帝王院高等学校
見渡す限りの赤、赤、紅
「…っし」

乱れたジャージを整え、背でぐっと伸びた長身がスパイシーアッシュの髪をボリボリ掻いた。

「っ、加賀城ぉ!」
「覚えてやがれ…っ」

廊下の滑らかさに滑り転びながら逃げていく男達に見覚えはない。カルマと言う最強チームに所属すれば、名を上げたい新人やら見に覚えのない逆恨みを買うなど日常茶飯事だ。

「ハヤトさんじゃあるまいし一々記憶してやっか。つーか、おれバカだし、記憶問題苦手だし」

幹部クラスになれば圧倒的強さが知られている為、幾分少なくなるのだろうが。逆に総長クラスから睨まれたり、複数から絡まれるので見た目騙しな獅楼には荷が重い。
佑壱に憧れて始めたボクシングは獅楼に合っていた様だ。時々スパーリングと称してカルマ仲間から殴られたりもするが、最近では返り討ちするだけの余裕も出てきた。

「さ、ユーさん追い掛けなきゃ」

敬愛してやまない佑壱の追っかけを経てカルマ入り、今や親衛隊長も務める獅楼は個人的な舎弟を持っている。彼らが紅蓮の君親衛隊メンバーでもあり、カルマ崇拝者ばかりだ。が、佑壱以外のカルマ幹部である皆に親衛隊がない為、要ファンや健吾ファンも少なくはない。
そんな彼らに総長の護衛、と言うかオタク会長の護衛を頼み、要の目を盗んで医務室に行く途中で絡まれたのだ。目聡い要が逃亡に気付かなかった訳がないのだが、要より弱い獅楼など居ても居なくても一緒だと見逃しただけである。

幸か不幸か気付かない獅楼はやはり馬鹿…いや、天然なのだろう。
人相も言葉遣いも悪い不良達に声を掛けられビクッと怯み、恐怖で痙き攣った、実際は『掛かって来いやコラァ』な表情で素早く倒し、やはり覚えてろ!と言う使い古された捨て台詞に一々返事をしながら、


「あれ?北緯さんじゃんか」

渡り廊下の途中、柄の悪い男達に絡まれた北緯を中庭に見つけ、雨の中で何をやっているのだろうかと物陰から覗く。
何しろヘタレなのだから仕方ない。
健吾には笑顔で苛められ、隼人には脅され、要からは冷めた目、裕也からは相手にすらして貰えない。同級生なのに。

まぁ、初等部の頃からクラスメートだった健吾には『坊っちゃん』と苛められ、泣き虫だった獅楼を馬鹿にしていた可愛らしい要(獅楼の初恋)には蔑まれ、歴史好きらしい裕也に貸した新撰組小説は未だ帰って来ない。借りた裕也が印象のない獅楼を覚えていなかっただけだが。

艱難辛苦は昔からだ。
生まれ付き財閥の跡取り息子として可愛がられ甘やかされ溺愛されて育ってきた獅楼は、こうして逞しいヘタレに成長を遂げた。

ヘタレ故にヤンキーに憧れてしまう甘さ。ボンボンだからこそか。

「ほっんと執拗いね、お前ら」
「黙れ下等生物が。ノーサがいつまでも守ってくれると思うなよ」
「再三警告した筈だ」

雲行きが怪しい密談に、携帯待ち受けの佑壱を見つめていた獅楼が顔を上げる。
実際の所、隼人直属の諜報班である裏方の北緯がどれ程の実力であるのかは知らない。幹部では一番最後にカルマ入りしたらしい隼人と同時期にカルマへ入ったらしいが、それまでの川南弟と言えば噂にすらされない優等生だった筈だ。

「我らを愚弄するならば幾ら貴様でも容赦しない」
「考えを改めるつもりがないなら、裁きを下す」
「唯一神の威光を須く知らしめんが為に」

ぞくっ、と。背に走った悪寒は、北緯を囲む男達の正体に気付いたからだ。相手が悪過ぎる。
ABSOLUTELYにはランク付けがあり、最上位ランクSが総帥である神帝、ランクAが双頭である日向と二葉だ。四天王はランクBとなり、その直属は全てランクC。それ以下は直接幹部へ話し掛ける権利すら与えられない、らしい。
不良達には有名な話だ。ランクC以上は総長を務められるほどの強さ、また忠誠心を持つと言う。存在しているだけで数多くの不良を従える神帝こそが『唯一』であり、『神』なのだ。

「…風紀すらグルって訳?白百合は知ってん、のっ!」
「黙れ」
「貴様如きがマスターの名を口にするな」
「おこがましい」

初めて見た北緯の動きは身軽だった。隙を見て放たれた蹴りも申し分なく、頭が良いだけ状況判断も素晴らしい。然し相手が悪い。
彼らの中には風紀のバッジを煌めかせた生徒も見える。皆が異常に冷静沈着で、クールな北緯も忽ち苛立ちを顕にした。

だから。
一人に捕まり、他の人間から見るも無残に殴られ蹴られる光景を前に、喉がコトリと音を発てた。
無理だ、と。例え此処で自分が出ていった所で、到底適わないと。嫌でも判る。
幹部直属でこの強さなら、四天王はどれ程の実力なのだろう。また、それ以上に神帝は。百人を一人で倒した伝説を持つ、神は。


恐過ぎる。
血塗れになっていく北緯を前に、そう言えば度々傷だらけな彼を見た事があると思った。隼人や要曰く『弱いから疵を残す』らしいが、今回が初めてではないのかも知れない。
隼人も要も知らないから勝手な事を言えるのだ。こんな風に囲まれて、少し前までは平凡な人間だった成金不良に何が出来ると言う。

「う、」

恐過ぎる。
絶対勝てない。
無理だ。
逃げよう。
誰かを呼びに行けば良い。
きっとこの状況を見れば、意地悪な隼人だって助ける気になるだろう。喧嘩好きな健吾と隼人なら、あっと言う間に倒してくれる気がする。
だから、早く。



逃げろ、弱虫。



「何してやがんだテメーら!」

だから馬鹿なんだ。
威勢よく駆け出して、固めた拳を叩きつける前にもう掴まった。片目を開けた北緯がすぐに呆れた表情を浮かべ、声も出ないらしく唇だけで『あほ』。馬鹿より悲しい。

「下等生物が何匹増えた所で同じ事」
「揃って己の浅はかさを呪え」
「神に逆らう者は排除せよとのご命令だ」
「はっ、何が神だ!群れなきゃ何も出来ねーんだろ、流石『有能な』ABSOLUTELY、ぐっ」

腹を蹴られたと同時に舌を噛んだ。
地味に痛い口の中に顔を顰め、泣くな泣くなとただそれだけを繰り返す。弱虫はカルマに要らない、なんて。大好きな佑壱から見放されない様に、もっと蹴れば良い。
北緯から全ての関心を奪って、その隙に北緯だけでも逃げてくれたら良い。先輩だろうが自分より小さい人を見殺しにするのは、規則違反だ。

「………は、効かねぇな。こんなもんかよ、雑魚共が」

喧嘩上等の仲間から叩き込まれた挑発文句を口にして、佑壱仕込みのニヒルな笑みを滲ませる。少しは不良に見えたのだろうか。

「神帝も高々知れたぜ」
「貴様っ」
「死んで詫びろ!」
「下等生物が…!」

漸く感情を顕にした男達に固めた拳を叩きつけ、吹き飛んだ一人を踏み付ける。ああ、腕力では北緯に勝っている様だが、それだけだ。
まだ、目前には十人近く。怒り狂った神の奴隷が、沢山。髪を掴まれている北緯も抵抗している様だが、頭を切ったのか出血が酷い。

「何度だろーが言ってやるよ、…神帝なんざ雑魚だ」

ぺっ、と唾を吐いたら真っ赤だ。
唇の端から涎が垂れた、とジャージの袖で拭えば、やはり赤に染まる。赤は好きだ。大好きだ。佑壱の色だから。

不死鳥の翼の色だから。


「カルマ舐めてんじゃねーぞ、やんのかコラァ!」

生まれて初めて吠えた自分の声が谺する。真っ直ぐ向かってくる大勢を前に拳を握り、腰を落とした。
口の中が痛い。腹も痛い。殴られた頭も痛い。ああもう、叫んだ所為で気管支まで痛くなって来た。

うん。
神様、切実にちょっと助けて下さい。



「何だ、ぎゅっと目ぇ瞑ってキスでも待ってんのかお前」
「……………はい?」

いつまで待っても殴られる気配がないと、無意識に瞑っていた目を開ければ、ぺろんっ、と。唇の端を舐め上げた舌先が至近距離に見えた。高い鼻先も見える。
育ち並ぶ桜の樹や新緑のお陰で雨の被害は少ないが、噎返る程の湿気が喉を絡め取る気配。

「は?」

何だと飛び退き、まずは無数の屍、今まで対峙していた不良達が崩れ落ちている光景を見た。尻餅を付いた北緯も呆然としている。

何だ何が起こったんだこんな強い奴らを無意識に倒したのか俺って実は凄いっ?

などと挙動不審に狼狽えながら、キョロキョロ足元の人影を見つめていたら、ガシッと両頬を掴まれ、


「む、むむむっ、ふむーっ!!!」

加賀城獅楼15歳、只今ファースト的な接吻経験中。ああ、ファースト的な接吻は鉄分の味、吸血鬼になった気分だ。
どうでも良いが、自分で噛んだ舌に這い回る舌が、頬の内側や辿る様に歯並びまでなぞっている。
両頬を掴んでいた内の片方の手がいつの間にか尻を這い回り、もう片方の手が後頭部を凄まじい握力で掴んでいるではないか。

助けてユーさん、毎日面倒臭いからって作り置きの豚汁オンリーの朝ご飯でごめんなさい。
助けて神様、テスト勉強頑張ったのに平均74点でした馬鹿ですいません。
助けて総長、総長が俺の作る豚汁を誉めてくれたなんて知らなかったから、つか恐れ多くて話し掛けられなかったから総長が居なくなってちょっぴり喜んでました。ユーさんが総長になるかもっ、って大分舞い上がってました。


「う、うわあああん!」
「ば、馬鹿お前っ」

無我夢中で振り回した腕が何かを殴り付け、北緯が悲鳴に近い声を出した。ゴッ、と言う凄い音だったな、と号泣しながら目を開けば、鼻を押さえた赤い髪が見える。

「ってぇな…」
「あれ?」

但し、ワイルドロングの佑壱とはまるで違う、アシメウルフの短髪だ。

「何してんの?烈火の君」
「助けてやって手当てまでしてやった俺様に、何しやがるんだお前は…」
「えっ?烈火の君がこいつら倒したの?そんなに強かったんだ、弱っちいと思ってたっ」

物凄い目で睨んでくる零人にエヘヘウヘヘアヘヘと笑って誤魔化せば、思ったより身軽に立ち上がった北緯が汚れたジャージを脱ぎ捨てながら息を吐く。

「ABSOLUTELYの元総帥で、中央委員会長だった親王陛下が弱い訳ないだろ馬鹿城」
「加賀城だよう、北緯さん。冗談のつもりだったんだもん。おれだって烈火の君が会長なのは知ってたよ!」
「テメェ、川南と俺に対して態度が違うじゃねぇか。どう言う了見だコラ、わざわざ制服縫い直してやったこの俺に、ああ?」
「ぎゃっ」

背中に張り付いた零人の手が、ズボッとジャージの中に入る。右手は腹を撫で回り、左手はズボンの中を這い回るなんて、

「なっなっなっ」
「ふん、ディープキスも知らん餓鬼なだけあんな。色気がねぇ、何処も此処も固くてつまらん…あ、下半身は固くない」
「セクハラだーっ!助けてユーさぁぁぁぁぁあんっっっ」
「煩ぇぞ加賀城!医務室の前で騒ぐな!」

鼻水を垂れ流しながら叫べば、校舎の窓が一つ開き、見慣れた美貌が狼の表情で吼え返した。

「ぶっ殺すぞテメー、何で遠野から離れてんだ!」
「ひっ、すいませんっ」

ぱちくり、と瞬きする北緯が痙き攣り、片目を細めた佑壱が窓から身を乗り出しながら鼻で笑う。

「ナミオ」
「は、はい」
「カルマに弱ぇ奴は要らん。…判ってんな?」
「っ、すいません、でした」

普段はタメ口で話す北緯が背を正し、副総長の威厳に満ちた佑壱へ頭を下げる。身の置き所がない獅楼も見えない尻尾を垂れ下げ、しょんぼり肩を落とした。

「ABSOLUTELYの下っ端程度に、この様か。…加賀城!」
「はっ、はいぃいいいっすみませんすみませんすみません、」
「弱ぇ癖に良く逃げなかったな、お前」

ぼふっ、と。頭に白い布が被せられ、何だと見えば佑壱が脱いだジャージらしい。上半身素っ裸の佑壱が顎を傾け、写メを撮りまくる零人には一切目を向けず長い髪を掻き上げる。

「ちょっと待ってろ」

面倒臭そうに中へ戻っていった背中を余所に、投げ付けられたまだ温かいジャージを嗅ぎまくる変態。
乳首丸見えだった。後で零人の写メを貰おうと思う。

「嵯峨崎先生」
「何だいきなり可愛い顔しやがって」
「ユーさんのヌード写メ下さいっ」
「…俺の全裸写メをやろう。喜べ変態が」
「やだぁあああっ」
「騒ぐなっつってんだろうがハゲ!」

ハゲてないもん、などと鬼の形相で睨む佑壱にはとてもじゃないが言えまい。
別のジャージを北緯に投げ付けた佑壱が、背後で騒ぐ誰かをカーテン越しに怒鳴り付け、

「負け戦はすんなナミオ。カルマは最強だからカルマだ」
「…っ、は、い」
「勝てねぇと思ったら、仲間を呼べ」

弾かれた様に顔を上げた北緯が呆れ顔の佑壱を見つめ、続いて飛んできたハンカチを辛うじて捕まえる。

「お前一人がカルマを背負った気になんな。俺もそうだ。カルマを背負ってんのは俺らじゃねぇ」
「はい」
「俺らの負けは総長の負けになる。だから隼人は必ず報復する。どんな手を使おうが、勝つ」
「…はい」
「下んねぇプライドは捨てろ。迷惑掛けたくないなんざ自己陶酔は余所でやれ。…次はねぇぞ!」
「すいませんでしたっ」

血を吐く様に叫んだ北緯に、巣立ちする我が子を見る様な目をした佑壱が叫ぶ。


「次は俺がソイツら血祭りにすっからなっ、馬鹿が!」

窓とカーテンを同時に閉めた佑壱に、深々頭を下げた北緯は暫く微動だにしなかった。精一杯空気を読んだ獅楼が零人を引っ張り校舎へ入ると、抱き締めたままのジャージを羽織りながら呟く。

「きっと、…ユーさんは最初から知ってたんだ。北緯さんが言うまで待ってたんだ。今も、助けを呼ぶまで。きっと」

泣きたくなるくらい格好良いなぁ、と呟けば、ぽんぽん背中を叩く手の感触に少しだけ泣いた。
赤に染まったジャージ、隣に赤い髪、脳裏に浮かぶのも赤、赤、紅。


「ユーお母さん、大好き」


佑壱が聞いたら泣いたかも知れない。

←いやん(*)(#)ばかん→
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