帝王院高等学校
宇治金時って意外と高級だよねー
一目惚れなんざ信じちゃいない。
餓鬼の戯言と一括りにされたなら怒り狂っただろうあの日、

『それ返してっ!』
『はは、蛮族が喋ってる。あったま悪い喋り方、動かなくなれば良いのに』
『返してよー、それ大事なものなんだからっ』
『何でお前なんかがアイツの隣に居たの?』

誰からも何からも守ってやりたいと強く願った天使を視たのだ。
背後に迫る黒服の手には銀の刄、切っ先が何を狙っているのかになど興味は無かった。

『馬鹿同士お似合いだけど』

笑う赤。
睨む黒。
二人を狙う、銀。



『─────そいつに触るな!』

誰かの悲鳴。
誰かの怒号。
銃声すら掻き消す雷鳴、叩きつける雨、自棄に痺れ冷えた背中が、然し燃える様に熱い。



『格好悪ぃ所、見せちまった』

目を見開いて見つめてくる相手を、ただ満足げに眺めただけだ。
背中が冷えていく。足元に赤い泉、雨で張り付いた髪を掻き上げれば、意気地なしの膝が崩れた。

『…まぁ、良いか。無事なら何でも良い。他の全部、どうでも良い』

餓鬼の戯言と片付けられるのは耐えられなかったに違いない。網膜一杯映し込んだ表情は何処か呆然としたまま、ただの一言も掛けてくれなかったけれど。



『どんな手を使っても、』

永遠の誓い。まるで騎士の様に。
知る者は誰も居ない。雷鳴、スコール、黄昏時にしては闇に近い夏の空、濡れたカラスが飛んでいく。



『忘れるな』


あの約束を果たした刻こそ、満たされる筈だ。





『俺の全部、くれてやる』









愛しています。
(約束を忘れた貴方を)
こんなにも近くに居ます。
(僕には貴方が全てだから)
早く、思い出して。
(今すぐにでも)



僕は貴方を慈しもうと思います。
(愛する方法を知らない僕は)
(貴方から愛される夢ばかり繰り返し)
(宝石の様な光の雫を浮かべる貴方へ)
(僕の右側を残します)
(ずっと持っていてくれますか?)



僕は貴方を護ろうと思います。
(愛ばかり膨らむ僕は)
(貴方を抱き締める夢ばかり繰り返し)
(無限の虚無を抱き全てを見下す貴方へ)
(決して消えない疵を残します)
(貴方と同じ色の、疵を)



僕は貴方を支配しようと思います。
(狭い世界の真理を知った僕は)
(世界を舞台に喜劇の幕を開いた)
(全てを拒絶し全てを求める貴方へ)
(至上最高に幸福な悪夢を見せたい)
(絶望の夜明けには二人で笑みを)



僕は貴方だけのお姫様。
僕は貴方だけの王子様。
僕は貴方だけの、道化師。


さァ、見付けてごらん。
此処に居るよ、傍に居るよ、君の隣に。


まだ気付かないの?






可哀想な、僕ら。









ふわり、と。
翼の様に柔らかく浮いた体に、重力が圧し掛かる。緩く目を開けば黒、深い青銅の見事な細工が施された面が見えた。


「アンタ、あの時の」

見覚えがある。
いつか襲われた日に、闇の中から現れた貴族の様な男。

「マスター」

誰かの声に男の背後を見れば、明らかに生徒ではないだろうスーツ姿の男達が佇んでいる。無意識に黒いコートを握り締めれば、羽根の様に下ろされた。

「えっと、有難う、ございました」

間違いなく助けられたのだ、と。あの時は言えず仕舞いだった言葉を口にすれば、見上げる程の長身が表情を隠したまま上を見上げ、獣の様に螺旋階段を駆け上がっていく。

「ちょ、」

速い所の話ではない。
何段飛ばせばあの速さになるのか、必死で上を見上げると凄まじい悲鳴が聞こえた。目の錯覚ではなければ、先程太陽を呼び出した生徒達が降ってくる。

「なななっ、」

人間は降ってくる生き物ではない筈だ。条件反射で両腕を広げれば、スーツ姿の男達が溜め息を吐く気配、

「退きなさい、時の君」
「君に何かあれば、枢機卿がまた狂われる」

外国人が話す流暢な日本語に多少怯んだ刹那、落下してきた生徒達が彼らの腕に収まった。
皆ぐったりしている様だが、大惨事にならず済んだ事にほっと息を吐いて、崩れた膝。

「わっ」

ぺちょり、と腰を抜かせば目の前に黒い翼が舞い降りる。ゆっくり見上げれば屈み込んだ青銅の面が目の前、シルドレート、と呟いて翻訳不可能な早さの英語で背後の外国人達へ片手を上げた。
黒いコートが自棄に中央委員会会計のものと似ている気がしたが、執行部三役である日向、二葉、佑壱の正装は皆が好んで真似るので、国際科の私服でちょくちょく見られる。日夜パーティー三昧の国際科は仮面も制服の内に近い。

そもそもあの性格が捻曲がった二葉が、一見投身自殺中の太陽を助けるとは99%考えられなかった。寧ろデジカメ片手に見物しそうな気がする、と考えて思い浮かんだのは変態かも知れない親友だ。
このがっかり感をどう表現するべきか、察して貰えたら大変助かるよねー。

「…畏まりました。傷が開かぬようお気を付けて、枢機卿」
「ご機嫌よう」

何処ぞに去っていく背中を見送り、怒濤の展開に瞬けば、太陽と共に落ちたらしい手摺りの残骸が散らばっている。
無慈悲に放置された生徒達が折り重なる光景に胸元のガマグチを掴み出し、

「クロノスライン、」

誰かを呼ぼう、と。奪われた携帯ではなく指輪を取り出した瞬間、また。重力を忘れた体が浮かんだ。

「え、と」

抱き上げられたのは、判る。
神威の様に肩へ担ぐ訳でも佑壱の様に小脇に抱える訳でも、二葉の様に赤子を抱く訳でもなく、横抱き。
酷い既視感は俊と神威を見ていたからだと思う。

「お、下ろして…下さい」

相手が何年生かは知らないが、後輩と言う事はまずない。敬語で伺いを立てたにも関わらず、綺麗さっぱり無視した腕は勝手に太陽をお姫様抱っこしたままスタスタ歩いている。
光王子親衛隊に囲まれて全く嫌な予感がしなかったのは、助けられる事が判っていたからだろうかと考えて、それなら何て他人任せな勘だと僅かに落ち込んだ。

「授業、あるし。次は確か体力測定でグランドなんですよねー」

あっちやないかーい、と一人突っ込みに笑い声もボケも見当たらない。何だこのアウェイ感、通い慣れた帝王院学園が見知らぬ土地の様だ。

「えっと、あー、ああー」

沈黙の辛さに耐えかねて、無意味な声を出してみる。ぴたり、と足を止めた男が何故か哀れんでいる様に思えて頬を染めた。
馬鹿だと思われたなら全くその通り、返す言葉もない。

と、平凡が照れたり通りすがりの生徒達に凝視されて青冷めたりしている間に、何故かカフェテリア横のウォークインショップまで辿り着いていたらしい。
太陽を片腕で抱き変えた男が微妙な表情の店員に何かしら注文し、出てきたテイクアウトボックスを片手にスタスタ歩いていく。

ああ、目の前に先程まで昼食を取っていた並木道。レジャーシートの上でトランクス一丁の健吾と裕也が健やかに昼寝している。


「もっと強くなるんだ!」
「班長っ」
「風紀は何者にも屈しない!」
「局長の名を辱める事がないようっ、精一杯頑張ります!」
「取り締まりより天の君を見守る方が大事さ」
「溝江の言う通りさ」

その傍らで随分ズタボロな風紀委員達が、メガネーズを余所に円陣を組んで互いの肩を叩きあっていた。

「何だったんだ、あれ」

片腕で赤子を抱く様に抱き上げられている現実から目を逸らし、男の背後を塩っぱい目で見送る。

「あ、れ?」
「局長?」
「え?閣下?」

振り向いた風紀委員達がぽかんと口を開いて指差してきた気もするが、ズカズカ植え込みを突っ切る長身のお陰で桜の向こうに消えた。

「わ、」

ガクン、と揺れた体に怯み目を瞑れば、ふわりと下ろされたのは噴水のすぐ脇。
今の時間は循環していないらしい噴水を横目に、意味もなく人魚のオブジェを見た。アクエリアス、と言う表記。水瓶座は太陽の生まれ星座だ。

「えっと、」

テイクアウトの紙箱からプラスチックカップを取り出した男に首を傾げ、パッションピンクなシロップが惜しみなく掛けられたかき氷に瞬く。
カップを手渡されてどうしたものかと逡巡刹那、

「あ、ありがとーございます?」

痙き攣り気味に言えば、頷いた男がやはり無言で隣に座った。沈黙が痛過ぎる。
高校生にもなって良く知りもしない相手からピンクのかき氷を奢って貰うのは如何なものだろう、いや然し出来れば緑色の、

「あ、宇治金時!」

ちらり、と横を見やれば男の手に抹茶の緑が清々しいかき氷がある。
若年寄り疑惑がある日本茶愛好家の太陽がピーチ味のかき氷を一口齧ったまま、じっと隣のかき氷を見つめた。その熱視線で溶けそうな勢いだ。

「M意外と多いんだよねー…でも残したら勿体なくて買ったコトないんだよなー、カフェの宇治金時…」

何せ分け合う友達も居なければ庶民思考、800円の苺かき氷は勿論、1200円もする宇治金時を頼む勇気はない。
因みに太陽が一口齧った桃かき氷は練乳とドライピーチのシリアル付きなので、締めて1300円である。

Sサイズ200円くらいなら買えたのに。いや、一応社長である父親払いだから気にする必要はないが、無駄遣いしなければ余った預金口座からゲーム代を捻出出来る。優先順位1位は勿論ゲーム、食費など二の次だ。

「…ほら」

漸く喋った男が手付かずの宇治金時を差し出してくる。余りに凝視し過ぎて呆れたのかも知れない。

「いやいやいやいや、すいませんすいません。ア、アハハ、足が長くて羨ましいなーと思っただけで別に1200円の宇治金時をせびってた訳じゃなくー」
「…」
「………すいません、頂きます。」

墓穴を掘った様だ。
もう喋るまいと、奪われた桃かき氷の代わりに宇治金時を頬張る事で沈黙を図った。

然し美味い。1200円もするだけはある。
その辺のファーストフードではまず口に出来ない上品な味だ。こんな平凡野郎から食べられる為に産まれてきたんじゃないのは判ってる、判ってるけども美味しい。人の奢りだと思えば益々美味い。小豆も白玉も普段なら食べない代物だが、いや実に美味い。実に面映ゆい。違う、それでは庶務ではないか。

「ふ」

微かな笑い声に顔を上げれば、青銅を押さえた手が震えている。いや、言うなら肩も背中も震えていた。どうやら笑われているらしいが、足の短さを笑っているなら、もう半分しか残っていない宇治金時を投げ付けるのも吝かではない。


「知らん人間に付いて行ったらあかんえ」

鼓膜を撫でる穏やかな声音、鈴を転がす様な声には聞き覚えがない筈だ、と。瞬いて眉を寄せた。

「何をされても文句は言えん。…よう知ってはるやろ、お前さんは」

誰だ。(いや違う)(知っている筈だ)
誰だ。(思い出せ)(全く知らない)
(撫で付けた黒髪)
(細かい幾何学的模様を描く青銅)
(長い足)

(幾何学的模様を描く青銅)
(黒髪)


(蒼と黒)


血を流した碧、柔らかく瞬いた蒼、蒼く空を貫く落雷、首に巻き付く何か、笑う唇、蒼い眼差し、


『神へ祈りを』

誰かが囁いた。あれはフランス語だ。

『大地のずっと奥深くにある楽園へ行ける様に』
『そいつから手を離せ!』


思い出してはいけないと
魔法使いが囁いた
まだ舞台に上ってはいけないと
優しい魔法使いが囁いたのだ


あの日




『稲妻の様に鋭い銀の刄が見えました』
『首に巻き付く力が増した』
『薄れていく視界に舞った黒』
『銀の刄は碧い宝石を傷付けて』
『彼岸花を咲かせたと言います』


頭の中で笑う誰かが代わる代わる囁いた。頭が割れそうだ。腹の奥底が痛い。指先が痺れる。


『枯れない赤』
『黒く塗り潰された碧』
『君が忘れたのは、どちら?』
『Open your eyes.(見付けてごらん)』



腹の奥底が熱い。指先が冷える。


「けほっ、うー」

喉が焼ける。息の仕方が判らない。頭が痛い、ズキズキする

「頭、痛い。ズキズキするー」
「急いで食うから、」

背中を撫でる何か、鼓膜を撫でる何か、腹の奥底から這い上がってきた塊が喉を貫いて、



「けほっ」


また、掌と視界を黒く染める。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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