帝王院高等学校
理事長って結構お暇なんですね。
眩しい、と。アスファルト際に広がる芝生に佇み、空を見上げた。
何十年振りだろうか。最後に見たのは、腰よりまだ下で騒ぐ黒髪の子供を従えた、ニューヨークの空だったと思う。

「父よ、御方は空に居らせられるだろうか」

最早、思い出す事も難しくなって来た父親と言う生き物を思い起こしてみた。
一人は天真爛漫で、一人は神経質な癖に追い詰められると無表情で狼狽え、予測不可能な行為に転じる人だった様に思う。

『レヴィは狡賢くて陰険で無慈悲な様で、本当は誰よりも寂しがり屋で甘えん坊なんだ』
『何の話だ』

無邪気に笑う人を見るに掛け、自分に良く似た人は無表情を装いながら苦笑していた。
世界中から王と讃えられ、実の子供にすら冷血だった男が見せた束の間の安らぎだったと言えるだろう。

『ハーヴィ、ダディに苛められたら告げ口に来なさい。パパが全力で苛め返してやるからな!』
『どちらが陰険だろうか』

いつも笑っていた人、だから父親の隣で苦笑いを浮かべた自分に瓜二つの、そう、彼も父親。
母親は出ていった。無慈悲で復讐に取り憑かれていた男からの関心を得られず、男に似た息子になど見向きする事もなく一人で。

『三億ドルの代わりに貴方はあの人にあげるわ。…漸く清々したわよ、バイバイ』

自分には三億ドルの価値しか無かったのか、と。顔すら知らない母親の最後の言葉を、何の感慨もなく聞いた。



彼女は疲れていたのだろう。
穢れた血を受けて生み落ちた子供に愛情を抱けず、極端に視力が弱かった失明寸前の、そんな面倒な子供を連れていこうなどと考える筈がない。
良く判る。人間とは面倒を嫌う生き物だ。恐らく自分が人間の母親と言う立場だったら、そんな面倒を自ら引き受けたりはしない。


「眩しい」

片腕が不自由だったレヴィ・グレアムの、それを知っているのは自分ともう一人だけ。
幼い頃から仕えている共に逃げ延びた従者にすら、彼はそのハンディキャップを告げず死んだ。

受け継いだ血、だろうか。
生まれ付き闇に近かった己の視力が徐々に弱まっていく過程を、誰にも告げず受け入れた日。


『お前、何でちゃんと人の目を見ないんだ』

その居丈高な声が、世界に色を与えてくれた切っ掛け。

『目が見えない?!おい、レヴィ!何でテメェは我が子の病気に気付かねぇんだ腐れ外道が!』

皆が畏れる魔王をそう罵り、暴れ回った挙げ句まるで彼こそが世界の覇者の様に、世界中から集めた名医を鞭打った。

『ハーヴィの目から光を奪ってみやがれ、テメェら全員ドーバー海峡に放り捨てんぞ!』



ああ、懐かしい声を思い出したものだ。
一ヶ月巻かれた包帯の下は四六時中闇色で、昼夜の感覚さえ無い。毎朝モーニンと笑う人の声で朝を知り、お休みのキスで夜を知る。
二人分のキス、今思えば手術後の一ヶ月間だけだったが、あれはあの冷血で無慈悲で全てに無関心だった筈の神が与えてくれたものだったのかも知れない。


「そうか、眠る前には口付けを。忘れ果てていた」

口元に手を当てて、自分からは会いに行く必要性を感じていなかった息子を思い浮べた。
自覚は無いが、我が子は成長するにつれて似てきたらしい。我が父と自分ほど見間違えないのは、色素の違いが明確だからだ。

銀の髪に深紅の瞳、昔は光の具合でアメジストにも思えたルビーの瞳は、今やトパーズの様に金色に輝いている。
生きる至宝、などと謳う人間が存在するそうだ。

「カイルークにもまた必要な触れ合いか。父親とは、そう言うもの…」

口の中で呟いて、近付いてくる人間の気配に瞬いた。作業着姿の三人組が、段ボールやら鉄筋やらを抱えて歩いてくる。

「あーあ、こてっちゃんに見付かるなんてさー」
「まぁまぁ、パシリくらいで済んで良かったじゃんか」
「ちぇ、カッコ付けて屋上なんか行くんじゃなかった。あのまんま総長達とお茶でもしばいてたらなー」

話の内容から察するに、授業をサボタージュするつもりが教師に見付かり、罰を与えられた様だ。作業着は工業科生徒に与えた中間服でもあり、同じセメントホワイトのジャージが体育科中間服。彼らは式典以外で制服を纏う暇がない。

「重いよー、20kgの鉄筋三本って拷問じゃねぇかい」
「ハァ、俺らが工業の荒くれ達を誠心誠意教育してやってんのに、こてっちゃんのイケズ」
「だよなー、倉庫から工房までどんなに急いでも10分だぜ。真ん中の玄関使えたら楽なのに…」

揃って真っ直ぐ校舎へ歩いていく三人を特に意味はないが追い掛ければ、ゲートの左端が開いた。
工業科の工房、と言えば中央キャノンの四階、左ゲートからは離宮にしか進まない為、エントランスホールのエレベーターで四階に上がり、廊下をひたすら歩いて回り込む必要がある。

「なー、いつも思ってたんだけどよ、こんなデケェ校舎なんだから自動で動いたりすれば良いのにな」
「あ?校舎自体がか?」
「何かそんな映画あったよな、区画ごとにルービックキューブみたくなってて、パソコン一つでパズルみたいに入れ替わる」
「そーそー、魔法使いみてぇにさ」

中々に優秀な三人組だ。
帝王院の校舎並びに寮はシステム一つで複雑に稼働する。例えば中央キャノンにあるSクラスの教室を、ものの数分でAクラスの隣に移し替える事が可能だ。
複雑な稼働には時間が掛かるが、彼らが真っ直ぐ向かっていくエレベーターの向こう側に四階にある筈の工房を引っ越しさせる程度ならば、3分もあれば充分だろう。

「一般エリア101全エレベーターを最上階固定、出力停止。キャノン04-B72エリアを解除、101Bエレベーターに接続後出力解放」
『了解』
「生徒らの過ごし易い環境を提供するのが、私の責務だ」

最上階で点灯するエレベーターを並んで待っている三人から目を離し背を向け、3分後に驚きの余り腰を抜かす三人を余所に再び外に出た。
やはり眩しい。


「眩しい」

当然の感想をもう一度吐き捨てれば、人間になった様な気がする。いや、そもそも自分は紛れもなく人間である筈だが、長く生き過ぎてそれすら曖昧だ。
膨大過ぎる知識や経験の合間に埋もれて、朧気な記憶が消えていく。優先順位を考えた結果、弾き飛ばしてきた不要な記憶は徐々に消え失せるのみ。一度不要と認識したものは、己の意志だけではどうにもならない。

「弱ったな、誰も居ない」

折角やる気になっていると言うのに、困っている生徒や教師は愚か猫の子一匹見当たらないのは頂けなかった。
いつか読んだ記憶が微かにある書籍に、隠れて捨て猫を育てる少年の物語や隠れて煙草を吸う非行少年の物語があった筈だ。

「捨て猫を育てるのは喜ばしい情操教育だ。寮に動物飼育許可が印されている事を教え、首輪を贈ろう」

煙草を吸う生徒が居たなら、ただでさえ神経質で根に持つ二葉が自分の取り締まりが不完全だからだと嘆くだろう。
とりあえず説教し、どうせ吸うなら葉巻の方が香りが良いと教えてやり、寛大な心で見逃してやるのも大切だ。

「母上は深夜徘徊する生徒達を咎めつつ、慈悲深く今回は見逃すと仰せになられる」

病床の学園長に代わり、その妻である義理の母が学園を取り仕切り始めて早数年。足が悪い彼女は車椅子を余儀なくされているが、暇を見ては学園中を見回っていると言う。
今でこそ意識のない学園長も、健常時は鋭い眼差しで生徒らを震え上がらせた鬼学園長として崇められていたそうだ。

「私には威圧感が足りない」

暫し歩いた挙げ句、辿り着いた森の中の噴水を覗き込み、映り込んだ己の顔に目を細める。
いつ見ても同じ顔だ、と。首を傾げ、


「あああっ」

響き渡った微かな、然し明らかにただ事ではないだろう悲鳴に振り返る。
つかつかと声の発生源に向かい歩いて、庭師の手も届かない奥へ奥へ進む度に汚れていく靴が目に入った。

「………」

土の汚れ、など。
それこそ何十年振りに見たのか、もう思い出す事も出来ない。


「テメェ…何がカルマの一員だ、嘘八百並べ立てやがって」
「テメェみてぇなヒョロい奴はカルマにゃ居ねぇらしいな!良くもこの間は騙してくれたよ、お坊ちゃん」
「来るなっ、ききき貴様らなんかにぼぼぼボクは屈しないぞっ」

ヴァルゴ並木で一際高い杉の木、冬にはライトアップされる樹木の名をカプリコーン。春夏には特に目立たない樹だが、元は神主である帝王院の家系に倣い神木の注連縄を絞めているのですぐに判る。
その太く凛々しい神聖な大木に背を預けた如何にも神経質で気弱そうな生徒が、先程見た工業科の生徒らを酷薄にして煤汚れさせた様な生徒達に囲まれていた。


「ほう、…時代劇で言うならば襲われる町娘と擦れた浪人達か」

さてどうしたものかと首を傾げ、腕を組む。たった一人に五人掛かりとはまた見事に卑怯な光景だが、あの程度の相手ならば一人でも倒す事は可能だろう。
身近な人間、それも生徒代表としてまず浮かんだのは二葉だ。神威は著しく人間の範疇を越えている為、考慮する必要はない。神威ならば一瞬で30人程度跪かせるだろう。

「愛らしいセカンド」

二葉は百人所か国一つ壊滅させられる。これは余りにも例外中の例外、突飛した人間だ。あの可愛らしい容姿は、IQ200を軽々越える天才の枠組に収めるべきである。やはり考慮する必要はない。

「無垢なベルハーツ」

優しい日向は然したった一人で、規模こそ小さいもののマフィアを壊滅させた事がある。中央議会に泣き付いた彼らが高坂組を潰して欲しいと掛け合い、あの冷静沈着なネルヴァを呆れさせた。
あの悪戯大好き二葉を従える日向も人間の枠を越えている。そう言えばチェスで唯一神威の相手を出来る優秀な子供だ。秘めた聡明さは計り知れない。

「ファーストも例外だ。あれは正に不死鳥、弱ったな」

どうやら身近には人間標準値の子供が居ないらしい。
自分が幼かった頃を思い出そうとして、殴り倒された生徒が放った悲鳴と土の上を転がる音を聞いた。

「生徒に危害を加える訳には行くまい。はて、どうしたものか…」

そして、最後に思い出したのは無邪気に笑う黒髪。


気高く顎を逸らし、傲慢に笑う小さな騎士の姿。



『馬を持たない騎士に意味はない。だから俺は、まずポーンを大切にする』

覚えたばかりのチェスを飽きず繰り返し、何度負けても悔しがって挑んできた小さな、小さな。

『キングだって、一人じゃ何にも出来やしない。見てろ、絶対いつか勝ってやる!全部のポーンをcarry out queen!(クイーンにするんだ!)』

覚えたばかりの英語で、適わない相手に挑んできた小さなナイト。



翼を与えたかった。
苦しめるつもりなど毛頭無かったのだ。
与えた爵位に潰されぬよう、見合った女性と添い遂げさせてやりたかっただけだ。



『た、すけて…』


伸ばされた手を見た。
地に伏せた黒は今にも絶え果てそうな弱い息で尚、唸り続けていた。
敵は一人残らず仕留めると言わんばかりの殺気が滲んだ瞳で、血を吐きながら立ち上がり倒れるまで威嚇し続けた。

『お願い、だ。…たすけて』

微かに開かれた弱々しい瞳を何の感慨もなく見ていたのは、いつ。
伸ばされた手を握り返し、歓喜に満ちた自分に良く似た別人に笑い掛けてやったのは、いつ。


『裏切り者に用はない。健やかに眠るが良かろう』


絶望に歪んだダークサファイア、自分に良く似た兄弟でも親でも息子でもない、別人。それは、鏡の世界。



「あ、あ、あ」


震える土塗れの生徒が、尻這いで後退りながら言葉にならない声を発てていた。
土に汚れた靴の下に、横たわる生徒達。保護すべき対象が何故こんな所で寝ているのかと首を傾げれば、甲高い悲鳴を上げながら神経質で気弱そうな生徒は走り去っていった。

「弱ったな、無意識下だ。加減した記憶がない」

足下にした生徒達が無事である事を確かめ、辛うじて起き上がるまで待つ。目を見開いた少年らはふらつきながら、意味不明な台詞を繰り返した。



「お許し下さいマジェスティ…!」
「どうかお許しを!」
「神帝陛下…!」


ああ、そうか。





そんなに、似ているのか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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