帝王院高等学校
欠けた歯車を紡ぐ戌
欲しいものがある。
いつの間にか心に忍び込んだそれを手に入れれば、狂う程の渇きは忽ち満たされる筈だ。
卑怯、だろうか。
浅はかな悪知恵、仕掛けた罠の最終到達点はオアシス。灼熱の砂漠に迷い込んだ哀れな生き物の前に、現れた獲物。
喉が鳴る。
ことり、と。届くようで届かない距離に、ずっと。正攻法はとうに諦めた。回りくどい方法を選ぶより他ない。
何故なら、勇気がないから。
「おや、漸くお帰りですか閣下。早いお帰りですねぇ」
「漸く、と、早いは対義語だ」
「日本語は難しくて嫌いです」
「嫌味なら嫌味と言え」
欲しいものがある。
あれを手に入れれば、充たされるのだ。
「厭味、ねぇ。少し同情しただけですよ」
「テメェにンな殊勝な感情があったのか」
「眠り姫が待つ王子様」
「…は?」
「何でもありません。
貴方の子猫ちゃん達が待っていますよ。今宵の寵愛を得るべく、ずっと」
あれを手に入れれば、…願いは叶うのだ。
Reserved from me.
欠けた歯車を紡ぐ戌
少し出て来る、と。
居なくなった白銀を眺めて、ソファに転がった。
「蒸し暑いな」
途端に吐いた息は僅かな安堵を滲ませていた気がする、などと宣えば、慣れ過ぎた孤独に愛着が湧いたのかも知れない。
一人はとても寂しいけれど、独りは酷く気が休まる。賑やかな空間では常に魔法を掛けて、自分ではない別の誰かに成り代わる必要があったからか。
一人は寂しかった。
(寂しさを紛らわせるには一番)
一人には世界が広過ぎた。
(手っ取り早い方法がある)
「─────暇だ。」
(偽れば良い)
(皆が望む通りに)
(期待通りの王子様を演じれば)
(世界と言う名の舞台に)
(主役は独り)
「…ブログ、更新するか」
いつの間にか住み着いている大きなワンコ、気紛れに姿を消す所は猫に似ている。
擦り寄ってくる様はとても可愛くて。撫で回したくなるけれど、あんな綺麗な生き物に触れる勇気はない。
突き放せば尚更近付いてくる。だからと言ってその手を掴めば、突き落とされるかも知れない。奈落の底へ、悲鳴すら呑み込む闇の底へ。
パタン、と。
普段は使わないノートブックを閉じて、スロットに刺したIDカードを引き抜く。読み更けた本の上に放って、ノートブックは足元に。
生徒手帳でインターネットが出来る設備に馴れ親しんでいる分、太陽の方が一般離れしているだろう。オンラインゲームプレイ時は携帯ゲームにIDカードが刺さっている。
初日から気付いてはいたが、本当に使えるとは思わなかった。
「無防備な王様、見っけ」
何の気配もなく、真上に乗り上がってきた熱に瞼を閉じたまま息を吐く。
「幾ら山の中っつったって、戸締まりしないとね。刺されちゃうよ」
悪戯好きな声はクスクス笑い声を響かせて、
「蚊じゃなくて、銀の刃に・ね」
開け放たれたバルコニーから吹き込む風がカーテンを靡かせる、音。
「もう寝てんの?早過ぎない?」
陽光は西へ沈み、外は闇一色、星が瞬く夜。爪先程の月光は軈て満ちるのだろう。音もなく、緩やかに。
「寝た振りしてる」
「起きてる」
「じゃ、遊んで」
「まだ機嫌が悪いのか?」
「へぇ、良いと思ってたんだ。仕返しするまで許さないよ、俺は」
「可愛らしい悪戯だ」
首に巻き付いた手、異常な冷たさに漸く瞼を開けば、いつもの快活な笑みを忘れた鋭利な眼。
鋭い眼差しは今にも眠りに落ちる間際の危うさを以て、舐める様に撫でる指先の感覚を色濃くした。
「刺されたいの?」
蛇口を捻る程度の力を込めて、また、離れる。
撫でる、撫でる、食らいつく。
戯れに噛み付いて、甘える様に、撫でる。
「お父さんが未成年だって知ったら、他の奴らどう思うだろうね」
「刺されるかもなァ」
「何で手なんか出したの」
「誰に?」
「判ってて言ってんだ。意地悪」
「神様に」
「浮気した」
「浮気、か」
「メアドも携帯番号も。変えた振りした」
「機嫌が悪いな」
「嘘吐き」
首筋に埋まった重みに笑い、背凭れに背後を預けたまま、大きい子供の背中を叩く。
グリグリ鼻先を擦り付けてくる様子は犬の様だ。負け犬と言われれば誰よりも怒り狂う癖に、手飼いの犬と言われれば躊躇わず頷く人型の犬。
「嘘吐き」
「今頃気付いたのか」
「総長の嘘吐き」
「ああ」
「謝って」
「悪いな」
「思ってない癖に、」
抱き寄せた背中を押し倒し、ソファに崩れた橙色の毛並みを撫でた。
今にも眠りへ落ちる間際の眼差しを前に、責める唇を手で塞ぐ。
「交響曲第七番、第一楽章」
ドラマで流行ったね、と。
掌の裏側で動いた唇、焼ける様な痛みと同時に冷えた掌。噛み付かれたのだと気付いたが、離すつもりはない。
「悪戯がしたいだけなら、俺だけにしろ。歯痒いなら俺だけに噛み付けばイイ」
巻き込むな、と呟けばまた、掌の裏側で動いた唇。
「誰を?俺から言わせたいのか、お前は」
「…」
「『どちら』が首謀者だ」
諦めた様に力を抜いた気配、血が滴る掌を外し持ち上げれば、ソファの上で嫌に赤い唇を舐める舌を見た。
「選択肢が2つとは限らない訳か」
「やっぱ、総長の血も赤いんスね。鉄の味」
「三人揃って二重人格、お前達は何から逃げたいんだ」
「気付いてた癖に知らん顔してたアンタが今更、何」
ずるり、と。
肘掛に乗り上がった背中、睨み付ける眼差しの下に冷めた笑み。
「俺らが二重人格ならアンタは多重人格じゃねぇの?どれが本当のアンタか、二日見てたけどまだ判んない」
いつもとはまるで違う誰かを見ている様だと目を細めれば、ビクリと震えた肩に息を吐いた。
「怒ってる」
「怒ってない。目付きが悪いだけだ」
「怒る必要もないくらい俺なんかに関心無いもんね」
「…健吾」
ふわり、と。
漸く笑ったあどけない顔が近付いた。自分が噛み付いた掌の惨状を見つめ痛々しげに眉を寄せて、両手で掌を掴み持ち上げる。
「痛いっしょ」
「死にそうだ」
「何で居なくなったんスか」
「潮時だ、と。思ったから」
「重ねた嘘の重みに負けた、なんて笑えねーんスけど」
「詩人だな」
「体育と音楽の成績は誰にも負けないんスよ」
「音楽は確かに凄いな、三人共」
「五歳の時に、ピアノが巧い奴が居るって親父に連れてかれたんス。香港に」
立ち上がった自分と然程変わらない背中がサイドボードを漁り、救急箱を片手に戻ってきた。
「音楽家のお坊ちゃんだったか」
「そこのパーティーでユーヤとも知り合ったんス」
「幼馴染み設定は萌える」
「ユーヤとカナメはすぐに仲良くなって、人見知りする俺だけ仲間外れ」
「ああ、消毒薬は駄目だ。染みる」
「バイ菌入ったらどうするん、」
立った分、高い位置からじっと見つめてくるオレンジに右手を掲げて、可愛い愛犬の台詞を口にしたのだ。
「俺は─────化け物か?」
噛み付かれた右手、乾き掛けた赤を揉んで削ぎ落とせば、瘡蓋が張り付いている。明日には消えてなくなるだろう。
「…これ」
「小さい頃からすぐ治る。五歳で中学生に間違われて、12歳で高校生扱いだ。父親の方が若く見えるらしい」
「…」
「逆浦島太郎か。周りはそのままで、俺だけ老けていく気がする」
「総長」
「潮時だ、と。気付いたんだ。どう足掻こうが年相応には見えない俺が、皆の期待通り取り繕う無様さが」
今にも泣きそうな生き物に手を伸ばした。擦り寄ってくる様は猫の様だけど、呼べば真っ直ぐ飛んでくる様は全く似ていない。
「だから居なくなったんスね」
気紛れに寄ってくる猫が良い。
「カナメが施設で苛められてたっつー話、知らないっしょ」
アンタ俺らに興味ないから、と。まるで当然の事の様に呟いた頬に手を伸ばした。撫でれば嬉しそうに笑う癖に、居なくなれば寂しかったと言う癖に。
飼い主の名前すら満足に知らなかった犬達こそ、関心がないのではないか、と。捻くれている。
「居なくなった母親の所為で。その母親も孤児だったんだって。里親に出されて女子高通わして貰って、…中国留学から帰って来たら妊娠してた」
「それは要から聞くべき話だ」
「ユーヤの母ちゃんはね、病死って言ってっけど本当は殺されてんの。恨み買いまくった親父の所為で、」
「健吾」
「俺はね、親父の子供じゃないんだって」
救急箱を抱えソファの真下で胡坐を掻いた背を叩く。
「なのに電話掛けてくんのは親父ばっか。…ハヤトじゃねーけど、馬鹿じゃねーかって思うんスよ」
「腹が減ったなァ」
「カナメもユーヤも同情なんかしねーから、楽なんスかねぇ(´∀`)」
「イチの弁当残ってたっけ」
「いつも思ってたんスけど、総長ってデリカシー設定低めっスよね(*´Д`)=З」
冷蔵庫目当てでダイニングキッチンを覗く。
シンクを何気なく見やれば、3つ並んだ蛇口の真上に見慣れないボタンを見た。まるでドリンクバーの様な押しボタンだ。
「何で蛇口が3つあるのかしら?」
インターホンを見た時の葛藤に似ている。とか何とか。
押すな、とは書いていないが、ボタンがあれば押したくなるのが人情だ。
佑壱の差し入れであるランチボックスを覗いて米粒一つ残っていない事に肩を落としつつ、チキンラーメンの袋を開けて麺をそのまま貪る。
「ケンゴン、ちょっと来なさいボリボリ」
遠野俊、満腹感もシリアスも続かない。
「何?(´`) あ、チキンラーメンの空袋が落ちてる…五つも(∩∇`)」
「単3、虚無、厳重注意」
「は?(οдО)」
「どれが正解なのかしら?」
いつの間にか仮面ダレダー変身眼鏡を掛けている俊に軽く引きながら、ちょこりと顔を覗かせた健吾が片眉を跳ね上げ首を傾げた。
俊が指差す先、確かに3つのボタンがある。蛇口の真横、ダイニングカウンターの真下に怪しげな表記。
「単3っつったら、電池?(´Д`)」
「あ」
後先考えない健吾が躊躇わず左のボタンを押す。左の蛇口から何かが吹き出た。プシュっと。
「「…」」
シンクに泡が散る。
パチパチ弾けるそれを意地汚い主人公が顔を突っ込み舐め舐め、
眼鏡が吹き飛んだ。
「総長?!Σ( ̄□ ̄;)」
「苦!甘さが全く感じられないソーダちゃんにょ!」
「甘さがないソーダ?(´`)」
近場のグラスを掴んだ健吾がもう一度単3ボタンを押し、吹き出た何かを汲み取って一気に煽る。
「単3…つか、炭酸?(´Д`*)」
「親父ギャグ!」
「じゃ、この虚無はまさか…」
何かに気付いたらしい健吾が真ん中のボタンを押して、やはり左の蛇口から吹き出た黒い液体に渇いた笑みを零した。
匂いだけで判る。仮面ダレダー眼鏡を光らせた俊が涎を垂れ流しているからだ。
「コーラちゃんにょ」
「そーみたいっスね(´∀`) ZEROコーラだから虚無?」
「美味しいにょ!お代わりィ!」
飲み放題で立て続けに三杯飲み干した眼鏡が満足げなゲップをぷはんにょーんと一発、ならば厳重注意とは何だと首を傾げた健吾が最後のボタンを前に顎へ手を当て、
「僕も押してみたいなりん」
「あ(´Д`*)」
ポチっと押した腐男子は見た。
「熱!火傷した、火傷したァ!」
「はぁ?!何で蛇口からコーンスープ?!Σ( ̄□ ̄;)」
帝君部屋台所の中央蛇口は中央委員会以上に危ない。
日替わりスープバーが吹き出すからだ。
まぁ、何はともあれ、
「総長、夜食持って来たっスよ」
「お邪魔します」
「何でチキンラーメンの空袋が山程あんのか意味不明だぜ」
「ベルマーク切り取った奴は捨てても良いって(・∀・)」
「何で寛いでやがる健吾」
「何を飲んでるのかと思えば、コーラとポタージュですか?は?ドリンクスープバー?」
「野菜ジュース持参して良かったぜ」
お節料理真っ青な重箱を前に、主人公が涎バーと化したのは言うまでもない。
←いやん(*)(#)ばかん→
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