帝王院高等学校
裏切りは強奪と共に絶望を呼ぶ
暑い。



刺す様な灼熱。
体感温度が繰り返し告げるのは、暑いの一言だ。


「っしゃー、今です脇坂ぁっ!」
「おらぁっ、日頃の恨み思い知れ田村ぁっ」
「チィッ、何の恨みだワレェ!」

土に描かれた歪んだ長方形、今の今までボールを華麗にドリブルしていた金髪の子供は攻め来る大人達を擦り抜け駆け抜け、ゴール直前で自らではなくより確実を狙ってポスト付近に待機していた味方へパスを出した。
渡ったボールが子供に集中していたキーパーを嘲笑いゴールポストに突き刺さる。歓声の中でガッツポーズを決めた子供は、疲れも暑さも知らぬ顔で仲間と手を叩きあっていた。

「…元気なものだ」

東の果て。地図では爪の先ほどしか描かれていない島国は、見知らぬ土地と何ら変わらない。
満足に出歩く事など適わなかった幼い頃、暮らしていたのは真っ赤な塔の中だ。

紫外線除去ガラスに覆われた狭い世界が全ての、楽園。


「枢機卿、こちらにお見えでしたか」

ペットボトルを手に姿を現した黒髪が、風の戯れで優雅に踊る。差し出してくるアイスティーのそれは、オフタイムに入った金髪の子供が一気に煽ったものと同じだ。

「本日は最高気温40度を超える真夏日だそうです」
「そうか」
「8月も半分過ぎたと言うにも関わらず、勇ましいものですねぇ」

受け取ったボトルを一口、僅かに目を細めた二葉へ首を傾げ、鍔の拾い帽子を押さえる。

「青酸カリウムでも混入していたか」
「いえ、無駄な事はしない主義ですから。ただそう無警戒に口にされるとは思わなかったので、ね」

出会って数日で心臓を狙い発砲した男の台詞にしては面白い、と鼻を鳴らした。数えるにこの数年で殺され掛けたのは数千回を越える。
中国から招いたボディーガードは、どうやら中国に帰りたいらしい。

「祭美月が来日したそうだが」
「ええ、大吾の妾の一人が子供を産んでいた事が判明しましてねぇ。漸く居場所が判った様です」
「ほう、めでたい事だ」
「もう会いました」

面白くも何ともなさそうな表情で吐き捨てる、見た目だけなら普通の子供と何ら変わらない背中を横目に、

「勇ましく美しいオニキス、何をそう不貞腐れているんだ」

兄様兄様兄様にいさま、海の向こうの国で毎日毎日戯れてくるルビーと同じ、サファイアの瞳。
男爵レヴィ・グレアムのファーストレディだった女は格式と家柄に煩い英国生まれ、ヴィーゼンバーグと言う公爵家の長女だった。

何の経緯かグレアムから出ていった後、再婚し子供を成した。幾度目かの代替りで、彼女の末裔である前公爵は何を狂ったか家を捨て、この小さな島国に移り住む。

公爵家が彼の居場所を突き止めた時、彼は既に他界していたそうだ。彼と共に暮らしていたのは一人の女性と、産まれて間もない二人の息子だけ。
そのどちらも日本人特有の黒髪黒眼、一人は公爵に良く似た美しい容姿をしていたそうだが、英国公爵の家系に日本人を交ぜる訳にはいかないと、ヴィーゼンバーグの人間はその二人を公爵の子供とは認めなかった。

老いた現女公爵は日本で先立った一人息子を嘆き悲しみ、老いた体で爵位を受ける事になる。今や70を越えた彼女直属の跡取りは、前公爵の家出した妹と、その子供のみ。

優秀だった長男を何よりも溺愛した公爵夫妻は、娘までもを日本に奪われたが、その娘が産んだ子供は彼女から金の髪を受け継いだ。

それを甚く愛でたエリザベート=ヴィーゼンバーグは、あらゆる手を使い日本では高坂日向と名乗る子供を手に入れようとしている。

『サールーク、殿下と同じ年頃の我が孫を私の元へ連れてきて下さいませんか』

何処で知ったのか、日本出向を知り莫大な金を積んだ彼女は涙ながらに言い募った。
確かに老いた今、旦那にも息子にも先立たれた彼女は心細い事だろう。然し、実際妾の子供である娘には何の未練もない。旦那である前々公爵の血を継いだ、ヴィーゼンバーグの嫡男が欲しいだけだ。

「それで、どうなさるおつもりですか?」
「英国公爵程度の家に従う謂われはなかろう」

呟いて、嘲笑う。

「但し、先方もそう思っているだろうがな。高々男爵に、それも遥か昔に国ぐるみで殺そうとした家に頭を下げるなど」
「憤死する思いだったでしょうねぇ」

クスクス鈴を転がす様に笑む二葉が組んでいた腕を解いた。高坂組長は年の割に強かで、この数日見る限り隙がない。
愛息子には必ず腕の立つ警護を従わせ、息子を虐げた二葉へ当たり障りなく接する器もある。但し、その鋭い眼差しが居候に対する警戒を本当の意味で解く事はないだろう。

『ひなちゃん、誰かに苛められたらパパに言うんだぞ?髪の毛一本残らないくらいボコボコにしてやるからなー?』
『あっちいけです、暑苦しいクソ親父様!お風呂は一人で入りたいんだです!』

然し中々どうして、甘やかされている様に思える息子が父親に泣き付く所は見ていない。厳しい母親の躾による賜物か、売られた喧嘩は自分のものと考えている様だ。
その勇敢さは評価に値する。


『お前、アイツより強いんだろ?』

耳障りな日本語ではなく流暢な英語で、普段見せない鋭い眼差しを滲ませて聞いてきた事があった。

『見てろ、テメェら二人共いつか土下座させてやっからな』

嘲笑う嘲笑う嘲笑う。
普通の子供では有り得ない勝者の笑みは、自分達と同じ『天才』の枠に収めるべき類のものだ。
昼行灯、と言う言葉を思い出した。
だから初見でそれを見抜いた二葉が、本能からなる同族嫌悪で手を出したのだろう。

但し、泣いて跪かせたかった相手は嘘泣きの下で嘲笑っていただけ。
弱い犬ほどすぐ噛み付く、と言わんばかりの眼だったと後に二葉は吐き捨てた。


「あんな性根の曲がった餓鬼がプリンスとは、世も末ですよ」
「曲がった、と言うよりはひたすら真っ直ぐなだけやも知れんな」

言えば虚を衝かれた様に瞬いた二葉が、どう言う意味だと眼差しだけで問い掛けてくる。

「あの場でベルハーツが怒り狂えば、我々は日本マフィア全てを敵に回していた」
「グレアムに逆らう愚かな人間など、」
「ああ、だから高坂組長も表向き客人扱いを崩さないだろう?」
「裏表がありそうな狸です。息子可愛さに愚行するとはとても、」
「ベルハーツが我々の正体を知っていたとは到底思えんが、万一父に泣き付けばあの男は躊躇いなく私らの寝首を掻くだろう」

恐れるものなどこの世には存在しない、とばかりに獰猛なまでの威圧感を秘めた日本最強の男は、その首を刎ねるまで敵を追い込み続ける。
小さな島国の、吠え猛ける虎。
光華会の代紋に刻まれた向日葵の花と同じ金色の、虎だ。

「ヴィーゼンバーグも迂闊には動けまい。既に手を出して、猛虎の怒りを買ったのだろうからな」
「ふん、どちらにせよ早く片付けて貰いたいものですね。尻拭いは何でも俺に回って来るんですから」
「何?」
「あのクソババァ、遂に焦れて俺にまで声を掛けてきやがりました。殿下の傍で俺を見付けて、コレに気付いた様です」

左眼を押さえる不機嫌な表情に頷いて、この凶暴だが有能な生き物を手放すには惜しいと息を吐く。

「高坂がそなたの従兄に当たると気付いたか。私とも血縁関係にあるが」
「然も美月の弟、日本人の混血でしてね。ぬくぬく育ったただの子供でした」

そんな内心の葛藤には気付かなかったらしい二葉が舌打ちと共に忌々しいと言わんばかりに吐き捨て、手近の草を蹴る。

「香港に向かわせるのは余りに危険だな」
「ええ、お陰で向こう数年俺に面倒を見ろとほざきやがった。…こっちは便利屋じゃねぇんだよ、腐れが」

日本に来てからは意図して丁寧だった言葉遣いが崩れた。愛想笑いを消した凄まじい睨みが八つ当たりの対象を探しているのが判る。
喜怒哀楽に富んだ横顔を見やり、僅かだけ笑みを浮かべた。


「警護は不要だ。この国に危険など然程あるまい」
「…まぁ、俺なんか居なくとも殿下に振り払えない火の粉などないでしょうから?」
「叶」
「嫌がらせなら大成功だ。居なくなってやるから、野垂れ死ぬ時は連絡しろ」

名字で呼ばれる事が何よりも嫌いな、いや、捨てられた家族に対する恨みだろう。無表情で姿を消した二葉がこの公園内から外には出ないと知っていて、また、唇を歪めた。

恐らく初めて出来たのだろう『友達』と、毎日毎日面倒臭そうな態度を見せながらそれでも毎日、一緒に居るのを知っている。


「ネイちゃーん、ネイちゃん、どこー?アキちゃん、ここー。ヤスちゃんは、アメリカー」
「おい、騒いでないで出て来い。喧しい弟からまた嫌味言われるぞ」
「ヤスちゃんパパの出張に付いてったからー、アキちゃん、ここー」
「貴様、また木に登ったのか!降りられなくなったんだろ、また」
「うーん、絶景だよねー。スイトーの麦茶が、おビールよりおいしく感じるねー」
「意味も判らず年寄りみてぇにほざくな!ほら、抱き留めてやっから降りろ」
「やだー」
「貴様、」
「おりれないよねー。ミシミシゆってるよねー、枝さん、…あ。」
「アキ!」

騒がしい声音が毎日毎日、怒鳴る声と笑う声が繰り返し、いつしか笑いあって暑さを忘れさせる。


「ジャンプしたら、つかれたー。まっちゃたべたいけどー、おかねもらってきてないー。ちぇ」
「ジャンプじゃなくて落ちてきただけだろ。ったく、抱き留め損ねて尻打ったじゃねぇか」
「お尻?だめだよー、腰はたいせつだよー。赤ちゃん、うまれるからねー」
「孕ませても孕む予定なんかあって堪るか!ああもう、疲れる…」
「あのね、絵本もってきたー。白雪姫と、マーメイドと、メイドカフェー」
「最後のそれは絵本じゃなくてガイドブックだ。…お前の頭はどうなってんの」

羨ましく聞いていたのかも知れない。
狭い公園内の全ての音を漏らさず聞き分ける優秀な聴覚が、虫の鼓動ですら鼓膜を震わせて、



「随分、面白くなさそうな顔をしているな」

なのに、何の気配も足音もなく現れたその声に、生まれて初めて驚かされたのだ。

「この暑い中、長袖なんか良く着れる」

真っ白。
真っ白な袴姿、草を踏む草履、なのにやはり足音はしない。こんなすぐ目の前に居るのに。

「どうした、暴漢を見る様な眼で見ないで欲しいな。俺は美しいものに危害を加える不作法者ではない」

意志の強い眼差し、太陽を背に何よりも輝く生き物が、ゆったり、ゆったり。野ウサギを前にした獅子の様に近付いてくる。

「顔色が悪いな。俺が怖いか?」
「…下らん」

漸く喉から零れ落ちた声は惨めに擦れ、逆光で窺い切れない男の笑みを誘った。

「会話をする時は相手の目を見ろ。油断すれば背後を取られる。何事も、冷静に」

目前まで近付いた長い足、見るまでもなく自分より遥かに高い身長、頭上から零れ落ちる世界を震わせる声音。
屈み込んだ男の顔が覗き込んできて、目を疑った。

何故、何故、何故、此処に。


「君の名前は?」

別人だ、と。すぐに判った。
繰り返し名前を呼んでくれた人は、そんな事を聞く筈がないのだから。成長してもきっと、気付いてくれる筈だから。

「ルーク」

こんな相手に名乗る必要はない。
今すぐ立ち去れと言う拒絶を滲ませたのに、男が去る気配はなかった。
暑い、暑い、暑い、限界だ。



「チェスの駒の様な名前だな」



冷たい。
唇と喉と、遅れて鳩尾。冷えた水の味がする。


「俺と同じだ」

近付いてくる足音を聞いた気がする。浮遊する感覚、抱き上げられて、漸くこの男の声以外の音を聞いた。
心臓の鼓動、一定で刻む脈動、静かで、力強い。

また、唇に冷たい何か。
もう口移しは必要ない筈だ、と。冷静なもう一人の自分が囁く声。力強い鼓動、暖かい体温、髪を撫でる風。


「ナイト=フォーグランド」

眠りを誘う声音、額に落ちる吐息、それが誰だろうと構わなかったのかも知れない。

「誰よりも強い男になって、君だけの騎士になる」


ずっと、このままなら。
置いていかないなら。
傍に居るなら、構ってくれるなら。





「いつか君を迎えに行くよ、ルーク」



嘘吐き。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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