央に黒のラインが入っていた。

「あれってさぁ…」
「紅蓮の君の指輪に見える、けど」
「まさか、ねぇ…」

三時のおやつを作る為に佑壱が取った行動は、忽ち帝王院中を駆け巡る。
この時日向が左席書記の位置を調べていれば、蹴り付けたゴミ箱の中に潜むオカンを見付けたのだろうが、怒りで支配されている彼は結局、左薬指の指輪にもまだ気付いていなかった。


「嵯峨崎を見付けた奴に褒美をくれてやる!…草の根分けて捜し出せ!」

この日、日向が佑壱にプロポーズして振られた挙げ句逃げられた、と言う根も葉もない噂が駆け巡った。
噂の褒美が気になった俊が、着ぐるみパジャマ姿の佑壱を連れて某副会長の寝室をノックしたとかしなかったとか言う話は、また別の機会に記そう。









『ブランコ乗ると、空飛んでるみたいだよねー』
『抹茶色とお空の色、悩むよねー』
『嫌いなの?』
『どっちも綺麗なのに、変なの』
『うーん、じゃあ抹茶はあげるからー、こっちはアキちゃんに頂戴ー』




ああ、この世は真っ暗だ。
空も光も存在しないかの様に、一日中。

「まだ生きていたのかい」
「無能の癖に存外しぶとい」
「殿下はお前の様なクズを未だ側に置いてらっしゃる」
「流石、…Black sheep」
「嫌われ者同士お似合いと言う訳か」

クスクスクスクス、繰り返し。
絶えずさざ波の様な嘲笑を聞いてきた。空のない世界で、土の匂いを忘れたまま。

自由など何処にも存在しない。
離れ離れの家族に未練もない。まだ、ひそひそ囁きあいながら汚い物を見る目を向けてくる弱い生き物の方が、ずっと。
あの時は実の肉親より、情が沸いていた様な気がする。思い出す事もない、七歳の晩夏。


「可愛げのない」
「跪き許しを請えば良いものを」
「声も出せないのかい」
「ほっほっ、ならば可愛いものよ」

繋がれた手足に錆びた鉄屑。
全身に滲む血の匂いが煩わしかった。空など何日見ていないだろう。
与えられるのは日に数滴の水と、絶え間ない暴力。まだ生きているのは、自分が化け物だからだろうか。

右目には汚れ果てた眼帯、喉に巻き付いた有刺鉄線、恐怖など微塵もない。


「ヴィーゼンバーグの血統だと聞くが、所詮家督を捨てた男の隠し子」
「落胤ならば落胤らしく、光に埋もれるが良かろうよ」
「所詮お前は、光の王子には適わない」
「闇の子、所詮お前は無能」
「おぉ、見よ。あれに見える太陽を!」

こそこそ、クスクス。
光を喪失した世界で徘徊する大人達に感情など一つも。
生まれ落ちた刹那に無価値と印された生き物は、二度と光の下を駆ける事などないのだろう。


失った右目が痛みを発している、錯覚。右側が痛い。それだけあればまだ、生きていける。


『何で嫌いなの』
『どっちもとっても綺麗なのに』
『碧も蒼も、どっちも』
『要らないなら頂戴』


あの声さえ覚えていれば、網膜を焼き尽くされたとしても生きていける。
まだ大丈夫だ。
まだ、大丈夫。
絶望などしていない。

「ああ、我らが光よ!」
「何故殿下へBlackをお与えになったのだ!」
「彼程ノアに映える色など存在するまい!」
「我らが光!闇に座るべき光、」
「紅き御子!」


絶望したのは、生まれ落ちた刹那だけだ。


「鎮まれ、下等生物共」

見えるか、勝者が。
見えるか、腕に繋がれた鎖が。
見えるか、足に科せられた枷が。

「随分面白い格好じゃねぇか、ネイキッド」
「…相変わらず、猫被りは枢機卿の前だけか」

笑う赤が見える、見下す蒼が見える、まだ大丈夫。

「無断でドーバーを渡った逃亡者」
「いつ俺が逃げた」
「ドイツを手に入れてどうするの?はは、お前なんか義兄様には指一本触れさせない」
「…話にならんな、ファッキンレッド。とっとと失せろ雑魚が」
「誰に言ってやがる、雑魚が」

こんなものは太陽ではない。
真の赤はコイツの為の色ではないと知っているだろう?


「心臓、抉り出してあげようか。オニイチャン」

見えるか、心臓に突き付けられた刄が。馬鹿な事をする生き物、燃える赤がまだ見える。笑う赤がまだ見える。見えなくなってしまえば良いのに。

「お前が傍に居て、何で義兄様はあんな目に遭ったの?」

皮膚に浮いた赤が見える。
心臓を僅かに外れた刄が肉に突き刺さる光景も、嘲笑う大人達も、無人の玉座も、まだ、見える。



─────アキ。


「その程度で嫌がらせしてるつもりか、ファースト」
「は、ははははは!呆れた、刺されても首絞められても平気な奴なんてオニイチャンくらいだよ!ははははは!」
「…誰がオニイチャンだ」
「うるさい」

無表情で殴る生き物を見た。
全身から流れ出した赤が床に広がる。視界が霞んで尚、痛みも恐怖もない。
繰り返し唱えるのは唯一の名前。あれさえ覚えていれば生きていける。あれさえ笑っていれば生きていける。

「義兄様を見捨てたお前が何で生きてるの」

左手に刺さる刃。
ああ、暫くは右手だけで生活する必要があるのか、と。吐いた溜め息は見下す男の足で蹴り払われた。

「死ねば良い。ネイキッド、いい加減目障りだ」
「惜しいな。ネイキッド=ヴォルフ、ドイツ空軍を手に入れた俺は、ヴォルフ将軍だ」
「その程度でグレアムを支配するつもり?空は俺の領域だよ。撃ち殺してあげようか」
「…出来るものなら殺してみな、嵯峨崎佑壱クン」
「っ!」

足りない。
そんな蹴りではまだ、そんな拳ではまだ、足りない。痛覚神経などとうに麻痺した。放り込まれた中国の隅で、痛みも恐怖も最早粉々だ。

「日本の航空機にでも乗るつもりか」
「うるさい!」

骨が砕けようが血が溢れようが何の感覚もない。好きなだけ痛め付けろ、まだ足りない、まだ生きている、お前程度で俺は殺せない。

「…弱過ぎる」
「ぅ、あ!」
「ファースト!」
「殿下っ、」
「おのれセカンド!」
「誰か奴を牢へ!」

甘やかされて育った王子様、お前には俺は殺せない。何度も教えてやっただろう?だから言うんだ、


「お馬鹿ですねぇ。何度も言ったでしょう?子供の癇癪に付き合う暇はありません」
「化け物、が!」
「有難うございます」

骨が砕ける、音。
掴み上げた赤を放り捨てて、体の中心に突き刺された刄を引き抜いた。

「お返しだ」
「ぅ、あ!あああぁ、」
「凄いな、痛いか?どんな感覚だ?もう覚えてないんだ、俺は」
「あ、あああああああぁ、あああ」

滴る、赤。
いっそ目に入った人間全員殺してやろうか、と。いっそ目に入った人間全員殺して東の島国まで逃げてやろうか、あの小さい生き物を誘拐して誰も居ない何処かで暮らしてやろうか、と。

「ん?ああ、左腕が可笑しいと思ったら…さっきの拷問ごっこで折れてたのか。不便だな」
「離、せ!化け物が!」
「貴様の全身叩き折った所で、明日には歩けるんだろうなファースト。羨ましい体だ」
「がはっ」
「セカンド」

あれさえ存在しなければ。
見ただけで逃げ出してしまいたくなる様な圧倒的威圧感を滲ませたアレさえ、出会わなければ。


「おや…おはようございます、枢機卿」
「戯れているのか」

目元に純白の包帯。
笑う声音とは真逆に口元は無表情、視力の一切を失った筈の男が、然し真っ直ぐ歩いてくる。

「この数日見ないと思えば、私の子猫は独りで遊んでいたと見える」
「おや、淋しかったんですか?」
「ああ」
「仕方ありませんねぇ、我が君は」

今まで嘲笑を滲ませていた大人達が平伏す様を横目に、右目の眼帯を掴んで引きちぎった。

「そろそろ俺の角膜が馴染んで来た頃ではありませんか、枢機卿」
「物好きな生き物よ。私の角膜は馴染んだか、セカンド」
「ええ、但し視力の程は0.01未満」
「つくづく我が身が怨めしい。高々陽光に跪くとは」

太陽に焼かれた神の子。
Black sheep、誰が名付けたか。白銀の髪も真紅の眼差しも、全て。黒からは程遠い。

「ドイツを支配して来ました。身勝手な行動をお許し下さい」
「私の為だろう?医者の確保をしたそなたを、誰が咎められよう」

蜘蛛の子を散らす様に逃げていく大人達、判っているのかいないのか包帯の下の目をさり気なく向けた男が、空席の玉座に腰掛ける。

「どう思う、ファースト」
「義兄様の言う通りだよ。セカンド兄様にご褒美をあげなきゃ」

足元には、縋り付く赤。

判っているのか、そこの生き物は貴方しか見えていない。なのに貴方はまるで足元には何も存在しないかの様に無表情、可哀想だと僅かに。

「色が変わったそうだな」
「投与された薬の後遺症であって、枢機卿の所為ではありません」
「早う、見てみたいものだ」

僅かだけ、包帯の下の唇が笑みを浮かべた気がした。
この圧倒的勝者が目の前に存在しなければ、何も彼もを投げ出せたのに。
この全てを従わせる声音が存在しなければ、今すぐにでも逃げ出せた筈なのに。



─────アキ。


(繰り返してきた呪文も意味を為さない)
(逃げ出してどうする)
(投げ出してどうなる)
(買われた生き物に帰る場所など何処にも)
繰り返すのは夢ばかり。
  叶わない夢ばかり、今も


「そなたのサファイアに並ぶ、黒曜石。大層美しいものだろう」
「それ全て、唯一神の御膝のもの」
「早う、見たい」

絶望したのは、生まれ落ちた刹那だけだ。
恐らく目の前の男も。差し伸べられた手に頬を寄せて、なだらかな白肌に口付けの忠誠を誓って、尚。

「愛らしいセカンド。ファーストの提案通り、そなたへ褒美を取らそう。求める栄誉は」
「…次期公爵殿下の警護を、俺に」
「私の元から離れると申すか」
「いえ、元より殿下は我々と同じく帝王院学園に籍を置く生徒。ならばヴィーゼンバーグの望むまま、暫しイギリスへ」
「ほう、隣国へ海を渡ると」
「グレアムに海など存在しません」

立ち上がり緩く笑う口元へ跪いた。万一いつか出会う機会があるなら、万一いつかあの黒曜石の前へ立つ時が来たなら。
今度こそ、望むままに演じたいと思うのだ。

「貴方はいずれ陛下の後継者として立つ御方。ならば帝王院学園は貴方のもの」
「そなたにも私にも、最早学業など不必要ではないか」
「退屈しのぎですよ。高坂君を護ると言う大義名分があれば、退屈する暇もない」
「あの子供は私以上に命を狙われている様だからな」
「彼は貴方と同じ年ですよ」

呼び捨てにもしない。
いつもいつでもにこやかに、決して怒った顔など見せず、常に『美しい姿』を。
笑ったら可愛いのに。と、言ったから。自分が嫌うサファイアを好きだと言ったから。要らないなら頂戴と、言ったから。

「良かろう」

もう一度。
今度は恐ろしいもの全てから護ってあげよう。今度はちゃんと同世代の普通の人間として出会って、望むままに演じるのだ。

呼び捨てにもしない。
欲しいものは何でも買ってあげる。
(叶わない夢ばかり)

「愛らしいそなたの頼みだ。共に、赴いてやろう」

憎み切った世界がこんなにも美しく思える。穢れ切った我が身がこんなにも呪わしく思えた。
(呪文の様に繰り返している)
(救われない馬鹿な生き物)
(身内にすら愛して貰えない癖に)
(何を期待しているのだろう)



「光栄にございます」


(もう、覚えていないのに)

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!