帝王院高等学校
例えお菓子を取られても凹まずに
その空間は常に欧州音楽で満ちていた。



長閑な昼下がり。
陽の光が真上に登る頃、漸く門戸を開くランチカフェにも、闇の支配と共に姿を変えるラウンジにも。
その狭い狭い世界には常に。
月の満ちた夜も月の欠けた夜も、常に。


壮大で厳かなオーケストラビットで、満ちていたのだ。



『Open your eyes、見上げれば昨日までの闇のスクリーンは女神の慈悲に満ち、漆黒の眠りを揺り起こす』

満月の夜はいつもの無愛想さを脱ぎ捨て常に愉快げな仕草を見せる男が、いつからか携帯する様になった琥珀色の艶やかな杖をタクトの代わりに弄び、謳う。



世界は此処にる、と。
を持たぬ騎士に明日はない、と。
ならば今宵地を駆けろ、
地を這う犬に様はない、と。


唆す様に命じる様に貪る様に囁いて、容易く魂を狂わせるのだ。





『カオスはシルバーへ、皇帝は道化の面で闇に還る』


誰よりも狂った眼を、隠す事なく。



『嘆き喘げ、我がオーケストラの礎で』









約束をしよう。
聞こえているかい。

いつか君は醜いアヒルと出会うだろう。
そう、生きる世界も価値観も何も彼もが相違する、君とは似ても似つかないアヒルに。
君の白を塗り潰す醜い黒に。
君の孤独な興味を引くだろう、寂しく醜いアヒルの子。

君がもしもその手を取るのなら、二度と君の前には姿を現さない。
何故ならば醜いアヒルはいつしか白鳥へ転生し、誰もの心を奪うからだ。君がもしもその手を取るなら、妨げる術など何処にも存在しない。何故ならば、君の世界の主役は君だからだ。

けれど、もしも。
君がもしもその手を振り払い、憎しみと寂寥と憎しみへ擦り替える事でしか消化出来ない程の熱情を絶やす事なく、惨めな程の孤独を選んだら、



迷わず私は君のその手を奪ってあげる。


だから惑わされないで。
君の右胸に埋まるのは私。
この右胸に、心臓に最も近い右側にするりと忍び込む権利を与えられたのは、君だけ。


約束しよう。
幼い君に、永遠の約束を。



私の盤上にはキングもクイーンも存在しないのだから。二人を阻むポーンすら存在しないのだから。


私の名は『ナイト』。
ルークの隣に寄り添うべく生み落ちた、君だけの『騎士』。



絶望しろ。
耳を塞ぎ瞼を閉じたまま膝を抱え、この世界全てから排他されると良い。





私以外を選ぶ権利など君には存在しない。
舞台の上で踊る君をすぐ間近でただ見つめている私は、観客。役者の素振りで傍観しているだけの、道化師

















今にも泣きそうな桜が、暫くゲートばかり見つめていた。何を苛立っているんだと、立ち去った太陽へ片眉を跳ね上げた要と言えば、感情のままに行動する愚かさを嘆いているらしい。

「おやおや、カルシウム不足でしょうかねぇ。年中不足しているのは見れば判るのですが」
「あれで一応、副会長でしてね。小さいは禁句なので黙って頂けませんか出来れば一生。…早く滅びろジジイ」
「何か仰いましたか蒙古斑みたいな髪の君」

ブチ、と。にこやかな要の血管が焼き切れた刹那、



「俊は何処だ」

二葉に殴り掛かった要の右手を受け止め、返り討ち上等で微笑みながら要を蹴ろうとした二葉の足を、光の速さで蹴り払った団子眼鏡。

「邪魔しないで下さい、雑用。叶諸共消し去りますよ」
「雑用ではない、庶務だ。諸君ら会長を何処に隠した」
「おや、会長ならばそこに」

にこやかな二葉が隣の長身を指差した。要と神威の目(と団子)が突き刺さる。

「俺様会長に用はない」
「カカカカイさん、神帝陛下に暴言は駄目だよぅっ」
「何故ならば俺こそが俺様攻めの最たる玉座へ座るべき庶務」
「黙りなさい庶務、理解不可能です」
「おや、攻める庶務始めませんか?食べるフレンチトーストはもう始めていますよ」

きゅぴん、と光る団子眼鏡が佇む生徒会長へ注がれ、面映ゆいと一言。

「…」
「陛下、そんなに熱い眼差しで私以外を見てはいけません。さぁ、職務に戻りましょう」
「…ああ」
「ふ、敵前逃亡か三年Sクラス叶二葉並びにルーク=フェイン」
「だからぁっ、喧嘩売っちゃ、」
「陛下への冒涜は許しませんよ、ノワール君」

笑顔の二葉が振り返るなり神威へ殴り掛かる。顔を覆う桜、痙き攣る要、何故か二葉を止めようとした生徒会長達の目前で、ふわり、と。

「ま、さか…」

呟いた要の台詞が溶けた。
崩れ落ちた二葉の眼鏡がリノリウムを弾き、カラリと小さく鳴く。眼を見開いた要にぽかんと口を開く桜、長い銀糸が小さく息を吐いた気がするのは、何故。


「おや」
「…修行が足りんな、鬼畜腹黒攻めよ」

優雅に優雅に団子眼鏡を押し上げ薄く笑った「庶務」が胸元からチェーンを取り出し、きらりと銀の指輪が煌めく。強過ぎる、と擦れた声で呟いた要が口元を押さえた。

「敗者は速やかに去るが良かろう」

ゲート解放、の囁きと共に開かれたゲートの向こう。降りしきる雨のスクリーンへ、掲げた右手を向けた。

「カイさん、」
「失せろ雑魚共、帝王院に君臨せし俺様攻めは俺だけで充分だ」
「ぅわぁ」

なんて偉そうな台詞!
と感動で頬を染める桜は、昨夜ほぼ徹夜で俊から貸し出されたBL小説を読んでいた。太陽の知らぬ所で腐菌に犯されてしまっているらしい。
なので先程太陽から手を振り払われた桜は悲しんでいたのではなく、太陽君は強気攻めなのっ?と感動に震えていたのだ。受け攻め判別はまだ完全じゃないらしい。

「左席委員会は強者揃いですねぇ。まぁ良いでしょう、ご機嫌よう」
「ご、ご機嫌よぅ」

倒された割りにはにこやかに立ち上がった二葉が優雅に一礼し、二人揃ってゲートの向こうに消えた。零時を知らせる大聖堂の鐘の音、時計台を何気なく見上げたのは全校生徒だろうか。

「ぉ昼だねぇ。自習結局サボっちゃった」
「単位不足は考査で補えば良い。試験勉強だけで十分ですよ」
「ぇえ、無理だよぅ!午後からの授業はちゃんと出なきゃ…あっ、太陽君どぅするんだろ?!」

興味を無くした様に眼鏡を押し上げるデカオタク、略してデカオと言えば、きゅるんと可愛らしく腹の虫を鳴らし、きゅぴんと団子を光らせる。

桜の胸元から匂う、匂うぞ。


「ポテチの匂いではあるまいか」
「ぇ?」
「隠すと貴様の為にはならんぞ。速やかに差し出すが良かろう」
「ポテトチップスは持ってなぃよぅ?きゃぁっ、カイさんっ、ぉ腹掴まなぃでぇ」

桜の胸元にズボッと手を突っ込み、うっかり肉を掴みつつ、指先に触れた何かを容赦なく掴み出す。
どうやらキンツバの様だが。

「ポテチの匂いがする」
「ぁ、サツマイモ練り混んでるぉ菓子なんだけどぉ。えっと…」

常時何かしらのお菓子を携帯している桜に、妖しく光る団子が突き刺さる。鐘の音で腹が空いたらしい。零時になるとフレンチトーストを食べたがる二葉の所為だろうか。

「本来ならばコンソメを所望する所だが、致し方あるまい」
「だからポテトチップスじゃなぃよぅ」

いや、あげたいのは山々なのだが、



「じゅるり」

団子眼鏡の後ろに、ナイアガラ。
いや、垂れ滴る涎。凄まじい威圧感。

「ぁ、俊君」
「腹ペコにょ」
「む」
「カイちゃん、お手てに持ってるの、なァに?」

桜から目を離した神威が腰に手を当て、右手に掴んだ和菓子をそっと俊の届かない頭上へ持ち上げる。

「カイちゃん」
「俊、半分こ」
「カイちゃん、僕ってば腹ペコなりん」
「俊、3分の2」
「うぇ」
「…4分の3」
「うぇ」
「5分の4、」
「じゅるり」


きゅぅぅぅん。
チワワの鳴き声ならぬオタクの腹の音が響いた。膝を抱えて座り込んだオタクに要が狼狽え、制服中を調べたが何も見付からなかった桜が神威を見上げる。

「「「………」」」
「面映ゆい」

曇った眼鏡が神威を見上げ、責める様な不良の眼差しが睨み付け、潤んだ桜の目がやはり神威を見上げていた。
庶務、最も背が高い今現在。

「食え」
「わーい、カイちゃん大好きーっ!」
「俊、もう一度、」
「いただきま。」

掌にすっぽり収まるサイズの菓子は、一口で消えたらしい。

「ぷはーんにょーん。あ、あそこにあるのはコンビニっ?!」
「俊、もう一度、」
「俊君、購買行くのぉ?僕も行こうかなぁ」

ゲフ、と満足げなげっぷをカマしたオタクがキョロキョロ辺りを見回し、抱き付いてくる神威の腕を叩き落とす。

「所で猊下、何故上着を腰に巻いてらっしゃるんですか?」
「ジャージ濡れちゃったにょ。僕の制服何処に行っちゃったのかしら」
「ぁ、加賀城君が持っててくれたと思ぅ」
「シロきゅんは怖くて近付けないにょ」
「え」
「加賀城君は良ぃ人だよぅ?」

何処となく落ち込んだ団子眼鏡が和菓子の包みをゴミ箱へ。クネクネ跳ねていく俊一行はコンビニ、ではなく購買へ。



「いらっしゃいませ」
「きゃー」



眼鏡が割れる音が響いた。


















「昼寝か?」



囁く声を聞いた様な気がする。



「赤いブランケットだけで、こんな所に」

クスクスと。
鼓膜を撫でるのは笑い声だろうか、それとも子守唄だろうか。
体が浮いた様な気がした。ふわり、と。羽根より軽く、重力を忘れさせる柔らかさで。

「白雪姫は赤い実の毒で眠った。
  ならば君も、王子様のキスで目覚めるつもりかい?」

笑う声。
子守唄よりもずっと優しく。
ぎゅ、っと。何かを掴んだ。縋る様に救いを求める様に。


「残酷だが、私は君の王子様にはなれない」

唇を撫でる何かの気配。
額を撫でる何かの気配。

「同じ『白馬』を得た所で、騎士と王子では役割が全く違う」

BGMは空の涙。
(親愛なるサンドマン)
  (囁く何かが魔法を掛ける)
    (雨に紛れて忍び寄り、)
      (唆すのだろうか)


「私はただ一人の為に存在せし騎士。君を守る事は出来ない。
  代わりに魔法を掛けて上げよう。愛しいあの子に掛けたものと同じ、魔法を」


天から絶えず降り注ぐ雨音を最後に、



Close your eyes.(お休み)」


(子守唄の様に)
  (母より優しく)
    (包み込む様な)
      (暖かい翼が見えた)



「主役は遅れてやって来る。…ほら、王子様が迎えに来た」



多分。


「その手を離せ」

額に触れた柔らかい感触も。
  (涙が出るくらい暖かい温度も)

何かを殴り付ける様な音も。
  (記憶を揺さ振る雷鳴も)

一瞬だけ重力に従った体も。
  (堕落する時に似た恐怖も)

また、ふわりと浮き上がった感覚も。
  (飛べない現実を忘れさせる様な)
ぎゅっと抱き締められた様な気配も、安堵に似た誰かの吐息も、だから全部。
全部、ただの一つも揺るがないくらい、全てが。



「馬鹿だな」


祈る様な縋る様な声音も、
  (祈った事もない癖に)
    (願い事ばかり繰り返す僕らは)


「アキ」


  (神様の膝で、ずっと)
    (子守唄ばかり聴いている)
      (オートマチック・リピート)


「…このまま起きなきゃ良いのに」


(親愛なるサンドマン)
  (泳ぐ悪魔が魔法を掛ける)
    (雨に紛れて忍び寄り、)
      (溺れるのだろうか)



だから、きっと。

願い事を歌う様な雨も。
額を撫でる暖かな何かも。
救いを求める様な雷鳴も。
に落ちた羽根より柔らかな何かも、きっと。



「…大事なゲーム、忘れてんぞ」


全部が、夢なのだ。

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