帝王院高等学校
我が神に幸あれィ!
まずは、指。
すらりと伸びた背に呼応する様なその指が、世界を変えたのだ。

『どうしたの、そんな所で』

藻掻く事も足掻く事も知らなかった自分が、初めて意志を持った夏の日に。
眩ゆいばかりの陽光を従えて、艶やかな黒髪の下に窺える意志の強い眼差しで貴方は微笑んだのだ。

『捨てられた子猫みたいに、一人で』

まずは、指。
擽る様な指が喉を撫でた。
ぐったり横たわる腹違いの弟を背後に隠したまま怯む、幼い体躯。見知らぬ国で、たった一人。

『何を隠した?』
『…っ』
『君が苛めたの?』
『違う!』

咎めるでもなく嗜めるでもなく、事実を確認するだけの無機質な声音が。どうしても恐かった。
故郷の大人は何をしても叱らない。甘やかされているのだと、教えてくれたのは横柄で生意気な同い年の部下だけ、なんて。笑えもしない。

『よ、洋蘭が!あんまり叩くから、可哀想、で!』
『日本語が苦手なのか?』
『吾、中国人!差別するか?!』
『いや、それ程下らない時間の無駄はない。生まれた国の違いだけで、拒絶するのは大人のエゴだ』

難しい話、だと。感じた。
同世代の誰よりも賢いと誉められた自分にも、その意味が判ったのは随分後だ。
背後に隠した義理の弟が、微かに呻きながら震える気配に振り向いて、その小さな背中を撫でる。


笑う気配。


『仲良しだな』
『…違う、青蘭、中国行きたくない言う。吾を兄さん、言わない』
『良く似ているから、お父さん似か』

指。
柔らかく頬を撫でて、柔らかく笑む唇だけを盗み見た。眼差しは知らない。
朦朧とした意識の中苦しげに呻く小さな小さな弟、神社の境内などにいつまでも隠す事は出来ないと知っている。

『香港、行けばもう苦労ない。食事、服、何でもある。養護施設、とても汚い所。あんな所より、中国帰る幸せ』
『そうか』
『でも、青蘭、イヤ言う。洋蘭が叩いても、蹴っても、イヤ言う。だから、こんなに傷だらけ』
『だから守ったんだな?お兄ちゃんだから、一人で』

暖かい掌。
撫でられた頭に血が昇る。恥ずかしい、こそばゆい、弟の手当てをしなければ、いや、早く逃げなければ追っ手に見付かってしまう。

『素直に言ってみたらどうかな?』
『…ぇ?』
『君と一緒に居たいんだって、ちゃんと。言った事あるか?』
『…ない。青蘭、日本語しか喋れない。吾、日本語、あまり、上手違う』
『言葉だけがコミュニケーションツールじゃない。真摯な気持ちは必ず伝わる』

笑う気配。
喉を撫でた指が、とても暖かい。

『君の名前は?』
『メイ、ユエ。日本語では、美しい月、書く』
『美月、目を閉じてご覧』

頬に、額に、至る所に擦り傷を受けた弟が袖を掴む気配。無意識だろうそれは、酷く庇護欲を煽った。

『君に魔法を掛けよう。二人が幸せになる、魔法を』

最後に見たのは微笑む唇。
長い指先。





『Open your eyes』



目を開けた瞬間、絆創膏だらけの弟が泣きながら抱き付いてきたのを覚えている。



魔法使いの名は、知らない。













褒めてやりたい。
決して優れているとは言えない運動神経、つまり反射神経と言うか無意識の防御?

「や、山田、君…」
「(οдО)」
「過激だぜ」
「うっそー」

いままで茶碗を持ったり握手する時に添えるくらいしか使い道が無かったペンダコ知らずの左手、人生で今以上に褒めてやりたいと思った事はないよ。
見たかワンコ達のあの表情、清々するね!徹夜でゲーム握り締めてるゲーマー舐めんなって話だ。うん。


そして、右手。


「ひ、太陽君…?!」
「っんの、」


お前は、勇者だ。



「ド腐れ会長がーっ!!!」



まさか神帝に殴り掛かるなんて。





間。


「マジかよ、ありゃ」
「マジだな、あれは」
「亀甲縛りで不細工な顔を晒している場合ですか、二人共」

委員長である二葉命令により、メガネーズから問答無用で縛り上げられた佑壱と日向が間抜けな表情で呟いた。
親衛隊達に解かれた縄を横目に、たった今、帝王院最強の男へ平手打ちしたちびっこを眺めながら、満面の笑みを滲ませた二葉に息を呑む。

「…キレてねぇか?」
「ああ、キレてんな」
「どうにかしろよ、副会長だろ」
「テメェこそ書記だろうが」
「辞めたし」
「巫山戯けんな」

日頃の恨みを忘れて他人の振りをする二人の視界に、銀の面を押さえた長身が太陽を組み伏せる様が映り込んだのだ。

「ぅ、わ!」
「戯れはこの程度か、時の君。身の程を弁えぬ愚行よ」
「痛っ、離せよ!」
「何を震えている?」

右腕。
生徒会長に平手打ちした右腕を捻り上げられて、教師さえもが身動き出来ない状況下で。

「武者震いならば、勇ましい。恐怖ならば負け犬の遠吠えか」
「っ、」


動いたのは恐らく、一人だけだ。


「殺されてェのか、テメー」


音もなく駆け寄って回し蹴り、避けられて間髪入れず膝蹴り、それすら躱されても狼狽えず踵落とし。

「し、俊…っ」

辛うじて長い銀糸を弾いた強靱な足が床を蹴り、上体を起こした神へ真っ直ぐ飛び込んで行った。

目の前で。
人間離れした二人の長身が、息つく間のない攻防を晒している。止められない全ての人間が半ば感嘆めいた息を吐いた。

「ちょこまかと…、逃げるしか能がねェんでございますか生徒会長様よォ」

敬語もへったくれもない。
帝王院最強の男に終始攻撃を仕掛けながら冷静にほざける人間など、何処を探しても見付からないだろう。

「勇敢なものだ。それほどそこの能無しが大切か、天皇猊下」
「うちの副会長の事抜かしてんのか神帝陛下、ハゲさせるぞボケがァ」
「言葉の遣い方に支障がある様だ。生徒の手本となるべき人間の様ではない」
「生徒の手本となるべき会長がセクハラか、あ?誰に断ってうちのアイドルに手ェ出してやがります。腐った下半身切り刻まれたいんですかコラァ」


神威の胸ぐらへ伸びた俊の右手。
俊へ胸ぐらに伸びた神威の右手。
同時に引き寄せて、頭突きしようと息を吸い込んだ黒縁眼鏡の下に、



ブチュ。



「「「「「…」」」」」


吸い付いたのだ。
生徒会長が生徒会長に。いや、会長が会長に。だから、陛下が猊下に。
太陽の左手は唇を守り、太陽の右手は敵の頬を平手打ちした。だが然し、オタクの右手は会長の胸ぐらであるネクタイを握り締めたまま、涙目で見つめてくる太陽を激写するべく左手にはデジカメがあった。

「む、ぅにゅ、ふ、んんんっ」

つまり、バリアフリー。
ぽかん、と目を見開くギャラリーの中央で、濃厚且つ卑猥なキスシーンが1分、2分、いやまだまだ、3分、4分…、



「長いわ!」
「ゲフ」

混乱から起き上がった太陽の蹴りが俊の決して長くない脛に当たり、主人公名誉の戦死。

「しゅしゅしゅ俊くーん!」
「桜餅…僕が死んでも平凡受けは不滅、にょ。ゲフ」
「俊くーん!起きてぇ!」

ダイイングメッセージに萌えと書き認め、満足げな笑みを滲ませている。漸く親衛隊一同が張り裂けんばかりの悲鳴を上げた。

親衛隊一同が密かに拳を握り締めていた事には、誰も気付いていない。

睨み合う、と言うか一方的に会長を睨む、平凡。緊迫した雰囲気に、オタクでも一応会長である俊を守る太陽へ不良達の声援が飛ぶ。
反して、副会長も会計も元書記(自称)も助けに来ない中央委員会会長へは、親衛隊達の熱い眼差しが注がれていた。

漫画研究会で秘密裏に会長カプ同人誌が作られつつある事を、幸か不幸かまだ誰も知らない。

そこに現れた平凡受け。
帝王院全域に生息する神帝親衛隊の興奮は最高潮だ。教師の中にも親衛隊員が居る為、誰も止めに入らない。

煙草休憩に行った一年Sクラスの担任共は、何の役にも立たない様だ。


「…此度はそなたが阻むか」
「アンタ何がしたいんだよ!これは立派なセクハラだぞ!訴えてやるからな!」
「ああ、出来るものなら幾らでも。但し、審問会議で供述出来るならば」
「何を、」
「男に性的嫌がらせを受けた、と。恥も外聞もなく、供述出来るなら」

目を見開いた太陽が唇を噛み締め、ヨロリと立ち上がった俊が無言で首を振るのに舌打ちする。
昨夜神威が読み更けたBL本(444冊/俊の全財産)から得た知識により、ゲーマーでは太刀打ち出来ない有様。太陽にはBL勉強が必要だ、と眼鏡を曇らせた俊が涙目で見上げる太陽に眼鏡を割り、素早くニュー黒縁に掛け替えた。

猊下の眼鏡は幾つあるのか。
帝王院に新たな七不思議が誕生した事を、本人だけが知らない。


「タイヨー、名誉の為に我慢してちょーだい」
「でもっ、あんなコトされて泣き寝入りなんか、」
「オタクに吸い付く会長が居るなんてバレたら、世間の腐女子様に顔向け出来ないにょ!」
「…はい?」
「こんな役立たずな会長だなんて!入学案内にも書いてなかったですわよー!」

涙で濡れる黒縁眼鏡が光の早さで走り去り、沈黙が世界を包んだ。


「え?─────そっち?」

ぽつん、と残された太陽と神威が追い掛けるべきか否かで一秒悩んだらしいが、

「陛下、この状況をどうにかして頂けますよね?」

満面の微笑でガシッと肩を掴んできた二葉に、皆の視線が突き刺さった。
つまり、因果応報。

「…BLは奥が深い様だ」
「何かほざきましたか?」


会計に引き摺られる会長が見られた。











「ちっくしょー!」


涙で走るオタクが窓枠を飛び越え植え込みを飛び越え、いちゃつくカップルをデジカメで狙いつつ辿り着いたのは、並木道から大分外れた森の中。
緑に紛れた桜がチラホラ、白と緑のコントラストを生み出しているが、そんな事には眼鏡も向けない。悲しみと怒りに曇った眼鏡がズカズカ森林を横切り、遂には最端のフェンスまでご到着。

「ハァハァ」

萌えの為ではなく此処まで全速力で走ってきた為に荒い息遣い、フェンスを鷲掴み曇った眼鏡から怒りのバーニングフラッシュ(必殺技)を撒き散らしながら、


「俺様攻め万歳!!!」

太陽に吸い付きそうだった神帝にかなり萌えたオタクの、命の叫び。
うっかり写メった携帯は墓場まで持って行くつもりだ。俊の記憶から会長に受けたセクハラは綺麗さっぱり消えている。

「ハァハァ、おのれタイヨーめ!あそこで拒否するなんて…小悪魔受けか!ハァハァ、チュー未遂事件に心が血を流してるにょ!」

実際、鼻が血を流している。
やはり萌え第一。太陽がキスを拒まなければ出血多量で運ばれていただろう。今でも瀕死寸前の出血だ。

「ハァハァ、二葉先生ごめんなさい!やっぱり会長攻めが好きなオタクを許して下さいませィ!」

止まらない鼻血を押さえ、フェンスに寄り掛った変態。太陽が見たら泣いただろうか。
セクハラから庇った理由が「チュー未遂事件にキレた」からだと聞けば、感謝が殺意に変わる。

「ハァハァ、今すぐブログ更新しなきゃ…!ハァハァ、帝王院万歳!!!陛下ァ、一生付いていきます我が神!」

腐男子、光速でブログ更新しながら、不良時代の恨みを綺麗さっぱり忘れて今にも神帝親衛隊入りしそうな勢いだ。
誰も聞いていないのが救いだろうが、


「ふぇ?」

と、後ろを振り向けば、大木に寄り掛った長身が見える。
フェンスに背中を預けたまま沈黙し、じーっと見つめてくる蒼い双眸に瞬いた。物凄いイケメンだ。上下黒のシャツとスラックスは制服だろうか。物凄いイケメンだ。

「あにょ、こんにちは」
「…」
「あにょ、怪しいオタクではありません。ただの腐男子と申します」
「…」

いつからそこに居たのか、無表情で佇む彼は微動だにしない。授業中なのにサボっていると言う事は美形不良か、と眼鏡を輝かせつつ、溢れる好奇心からジリジリ近付く。
誰かに似ている気がするが、こんな金髪イケメンに心当たりはない。日向とはまた全然違うタイプのイケメンなのだ。経験豊富なホストNo.1、みたいな勝者のオーラが隠し切れていない。

「ハァハァ、ちょっとお写真宜しいでしょうか?!」
「…」
「ハァハァ、あっ、今度は腕を組んで貰えるでしょうかっ?」
「…」

口を開かないのを良い事にデジカメを光らせまくり、図々しくポーズの指定をすれば無表情で腕を組むイケメン。
何、このトキメキ。母性本能擽られちゃう。ボク男の子ですけども。

「あにょ、うんめー棒お食べになる?」

こくり、と頷いた美形が手を伸ばしてきた。心なしかサファイアの双眸が輝いている。

「メンタイ味と味噌カツ味、どっちがイイにょ?」
「…」

きょとり、と首を傾げる美貌に眼鏡を吹き飛ばしついでに鼻血を撒き散らしながら、オタクは手持ちの駄菓子全部を貢いだらしい。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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