帝王院高等学校
ゴロっと唸ってピカっと光ってブチュ
遠く遠く、遥かに遠く。
近く近く、けれどやはり、遠く。

「ハヤト?!」
「神崎!しっかりしろ、神崎!」
「ち、血がっ、誰か…誰か来て下さぁい!!!」

ゴロゴロと不気味な唸りが聞こえた。

「隼人!」
「イチ先輩っ、か、神崎がっ!」
「医務室へ運びます。獅楼っ、手を貸しなさい!」
「は、はいぃ!」
「退け、俺が運ぶ。要と加賀城は此処で待ってろ」
「でも、」
「幹部が全員離れて、誰が遠野を守るつもりだ」
「…判りました。宜しくお願いします」


まるで何かを呼ぶかの様に。
まるでオーケストラの開始を告げるかの様に。
ゆったりゆったり、近付いてくる。




「浅はかな子供よ」


囁く声が雨音を貫く。
近付く雷鳴の警告が分厚い雲の向こうから迸り、遅れて轟音を響かせる。

「兄弟でもまして親子でもない、同じ姿形をした異形を視た事はあるか」
「ふぇ」

叩きつける雨音。
巨大な神の樹の下で、緑に抱かれたまま。

「鏡世界に映る己の様な、他人を」

何一つ表情を変えない無機質めいた美貌を前に。


「魂まで喰い尽くされる前に、退け」

チューニングを間違えたラジオの様に、

「私の遺伝子を備えながら我が子ではないあの子の傍らに」


雨のノイズに阻害された声音を聞きながら。



「お前は在ってはならない存在だ」


大気を貫く落雷を、視た。






昔話をしよう。
まだ世界の仕組みを知らなかった頃の話だ。

私は脆弱な子供でしかなく。
脆弱が故の無知な脳に、目新しい理を余す所なく詰め込む事に飢えていた。
早い話が、知識を得る事に興味を持っていたんだろう。ひたすら、ひたすら。

引き換えにそれ以外の全てから無関心だったのだろう。事実、私と言う生き物は家族にすら興味を示す事はなかった。他には何も目を向けなかったのだ。
両親は気付いていただろうか。今更尋ねるつもりは毛頭ない。
何故ならば私は世界の仕組みを学び、世界に適応するべくその術を手に入れた。

世界とは広大で膨大で、然し至極単純だ。
周囲を騙し『普通』や『一般』と言う枠に収まる事に、何ら不便を感じた事はない。


私と言う世界に革命が起きたのはいつだったか。


その頃の私は既に私で在って私ではなかった。全く別の生き物と言っても良かっただろう。
私にとっては全てに意味がなかった。


そう、全てに。



『ルーク』


無機質めいた有機物が口にした単語、全てを諦めた様で必死に何かを掴もうと足掻く目、何も彼もが欲を煽った。

まずは庇護欲。
腕に収まりそうな体躯も、大気に溶け消えそうな白亜の頬も光に満ちた髪も、全て。
脆い硝子細工の様な儚さと、ダイヤモンドの様な気高さと美しさを秘めて強烈に網膜を焼いた。

そして、嗜虐心。
全てを排他するその存在から、求められればどれ程の快感だろうかと考えた。
そう、憎悪にも愛情にも似た強烈な感情で求められれば、だからどれ程の快感だろうか、と。


眩暈がしたんだ。
手酷く裏切り絶望に陥らせ、その後で砂糖菓子よりも甘やかしてやれば。君は容易く陥落するだろう。

長い長い、気が遠くなるくらい永い下準備だった。
ほら、もう目の前だ。いつでも手が届く距離。


悲しんだかい?
恨んだかい?
絶望したかい?
依存させてしまおう、お前を私に。私以外の全てから意識を根こそぎ奪い取り、この右胸に埋め込んであげる。


探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ、気が狂うほど。
探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ探せ、この右胸に埋まる時まで。
嘆け、喚け、足掻け、もっと深く、絶望に堕ちろ。


伸ばされた手を、今度こそ掴んであげる。憎しみが容易く愛へ変わる瞬間を、共に迎えよう。
そしてあの日の誓いを確実なものへと変えて。今度こそ永遠に一緒だ。

お前の世界は私の世界よりも遥かに小さい。いつか気付かせてあげる。
今はまだ、膝を抱えて泣いていると良い。お前の右胸に埋まる為に、ほら。私は未だ時を待っている。


嘘吐きだと詰るかい?
寂しかったと甘えるかい?
とにかくもう、声も出ないくらい喜んでくれるかい?

私は君だけの騎士になろう。
君は私だけに護られると良い。

嘘吐きだと詰る君に何度も謝って。寂しかったと甘える体を抱き締めて。声も出ないくらい喜ぶ瞳に唇に、口付けを。






世界は全てこの手の内だ。










静かに暮らしたいと願う子供が居ました。
母親の顔は殆ど覚えていません。
静かに微笑みながら見守ってくれる、そんな女性だった様に記憶しています。

可哀想に。
ただ静かに暮らしたいだけだったのです。母親が居ない息子を哀れむ年老いた父親から離れて、金も名誉も地位も何も彼も投げ出して。
ピーターパンの手を取った時、罠に填まったのかも知れません。無邪気に笑う、悪魔の手先に。


「ダーリン」

気配なく抱き付いてきた背後の熱。
だから、無邪気で無慈悲で天使の様に愛らしく人を惑わせる小悪魔、などと。

「付いてきたのかよ」
「どう思う?」

半ば諦めた様に息を吐いてしまうのは、Time goes by、過ぎた過去を悔やむ無意味さを学んだからなのでしょう。

「…彼女、ね」
「何か文句あるの?こんなに愛してるのに」

右中指に煌めく安物の指輪。
鼓膜を震わせる異国の言葉。
腹に巻き付く腕。
ただ、静かに暮らしたかっただけ。

「ABSOLUTELY、特別機動隊長。姿無きセントラルなんて、格好良いな」
「…」
「なのに仲間からは睨まれる。カルマの幹部だから」

いつか二人で無人島に行こうと約束したから。いつか二人で静かに暮らそうと約束したから。


「可哀想に」


今更、全てが嘘だと認めたくないから。
縋る様に懇願する様に僅かな可能性へ手を伸ばしてしまう。振り払われないから。
今は、まだ。

「思ったより、知られてる」
「光の王子様ねぇ。ただのボンボンじゃなかったみたい」
「派手に動けば気付かれる」
「まだ気付かないなんて、本当にノロマな奴」
「俺は、あの人が嫌いじゃねぇ」
「何、…手懐けられたの」

クスクス笑う感触が背中に。
異国の言葉に返すのは日本語、なんて。まるで喜劇。

「美味しいご飯に?人を惹き付けるオーラに?」
「…」
「だったら、フェニックスに甘えれば良い。大きな翼を広げて抱き締めてくれそうだね」

だから、いつか振り払われるのだと覚悟していて、自ら離れる勇気がないからまだ、縋るだけ。
腹に巻き付く腕を掴んで、離れない様に放さない様に、ぎゅっと。

「…帰りたい」
「何処に」
「誰も居ない所に」
「一人で?」
「…」

違う、二人で。
誰も居ない所へ。いつか約束した場所へ。

「寂しがり屋で甘えん坊。なのに、独りぼっちになりたいの」
「違う」
「ああ、ならフェニックスと一緒に?」
「嫌だ」
「だったら、言う事聞ける?」

緩やかに振り返り、母親へ縋り付く子供の様に抱き寄せて。ああ、悪魔の癖に暖かい、などと。愚かな事を考えた。

「ん」
「寂しくならない様にいつも一緒に居てあげるから」
「…ん」
「もう、逆らっちゃ駄目だよ。折角楽しくなってきたんだから、ね?」
「うん」

金も名誉も地位も女も名声も全て。全てがもう、他人事。何も要らない、誰も要らない、この体はもう、ただの操り人形。
繰り返される『お願い』に頷いて、自分の意志など最早何処にも存在しない。仲間、なんて。一度として手に入れた事はない。友達も知り合いも自分ですら全てが赤の他人、世界には一人しか存在しない。

この体はもう、ただの操り人形。



「良い子にしてて、裕也。」


悪いピーターパンの手を取った時から。










空が光った。
分厚い低気圧の向こう側、積乱雲の何処かで。


「景気好く吐いたな。生きてっか」
「ユ、ウさん。だっこ、ごほっ」
「してやっから喋んな」
「ひゅ、…息、出来ない、の」
「だから喋んなっつってんだろーが、馬鹿たれ」
「ユウ、さ…、けほっ、ボス、どこー」
「大人しく待ってりゃ来てくれっから、黙っとけ」
「だっ、こ」
「してんだろ。ほら、段差飛び降りっから黙れ。舌噛むぞ」

落雷よりも軽やかに。
段差を飛び降りた赤が舞い、青冷めていく血の気の引いた顔を覗き込んだ。

背後に、気配。


「祭が仕掛けた毒が今頃回ったか。胃、やられてんな」
「付いてくんな」
「肋骨へたばったまんま何格好付けてんだよ、馬鹿犬が」
「ぐっ!」

容赦無い蹴りを脇腹に受けて、叫んだ刹那噎せ込み腕から隼人を離す。
落ちる間際に奪われた長身は、同じく長身の腕の中。奪われて空いた両腕は腹を庇い、弱点を晒してしまう。
平気な顔をしていたいのに。

「殺す、今すぐ地獄にお招きだコラァ」
「ったく、…肋骨くらいじゃ大人しくなんねぇらしいなテメェは」
「隼人を離せ淫乱が!テメー、そいつに何かしたら足腰立たなくすんぞコラァ!」
「黙れ、欲求不満かヘタレ犬が」
「野郎のケツに世話なるくれぇなら右手の世話になるわ!うちの隼人におっ勃ててんじゃねぇぞクソが!」
「騒ぐな恥ずかしい。こうなる前に保護してやってたっつーのに、勝手に抜け出すからだ」

呆れた様に眉を跳ね上げた日向に、ぐっと詰まった佑壱がギリギリ歯を噛み締めた。
つまり、懲罰棟に放り込まれたのも、まだ言えば昨日隼人を誘拐したのも。こうなる事が判っていたから、だと。恐らく日向はそう言っていた。

「…つー事は、祭美月以外に心当たりがあんのか」

確か、倒れた隼人の手元に転がったペットボトルを視た気がする。日向に言うつもりはないが。

「ふん、普段は馬鹿な癖にこんな時だけ頭使ってんじゃねぇ」
「テメーこそ馬鹿だろーが淫乱ドスケベ野郎」

高坂日向と言う人間は言葉や態度ほど傲慢不遜な人間ではない。自らの非は認め、格下だろうが頭を下げる面もある。認めたくないなら目上の人間ですら罵倒する、そんな男だから色話が絶えなくても尊敬されるのだ。
そんな日向が、『保護』と言った。つまり中央委員会総出でカルマを守ろうとした、などと。言うのだ。馬鹿馬鹿しい。

「…アイツが隼人を庇う筈がねぇ」
「は、嫌われたもんだな帝王院の野郎も。言っておくが、うちの会長は全てに平等だ」
「無関心なだけだろ」
「判ってんじゃねぇか、馬鹿犬」
「黙れ淫乱、隼人に指一本突っ込んでみろ。バイアグラ百粒飲んで襲ってやっからな…」
「返り討ちだ阿呆犬」

ユウさん、と。
頼りなく、まるで寝言の様な儚さで呟かれた声に小さく笑い、ムカつく美貌を右手で押し退けた。

「おう、母ちゃんは此処だぞ隼人」

おい、と不機嫌を顕にした副会長には目もくれず、ユウさん、と再度呟いた唇を横目に額へ口付け一つ。

「何つー可愛い寝顔なんだうちの子は。良し高坂、今だけ見る事を許す」
「…後で絶対ぇ殺す、タコ犬」

きっと心配の余り混乱していたに違いない。可愛いワンコならまだしも、壮絶に睨み付けてくるライオンの耳に齧り付いたのは、日向を殴れば腕の中の隼人にダメージを与えてしまうと考えたからだ。
他意はない。ただの嫌がらせ。

「げ、淫乱の癖に耳やわけぇ。もっかい噛ませろ」
「死ね!」

膝蹴り態勢で顔を横に向けた薄い唇が、触れた。医務室の目前で、



「「─────」」



齧り付いた耳の代わりに、今。

←いやん(*)(#)ばかん→
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