帝王院高等学校
ポンジュース、シルブプレ?
人の上に立つにはまず庶民の目線から。帝王院学園が掲げる教訓であり、元々進学校だった学園へ技術学部を併設したのは随分後の話だ。


「と言う訳なんですよ、烈火の君」
「ふーん」

ヴァルゴ庭園の北側、時計台の目前に佇むログ調のテリアは一年Sクラスで賑わっていた。
二時間連続のフランス語。初めの一時間は担当教師も交えて日常会話のヒアリングとリスニング、つい今し方テーブルセットを経たばかりだ。始業ベルを待って、零人による簡単な食事兼マナーとなる。

本物のセレブは給仕も出来て当然、と言う訳だ。

「お空がとっても青いにょ…」
「ボスー、元気出しなよー」
「お気を確かに猊下、あの教師の採点が間違ってただけですよきっと」
「あの雲さんドーナツに似てる…ドーナツ…丸い穴…0点…ひっく」

然し先程ドロリッチと呟いて大地に還りそうだったオタクの所為で、皆の関心はコックが片隅で焼いているサーモンではなく哀愁の眼鏡に注がれていた。

「然し連続0点たぁ、或る意味凄ぇな」
「褒めるトコはそこですか」

何故かソムリエの格好をしている零人が瀕死状態の俊を横目に、甲斐甲斐しく看病するメガネーズを無視して太陽から説明を受けた様だ。
0点だけならまだしも『字が汚過ぎます読めません』と言う、数学教師(ヅラ疑惑濃厚)のメッセージで主人公のチキンハートは潰れ掛けていた。

低気圧を巻き起こした中央委員会長が無言で消えたが、トイレだと信じて疑わない皆を余所に零人だけが同情する。恐らくあの教師はもう敷地内には居ないだろう。

「おい、そこのブラックペッパーくれ」
「は、はい」

さりとて、余りに異常過ぎるが全く違和感ない為に敢えて無視していたテラス片隅。白いサロンを巻いたコック達が見える。
大きな鉄板を煉瓦を積んだ窯の上に乗せて、先程からジュージューとてつもなく良い匂いを漂わせていた。

「圧力鍋にポトフ入ってんだろ、レモンの皮を細切りにして鰯の油漬けと塗して添えろ」
「は、はい」
「おい、そっちのリゾットどうなってる?」
「サフラン入ります!」
「少なめにしろよ、パプリカの色が映えなくなるかんな」
「はいっ」

有名レストランで勤務経験がある三ツ星コック達を、無駄に長いコック帽子を被った赤毛が顎で使っている。
料理長と化した二年帝君はアラスカ産の鮭を豪快に捌き、見事な手際でソテー完了。休む間もなくドレッシングから手作りのサラダ、コンソメから手作りのスープ、3日煮込んだポトフを盛り付けていく。

「良し、チャイム鳴ったな。おい餓鬼共、手ぇ洗ってこい」

佑壱に睨まれた一年Sクラスは揃って手洗い場に並び、何故か紅蓮の君がお母さんに見えると囁きあった。何処から見てもイケメン料理長なのに、何故。

「良いか?イタ飯なら手掴みもアリだがな、フレンチは駄目だ。基本的にナイフもフォークも外側から使え。コースに沿ってセットされてんのは理解したろ?」

零人の分が用意されていない様だが、悲しみに暮れるオタクを宥めているメガネーズの分を奪い万事オッケー。舌打ちを噛み殺した佑壱が俊の夜食用から用意し直せば、勝ち誇った零人が教師らしく手を叩く。

「落ちたクズには手を付けんな、落ちた食器は給仕が新しいものに変えるのを待て。席からゲストは動くなよ」
「失礼します。前菜のサラダ、スープでございます」
「スープは手前から奥にスプーンを運べ。量が少なくなったら手前を掴んで皿を軽く押し上げろ。音は発てるなよ」
「ぐす…じゅるりらじゅるり」
「俊、早くおいでよ」

一通り説明する零人を横目に各自食事を始め、滝涎をオートマで垂れ流すオタクの猫背を太陽が撫でた。何だかんだで友達を見放せないA型、日本人で一番多い血液型だ。

「字が汚いオタクは…撲滅…」
「まだ凹んでんの?」
「意地汚いオタクは…抹殺…ぐすっ」
「仕方ないなー、」

俊のガマグチからシャーペンを取り出し(うっかり乳首に触れたらしくオタクを喘がせ)、ランチナプキンを手渡す。

「俺の名前書いてみなよ」
「ふぇ」


胃潰瘍 座薬太陽 イタイヨー


「…」
「ぷにょ」

何故か俳句調のそれを見るなり無言で俊の頬を引っ張る。然し顎に手を当て、逆隣でライ麦パンを品良く頬張って幸せそうな表情を浮かべた桜を手招いた。

「桜、これどう思う?」
「ぇ?太陽君の川柳?だったら僕はびっくりだぁ、はっくんですら、胃潰瘍。かなぁ」

天然と毒舌が炸裂する桜に肩を落とし、嫌に黒い果物の粒を頬張って息を吐く。

「神崎のデリカシーはともかく、内蔵は意外と繊細だったとしてー…あ、アメリカンチェリー?」
「何かゆったかそこのチビチェリー」
「うん、後で時計台裏に来い」
「すんませんでした」

向かいで要にちょっかい掛けていた隼人を満面の笑みで黙らせ、太陽のサーモンソテーにフォークを伸ばす俊を見守りつつナプキンを見つめる。
読めないも何もこの場合、

「上手すぎるよねー、字が」

書道には全く心得がない太陽にも判る、凄まじく流暢な筆記。左席委員会ハチマキは全て俊の手作りだが、どれも印刷かと疑いたくなる程には見事な出来映えだ。
ならば、何故。

「嫌がらせだよねえ」
「明らかに」
「ちょっと潰してこっかー、アイツ」
「俺も行きます」
「落ち着けそこの二匹」

ネクタイ代わりに『テクならお任せ』ハチマキを巻いた隼人と、ブレザーの二の腕に『明朗会計士』のワッペンを巻いた要を痙き攣りながら座らせて、やはり陰険数学教師の嫌がらせかと集結を計る。
どの道、一斉考査の採点は理事会直属の最上学部教授がする方式であり、内申点採決にも理事会を通すので、教師一人が嫌がらせをした所で成績自体に効果はない。

Sクラスは全て理事会管轄に置かれた最上級の生徒であるから、内部セキュリティまで万全だ。


「考えてみたらこの間の物理もあの先生だったし、気にする事ないっちゃないよ〜な」
「僕だけ留年とか退学とかしなくてもイイにょ?」
「成績は前期後期の考査で決まるんだよー。第一俺らには授業を受ける義務なんかないんだし、授業態度をどうだなんて教師が言える立場じゃない筈」

佑壱を指差した太陽が冷めた笑みを浮かべ、

「中央委員会に従う教師が、左席に逆らうと思う?」

また一粒、黒い果物を頬張って、恐怖で痙き攣るオタクを見上げた。座高は余り変わらない二人だが、椅子の上で正座している眼鏡の所為で太陽が見上げる形になっている。
椅子の上で正座している主人公の真後ろ、お代わりのサーモンソテーを運んできた料理長も嫌に爽やかな表情で素早く消えた。触らぬ平凡に祟りなし。

「やっぱ一通りマナーは出来るみてぇだな。今日はこのくらいにしておくか、…佑壱」
「気安く呼んでんじゃねぇぞコラァ」
「特別講師として授業に参加させてやってんのは誰だ?あ?言ってみろ愚弟」
「ぐ」

長過ぎるコック帽子を放り投げた佑壱が長い赤毛をボリボリ掻き、無駄過ぎるフェロモンを振り蒔きながらプリントを配る。真っ赤に染まる生徒らの中でカルマだけが冷静だ。

「格好良過ぎます嵯峨崎料理長ォ!ハァハァ、そこっ!そこで桜餅に抱き付きなさい!」
「えぇ?!」

が、総長だけが写メ音を響かせている。ガマグチの中にはこの数日で増えたSDカードだらけだ。何万枚撮影したのか謎である。
桜の首に腕を絡めた料理長はそのままプロレス技を掛け、うっかり桜を成仏させる直前で太陽に蹴り飛ばされた。

「何やってんのかなー?」
「スんません」

マウントポジションでカルマ副総長の首を絞める左席副会長に、一年Sクラス一同が「番長山田」と呟き頷きあっていたとか何とか。
成仏し掛けた佑壱がテラスの隅で膝を抱え、コック達に宥められている。各自手作りプリンを手にしているが、プリンにも手洗いにも煩いオカンは首を振るばかり。

「はぃ、どぅぞ」
「幸せになるのだと思います」

メイドイン安部河のカスタード鯛焼きでプリチー嵯峨崎へ変身し、今や零人の膝の上でチーズを齧る赤ミッキー。兄貴が無言で眉間を抑え涙を耐えている様だ。肩が震えている。

「安部河、お前には無条件で単位やるからな」
「えぇ?!」
「その鯛焼きを定期販売してくれ…」

兄貴が弟に餌付けしそうな気配を感じつつ、佑壱が配ったプリントでフランス語テスト開始。
終了と同時に零人へ提出した皆がコックからプリンを貰って満足げだ。

「おう、一桁上等で作って来たんだが。中々やるじゃねぇか」

チョコソースがたっぷり掛かったプリンを片手に採点している零人が、片眉を跳ねて随分面白い表情を滲ませた。
コーヒーを啜りながら携帯を弄っている佑壱を振り返り、睨む佑壱に一枚のプリントを手渡す。

「ケルベロス教授、どうだこれ」
「アプリオリ言語のシンダルだな、文脈に哲学要素がねぇ」

瞬いた佑壱が顎に手を当てた。シンダルと言えば今は無き自然言語であり、理想言語とも呼ばれている。普通にはまず出回らない、アダム言語と同じく失われた言葉だ。

「俺にゃ全く読めねぇ代物だ。採点はどうなってる」
「全正解、当然だな。シンダール遺産を使える人間がフランス語で躓く訳がねぇ」
「フレンチは仕組みさえ覚えりゃ簡単だからな」

顎を掻きながら立ち上がった零人がテスト用紙を掲げ、ホワイトボードの前で手を叩いた。

「よーし、今から発表すっぞ。神崎、99点。筆記間違い、見直ししとけば稼げるニアミスだ。気を付けろ」
「やー、見直しとかかったるいしー。プリンお代わりないのー?」
「錦織、97点。単語訳が一つ間違ってた」
「そうですか」
「溝江、宰庄司、共に90点。用紙の隅にリアルな眼鏡を書くな引くわ」
「眼鏡は心の文化なのさ」
「最先端のファッションを判ってないのさ」
「安部河、87点。山田、85点」

平均80点代に満足げな零人が最後の一枚をホワイトボードに張り付け、赤ペンで大きな花丸を書いた。

「遠野、花丸0点」
「ぷはーんにょーん」
「また?!」
「しゅ、俊君…」
「空気読め、お前の字が読めないんだよ。採点しようがねぇ」
「ヒィ」

太陽と要の分のプリンを貪っていた俊が崩れ落ち、桜とミスを確認していた太陽が振り返る。
ホワイトボードに貼られたテスト用紙、隅の空白には何故か日向から迫られる太陽の似顔絵が書いてあり、生々し過ぎる画力へ拍手が沸いた。

「光王子様ぁ!」
「天の君は芸術の才能があられる!」

打ち拉がれた太陽を宥めるのは桜のみ、0点ショックで完膚無きまでに崩れ落ちたオタクはカクカク震えながら怪しい笑い声を響かせまくる。

「このままじゃ“卒業まで”小テスト0点の帝君だぞ」

笑う零人に皆の視線が刺さり、


「考査採点は理事会だから、良いけどな」











「炙り出せたか?」


パイプオルガンの旋律で満ちたホールの中央、優雅に黒縁眼鏡を押し上げる長身が見える。
真っ直ぐ最奥の玉座へ向かい、紙袋を足元に置いて優雅に腰掛けた。見上げれば二階三階のアリーナに無数の人影、玉座の目前には無人の円卓がある。


「Stealthily all.(全て密やかに)」
「Darkness all.(全て闇の淵で)」
「Silent all.(全てしめやかに)」
「Because, we have to give you all of the noir, majesty.(それ即ち、唯一神の威光を知らしめんが為に)」

さわり・ざわり。
異国の言葉がさざ波の様に押し寄せては引き、囁きの不協和音を起こす。眼鏡を外しブレザーの胸ポケットに差した長い指が紙袋から銀の面を取り出し、纏うのと同時に偽りの黒髪を放った。

「10代ノア、Xルーク=グレアムに於いてステルス円卓を執り行う。
  尚、以下全てを枢機卿へは内密のものとし、我が意に逆らう者へは反逆の標を」

凛と世界を震わせた声音が静寂を招き、長い足を組んだ皇帝の前に光の渦が現われた。映し出されたのは何処にでもある高層ビル、立派な石碑に株式会社の表記がある。

「株式会社笑食へ潜り込ませた【羽】よりご報告を…」
「代表取締役社長の名は山田大空34歳…」
「ヤマダエレクトロニクスの実子…」
「最終経歴はオックスフォード大学…」
「但しそれら全てクライム=クライストの気配を感じるものと…」
「つまり信用に値せぬ情報か」

ひそひそ囁く声音に片手を上げた男は、紙袋から煌びやかな文庫本を取り出し足を組み変える。

「続けよ」
「遠野秀隆34歳…」
「鹿児島県出身…最終経歴は国立定時制…」
「両親共に死去…」
「遠野総合病院前院長の長女…遠野俊江との関係は未確認…」
「遠野俊江の出産経歴は…」
「無し…」

囁く声音が掻き消え、奇妙な静寂を産む。パイプオルガンが悲鳴を上げ、光の渦が一人の人間を映し出した。


「遠野、秀隆」

誰が呟いたものだろう。
煌びやかな文庫本が音もなく床を跳ね、ひたすら真っ直ぐ光の渦を見つめる銀の面が僅かに震える気配。
光の渦が映し出す黒髪黒目の男。入れ代わりに映し出されたのは、それより僅かに小柄な人好きする笑みを浮かべた男だ。


「山田、大空」


黒髪、黒目。
仲睦まじく寄り添う、二人。





「─────父、上。」


静寂を妨げる者は、ない。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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