帝王院高等学校
廊下は出来るだけ走らないで下さい
謝られるより有難うの方が心地が好いね。なのに人は矛盾している。
本当に難しい言葉は、ごめんの方なのに。


「兄さん?うん、こっちは今の所問題ないみたい」

左手に携帯、右手に鉛筆。
折り曲げた膝に乗せた純白のキャンバスへ、縦横無尽に走らせる漆黒の線。

「お母さんは相変わらず?じゃあ元気なんだ。そうなんだよ、この間また浴衣送って来たから」

淡く、力強く、濃淡付けて繊細に踊る様に、スケッチブックへ魂を吹き込もう。

「それでね、今度兄さんに作って貰いたいものがあるんだ。月末に新歓祭があるんだ、うち。だからさ、」

踊れ歌え純白のキャンバスに、誰にも内緒の魔法を掛けて。

「後でファックス送るから、僕の新作派手に仕立ててよ」
『任せておけ。どーんと魔法掛けてやらぁ』
「ふふ、超特急で宜しくね。あ、じゃあ切るから。



  また悪さしてる子が居るみたいだし」











「タイヨー、おしっこ行かない?」
「はいはい」

日課の連れションに付き合ってはみたものの、トイレの手前でゲーム機のバッテリーランプが点滅し始めた事に舌打ちした。

「やば、充電器部屋に置いてきたんだよなー」
「タイヨータイヨータイヨー!今日もおしっこの勢いがイイにょ!」
「はいはい」
「止まらないにょ!あっ、…ちょっぴり零れた」
「しゅーん、俺ちょっと部室行ってくるねー」
「ふぇ?」

騒がしい中へ手を振って、充電器目当てに近場のエレベーターへ足を向ける。
チョッキンガーと言う悲鳴と眼鏡が割れる音が響いた様な気がしたのは、気の所為と思いたい。

「トイレには一人で行けないのに、クローゼットの中も夜中の寮も平気ってねー」

今朝着替えようとクローゼットを開けたら、何故か太陽の星柄トランクスを被った黒縁眼鏡が詰まっていた。無言で目を擦り扉を閉めたのは、男の下着を帽子代わりにした変態が自分の友達だと信じたくなかったからだ。
再び開けたら太陽のUSAシャツの匂いを嗅ぐ変態が詰まっていた。とりあえず殴り付けたのは条件反射とでも言おうか。

昨夜、病み上がりにゲームで夜更かししていたら、酷く喉が渇いた。冷蔵庫には牛乳と健吾からの差し入れである赤まむしドリンク、緑茶は見当たらない。
流石に桜を起こすのも忍びなくカード片手に部屋を出れば、薄暗い非常階段にデジカメ片手で徘徊していたらしい俊と、呆れを通り越して胃が痛そうな風紀委員会を見た。何故か唐草模様のほっかむりをした泥棒は、瓶底眼鏡を光らせ深夜の密会カップルを撮影するつもりだった様だ。

同性交遊禁止を掲げる風紀委員会の見回りは公然の事実であり、カップルは基本的に深夜の密会などしない。見付かれば懲罰棟直送だ。
それを説明すれば雷に打たれた様な表情…と言うか黒縁眼鏡が、真っ暗な外に走り去った。数分後神威に捕まったのか、お姫様抱っこで運ばれていくオタク泥棒に風紀委員達の安堵の溜め息が漏れていた気がする。

「然しいつの間に同居してたんだろ、二人共…」

一人部屋である筈の帝君部屋に眼鏡二匹、今朝クローゼットから掴み出したオタクを連行して行くと、風呂上がりの神威に出くわして悲鳴を噛み殺した。朝っぱらから水も滴る銀髪美形は目に毒だ。
狼狽えて佑壱の部屋に走れば、この世の地獄。寝起きの佑壱には二度と近づくまいと誓った山田太陽、腹癒せに先程の授業で首を絞めてやったが、実際それ以上の目に遭わされたのだ。
偶々通り掛かった隼人が佑壱を蹴り倒していなければ、やばかった。その直後隼人ファンのチワワに絡まれ、またしても隼人が助けてくれた為に、

「膝枕30回…」

条件が余りにもショボい。
但し回数が意外に多い。隼人がメールで呼び出せば否応なしに膝枕役を務める、と言う交換条件だ。今し方までの昼食で既に一回クリアしているので、残り29回。但しヴァルゴ並木通りの目立つ所で左席一同購買の弁当(俊の奢り)を広げた為、目立ちまくったに違いない。弁当8つ食べた俊より、コンソメポテチを8袋食べた神威より、獅楼とBL小説を読んでいた桜より、裕也と日焼けサロンしていた健吾より、

隼人を膝に乗せていた自分が目立ちまくっていた気がするのは、錯覚ではないだろう。


靴箱に画ビョウが一個入っていた。嫌がらせがショボい。


「ちょっと話があるんだけど、トキノキミ?」

部室棟最奥、見慣れた扉に手を伸ばした途端、後ろから呼び止められる。
逃げ場がない、と舌打ちを噛み殺し、緩やかに振り返れば6人。胸元に煌めく金のバッジに、光王子親衛隊だと眉を寄せた。不味いパターンだ。

「何のご用でしょーか」
「判ってんだろ、付いてこいよ」
「嫌とは言わせないよ、ブス」

何が歯痒いかと言えば、ブスと言った相手が太陽より背が高い所だろうか。ギリ170cmの太陽とは違い、指先分くらい高いのが歯痒い。チワワの癖にデカイのは反則だ。
第一チワワならチワワらしく150cm代で群れを作れ!受けなら受けらしく可愛さを、


「…いかんいかん、思考が怪しい方向に向かってたよねー」
「何ぶつぶつほざいてんだよ」

言葉遣いの悪さに鼻白めば、非常階段の方へ近付いていく気配。益々人気が少なくなる、と、ブレザーのポケットに手を突っ込み携帯を漁った瞬間、不幸にも着信音が響き渡ったのだ。
ああ、この音は隼人の呼び出しではなかろうか。何と言う間の悪さだ。

「ちっ」
「ちょいと、君」
「携帯は預からせて貰うから」
「無駄な事しないでよね。こっちも暇じゃないんだから」

こっちも暇じゃない、と呟き掛けて、もしもの時はクロノスラインにお願いしようと油断したのが運の尽き、か。
光王子親衛隊と言えば過激思考が売りのクレイジーばかり、まともな会話は望めないだろう、ならばちょっとくらい愚痴に付き合ってやるか、などと。馬鹿にも程がある。

螺旋階段は目の前、五階の現在地で終わり。手摺りの向こうは五階分の吹き抜け、覗き込む勇気はない。

「猊下も目障りには違いないんだけど。お前はそれ以上に目障りなんだよ」
「Sクラスってだけで何の取り柄もない癖に」
「死んで詫びろよ」
「閣下への愚かな暴言を!」

ぐらり、と。
上体が後ろに傾いた。手摺りを背にして囲い込まれて、一人が両手を突き出してきたからだ。本来なら手摺りの感触に背中を押された筈だった。

「う、そだろ」

かたん、と。
小さな音を残して背中ごと外れた手摺り、ふわり、と浮いた体が落ちていく。
全身の血が冷える、冷える、目前には汚いものを見下す沢山の、目。


「俊、」

平凡なのだ。
変態でオタクでトイレにも一人で行けなくてテストは花丸0点で最早どうしようもない友達みたいに、空から舞い降りるスキルなんか持ち合わせていない。

汚いものを見下す目、吊り上がる黒い唇、そう言えば、佑壱はいつから髪を染めたのだろう。熱で唸っている時には気付かなかったけれど、今朝気付いた時には黒髪だった。
誰も突っ込まないから敢えて聞かないまま、そう言えばあのアメリカンチェリーは自棄に甘かった気がする。缶詰めのチェリーみたいに、甘かった気がする。


なんて。
思考回路を駆け巡るパルス信号はクレイジーな速度でハイウェイ、落下速度を上回る上回る。
実際は悲鳴すら挙げる余裕も暇もない。助けて、と。叫んだ所でヒーローが爽やかに救うのは世界平和とヒロインだけだ。

「わー、これ落ちたら…」

走馬灯もへったくれもない。
掴み掛けた何階かの手摺りが空振りする間際、ガシャンと悲鳴を上げた鉄の塊に目を瞑って、



「痛そう…にょ」


祈る言葉すら、最期まで。















「ぷはーんにょーん!」





廊下に眼鏡台風が巻き起こった。
哀れ巻き込まれた生徒達は吹き飛ばされたりお洒落な眼鏡をプレゼントされたりフラッシュを浴びたり、実に様々な被害を被ったらしい。

「止まって下さい天の君!」
「意外とスピード違反です!」
「班長っ、時速60キロを記録しました!帝王院学園初ですっ」
「大分スピード違反でした!」
「バイクで講堂へ乗り付けた紅蓮の君よりスピードが出ています!」
「止まりなさい!ああもうっ、お願いします止まって下さい!」

泣きが入った風紀委員達にキキッと足を止めたオタクはキラリと光る眼鏡を押し上げ、しゅばっと拳を固める。

「お黙りなさい警察の犬め!」

警察ではなく風紀だ。

「エリート警視×叩き上げ警部補…萌ェエエエ!!!」
「何をやっている」

何の気配もなく現れたナチス軍人に、とりあえず世界は凍った。
妄想で鼻血を吹いた腐男子が前屈みのまま振り返り、親指を立てる。

「カイカイ大佐、ご苦労様ですっ!」
「何事だしゅんしゅん萌男爵」
「ちっちっ、僕はまだまだ駆け出しの腐男爵でございますっ」
「ほう」

風紀委員達が絶望した。
この数日で超一級危険人物としてリストアップされた、遠野俊とBK灰皇院。この二人と言えば片や意味不明な言動が目立つ帝君で、片や奇抜過ぎる服装の神出鬼没生徒だ。
頭を痛めた委員達が直々に執行部へ物申しに行けば、微笑む二葉曰く、

『賑やかで宜しいではありませんか。天の君と言えば、日本文化保全会による同人誌では陛下のお相手役ナンバーワン。それに我が帝王院学園は、式典以外の制服着用義務はありませんし』

中央執務室にバスタブを運ばせ薔薇の花弁を浮かべスパしていた二葉に、見ていた皆が鼻血を吹いたとか何とか。
親衛隊とのお遊びから帰ってきた日向が無言で扉を閉めたのは記憶に新しい。

「カイカイ特別機動隊長!」
「大変面映ゆい、何事だしゅんしゅん特殊機動隊長」
「タイヨーの携帯が落ちてたにょ!」

胸元からしゅばっと取り出した携帯に黒縁眼鏡が曇った。聞いていた風紀委員達は半ば諦めの極地だ。

「タイヨーの携帯…ハァハァ、こっそり僕の登録名にハートマーク付けたら怒られるかしら?!ハァハァ、こっそりタイヨーとツーショット合成したプリクラを電池の裏に貼ったら怒られるかしらっ?!ハァハァ、冷たい目で見下すオプション付きで!ハァハァハァハァ」
「俊、近頃の若人にはチュープリと言う流行があるらしい」
「桜餅の携帯にはこっそり貼ったにょ!うっかり涎が溢れて水濡れシールが反応しちゃいました。じゅるり」
「俊、俺に吸い付け」

例え軍人が眼鏡っ子の背後から抱きついて頬擦りしようが、ハァハァ怪しい息遣いの眼鏡が携帯電話をクンクン嗅ぎまくろうが、相手が左席委員会であるならば風紀より立場が上である。
対中央委員会限定の風紀委員と同じだからだ。公安委員でありながら変態揃いではないか、と何度も泣き付いたものだが、執行部はまるで相手にしてくれない。

少しでも強硬手段に出ればカルマがわんさかやってくる。佑壱に睨まれたら一巻の終わりだ。隼人に名前を覚えられても一巻の終わりだ。

「…風紀、辞めようかな」
「班長っ、気を確かに!」

いつの間にか居なくなっている二匹に気付いた風紀達がひっそり涙を零しながら、廊下は出来るだけ走らないで下さいお願いします、と言う貼り紙を一つ二つ、


「邪魔だコラァ」

蹴り飛ばされた。
何故か料理人ルックの赤毛に。

「待てやテメェ!今日と言う今日は嬲り殺す!!!」

続いて阿修羅真っ青な般若の王子様に踏み潰される。またいつもの喧嘩か、と風紀の涙で廊下に湖が広がる中、

「はっ、ストーカーかテメーは!」
「殺す!」
「人が三時のおやつ仕込んでるっつーのに、窓の向こうでテメーが子種仕込んでたんだろーが!男相手に!」
「殺す!」
「黙れ腐れホモが!殺すしか言えんのかハゲ!」
「誰がハゲだ野良犬風情が!そのウゼェ髪引き抜くぞ、ああ?!」
「淫乱が!男相手にケツ振ってんじゃねーよ!バーカバーカ!」

何と言う低レベルな争いだろう。

「お待ち下さい光王子様ぁあああ」
「紅蓮の君から唇を奪われたくらいで、羨まし…いえっ、落ち着いて下さい閣下!」
「そうですっ、少し…いえっ、かなり濃厚な口付けに腰が抜けましたがっ」
「光王子様も何だかんだノリノリに仕返しなさってたではありませんか!」

掛けていたなら聞いていた全ての人間が眼鏡を割り散らかしたに違いない。風紀委員達が風化する。
中央委員会二人が時速30kmの勢いで長い廊下を往復していた。蹴られ踏まれる風紀委員が哀れでならない。

「キスの一つや二つで執拗ぇんだよ!目の前にホモが居たら撲滅だ!滅びろ!」

腐男子撲滅運動でも始めたのだろうか。ホモを撲滅すればこの世から黒縁眼鏡が一匹消えるだろう。
大した被害はなさそうだ。寧ろ平和で良い。

「女にモテねぇのは判るけどな、ホモランキング一位が!滅れ淫乱ハゲ!」
「─────犯す!」
「返り討ちだコラァ!」


親衛隊の黄色い悲鳴が光速を越えた。
帝王院学園初ではあるまいか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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