帝王院高等学校
時を忘れた皇帝は瞠目し、神に祈る
人の背中には両翼など存在しない。
遥か古に忘却した跡には皮膚だけが残り、二足歩行種として進化し続けてきた脆弱な動物だ。
祈る事を忘れ都合が良い時だけ神を頼る、そんな動物に縋るのは酷く愚かしい。
『ただ、祈っているのか?』
人の背中には翼など存在しない。
人の右胸には何が存在するのだろう。
『…それとも、願っているのか?』
誕生した刹那から、死を待ち詫びながら。
『叶わぬと、努力する事を放棄して。』
人の背中には翼など存在しない。
「…………………下らない…」
積み上げた書類を一瞥し、無人の室内で目を閉じる。
眠る様に死ねたら幸せなのかも知れない、と。いつか誰かが口にした台詞を思い浮かべ、無意識に息を吐いた。
然程興味はなかった筈だ。
いや、正しくは全てに興味がないのだ。何も彼もに『依存』しない人生が如何に楽かを知っていて、それが如何に悲しい事なのかを知らないまま。
きっと、傷付けた。
『綺麗なものだな』
そう囁く男の酷く印象的な瞳は未だ色褪せない。
『銀の髪と、金の瞳か』
初めて下から他人を見上げた日、自分と言う生き物はただの人間に成り下がった。
『…少しくらい、弱点があれば良いのに』
果たしてそれはただの退化、だろうか。敗北する事でしか進化しないと言うなら、勝利した訳でもましてや敗北した訳もないあれは、何をもたらしたのだろう。
大人気ない人間。
第一印象は、そんなものだった気がする。
自分より一年早く頂点に立った生き物は常に目元を覆い隠し、常に誰かに囲まれていたと思う。
もっと早くに興味を得ていれば、少なくとももう少し穏やかな表情を思い浮かべられた筈だ。
『…なァ』
少なくとももう少し言葉を選んで話し掛けていれば、あんな表情をさせたりしなかった筈だ。
『天使は狡いと思うんだ』
人の左胸には心臓が存在している。
人の体内を巡る血液は全て心臓を通い、記憶や感情を流しているのだと言う。
『綺麗な人間ばかり、依怙贔屓する』
あの時、自分の体に流れる血液の一滴までもが(まるで誕生した刹那から今の今までの人生全てが)汚いものの様に(酷く)思えたのは、何故だろう。
『恵まれた王様にはきっと一生判らない』
灰色の空、叩きつける雫、銀色の髪、黒曜石に似た瞳。
まるでモノクロ写真の様に、その光景は色を宿していない。
『可哀想だな』
(何故)
(そればかり繰り返した)
(何故)
(誰の前でも等しく平等に接していた癖に)
『お前を倒せば天使は俺のものになるのか?』
(何故)
(人間の情けなど必要としない犬には手を差し伸べる癖に)
(何故)
(そんな眼で視るんだ)
『…そんな筈はないか』
大人気ない人間。
(もしも、それすらが思い込みだったら?)
『他人を見下すのは楽しいかァ、皇帝陛下?』
眩しさに目を開く。
やや高い位置に昇った太陽が凜然と輝いていた。
『なら、…今の気分はどうだィ』
開け広げたカーテンの隙間から差し込む陽光が煩わしく、立ち上がり伸ばした腕は。
目的を果たす事はなかった。
「……………錦織要?」
窓の向こう、遥か階下の教職員フロアに見目麗しい男の横顔が見える。
「…」
ああ、今だけは神に祈ってやっても構わない。
(人の背中には翼など存在しない)
『さようなら。二度と話す事のない、
裸の王様。』
最後に見た笑顔が、光を撒き散らしている。
(なのに)
(もしかしたら天使ではないか、と)
(愚かな事ばかり、繰り返し繰り返し)
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