帝王院高等学校
孵化する間際の子守唄
「何、それ」
透き通った硝子玉一つ、掌に転がして縁側の風鈴に耳を澄ましていた夜。
屋根の上に登った子供が、豊かな金髪を靡せて首を傾げた。無視するのは容易い。そうしなかったのは、恐らく機嫌が良かったからだ。
「ラムネのおまけ、ですかね」
「ラムネ?の、中に入ってる奴?割らなきゃ出せないのに」
呆れた様な声音を一瞥、今度こそ聞き流す。
「無理矢理出したんですか、お前」
「だから、出鱈目な丁寧語はやめろと言うのに」
罰が悪そうな表情でそっぽ向く相手を軽く睨み、何の価値もない硝子玉をポケットに放り込んだ。捨てた、などと言えばまずもって煩いだろう相手を思い出し、小さく笑う。
弾かれた様に顔を上げた日向が、腰に差していた団扇を片手に何とも不細工な面だ。
「…何ですか、その面。とりあえず殺すぞ」
「二重人格っつーんですよ、お前。いきなりヘラヘラして、気持ち悪い」
「素っ裸に剥いて今から公園に捨ててやろうか。一発変態の餌食だ糞餓鬼」
口では負けない自信は十割、つまり未だ一度として勝っていない相手は不機嫌を顕に、パタパタ団扇で扇ぎながら逃げ出す気配はなかった。
負けず嫌い、と言うより、逃げると言う選択肢が始めから存在していないらしい。
だからあの男がひたすら真っ直ぐ、と、讃えたのだろうか。
「おい」
「何か用があんのか。だったら、僕の話を聞いて下さいませんか二葉様、と可愛らしく言ってみろ」
「な!」
「言えれば三秒くらいは聞いてやる。喜べ」
「性悪!根性悪!お前、友達居ないでしょ!」
ビシッと指を突き立ててから、人様に指を差してはいけないと言う親の躾を思い出したらしく、あわあわ指を隠した日向に片眉を上げて、久し振りに抹茶が飲みたいな、と星が煌めく空を見た。
「居る訳ねぇだろ、つか要らない。不必要、無駄、何が友達だ馬鹿が」
「お前、そんなんじゃガールフレンド出来ないですよ」
「お前言うな、様を付けろ」
「…あ、そう言えば一人だけ居た様な?」
聞こえない振りなのか単にマイペースなのか、世間知らずの様で意外に強かな日向は近頃遠慮がない。目を離した隙に、神威の膝で寝ていたりする強者だ。
「ピンクのボンボン付けた、奴」
「要らん事ばかり覚えてやがる」
「だって毎日一緒に居ますし、アイツに一回髪引っ張られたし…」
「ぶ!」
「笑うなですよ!」
日向がカットし損ねたサッカーボールを、得意気に蹴り返そうとしてすっ転んだ子供。額の上で前髪を括った、いつもワンピースにハイソックス姿の小さな。
「そら、ブロンドが珍しかったんだろ。綺麗な金色が」
「ふーん」
「照れんな、気色悪い」
何が楽しいのか毎日笑っていて、何が楽しいのか毎日追い掛けてくる。1週間も続けば、無視するにも限界がある。
「公園の向こうに、でっかいホストクラブがあるでしょ」
「ああ、あそこから8区だったな。4区は隣接する区が多い」
「あのホストクラブはうちの縄張りで、あの裏側にスーパーがあるの」
何の話だ、と半ば飽きてきて息を吐けば、
「ふん?…確か、ワラショクだったか」
「脇坂があそこの店長と同級生で、聞いたんだって。社長が、4区に家建てるんだって」
何故か勝ち誇った表情で腰に手を当てた日向が屋根の上だと思い出しすぐに屈み込んで、団扇で扇いでくる。
生温い風が頬を撫でて、
「やまだひろあき、と、やすあき」
星の煌めきが、一層強まった気がする。
「─────あ?」
「光が丘幼稚園の空組に、ワラショクの社長の子供が入園したんですってよ」
「カマ口調はやめろ、気色悪い」
些かムッとしたらしい日向がそっぽ向き、膝を抱えた。恐らく何か話したい事があるのだろうが、二葉に話し掛ける切っ掛けを探っているらしい。
無駄話だと聞き流すには身に覚えがある話に首を掻いて、無意識にポケットを漁った。小さな硝子玉の感触。
「双子、ね。成程、口煩い弟がヤスアキだ。当たりか?」
「口煩い、か、どうかは知らないけど、SUN&TWILIGHT(太陽と夕陽)だって言ってた」
「太陽と、夕陽」
太陽、とはまた、似合い過ぎて笑えない。
いつも何が楽しいのか毎日笑っている、自分の首元くらいに目がある小さな子供を思い浮かべて。また、笑った。
「楽しそうですね、ムカつく」
昼間は公園で、日が落ちてからは母親の指導で勉強。忙しい日向が恐らく母親から逃げ出してきたのだろうとは予測が付いたが、いつまでも家の中だけで勉強させる訳にはいかない筈だ。
特に親馬鹿な父親が息子の身を案じているのは判るが、些か親馬鹿過ぎる。箱入り通り越して軟禁だ。
「また教育係を申し出たヴィーゼンバーグの人間を追い返したらしいな、ベルハーツ」
「ヒナタ!ベルハーツ、違う!」
「そんなに嫌ってんのかよ、名前」
「…大嫌い」
二歳の時に誘拐紛いで祖母の元へ連れていかれたらしい子供は、以来イギリスを毛嫌いしている。アメリカしか知らない自分には何とも言えないが、偏屈な国だと言うくらいは知っていた。
「なぁ、一応帝王院に籍置いてんだろ?いずれ枢機卿の物になる、あの学園に」
「山の中にあるから、楽しくなさそう」
「そんな理屈で自宅療養かよ」
形式上、体が弱い高坂日向は自宅療養にて入園式にすら出席していない。本当に名の通り自宅療養、だ。
形式上では二葉も神威もイギリスに在る国際分校に所属しているが、実際二葉はハーバード大学の学生だ。それも、来年の春には卒業予定だが。
「株式会社笑食、っつったら、最近一部上場済ませた企業だったな」
「何?」
「いや、別に」
2つ年下、の、ヘラヘラ笑う食えない生き物が、もし、二年後入園するなら悪くないかも知れない。
数学漬けの大学から、今度は日本の小学校へ。
「…そうだ、ファーストも来年の春には単位が満ちる。院に残る気はないだろうから、アイツも来年から小学生か?」
「ファーストって、」
「枢機卿の従弟で、俺らの一つ下。頭が痛くなる餓鬼だ」
ルーク以外を人間だと思っていない、生粋の御曹司。赤髪の『世間知らず』は、二葉とは真逆に文学に於いては天才だ。
足し算ですら怪しい癖に、今や20ヶ国の言語を理解し操っている。天敵、と言うには腹立たしいばかりだが、言語に至ってはルークに並ぶ神童だ。
「いつか会う事になんだろ、多分」
「ふーん」
「見た目からしてイラっとする餓鬼だがな」
「そんなに嫌いなの」
日本でもアメリカでも通用する無国籍の顔、成長著しい体躯は二葉と神威の身長に並び、この中では一番背が高い日向より少しだけ小さいくらい、だろうか。
丸1ヶ月会っていないだけだが、平穏そのものだ。二度と会いたくない。出来るなら。
「毎日毎日何処の国とも知らん言葉で馬鹿にされてみろ、殺意が芽生えんだろ」
「良く、判りません」
「お前さんは一発馬鹿にされんな、日本人だってんなら日本語くらい使え」
「ぐっ」
「悔しいか、ならもっと悔しがれ」
ぐりぐり頬を突いてやれば今にも叫び出しそうな日向が髪を掻き回し、然し逃げずにまた、瓦の上に腰を下ろす。
「大人になったら、跪かしてやる」
怨念を織り込んだ呟きは流暢な英語、確かに英語だけならイギリスの美しいクイーンズイングリッシュだ。
「俺を跪かす、ねぇ。万一叶ったら誉めてやるよ、You did it(良くやった)」
「む、むぅ」
「立つな、見下ろされんのは好きじゃない。殺したくなる」
「えっと、これは何て言うんだっけ…あ、そうだっ、横暴!」
「煩い」
柔らかい頬を引っ張り、蚊を叩く序でに逆側の頬を引っ叩いた。頬を押さえた日向がまた、流暢な英語で唸る。
「で、いつまで居座るつもりだ。用があるなら早く済ませろ、俺は暇じゃない」
「暇そうな癖に…」
「あ?」
「風呂!早く入れって、脇坂が!」
「風呂なんか入っても入らなくても死にやしない。枢機卿はどうした」
「さっきまで、縁側の下で寝てたけど」
「…は?」
「虎之助が気持ちよさそうに寝てたから、『面映ゆい』って言って潜り込んだまま出て来ない」
「虎之助…」
「父さんの、にゃんこ」
頭が痛くなってきた。
無関心そうに見えるが好奇心の塊である神威が、あの見た目で猫と同じく床下に潜り込んで昼寝など笑えない。
昨日日射病紛いに倒れ、丸一日検査入院に費やした事を忘れたのだろうか、あの生き物は。
「…蚊に食われても知らね」
「蚊取り線香持ってったから、多分、大丈夫ですよ」
「用意周到過ぎて眩暈が…」
大袈裟に眉間を押さえれば、もじもじそわそわ体を揺する日向が、唇を開いては閉じた。金魚か、と溜め息一つ、横たわって腕を頭の下に敷いた。
満天の星空、傾いた北斗七星の頂点で一際輝く大熊座が見える。
「言いたい事があるなら言え。下手な丁寧語も耳障りだ」
「…」
「そっちはただの独り言、俺が付き合ってやる理由はねぇけど」
「独り言…」
「に、しとけば話し易いんじゃねぇか?」
小さく頷いた日向が膝を抱え、団扇を片手に空を見上げた。
「今日、さぁ」
言いにくいのか、丁寧語を使わない事に僅かな葛藤を滲ませながら、やはりもじもじそわそわ体を揺すり、
「天使を見たんだ、俺」
どうやら耳が悪くなったらしい。
「頭大丈夫か」
「目とか落ちそうで!手とかちっちゃくて!髪の毛サラサラで!あれは絶対、天使だったっ」
話し辛そうにしていた割には饒舌に、ペラペラペラペラ、その天使が如何に可愛くて如何に天使らしかったか語る目は、確かに男のそれだ。
「大人になったら、プロポーズしないと!」
「落ち着け、プロポーズの意味判ってんのか」
「人間一人の人生を束縛する魔法の呪文、だって、母さんが言ってた」
「あー…、当たらずも、遠からず、か」
「はぁ、可愛かったなぁ…また会えないかなぁ」
「何処で知り合ったんだ?大体、俺の視界に居る癖に」
両頬に手を当てて夢見る表情の横顔へ、笑い転げるべきか呆れ果てるべきか首を傾げた。
「え?えっと、さっき。脇坂達とスイカ買いに行った時」
「ああ、夕食に出たアレか」
産まれて初めて見た西瓜の種に苛立ったのを思い出す。フォークとナイフではあの種がネックで、だからと言って日向の様にシャリシャリ齧るなど以ての外、日向を見本にシャリシャリ齧り付いていた神威にくれてやった。
4切れで西瓜自体に飽きたらしい神威が、以後西瓜を食べる事はないだろう。
「鳥乃橋の上で、十字架握り締めてた」
「だから天使か」
安直な、とほくそ笑み、鳥乃橋の斜向かいには教会があったなと目を細めた。夏休みに教会へ遊びに来た子供、だろうか。
「お兄さんが病気だから、お祈りしてたんだって」
「今時の若者らしかんな」
「向こうに教会があるよ、って言ったら、神様には用が無いって言ってた」
「あ?」
「天国は此処にある、って」
背中を走り抜けた凄まじい悪寒、舌が渇いて痙き攣った気がしたのは、気の所為だろうか。
「日本人、か?名前は聞いたか?」
「日本語だったよ?名前も聞いたけど、」
「違う、相手が!嵯峨崎か、ブラックとか、名乗らなかったか」
「え?えっと、うん、黒髪で黒い目だったから多分、日本人。名前も違う」
「そう、か」
嫌な予感が消えない。
立ち上がり日向が呼び止める声を無視して屋根から飛び降り、直ぐ様縁側の下を覗き込んだ。
「おいっ、起きろ!」
「セカンド、何をしている?」
「起きてたのか。話がある、面貸せ」
茶の間で抹茶を啜っていた神威が呑気に首を傾げ、猫が鳴く。だから、日向の囁きなど聞いてはいなかったのだ。
「二葉より全然可愛かったなぁ」
夢見る様に囁きながら、煌めく星を見上げる子供の手には団扇。
「ヘブンちゃん、かぁ。お兄さんの為にお祈りするなんて、きっと優しいんだ。天使だ」
思い浮べるのは真っ赤な、天使。地平線に染み渡る夕焼けを背後に、
「皆には内緒って言ってたけど、何でだろ?」
何の前触れもなく現れたのだ。
「ひなちゃーん、パパとお風呂入ろー」
「いや!」
世間知らずが七歳になったばかりの、夏の暮れに。
←いやん(*)(#)ばかん→
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