帝王院高等学校
暗くなったらネンネしましょう
その緑に恵まれた国道沿いの埃臭い公園に、何度目か足を運んだ午後。


「っしゃー!今日は昨日のキックベースの続きやんます、守備の皆さんはゴールライン書きやがれですっ」

連日蝉が鳴いていた。
寝ても覚めても鼓膜に残る、夏の風物詩だ。

「坊っちゃん坊っちゃん。続きやんぞ、書きやがれテメェら…って感じで良いんですよ」
「そうでさぁ若ぁ、煩い黒服も居なくなった事だし…謎の子供が二人も増えましたが」
「でも、アイツは敬語喋れた。俺だってやれば出来るんでございまするぜ!」

見るのも話し掛けるのも嫌、と言わんばかりにビシッと指だけ突き付けられる。礼儀作法に厳しい両親から育てられた子供は、人に指を差すと言う行為の罪悪感からか眉が寄っていた。

「負けっぱなしじゃ、男の沽券に関わんだろですよ」
「女の子みたいな顔をして何を抜かすか」
「そっちこそっ、………ちっ」

初めの内こそ思い付くだけの悪口を浴びせてきた癖に、母親に竹刀で尻を撃たれてから口を開かなくなった様だ。

「どうした、泣き虫ベルハーツ」
「うっさい、話し掛けんなです!」

悪口を言いたいのに言えない歯痒さからか、舌打ちだけが上達していく。

「坊っちゃん…健気じゃあないですか!応援しとりますよ、この脇坂は」
「若ぁ、頑張って姐さんに褒めて貰いましょうや」
「おう!」


小柄な子供が抱えるサッカーボールが一回り大きく見えて、鼻で笑ったいつかの夏の日。




「こんにちは、お嬢ちゃん。お母さんはどうしたの?」



明らかに一般人ではない男達を従え駆け回る金髪を目で追い掛けながら、話し掛けてきた人の良さそうな中年に微笑み返した。

「ううん、お母さんは居ない」
「じゃあ一人かな?」
「お友達と一緒に来たの。でも、私を放って他のお友達と遊んでる」
「だったらおじちゃんと遊ぼうか」

差し伸べられた大きな掌。
父親の様な笑顔、…その下のよこしまな欲望。そのどれもが好ましかった。

「何をして遊ぶの?」
「あっちに美味しいアイス屋さんがあるんだよ。一緒に行こうか、お嬢ちゃん」
「うん、いいよ」

八つ当たりの対象ばかり探していたのだ。
幾ら大人びた育ち方をしていようが、実際たった7年弱の人生経験しか持っていないのだから。

「へぇ、今度七歳になるんだ。お嬢ちゃんのお名前は?」

その人好きのする笑みに覆われた下卑た欲望を八つ裂きにしてしまえば、泥塗れの内臓が見えるのだろうかと。
人間の最も醜い中核が曝け出されるのだろうか、と。






「二葉だよ、オジサン。」


冷めた好奇心を子供の無邪気さに、隠したまま。









「うんしょ、っと!うむ、むむむっ。



  ととと…、うーん、届かないよねー」



雑木林から抜け出すのと同時に複数の外国人旅行客が茂みへ踏み込んで行くのを横目に、排水溝を覗き混んでいる小さな背中を見た。

「やっぱ、もっかいやってみよー」

都会に息吹いた緑の楽園で一人の日本人がどんな目に遭っていようが、外に出てしまえば誰も気付かない。
白々しく双眼鏡やカメラを携えた外国人達が何の変哲もない並木の中へ入って行こうが、バードウォッチングか記念撮影だろうと納得してしまう。

「うえー、もうちょっとなのに。うんしょ、うんしょっ、…届かないよー。おうちからドラちゃん連れてこないと、だめだー」
「…何やってんの、お前」
「たすけてドラえも、………へ?」

己に他人の血の匂いが染み付いている様な錯覚に苛立ちながら、屈み込んでその細い腕を排水溝に突っ込んでいる背中へ話し掛けた。

「あれ?あれれ?」
「こっちだ、何処見てんのお前」
「む」

ただ、何となく。
今となれば珍しかっただけだろう。自分より小さい子供を見る機会など、殆ど無かったから。特にそれが女子となれば。

「アキちゃんは、おまえじゃないもん。呼び捨て、いけないんだよっ」

子供が振り返った。
頬に泥を引っ付けて大きな目をぱちぱち瞬きさせ、広い額の上で纏めた前髪をボンボンリボンで括った子供。

「何、代名詞に敬称でも付けろって?馬鹿じゃないの」
「ばかじゃないもんっ、アキちゃんだもんっ」
「あー、はいはい。で、何やってたんだ、お前さんは」
「おまえさん、は、おっけー。呼び捨て、だめ、ぜったい」
「人の話聞いてんのか、日本語通じてないのか、どっち」

起き上がった子供の泥汚れした右腕に嫌悪感を抱きながら、話し掛けた手前黙って見つめる。

「えーごは、ヤスちゃんしかしゃべれない。アキちゃんは、ニホンゴとくいだよー」

ふわん、と。
結われた前髪とボンボンが揺れた。

「もう良い。サヨウナラ」
「まっちゃ味のおかね、おちちゃったの」
「はぁ?」
「あのね、あのね、あっちにアイス屋さんがあるんだよー。まっちゃ味とチョコミントが、すきー」
「ああ、つまりアイスの代金を排水溝に落とし込んだ訳か。…ふん、つまらん」

話し掛けた意味も無い理由に舌打ちを噛み殺し背を向ければ、グチャリと嫌な感触が手首に。
殺意を滲ませた目で自分の右手首を眺め、ゆっくりと背後に視線を注いだ。

「あっ、きちゃなくなった。ごめんねー」

ぱっと手を離した子供が自分の汚れた右手を見つめている。大きなアーモンドの様な瞳、動く度に揺れる前髪、サクランボの様なボンボンはピンクだ。

「あっち、お水あるよ。ころんだら、オデコきれいにするトコ」
「…何やってくれてんだ、貴様」
「あのね、あのね、あっちにブランコもあるよ!ブランコ知ってる?」

ピシッと見当違いな方向を指差した小さな指に苛立ちが加速する。

「アキちゃんね、アキちゃんね、ブランコすきっ。でもね、」
「聞いてねぇよファッキンジャップ、喚くなクソアマ」
「ふっきんチョップって、なーに?おとーさんのふっきん、ショボいの。でもデスクワーカーだからいいんだよって、ヤスちゃんがゆってたー」
「…バイバイ。」
「あっ、どこいくのおねえちゃんっ」

揺れるボンボン、立てた指を振り回す度に跳ねる前髪は稲穂の様で、


「貴様………今、何っつった?」
「おねえちゃん、いっしょにブランコしてあげよっか。ひとりぼっちで、さびしーんでしょ?」


屈託無いその笑みに殺意すら覚えたのは、いつ。



「余計なお世話だ。…手を離せ、クソガキが」
「あっ」





何も彼もが狂ったのは、いつ。












無意識だ。
八つ当たりの対象を目で探している。


「…は、」

自嘲めいた嘲笑は唇に滲んだ瞬間眩暈を呼び寄せた。酷く体温が低い様な気がする。

「寒い」

カツカツ規則正しく響いていた靴音に乱れが現れ、自分の足音を聞いたのは何年振りだろうかと呆れ笑いを浮かべた刹那、崩れ落ちた膝。


「情けないねぇ、…格下相手に背後を許すなんざ愚の極みだ」

頬を際限無く滴り落ちる生暖かい液体を無造作に手の甲で拭って、崩れた膝を押さえながら立ち上がり壁に背を預けた。

「…どっちが風紀乱してんだ、頭が可笑しくなったのか俺は」

真紅に染まった右手を眺めながら、膝を支えていた左手で外した眼鏡がパキリと音を発てて砕ける。

力加減すら出来ない。
いつもの自分が保てていない。


何が可笑しいと言えば全てだ。

何故追い掛ける必要があった。
日向を一人にしてまで、あんな男を。ただ少し脅して懲罰房に投げ入れてやれば良かった筈だろう。


二日も保たず反省した筈だ。
泣きながら許しを求めた筈だ。

どんなに素行の悪い生徒だろうが、懲罰房に入って正気を保てる人間は殆ど居ない。


入れるだけ無駄だった佑壱や、昼寝場所にしている神威ならともかく、あんな平凡な生徒なら。全て上手く進んでいた筈だ。



「………何処で狂った。いや、疲れていただけか」


右手の赤を暫し眺め首を傾げて、微かに呟いた台詞は闇に飲み込まれる。
痛みが無いのに出血すると言うのは厄介だ。限界が判らないから質が悪い。

「そう言えば4日以上寝てないな」

眩暈が止まらない。
眉間に刻んだ皺が痙き攣る。
正常な思考回路は何処へ行ったのだろう、右手が人間の体液と同じ色に染まっている。
純白だったブレザーはもう処分するより他無いだろう。足元に赤い水溜まり、まるで真夏の朝日の様な、水溜まり。


「眠い…」


睡魔と言うよりは警告に似た何か。
痛覚を忘れた脳が限界を報せる警笛だろう、白濁。

「セ、ントラルライン、オープン。コード:ルークへ、本日暇のご挨拶を…」
『エラー、中央情報部に指定のコードは実在しません』
「おや、…また偽物を演じているのでしょうかねぇ、我が君は」


ぐらり、と。
惨めにも上体が傾いた。地面が近付いてくる気がするが、近付いてくるのではなく近付いているの間違いだろう。

「聞きたい事があったのに、お馬鹿陛下」

赤い水溜まりへ吸い込まれる様に。
意味もなく笑えて仕方ない。

「これは、…一体何なのでしょう」

そう言えば、誰かが今にも泣き出しそうな声音で言った様な気がする。人間の言葉などまともに聞いていないから、曖昧だ。


そんな筈はない。
それではまるで人間の様ではないか。

違う、出来の悪い失敗作でしかない自分は神にも人にも成れない、そうだ、誰かが言ったではないか。


魔王だと。皆が、いつも。
馬鹿馬鹿しくて笑えもしない。




「…錆臭くて、不愉快ですねぇ」


この躯から血液など滴る筈がないと、知っている筈ではないか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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