帝王院高等学校
雨にも負けずオカンには負けます!
医務室とは名ばかりで、寮の保健室とはまるで別世界。隣には手術室まで完備されている部屋の中、寝かされた隼人から目を離した白衣の男が腕を組む。


「ふむ、これは………………………………………胃潰瘍じゃの。」
「─────は?」

溜めた間の長さに身構えていただけ、間の抜けた声もまた、数瞬遅れて出ていった。
佑壱は何故か窓辺に張りついたままカーテンを睨み付け、ふるふると肩を震わせているらしい。遠目だが、動作が逐一目立つ為いやでも判る。部屋に入った当初は甲斐甲斐しく隼人に張り付いていた癖に、何を思ったのか素早く駆け寄った窓辺から以降全く離れようとしない。

付き添いの日向がわざわざ隼人を寝かせ、聴診器やら心電図やらを済ませた白衣を横目に、乱れたジャージを整えブランケットを掛け直してやっている訳だ。

「胃に穴が開いとる。レントゲン行っとく?」

ノリ軽過ぎやないかーい。
と言う突っ込みは余り期待出来ないだろう。それは突っ込みマスター山田の専売特許だ。

「潰瘍だと?早計にも程がある。血液検査の結果も出ねぇ内に、」
「確かに毒素は確認出来たのう。販売禁止になった農薬に近い、猛毒だが」

デスクトップを見やりキーボードを叩く横顔に溜め息一つ、病院ですら時間が掛かる検査をこの数分間で終わらせたのかと力を抜いた。

「…悪い、アンタが誰か失念してた」
「ほっほっ、随分落ち着いたではないかディアブロ。円卓で揉まれ苦労したか?」
「もう耳に入ってやがんのかよ。そっちは随分暇みてぇだな」
「ネイキッドも人が悪い。彼奴は楽しんでおるが、師君は特にネルヴァを嫌うておる」
「頭の固ぇジジイはイギリス人だけで十分だ」
「ネルヴァはドイツ人だがのう。陽気さが全くない。面白味はあるが」

見た目は東雲村崎と然程代わらぬ若さでありながら、クスクス笑う男は日向の父親よりも年上の筈だ。詳しい事は知らないが、二葉が良くあのクソジジイと零していた。
性格が似ているのだろうか、飄々とした態度が気に喰わないのか。どの道、将来の二葉を見ている様な気色悪さに舌打ちを噛み殺した。

「祭がンなショボいもん仕掛けて来るとはな…」
「なんじゃ、またユエ絡みか。あの息子も退屈しておるのぅ、陛下からは相手にされとらんにも関わらず」

呆れ混じりの台詞に鼻を鳴らした。元クラスメートにして二葉に並ぶ聡明な男、だが。日向にとっては居ても居なくても関係ない程度の人間だ。
高坂の家が祭家と面識があるそうだが、立場で言えば高坂の方が上に当たる。但し、背後にヴィーゼンバーグの名があってこそだ。その上ルークの名が背後に在れば、最早虎の威を借る何とやら、神の威を押し付けられた獅子か。

昔。好奇心と言う理由で、子供が刑務所へ自ら足を運んだ。治安の悪さだけが売りの監獄に、だ。

たった三日。
囚人達の懇願で『追い払われた』子供は、そのすぐ後に男爵となる。


名はキングダムパラノイア。
イギリス王宮すら掌握した、白銀の男爵。


「毒素が強けりゃ内臓系統全滅も有り得る、か」
「いや、胃を痛める程度で致命的には至るまいよ。師君はいつから他人にそう甘くなられた、殿下」
「やめろ」
「これは失礼、ディアブロ」

今度こそ舌打ちすれば、窓に乗り上がっていた佑壱がズカズカ近付いてくるなり、何の躊躇いもなく日向のジャージに手を掛けた。


「あ?」
「脱げ」

反応が送れた日向から素早くジャージを奪い、またズカズカ窓辺に向かっていく。


「テメ、何晒しとんじゃコラ!」

漸く頭に来た日向が立ち上がれば、怒髪天を越えたらしく最早ヤンキー所かヤーサンだ。くるっと振り向いた佑壱が流暢な英語で素早く暴言を吐き、また背を向ける。
どうやら外に誰かが居るらしいが、広い部屋の端と端だ。BGM宜しく優雅なクラシックが流れている今現在、余程耳を澄まさなければ佑壱の声など殆ど聞こえない。

「あの餓鬼ぁ…」
「相変わらず睦まじいの、師君は」
「…老眼は不治の病らしいな、シリウス卿」

ごろり、と寝返りした隼人の足に背中を蹴られた日向が、般若の形相でその足を振り払う。


「師君も人が悪い。それこそ容赦願おうか、此処でその名は」

小さな名札に刻まれた名は、



「…テメェにだけは言われたかねぇな、冬月龍人先生。」



馬鹿馬鹿しい。















「待てよ、オタク」

鋭い呼び掛けに振り向いた時、すぐ目前に巨大な校舎が佇んでいた。聳えるヨーロッパ建築の下で、腕を組む小柄な生徒達。
寄り添う様に制服を着崩した生徒も見える。皆が小柄に見えたのは、自分は日本人の標準を辛うじて越えているからだろう。

「お前さぁ、本当に何様なの?閣下に話し掛けただけでも有り得ないのに、…今日も!陛下へ暴言吐いた!」
「いい加減にしてよね!」

きゃんきゃん喚く生徒達は恐らく上級生、Sバッジが煌めく制服を品良く着熟している。

「左席だか何だか知らねーけど、坊っちゃんがカルマにベタベタしてんの我慢ならねーんだわ」
「捻り潰されてぇのか、コラ」
「汚い面、益々見られなくしてやんぞ、あ?」

びしょびしょ、だ。
元々重苦しい髪も、頬も、ジャージも靴の中まで万遍無く。特に髪とジャージが堪らなく不愉快だった。
なのに心臓を押さえ前屈みになったのは、

「ハァハァハァハァ、チワワとにゃんこヤンキーが大量御礼満員御礼っ、駆け込み乗車はお止め下さいハートが保たないから!主に腐男子の腐れ果てたピュアハートがっ!腐ってもピュアオイル!」
「な、何コイツ?!」
「気色悪ぃなテメー!」
「生ゴミを見る眼鏡で僕を見つめていますわよーっ、ハァハァハァハァどうするっ、どうするにょ僕っ!ハァハァ、アレがアレで、早く僕を踏み潰してお母さーーーん!!!ハァハァ」

全力で痙き攣ったチワワとドン引きな不良達が後退り、両手をわきわき動かした変態が濡れた黒縁眼鏡を妖しく光らせる。
むにょむにょと意味不明な台詞を呟きながら、クネクネ体を揺らしている変態。赤く染めた頬で何処となく期待に満ちた眼鏡を向け、

「ハァハァ、ぱちんなさるならまずは右のほっぺから宜しくお願いします…!あっ、でも不良さん方は手加減を!にゃんこパンチは爪がっ!癖になるにょ!」
「いやぁあああ!」
「来ないでぇっ」
「気持ち悪いコイツ!」

逃げ回るチワワ達を雨の中追い回し、痙き攣った不良の一人から足を引っ掛けられぺちょっと転ぶ。
しーん、と静まり返った中、しゅばっと起き上がり、つい今し方俊の足を蹴った不良が飛び上がる。

「胸がときめいてしまうMサイズ!Sサイズじゃ入りませんっ」
「は、はぁ?!」
「マゾかコイツ!」
「ハァハァ、その長いあんよが悪さをしたんですかっ!お仕置きが必要ですにょ!ハァハァ、俺様不良攻めから鬼畜に溺愛されてしまえばイイなり!」
「な、何、何言ってんのか判んねーよ!」
「ちょ、」
「ハァハァ」
「う、うわーっ!」
「近付くなーっ、来るな失せろやボケー!!!」
「交響曲第6番、」

サァサァ叩きつける雨を掻き消す様な、呟き。


「ピョートル=チャイコフスキー、ロ短調最終節。『悲愴』」

振り向く間もなく逃げていた不良の一人が崩れ落ち、脇腹を押さえた。
ドン引きしていた不良達が唖然と目を見開き、水溜まりで滑り転げた俊の前に佇む男を見つめる。


「うちの会長に何してんの、お前ら?」

笑みも怒りもない、ただただ静かな目。
脱いだジャージを起き上がった俊に羽織らせ、指揮棒を咥えた狼を晒す。胸元に、眼差しには狼すら食らい尽くす光を。

「け、ケンゴさん…」
「何してんのっつったんだけど?」
「何でこんな奴庇うんスか!」
「弱味握られてんなら言って下さいよ!うちの奴ら、ケンゴさん達の為ならいつでも動く、」
「何してんの、っつってんだよ。…俺の質問に答えろや、カス共」

助走一つ、必死に言い募っていた少年らを容赦無く蹴り飛ばした男が濡れたオレンジを掻き上げ、死にかけた虫を見る目で足を振り上げた。

「死ねよ。テメーら如きが気安く話し掛けてんじゃねぇっつーの、」
「お待ちなさい」

振り上げたのとは別の、軸足である左足が崩れ落ちる。ぺちょ、と濡れたコンクリートに尻餅を付いた健吾が瞬き、よろよろ顔を上げていた不良達がぽかん、と口を開いた。
健吾の登場で青冷めたチワワ達はいつの間にか姿を消し、残ったのは修羅場を潜り抜けてきたらしい不良ばかり。最も背が高い二人、つまりは健吾と俊の立場が逆転した今、カルマ幹部を蹴り転ばせた外部生に誰も口を開けない。


持ち主が転んだ瞬間、飛び込みを果たした黒縁眼鏡が水溜まりで沈黙している。黒縁は持ち主に似てカナヅチらしい。
鬱陶しい前髪を掻き上げた手が頬を滴る水滴を拭い、伏せていた双眸を上げた途端。気丈にも立ち上がった不良ら全てが腰を抜かした様だ。

カタカタ震える体を誰一人止められぬまま、漆黒の眼差しから目を離す事すら適わない。


「ぷはーんにょーん!ハァハァ、落ち着きなさい僕と言う名のオタクめが!」

今、この場面で落ち着いているのは遠い目をした健吾だけだ。

「ハレルヤ!チワワに絡まれ不良さんに弄ばれた僕に幸あれ!おのれ帝王院めっ、童貞をこれ以上興奮させてどうするおつもりですかっ」
「あの(´`)」
「ハァハァ、うっかりケンゴンのホクロさんを包容力有り系無言攻めが攻めてしまえばイイと思いました!」
「えっと…(∧∪`)」
「そうですとも!所詮ただの腐男子ですとも!ユーヤンとケンゴンがイチャイチャしてるのを見る度、卓袱台バシバシ叩きたくなったのは何を隠そうこのオタクでございますのよーっ!」
「妄想で汚されてた俺!(*/ω\*)」
「有難うございます有難うございます神様お母様そしてホクロ様!ケンゴンを生んでくれてサンキューベリーマッチョ!」
「黒船ペリーマシュー(*´∇`) でも黒子からは産まれてないっしょ、俺!(∀)」

ぽかん、と。
凄まじく間抜けな顔で見つめてくる複数の目を見やり、諦めた様に肩を竦めた健吾がひょいっと飛び上がる。

「メルシーグラッチェグラシアス謝々!世界の皆さんナマステ!日本にお立ち寄りの際はとにかく秋葉原でお土産を、そして伝染病O-801をお持ち帰り下さい!付ける薬はないけど無料です!クローゼットに防腐剤はお控え下さいっ、イケメンのクローゼットはオタク立ち入り禁止かしら!」

クネクネハァハァ騒がしいオタクの背中をちょいちょい指で突き、くるっとオターンを決めた俊へイケメンスマイル0円。

くいっ、と親指を不良らに向けて、


「総長、つかバレてるバレてる、フォロー無理ぽ(b´∀`)」
「あらん?」

ペタペタ目の前を叩いた俊が一瞬で青冷め、凄まじい眼光(泣くのを我慢しているだけ)で皆を見た。流石の健吾が痙き攣る程度には、凶悪な眼差しだ。
黒縁よ生き返れ。

「…」
「(´Д`*)」
「タイヨーに、バレたら多分、殺される」
「575、太陽が季語の見事な俳句っしょ(´∀`)」
「逃げたいにょ、イチが怖いにょ、オタクです」
「うひゃひゃ、大丈夫、怖くない奴居ないから!(=・ω・)/」
「…逃げてもイイかなァ?」
「いいともー(*´∇`)」

しゅばっ、と光の速さで消えたオタクは抜け目無く盗み撮りした防水携帯と水没した黒縁眼鏡(耐水性不明)をお供に風となる。
さて、残されたのは上半身素っ裸の健吾と、未だ呆然としている不良達のみ。


「さて、と」

ぱちり、と指を鳴らしたオレンジの目が酷く愉快げに笑った。但し眼差しだけは酷く冷たい光を滲ませ、

「イチャイチャしてるのを見たら嬉しいんだって。…可愛いなぁ」

歌う様に擽る様に、首を傾げた男の背後に現われたのは、長身。傘も差さず濡れそぼった着衣にも構わず、人形の様に表情がない、鋭利な。
作り物めいた美貌が静かに真っ直ぐ視線を送り、指揮者の様に腕を広げた緋色がまた、笑う。強さを増した雨粒に皆が瞼を開けられない中、一人何処までも愉快げに。



「遊んどいで」


指先が指揮棒の様に動く様を。
その指先が子供の手遊びに似た純粋さで、何より残酷に。雨すら引き裂くかの如く、緩やかに躍る光景を。


まるでピーターパンの様に軽やかに舞う光景・を。




「記憶が無くなるくらい、たっぷりね」


マリオネットを操る様に動く様を。
だから、視ていたのは灰色の空だけだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!