帝王院高等学校
常に光とは舞い降りるものである
「対象の足跡をオールデリート、システムバックアップ」

暗幕を引いた薄暗い部屋の中で、オイルランプが照らす古びた書籍から目を離した男がネクタイを緩めた。

『了解、引き続きご命令を』

個人に与えられた回線には、理事会自らプライバシー保護を掲げられている。理事長ないし学園長のみが全回線権限を持つが、理事会には中央委員会役員である帝王院神威が在席している為、事実上回線権限は学園長のみ保有する所だろう。
つまり盗聴や回線ジャックは全てログに残る為、発見されれば有無言わさず退学処分以上だ。だからと言って油断する訳にはいかない、と気を引き締め直した。

「高等部セキュリティ強化、対象はFクラス。セントラル通達前に要報告を命じる」
『了解。ターゲット接近、セキュリティ発動時には速やかに自治会へ通達致します』
「ガーデンスクエア・クローズ」

これで表向きの仕事は終わった、と短い息を吐く。凝り固まった肩を揉み解せば、沈黙していたスピーカーが砂嵐を巻き起こした。

次いで、クラシックミュージック。
暗い図書館を大音量で響き渡る、狂った幻想即興曲だ。


「…耳障りだな、メイユエ。ソビエトと戦争する気が無いなら名乗れ」
『我、祭美月に従う独楽。名乗る名など持たない』
「仮初めの名でも構わないが、…李上香」

鼻で笑う様な微かな気配、Sクラスであり自治会役員である自分には接点が無い、相手はアジア人だ。

「返事が無いな」
『答える義務はない』
「後輩相手に面倒見の良い事だな」
『我らが王のお言葉を伝える』
「中国人の話に何の価値がある。…ロシアはいつでも南攻略出来るのだと、知らないらしい」
『笑止』

鼓膜を貫き魂の中枢を揺るがす、催眠術に似た声音に目を細める。昔、髪の色や目の色が違うと言うだけで苛められた事を思い出した。何故か。

助けてくれたのは小さな背中。
甘い甘い薫りを漂わせた、小さなふわふわした頭。


『我らは欧米の覇者グレアムにも、北欧の覇者である貴様らにも屈しない』
「高々香港マフィア如きが大層な事を。…俺はともかく、陛下に適うつもりとはな」
『配下の裏切りに気付かぬ愚かな神に、我が王はお怒りだ』
「何の話か、見当も付かない」

嘲笑う気配を最後に、


『突き放したペットに力を奪われた気分は、どうだ』
「…何だと?」
『安部河桜の身が惜しいならば我らの邪魔をせぬよう。また、貴様の片腕に申し伝えろ。神崎隼人の身が惜しいなら邪魔立て不要とな』

噛み殺し切れなかった舌打ちの代わりに耳障りな声音が掻き消え、静寂に包まれる。




『どうして苛めたりするのっ』
『今度また石投げたら、おうちから漬物石待ってきて投げてやるからねっ!』
『ふん!…あ、大丈夫?もう皆いなくなったからね』



爪先から背中を這い上がり、こめかみで痙き攣れた血の気が唸りを上げている気がした。
何がペットだ。今はまだ、そうして強がるが良い。適わぬ相手に遠吠えているだけだと、いつか嫌でも気付かされる。



「…ウエストも俺も、邪魔などしない。適うものなら、あの男を引き摺り落とせば良いさ」


目的を忘れてはならない。
怒りを納めろ、挑発に乗るな。



『すごぉい、うぐいす豆より綺麗なお目めだねぇ』
『うわぁ、ぉ父さんが作った葛切りより綺麗な髪の毛、良ぃなぁ』
『本当は幼稚園に持ってきたら怒られるの。だから、内緒ね』
『すごぉく美味しいの、とっても甘ぃの』
『食べたら幸せな気分になるんだって、ぉ姉ちゃん達が言ってた』
『鯛焼き。一個しかないから、半分こ』



一度決めた目的を成し遂げるには、甘えた感情など掃き捨てろ。
気を抜くな、揺るがない意志を手放すな、日本で得た不要な全てを掃き捨てろ。


甘えた心ではあの男には適わない。
目的を忘れるな。

二度と、無能な身内共から虐げられる事がないよう。






『おっきぃほう、あげるよぅ』



帝王院に恨みはない。
奇跡的に手に入れた力には感謝している。ただ、それだけだ。

自由を歌う大陸に巣食った悪魔。



ノアを跪かせる時まで、揺るがない意志を手放すな。











『僕のお名前はねぇ、サクラだよ』








わすれるな。




















「それで、何と仰せだ?」


今し方、退室して行った二葉らを思い浮かべ眉間を押さえる初老の男は、然し不自然に冷静沈着、言うならば作り物めいた無表情で背後に控える部下を一瞥した。

「速やかに遂行せよ、とのご命令にございます。痕跡を残さず、当局の登記記録にすら名を残す事は許さぬと」
「相も変わらず、勇ましく無慈悲で無知な神の子だ。…一個企業を元込み消すと言う行為が如何に無謀且つ手間を要すか、知らんらしい」
「ネルヴァ枢機卿、この場ではお控えを」
「判っている」

静かに釘を刺した部下から目を離し、近づいてくる微かな人の気配に口を閉ざした。



「こちらにおいでか、ネルヴァ枢機卿」

白衣を纏う男が豪快に笑いながら片手を上げ、呑気に目尻を綻ばせる。キング政権時代に12の枢機卿として肩を並べた相手だが、ルーク政権交代時に退役した。今は開発部のプロセッサーだ。

「いつ来日された、シリウス卿。技術部長が本国を離れ出向となれば、セントラルは機能しないのではないか?」
「おぉ、そうお褒めになるな。社交辞令と知れど、照れるではないか」

気が合わない相手の出現に些か柳眉を歪めた彼は、態とらしい咳払い一つで形ばかり挨拶を返した。

「謙遜を」
「謙遜するほど傲慢にも卑屈にもならん。技術部は名通り、己が技術力こそ全て」
「成程。業務があるので失礼する。慣れぬ日本だろうが、ごゆるりと」

それ以上話す事はないとばかりに視線を放せば、玉座を前に佇む長身が見える。

「っ」
「ご機嫌如何かな、理事長」

僅かに息を詰め、背後に控える部下共々白衣を翻した男が膝を付いた気配に続いて、深く腰を折った。

「苦労を掛けたなネルヴァ」
「陛下、此度の円卓は恙無く閉幕致しました」
「退役せし私にその呼称は相応しくない。ノアは我が子カイルークの御膝に存在する」
「然しながら我がノアはノヴァと化した今尚、キング=グレアムお一人にて」

何一つ表情を変えず、人の話を聞いているのかさえ怪しい長身が緩く首を傾げ、背後で白衣の男が笑う気配に眉を寄せる。

「くっく、保守的と言うよりは、革新的過ぎるルーク殿下に振り回されていると言った所かな」
「…何を、」
「おぉ、そう怖い顔をなさるなネルヴァ枢機卿。儂とて心苦しいのだ。この十年、坊っちゃんの主治医として本国に渡る為に日本国籍を捨て家族まで失った」

懐かしむ様な表情で、あらゆる発明を手懸ける男は囁いた。

「たがそれはまぁ、良い。妻の寿命は日本医学では延ばし様もなかったからな」
「貴方の思い出話に興味はないのだがね、シリウス卿」
「つれない御方だ。それでは儂は我が孫の顔でも、遠くから見てくるか。まずは我が妻の墓前で手を合わせた後に」
「帝王院に孫が?」
「シリウスの孫は残念だったな」

世界を震わせる声音に白衣の男は暫し宙を見上げ、皺一つない見た目だけなら中年の整った容姿に悪戯な笑みを刻む。

「そなたに良く似た、目を引く美貌だ」
「おぉ、それはそれは畏れ多い誉め言葉。理事長などには遠く及ばないでしょうがなぁ」

日本人は年より幼い印象を与えるが、男の若さは作り物だ。

「聡明さ、並びに学園のシステムにまで忍び込む度胸は素晴らしいものがある」
「おぉ、ステルスのマザーベースにまで忍び込むとは。然し理事長、帝君などと言う銘など与えずとも我が孫の聡明さは微塵たりとて揺らがぬ」

本来ならば70を超えているのだから。50を越えて子を成したネルヴァはともかく、白衣の男には娘がいた筈だ。
昔一度だけ目にした時は、まだ一歳に満たない赤子だった。

「それでは理事長、暫し暇を頂こう。用の際は何なりと」
「大儀だ、シリウス」
「おぉ、そうだネルヴァ枢機卿。師君の息子も我が孫の同級生でしたな」

去り際、擽る様に笑った男が細めた眼差しに舌打ちした。ネルヴァの年老いて出来た一人息子は、生憎全く言う事を聞かない。

「師君の子息は、ルーク陛下の手足となられるべき素材だ。一度、見てみるかの」

白衣の男が何を揶揄していたかにはすぐ気付いた。だからこそ、思わず舌打ちなどしてしまったのだ。


「見苦しいものをお見せ致しました、陛下」

去り行く背中には最早振り向きもせず、主人に向かい非礼を詫びる。まるで構わない男は、軽く首を傾げただけだ。その仕草は神威に似ている、と考えて目を伏せる。

「そなたの日本部署はどうだ」
「はっ、経済を混乱させぬ程度には滞りなく」

枢機卿、と呼ばれる全ての人間が超一流企業の会長又は社長である為に、理事長秘書である彼も日本企業の会長職を兼任している。勿論日本人ではない彼は、祖国でも兼業しているので実際の経営は他人任せだ。

「そもそも支部の無かった日本に拠点を置くべく遊ばせている社。帝王院を有する現在、不要の産物にございます」
「そうか」

僅かに頷いた美貌が、眠たげにも見える表情で腕を組む。
二葉が腰掛けた玉座を前に、座ろうとしない長身が何を考えているのかなど判らない。

「そなたも息子に目通るが良かろう。今暫し暇を与える」
「然し陛下、」
「そなたの息子に、昨夜会った」

前触れない台詞に瞬き、我が子ながら扱い難い一人息子がヘマをしていないか狼狽した。
幼い頃はただ可愛らしいだけだった息子は、なまじ頭が良かった為に反抗期が早過ぎたのだ。日本人である妻が病床したのが切っ掛けだったのかも知れない。

「愚息が失礼致しませんでしたか、陛下」
「いや、私をカイルークと見間違えただけだ」

背筋を走った畏怖に眩暈がする。有り得ない失態だ。我が子ながら、余りに不用意な事をやってくれた。

「我が子の失態を何卒お許し下さ、」
「カイルークは私に似ているから、仕方ない」

何処か柔らかく響いた声音に目を上げれば、やはり何一つ表情を窺えない美貌がバルコニーから外を眺めていた。
素早い身の熟しだと目を細めれば、しなやかな背中が振り返る。

「再婚でも考えればどうだ、ネルヴァ。いや、そなたの日本名は藤倉だったか」
「…妻の姓をそのまま頂戴しております」
「一途な男、と。セカンドがそなたを揶揄したそうだ。斯く言うあの子も一途な赤子よ」
「赤子とは、余りにも」
「赤子だ。セカンドもカイルークも、私にとってはな」

バルコニーの手摺りに乗り上げた長身に目を見開き、素早く立ち上がる。

「陛、」

声もなく伸ばした手は、



「暫し学園を見物に行く。母上を頼むぞ」


ふわりと舞い落ちた彼には、届く筈も無かった。

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