帝王院高等学校
赤い薔薇色の現在過去ワンコ
「ああぁ、ちょっと余所の家政夫達と話し込んでいたらこんな時間に…!」
「だからサロン端会議はやめろといつも…こんな事を言ってる場合じゃない!」
「「宮様!」」

賑やかな声をBGMに、彼は大きな欠伸を発てる。

「うーん、今日も爽やかな朝やなー」

ピンク地に白の水玉パジャマ、お揃いのナイトキャップを外しゴシゴシ目元を擦った男は大きく伸びると、慌てふためく執事達に片手を上げた。

「おはようさん」
「遅過ぎますよー!起床予定時間をきっちり2時間もオーバーしてますよ宮様!」
「ああ、大変だ。七時に一度起きていらしたと思ったのが見間違いだったとは…」
「あらー、えらいこっちゃ。いやー、ほんまは起きとったんやで?しっかし二度寝の誘惑に負けてもーてなー」

悪怯れず頭を掻く東雲村崎に、宮様ラブの執事達も笑ってはいられない。職員会議こそないが、今期から担任を任された村崎が寝坊では角が立つ。

「もう9時過ぎとる。まぁえっか、午前中は身体測定だけやし」
「宮様、歯磨きと洗顔を!」
「んー、この歯ブラシもうちょいイケそやなー」
「駄目です、新しい歯ブラシをご用意してますからそちらを!磨き残しが元で歯槽膿漏になったらどうなさるんですか」
「歯医者恐そやしな、そら嫌やわー」

ただでさえ、進学科担当となれば責任重大だ。見た目だけは素晴らしい村崎が大の大人二人掛かりで着替えさせられ、歯を磨いて貰い、顔を洗って貰って寝癖髪を整えて貰う光景を見たなら千年の恋もオタクの萌えも冷めた事だろう。
いや然し、さっぱり身なりを整えた彼は見目麗しい。ジャージではなく執事コーディネートのジャケットが、また一層村崎のフェロモンを増幅していた。


「っし、どうよ!似合とるか?」

薔薇色のジャケット。
教師にあるまじき色だが。

「流石です宮様、何を纏われても着熟してしまうお姿に一生お供致す覚悟がまた強まりました」
「ああ、懐かしき薔薇色の青春時代を思い出す様です。親王陛下としてご活躍なされた宮様の凛々しいお姿は、寝ても覚めても忘れられません」

初等科からの付き合いでもある中央委員会時代の役員である二人の執事からもたらされる賛辞に、てへっと照れたエセホストは何とも無く窓の向こうを見やり沈黙する。



「あーら」

寝起き近眼にも読める、巨大なラブレター。


「校舎が薔薇色やなー」


差出人も受取人も恐らく、教え子だ。














「世話掛けたな、東條」
「いえ、差し出がましい真似を致しました」
「西指宿一人には重荷な役だ」

人気の無くなった階下を、手摺りに腕を預け一瞥してから腕を離す。

「まぁ良い、端から嵯峨崎を騙せるなんざ思ってねぇよ。俺様も、アイツもな」

役員で最も静かな一つ下の男を一瞥し、首を軽く傾げて骨を鳴らした。

「サブマジェスティ、これ…」
「あ?」

川南北斗が困った様に笑いながら手にしたグラスを見れば、ミネラルウォーターの中で煌めくプラチナリング。

「後で返した方が良い系だよね〜?嵯峨崎帝君、教室には来ないと思うんだけど」
「ただでさえ格好ばかりの無能書記が勝手に退任宣言かよ」
『システムリセット、フリーズ解除』

統率譜を与えられた最高役員にのみ渡されるバッジから、歌の様なアラビア語が零れ落ちた。

『ただいまより光炎を再認証、コード:ディアブロはセキュリティパスワードを口答願います』

アラビア語の授業選択は2年から可能だが、余りの流暢さに聞き取れたのは日向だけらしい。
偽りの銀髪を外し、白のベリーショートを手櫛で整える無愛想な後輩を横目に鼻を鳴らした。

「帝王院の奴、今頃クラウンを起こしたのか。…遅いっつーんだよ」

実際の所、委員会回線は今の今まで全面的に使えなくなっていたのだ。日向や二葉に関しては個人回線が与えられている為に、委員会回線が通じなくとも困らなかっただけ。
最高責任者である生徒会長にのみ許されたシステムの凍結が、佑壱を勘違いさせた要因だろう。

どうせ寝てる所を邪魔されたくない、などと言う理由でやったのだ。昼間の大半を寝て過ごしている癖に、仕事は速いがやる気を見せない神威も日向にとっては無能書記と何ら代わり映えしない。
二葉曰くサボり常習犯の日向ですら、期日が近い仕事は必ず片付けてサボっているのだ。数ヶ月分の書類を物の数時間で終わらせる神威の様に、期日当日まで放置したりはしない。


『システム再起動、コード:ファーストはセキュリティパスワードを口答願います』

機械音声に応えれば、今後は佑壱の指輪に反応した機械音声が聞こえる。


『声紋認証開始』

ああ、面倒臭い。

「三対の双眸は舌で吼え猛る焔を舐める」
『声紋92.4%一致、システム再起動。最終確認、統率譜黄昏。お名前をどうぞ』

佑壱の名を声真似で告げようとして、口を閉ざした。例えば日向ならベルハーツ、二葉ならばヴォルフと名乗れば解禁だ。
恐らく神威ならルーク、同じ様に佑壱ならファーストだろう。然し、そのどれもが違う気がした。ただの勘だが、何故か。

「チッ、くそ面倒臭ぇ」

本来の声で呟いた台詞に、機械音声は反応しない。佑壱本人の声以外には余程似た声の人間、双子かクローンにしか反応しない様に作られている。然も合言葉を発声しなければ解除されない仕組みだ。
最近では大手銀行や証券会社などでも使われているこの複雑怪奇システムは、とある子供が数年前気紛れに作った。

「二葉なら、知ってんだろうが…」

無意識にアラビア語で零した呟きに誰からの返事もない。
国語が苦手なんです、と何の躊躇いなく宣う相棒、つまり叶二葉は苦手なものなど恐らく存在していない。アレは日本も中国も嫌っているから、敢えて古文漢文を覚えないのだ。

『最も得意なのは英語なんですよ、昔から。それ以外は全て日常会話程度、日本語もねぇ』
『そんだけべらべら喋れる癖にほざくなや』
『いえ、本当に。ですから私は陛下や嵯峨崎君、そして君の様に各地のスラングを操る事が出来ません。英語以外はほぼ標準語のみ』

見た目が日本人だから、それだけの理由で片言に近かった幼い頃、周囲の人間に馬鹿にされたと言う。
見た目が日本人だから、賢い二人の兄と比べられるから、片目が蒼いから。日本人なのに日本人と認められない。



『お前は良いな。見た目が外国人だと、そんな語学力でも許される』

昔、嘲笑う様に羨む様に吐き捨てた、日本人形じみた美貌を思い出した。
生憎、ハーフとして羨まれる事や持て囃される事はあったが、拒絶された事はない。

「ああ、京都だからか」

今後こそ日本語で零した独り言に、聞いていた役員が揃って首を傾げた。誰も二葉の生まれた土地を知らないのだから、当然だ。

『最終認証、統率譜黄昏はお名前をどうぞ』

繰り返された無機質な声に息を吐く。結局、一つ年下の生意気な後輩の事など、出会って十年経っても殆ど知らない。
何故佑壱のパスワードを知っているかと言えば、ほんの昔、当の本人が世間話する様に言ったからだ。

『へぇ、新しいパソコン買ったんスか総長』
『インストールも終わって、ブロードバンドにも加入した。パスワードが思い付かなくてなァ』
『あー、ハードにはパス掛けといた方が良いよ(*´∀`*) 恥ずかしい写真とかブログとか、親に見られたら堪んないっしょ(^^)v』
『隼人君のパソコンにはねえ、100桁のパス掛けてるよー。一回でも間違えたら、自爆ー』
『自爆?!』
『…は、しないけどー。フリーズして動かなくなるから、間違えらんないのー』

賑やかなカフェで、賑やかな舎弟に囲まれた銀髪の男。サングラスの下で炭酸水を舐める、赤い舌。
覚えているだろうか。彼は初めて会った時の事を、今でも。


『三対の双眸は舌で吼え猛る焔を舐める』
『ん?』
『俺のパスワードは大体これか総長の誕生日っス』
『ああ、ケルベロスとフェニックスか。イイなァ、俺もそれにしようかなァ』
『どーでもよいけどさボスー、膝に乗せてる野良にゃんこ、元の場所に返してきなさい』
『もっと言え隼人、その淫乱チビを追い返した奴に百万ドルやんぞ』


三対の双眸、六つの瞳の三つの舌で。
吼え狂い猛る、紅蓮の焔を舐める。

背に刻んだ真紅の翼を封じる為に、神の国へ舞い戻る事がない様に。


嵯峨崎佑壱の価値観は二種類しか存在しない。己より優れているか、劣っているかだけだ。
格上と格下、自分が標準で、他の人間はその二種類に分類している。だから格上には従い、格下には見向きしない。

そう、見向きしないのだ。
来る者にも去る者にも、あの男は見向きしない。昨日飼っていたペットが死んだ所で、今日には忘れているだろう。


『私は憎悪を司るディアブロ』
『黒の憎悪』
『アイスブルーではなくサファイアの左眼が、グレアムに通じる証です』

『キリストとは聖母を辱めた背徳の銘』

『祈る対象ではありませんよ』


いつか二葉が口にした台詞。
そうだ、クリスマスに賑わう町並みを車の中から冷めた目で見ていた筈だ。


黒の憎悪。宵月。
ならば赤は何だ。黄昏、夕暮れ時。


『ファースト宰相殿下』


先程聞いたばかりの声に目を見開いた。神威が腰掛ける玉座は、左肘掛にオニキス、右肘掛にルビーが嵌め込まれている。


神の憎悪。
悪魔の対。
白の憎悪は黒く、白の何かが赤い。

嵯峨崎佑壱の本名。
セカンドは二葉の本名ではない。チェスの名を持たない二葉の継承順位、だ。

神威が死ねば爵位はファースト、つまり一位継承者へ。
それが死ねばセカンド、二位継承者へ。


神、佑壱、悪魔。
あの世俗に塗れた生意気な一つ年下の後輩の、本名。


『最終認証、統率譜黄昏はお名前をどうぞ』

ネイキッド=ヴォルフ=ディアブロは二葉の本名。その対、悪魔の対、悪魔の正反対。



「エンジェル」

そんな馬鹿な、と嘲笑った唇の奥で喉が痙き攣った音を聞いた。


憎悪の反対は良心。
月の反対は灼熱の光。


太陽、と。呟いて嫌な予感が浮かぶ。
二葉が山田太陽に依存した理由が、もしも別にあるのだとすれば。

どうなる?
二葉が依存している相手が、自分の考えていた相手とは違うと言う事だ。


『認証完了。エンジェル=ブラック=クライストを中央回線に設定します』

キリスト。聖母の息子。
現理事長の甥、妹の息子。
そんな事は知っていた筈だろう、何を今更。



『ねぇ』
『兄様は何処?』


焼ける様な痛みを放つ背中。
青冷める蒼い左眼が驚愕に見開かれ、その腕の中で気を失った子供が声もなく涙を流すのを見た。


『ああ、見付けた』
『病院を抜け出すなんて、いけない兄様』
『折角お見舞いに来たのに』
『ほら、お菓子を沢山作って来たよ』
『前に兄様がくれた甘いお菓子』
『覚えてたから、作ったの』


フランス語
ポルトガル語
スペイン語
ドイツ語
中国語
ハングル
そして、日本語。


頭が狂うかと思った。
鼓膜を震わせる幾つもの言葉が脳を揺さぶり、無邪気に笑う赤が倒れた銀に近寄りながら何の躊躇いもなく敵を倒していく。


耳障りな銃声。
菓子が詰まったバスケットを左手で抱え、右手で銃弾を受け止めた赤が囁く英語。



『Go away.(邪魔だ)』



滴る赤。
まるで構わない子供が、空を見上げ笑う光景。


『駄目、兄様は空なんか大嫌いなんだ』
『お前なんかが兄様を照らさないで』
『兄様の光は俺だけなんだから』


あれの何処が天使だ、と。
思い出しても頭痛がする記憶に眉間を押さえた。



「チッ、…何がエンジェルだボケ」

足元に重なる大人達を見やり微笑みながら、奪ったピストルを空に向けて撃ち放った従順なペット。

神の犬。


『さぁ、目障りなサンフレア』

赤い赤い燃える様な髪に、神と同じ赤い双眸、血に濡れた神の犬。

『早く夜になってしまえ』
『そして赤い月の光で』
『地を貫き十字に輝いた、』


『ルークムーンが見たい』


『兄様にとってもお似合いな、銀月が』



あれの何処が、天使だ。

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あきゅろす。
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