帝王院高等学校
山田太陽、2kg痩せました。
「はい、良いよ」

眼科にある様な視力測定の機械から目を離し、凝り固まった肩を解しながら立ち上がった。
真新しい純白のジャージは胸元に金糸でSの刺繍が入っており、袖口と襟口に黒いラインが入っている。

「視力はどちらも問題無さそうだけど、眼鏡を掛けているのは何故かな?伊達眼鏡は不便だろう?」
「えっと、」

複数の医師が個別に待機している視聴力スペースは、黒い暗幕とセパレートで完全に孤立していて、医師と生徒がマンツーマンになる。
外していた眼鏡を手に取りながら、素直な疑問をぶつけてくる相手に瞬いた。

「目付きが、悪い、ので」
「然しそれが君の個性だろう?それにね、人間笑顔だけで何とでも印象が変わるものだよ」
「そう、でしょうか。俺は自分の全てに自信がないから、」
「レンズ一枚。それだけで世界は変わる」

困った様に笑う医師が目元を指差し、からりと笑う。

「俊江先生には余り似ていないね。どちらかと言えば、前院長に良く似てる」
「え」
「覚えてないだろうな。昔、君を見掛けたんだ。あの時初めて、亡くなった院長の穏やかな顔を見た」

そうか、母の実家で働いていた人なのか、と息を吐いて、人見知りの警戒を解いた。

「もっと早くあの穏やかな院長に出会えていたら、辞めずに済んだだろうけどね」
「あ」
「大丈夫、直江院長が研修生だった頃の教師だったんだ私は」
「叔父さんの?」
「俊江先生は私の手に負えなくてね。ま、彼女は外科でも特に難しい胸部外科の医師で、脳外科の私ではお手上げだったのだけど」

学校以外の自分を知られているなら、眼鏡など意味はない。
人好きのする笑顔につられて笑えば、僅かに目を見張った彼は皺の目立つ顔に笑い皺を刻んだ。

「然し帝君か。凄いね」
「運が良かっただけ、です。本当に俺は、申し訳ないくらい内申点が低かったから」
「それだけ頑張ったんだろ?良くやった」

父親よりも年上の男性に誉められた記憶は皆無に近い。眼鏡を握り締めたまま頭を下げて、入り口の前で口を結んだ。


「じいちゃんが、死ぬまで父さんと母さんの結婚を認めなかった理由、知ってますか?」

振り向かないまま言葉を絞り出せば、笑う気配が背を撫でる。

「認めていたよ。少なくとも、死ぬ間際はきっと」
「…」
「君の父上は勿論、頑固な院長にそっくりな俊江先生が頑張ったからだ」

杖を片手に厳かな顔一杯、笑みを浮かべていた祖父を思い出した。町で大きな喧嘩をした日、孫の名前ばかり口にして息を引き取ったらしい祖父の、顔を。
祖母も叔父も、勿論母親も父親も。帰りが遅かった俊を責めたりしない。ずっと病室に付きっきりだった従兄弟が泣きながら抱き付いてきて、最早この世の人ではない祖父の遺体を前に、叔母だけが責めたのだ。


出来が悪い女の息子だから、死に際に間に合わなかったのだ、と。
素性の知れない男の血を引いているから、病院を乗っ取るつもりなのだろう、と。


祖父が遺言状に何を書いていたのかは知らない。聞く前に母が相続放棄してしまったから、何も。
出来が悪い子供だから。
せめて、せめて。
有名な高校に入学して今度こそ、ちゃんと。通って卒業しようと、墓前で手を合わせた去年。

「頑張れば、必ず結果は付いてくるものだよ。始めから諦めた人間には、何も掴めない。在り来たりな言葉こそが真実だとは思わないかい?」
「…」
「頑張るな、なんて言わない。死ぬほど頑張って疲れたら休んで、手に入るものは何でも掴み取るんだ」

弱虫な自分を隠す前髪を掻き上げて、眼鏡を手にしたまま暗幕を跳ね除けた。

真っ直ぐ、前を向いて。



「お母様の様にね」


右手で握り潰した何かを、ポケットに押し込んで。













「去年は8cm伸びてたのに、今年はちっとも伸びてない…」

測定ごとにセパレートされた立て掛けを避けて、真新しいジャージを受け取った。
去年まではSサイズだったが、

「2kg痩せてたけど、辛うじてMサイズ…。やっぱSマークが付いてんだなー、進学科だけ」

体育館の隅で着替えている普通科生徒を横目に、更衣室へ駆け込んでいく国際科生徒達を見やり肩を竦める。

「男しか居ないのに何が恥ずかしいんだか」
「太陽くーん」
「桜、もう着替えたんだ?」
「ぅん、他の子達は更衣室に行ったみたぃだけどぉ、僕はほら、狙われる危険性とかなぃからぁ」

親衛隊持ちの生徒や、見た目が華やかな生徒達は基本的に人目がある場所での更衣を控える。風紀からの勅命でもあるが、無駄な問題を起こさない為には必要な事だ。

「過信は駄目だ。男が男を襲う、物好きだらけなんだから」
「ぁはは。俊君と一緒に着替えたから、平気だよぅ」

カルマが目隠しになってくれた、と楽しげに語る桜に笑う。オタクを囲む美形達もその場で着替えたのだろうか、紅蓮の君親衛隊が脱ぎ捨てられた制服を恭しく運んでいるのに首を掻いた。

「左席ってだけでも十分気をつけてくれよ、桜」
「そっかぁ。ぅん、判ったぁ」
「あ、そうだ。後で神崎に指輪作らせるから。指のサイズ判る?」
「ううん、測らないとちょっと…」

どうやら佑壱までもがその場で着替えた様だ。顔が赤い生徒達がちらほら見える。

「了解、俺の指輪もサイズ大きいし、今日の放課後に測ろっか」
「はぁい。あ、錦織君と紅蓮の君に部室の場所教えておこっと」
「おーい、山つん、さっつん」

何の躊躇いなく着替えて脱いだ制服を小脇に辺りを見回せば、短い赤髪が目立つ獅楼が近寄ってくる。

「加賀城君、山つんってねー」
「進学科も普通科もごっちゃごちゃだ。さっきSクラス優先の命令があったから、俺らは後回しだって」
「加賀城君は制服の注文?」
「おう、最近また身長伸びてさぁ。去年は170くらいしかなかったから、膝が痛い」
「僕は2cm伸びてたよぅ、体重は3kg増えてたけどぅ」

脱いだ制服を奪われ、近場の不良に持たせた獅楼に瞬いて、そう言えば佑壱の親衛隊長かと思い直した。

「つか170でも十分羨ましい…」
「ん?山つんも170くらいあんだろ?小さくないじゃん、全然」

ヨシヨシ、と大きな手に撫でられて憮然としながら、小さくないと言う台詞に万更でもない。
確かにSクラスでは一番小さいが、普通科国際科に紛れれば平均値だ。まだまだ小さい生徒など幾らでも見える。

「やっぱ、普通科って数多いよねー。国際科が何人だっけ?」
「確か国際科がカリキュラム3コースでぇ、1コース30人だからぁ、90人かなぁ」
「普通科はAクラス40人、Bクラス50人だよ。退学していく奴が居ても、分校から昇校してくるから」
「昇校生って、基本的に普通科か国際科にしか入らないもんなー」

三人並んで雑談に花を咲かせながら、獅楼にビビって道を空けてくれる不良らに頭を下げつつ、


「そう言えば、他の皆は?」
「ユーさんは握力」
「星河の君と錦織君は、ケンちゃんと握力測定の方に行ったよぅ。カイさんは俊君と視聴力測定の方に行った様な…」

黄色い悲鳴が上がり、不良達の喝采が騒めく。握力、跳躍力測定の方面を見やれば、凄まじい数値を叩き出したらしい佑壱と健吾が脚光を浴びていた。
去年もこんな光景見たな、と溜め息一つ。黒いセパレートで覆われている視聴力測定の一角を見やれば、まだまだ大縦列だ。

「あの列に並ぶのは嫌だな。イチ先輩達の方に行ってみよっか」
「握力か、自信ないなぁ…。俺、かなり見た目騙しだし…」
「握力なんかなくったってぇ、加賀城君はカルマに入れたんだからぁ、自信持ってっ」
「さっつん、俺さっつん大好きっ。左席でも宜しくね、俺バカだけど!」

友情が芽生えたらしい桜と獅楼が抱き合い、獅楼ファンの奇声が弾けた。耳栓宜しく耳を塞ぎながら、皆に囲まれた佑壱の方へ足を進めれば、誰かの足に脛を蹴られる。
明らかに、嫌がらせ。


「いっ、」

転ぶ、と目を瞑れば、ポスンと何かに包まれて、ひょいっと持ち上げられた様だ。
サラサラな黒髪、知性を漂わせる眼鏡、一瞬だけ親友と見間違えて安堵した体が、すぐに硬直した。

「落ち着きのない人ですねぇ、貴方は」
「っ」
「閣下、お怪我はありませんか」
「ええ、構わずとも宜しいですよ。それより高坂君の周りを黙らせて来なさい、騒がしい事この上ありません」

風紀のワッペンをジャージの時でも忘れない風紀委員達が踵を返し、皆の視線が刺さるのが判る。
女性と見間違えるほどの美貌が目前に、然も何故か抱き上げられていた。

「は、はな、はな、」
「花?茶道には覚えがありますが、華道は得意ではないのです。然し山田太陽君、君に似合う花などあると思ってらっしゃいますか?」
「離せーっ」
「蒲公英か向日葵くらいでしょうが、どの道花束には向かない」
「か、加賀城っ、助け、助けてー」

ブンブン頭を振る獅楼が桜の背後に隠れ、満面の笑みを浮かべる二葉に笑顔だけで負けていた。
何と情けない。

「猊下はどうなさいました、先程まで貴方が熱烈に求愛していた猊下は」
「何、言ってんだよ。アンタ三年だろーがっ、三年なら三年らしく親衛隊とあっちいけ!」
「残念ながら山田太陽君、親衛隊が居ない生徒の方が多いんですよ?私にはこの美しさの余り近寄ってくる輩が多いのですが」
「嫌味か!」
「おやおや、何ですかこのレトロな財布は」

俊に無理矢理押し付けられた水色のガマグチ財布を覗かれ、片腕で抱き上げられている状況に眩暈を覚える。
何だ、これは。新手の嫌がらせか。昨日の恨みか。

「生徒手帳発見、ぽちっとな」
「え、あ、ああっ」

IDカードを掴んだ二葉が躊躇いなくカード縁のボタンを押し、今測定したばかりの身長座高体重が体育館の隅にある巨大モニタに映し出された。
太陽の証明写真付きで、だ。

「169cm、90cm、53kg。ふむ、座高の発育は素晴らしいものがありますが、身長体重がやや乏しい」
「うっさい!プライバシーの侵害だ!畜生っ、離せ!下ろせ!IDカード寄越せーっ!」
「おやおや、仕方ありませんね。はい、どーぞ」

下ろされて手渡されたIDカードに眉を寄せる。太陽のカードは左席を示す黒に銀の羅針盤入りだが、手渡されたカードは銀に金の十字架が入っていた。
明らかに太陽のものではない。眉を寄せたまま側面のボタンを押せば、体育館全体が黄色い悲鳴で震えた。


「…ちょっと待て陰険鬼畜風紀委員長」
「先輩に対して何と言う言葉遣いですか、山田太陽君」
「アンタのIDカードじゃねーかぁあああ!!!」

高そうなIDカードを叩き付け、モニタに浮かび出された二葉の写真を指差し頭を掻き回す。


身長181cm、座高89cm、体重59kg。


何だこのモデル張りのデータは。

「俺のカード返せーっ、性格破綻者がぁっ、清く正しい一年苛めて楽しいのかこの野郎ーっ」
「ひひひ太陽君、落ち着いて太陽君っ」
「おや、円周率の君。口内炎の君は受験ノイローゼが抜けていない様ですね、お可哀想に」
「ムカつく、ムカつくーっ!世界中に二人っきりになったって絶対っ、俺はこんな奴とは付き合わない!」

二葉の手から奪い返したカードをガマグチに仕舞い、キッと涙目で睨んでから騒ぎを聞き付けた要と隼人の元に走った。
追い掛けてきた桜と獅楼から宥められながら、怒りのままに測った握力は50kg、平均値だ。


「…相変わらず、口が悪い」
「後輩苛めてヤリ返せされてちゃ、処置ねぇな。二葉」
「見てたんですか、悪趣味ですね高坂君」
「ドイツもコイツも、うちにゃ馬鹿しか居ないらしい」

二葉のIDカードを拾い上げ、掌で弄ぶ日向が肩を竦めた。

「187cm、73kg。先月から変化無し」
「二次成長の賜物ですねぇ」
「テメェが言ったんだったか、好きな子を苛めるのはダセェんじゃねぇのか?あ?」
「おや、好きな子には満足に話し掛ける事も出来ない君が何を偉そうに」
「ぐ」
「陛下は?」

頷いた日向が素早く背後へ目を向け、何やら騒がしい一角に片眉を跳ね上げる。
同じく二葉も僅かだけ狼狽の気配を滲ませ、そちらを見た。



「きゃーっ」
「素敵ーっ」
「アレ誰ぇ?!」


そんな、馬鹿な。

←いやん(*)(#)ばかん→
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