帝王院高等学校
ワンコとにゃんこと早朝の賛美歌
「Amazing grace how sweet the sound.(目を瞠る程の豊穣、喩え様もない響きだ)」

柔らかい歌声が長閑な陽光の下をたゆたう。

「That saved a wretch like me.(こんな人間すら救い給う)
  I once waslostbut now am found,(背徳の咎人へも等しく神はその腕を広げ、)」

擦れ違う人間は一様に足を止め、そのしなやかな長身を振り返った。
まるで眩しいものを見るかの様に目を細め、陶酔した表情だ。


「Was blind but now I see.(その畏怖すべき慈悲を、違う事はないだろう)」

パチパチと、おざなりな拍手に彼は足を止め、緩く背後を振り返る。食えない笑みを零す長身が、着崩した制服のポケットに片手を突っ込んで首を傾げた。


「ブラボー、オージ先輩。おはよー。けっこー、歌うまなんだねえ」
「…テメェ、何してやがる」
「だってえ、あそこつまんないんだもん。出てきちゃったあ」
「ちっ、来い!」
「光炎の君!」
「閣下、」

へらり、と無邪気な笑みを絶やさない隼人の胸ぐらを掴み、手近な部屋に引き込む。心配げな親衛隊を視線だけで振り払い、叩きつける様にドアを閉めた。


「やだ、隼人君バックは未経験だからあ、優しくしてねえダーリン」
「殺されてぇのか」
「本当に好きな人には手も足も出ない癖にねえ」

満面の笑みを浮かべたあどけない唇、刺す様な眼差しが真っ直ぐ覗き込んでくる。


「だ、せ、え」


自分と同じ様な体格だが、やや細身の隼人が腕力に訴える事はないだろう。勝てない相手には別の方法で仕返す、それが『ハウンドブレス』の習性だ。

「それとも判んない振りしてんのー?それだったらもっとダサいよねえ」

ハウンドブレス。虚声、と言う二つ名で知られたカルマ四重奏の一人、神崎隼人。
他の三人もその一人一人が他の総長すら跪かせる気狂い揃い、その頂点に立つ指揮者が最強だった。

少なくとも、神帝が現れるまでは。

「雑魚の喧嘩は買わねぇ主義でなぁ」
「あは、ざーんねん」
「良く喋る餓鬼だ。他の野良犬共はどうした」
「出てきちゃったのは隼人君だけだよお、ユウさんはまだ寝てたしい、カナメちゃんはユウさんの傍から離れない。…離れられない、のほーが正解かなあ」
「頭の良さは、兄貴譲りか」

頬の真横に掠めた拳。
満面の笑みを浮かべた秀麗な顔が目の前に、吐息すら触れる距離で犬歯を覗かせる。


「俺はお前をいつでも殺せんだよ、公爵で・ん・か」

喉に伸びてきた手を振り払い、もう一度、今度は顔面目がけて殴り掛かってきた隼人の右手を掴み上げた。

「無駄が多過ぎる。嵯峨崎はどんな教育をしてんだ」
「くそが、」
「嵯峨崎自体、動きに無駄が有り過ぎるからなぁ。仕方ねぇか」

何の感慨もなく掴んだ腕を振り払い、よろけた所を足払いする。倒れた長身が忌々しげに睨め付けてくるのを見下し、息を吐く。

「死ねばよい。隼人君が許す。死ぬがよい」
「何で大人しく待てねぇんだ、テメェは」
「何で俺らが懲罰室なんかに閉じ込められなきゃなんねー。…カルマ舐めんなや、タコ。早漏。包茎」
「餓鬼だな。死にたいなら良い。テメェも嵯峨崎も、…シュンも、だ。目を付けられる訳には行かねぇんだよ」
「はあ?」

勝てないと判っていながら此処まで狂暴に反抗すると言う事は、少なくとも普通の精神状態ではないだろう。
感情の判り難い隼人の愛想笑い、と言うよりは無意識の防御だろう笑みを横目に、そう言えばもう一人、人間界最高峰に判り難い人間を知っているなと眉を寄せた。

「不味い奴を傷付けちまったからな、お前ら」
「何の話だタコ」
「…神様に仕える宰相閣下、刺しても死にそうにねぇ奴を良くあそこまでヤれたぜ」

昨夜、血塗れの二葉が親衛隊や執行部役員によって運び込まれたと聞いた時は耳を疑った。
当の本人はすやすや寝ているだけだと言うから呆れた話だが、少なくとも二時間以上出血していたらしい。連絡が取れない事に訝しんだ役員がセキュリティカメラで見付けた時は、あわやの騒ぎになったものだが。駆け付けた日向が抱き抱えれば、薄く目を開けた『大馬鹿野郎』は至極淡々とほざいたのだ。


『私が妊娠したら責任取って下さいね、高坂君』

触っただけで妊娠するか、そもそもテメェ男だろなどと寝こける美麗な顔を殴る気力もなく、今は役員看病の元、安静を取らせているが。


「大人の事情があんだよ。緊急召集…俺が許すまで、形だけでも囚われとけ」
「嫌だね。隼人君を捕まえてもよいのはボスだけなんだよお、知らなかったのー?」
「なら、嵯峨崎を今すぐ神の玉座に座らせっか?」

目を見開いた隼人に舌打ちし、余計な事を言ったと唸ったが今更だ。恐らく頭をフル回転させて意味を探っているだろう隼人に舌打ちを噛み殺し、諦めの息を吐く。

「ユウさん、は」
「知らなくて良い」
「答えろや!」
「…帝王院神威の従兄弟だ。向こうの名は、ファースト=グレアム」
「じゃ、烈火の君なんじゃないの」

頭が良い相手で助かったのか否かはまだ不明だ。少なくとも他人に告げ口する様な男には見えない為、僅かばかり知らせるのはセーフティラインだろう。

「母方繋がりなんだよ。腐れゼロに、継承権はねぇ」
「…確か、あいつユウさんをファーストって。それが本名ってゆーなら、佑壱だから判るけど」

何かに気付いた様に目を伏せた隼人の瞳が、瞬いた。

「じゃあ、セカンドってゆーのも、叶二葉だからって訳じゃ、ないよねえ。サードとか居たら笑えるんだけどー」
「………」
「何、それ。何でユウさんは眼鏡のひとには刃向かわないの?何でユウさんはあいつには手を出さないの?ねえ、何で」

ぎゅっと眉を寄せた隼人が立ち上がる。両拳を握り締め小刻みに震えるのは怒りからだろうか、武者震いだろうか。

「何で。何で。な・ん・で、ねえ、何でー」
「あー、もう、煩ぇ!二葉は、…【ディアブロ】は。ルーク=フェインの陰でしかない」
「何、それ。ディアブロ…悪魔って何?」
「角膜移植。アルビノの餓鬼が長時間日光を浴びて、失明しそうだった時に。ただのボディーガードが右目を差し出した。…昔話だ」

訝しげに目を細める隼人から目を逸らし、完全に遅刻だと半ば諦める。グレアムにも帝王院にも無関係な自分が欠席した所で、アーサーの円卓は崩れないだろう。

12人の柱が神を囲う間は。


「色素欠乏なんとかってやつ?」
「幸い、アルビノの餓鬼は助かった。不幸なのは右目の視力の殆どを無くしたボディーガードだな」
「ボディーガードが白百合ってこと」
「さぁ、どうだろうなぁ」

緩めたネクタイ、ブレザー諸共脱ぎ捨てたシャツが床に落ちる。
馬鹿にした様な表情で眉を跳ね上げた隼人が、すぐに目を瞠り唖然と口を閉ざした。


「何、それ…」


一面の彼岸花。
深紅の彼岸花の中央に向き合う阿修羅、修羅と羅刹の中央を走る痙き攣れた一直線の傷痕に。
きっと、あの食えない笑みを忘れて呆然としているだろう。それなら少しは溜飲が下がる。


「二葉が俺に従わざる得ない理由だ。嵯峨崎が俺に刃向かうのは、俺を格下に見てるだけ」
「─────」
「所詮、全世界を支配するグレアムにはイギリス公爵なんざゴミ以下なんだろ」
「何でユウさんは、」
「ファーストがセカンドより下か、って?好奇心旺盛なのは良いが、身を滅ぼさねぇ様にしやがれよ、餓鬼が」


呆然とした二葉の顔を一度だけ見た。

「チッ、喋り過ぎたな」

あれ以来、あの男は益々理解出来ない殻に籠もったのだ。常に優雅で上品な皮を纏って、あの生意気を遥かに通り越した性格を覆い隠して、


「嵯峨崎にグレアムの正統な血が流れてねぇからだ。今はもう、それこそルーク=フェインだけが唯一神ってこったな」
「もっと判り易く、」
「やめとけ。好い加減俺様は仕事の時間だ。






  …餓鬼は安全な場所で寝てな」














Amazing grace how sweet the sound.
ああ、目を瞠る程の豊穣、何と言う喩え様もない響きでしょう






「遅かったですね、ベルハーツ殿下」
「シルドレート、その名で呼ぶなっつった筈だ」
「これは失礼しました。ネルヴァ枢機卿がお待ちです、ご入城下さい」


That saved a wretch like me.
この愚かな魂ですら救い給う祝福の光



「ようこそ、ディアブロ枢機卿代理殿下。ディアブロ閣下の名代であらせられる事をお忘れなく」
「嫌味な面は相変わらずですねぇ、サー=ネルヴァ」
「耳が痒くなる話し方はやめてくれないか、プリンスヴィーゼンバーグ」
「フェインはどうした」
「さぁ、陛下の突飛な行動は常日頃。然し我ら12宮は陛下不在如きでは崩れぬもの」


広いホールに丸い大きなテーブル、その周りに12脚の椅子と最奥に玉座がある。

「相変わらず、俺様はアイツに同情すんぜ」
「何を仰るやら、どうぞお席にお座り下さい枢機卿殿下。貴方が代理で在る限り、」
「そろそろ口を閉ざしなさい、ネルヴァ枢機卿」

時計回りで言うなら一時の位置に座る年輩の男を睨んだまま、背後から割り込んだ声音に振り返った。

「彼は私の名代、貴方如きが口答えを許される相手ではありませんよ」
「…ようこそ、お待ちしておりましたよネイキッド宰相閣下」
「テメェ、付き添いの連中に寝かしとけっつっといただろうが」
「そうでしたっけ?目が醒めたら皆が目を潤まして居たので、うっかり縛り上げてしまいました」
「おい…」
「因みに私の美貌に傷を付けたのは美月の人間です。祭美月は陛下にやたらちょっかいを掛けてくるお馬鹿さんでしたからねぇ」

いつもの笑みを浮かべ、ツカツカ玉座へ歩み寄った二葉が本来神威が座るべき玉座に腰掛け、執務室の様に足を組んだ。
目の前に腰掛けた初老の男性が咳払いするが、他の椅子に座る人間達は沈黙を守っている。

「陛下の代わりで今日は私が女神になります。さぁ高坂君、貴方は私の目の前に座りなさい。今日の貴方は私の次に偉いんですからね、ディアブロ枢機卿」
「はいはい」

苦虫を噛んだ表情の男の後ろを通り過ぎ、二葉の目前、円卓の12時の位置に座る。

「これより中央議会を始めます」

まだ他の席に空きはあったが、それを待たず開会のベルが鳴り響いたのだ。



「まずは雑務から承認しましょう。中央情報部長、前へ」


I once waslostbut now am found,
道徳を誤り彷徨う魂へも等しく神は手を伸ばし、






「…クロノスライン、オープン」
『マスタースコーピオを確認、ご命令を』

自分にすら聞こえない程度の囁きで、コードレスイヤフォンから機械音声が漏れた。
声紋認証さえ騙す声真似だなんて、自慢にも何にもならない。


「庶務、コード:神の威を検索。現在地を」
『コード:アリエスを承認、現在地はクロノスです』
「…この回線をサーバーごと破棄、以降再起動すんな」
『貴方に従います、マスタースコーピオ』

沈黙した機械音声は二度と鼓膜を震わせる事はないだろう。つまらない役回りだ、と。
隼人から掠め取ってきた今やただのシルバーリングを控えている従者に渡し、捨てろと命じた。



彼岸花。
赤い赤い世界。赤には嫌な思い出ばかりある。



赤い太陽。
崩れ落ちた銀。

小さな子供を抱えて背を向ける黒、あの人間を人間とも思わない生意気を遥かに通り越した子供が、守ろうとした小さな生き物。


己の主人すら見殺しにしてまで。


「高坂君」

何も彼も悟った様な、何も彼も気付いていないかの様な。そんな曖昧な声音に呼ばれて我に還る。

「ヴィーゼンバーグへの対処は済みました。今暫く、向こうが推し進める見合い話は持ち越しです」
「ああ、判った」
「複雑な気分ですねぇ、もしかしたら貴方が甥になってしまうかも知れないなんて」
「…おい」
「冗談ですよ。文仁は放任過ぎて困ったものです」

揶揄めいた声音を睨んだ。
無意識に口ずさんだアメイジンググレース、全てを平服させるもう一つの銀を思い浮べた。



『日向』


あれを手に入れれば満たされる。
欲しいものはあれだけ。
あの気高い生き物だけだ。



Was blind but now I see.
その恐怖すら思い知る深い慈悲に、二度過ちを犯す事はないでしょう。




あれを手に入れれば満たされる。
あれを手に入れれば解放される。



「続いて、陛下のご命令である應翼財閥の案件を審議しましょう。組織内調査部長、前へ」



なぁそうだろう、高坂日向?

←いやん(*)(#)ばかん→
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