帝王院高等学校
ツンデレだったらハァハァします
深海を漂っている。



暗い暗い、太陽の光さえ届かない暗い深海を、ゆらり・ゆらゆら。

怖くても悲しくても流した涙は片っ端から海水に混ざるだけ。塩っぱい舌先が舐めているのは涙か、海水か。

「何の反応もないと言うのも、面白味がありませんねぇ」

腹の上を這い回る何か。

「麻痺しましたか?人間の半分以上は水ですからねぇ、憎悪も嫌悪も小さな電気の粒として全身を駆け巡った挙げ句、…精神を根核から麻痺させたのでしょう」

海色の何かが笑って、伸ばした手はカチャリと音を発てる何かを掴む。

「おやおや、積極的だか考えが無いのか」

笑う海色の何かが近付いて、唇から酸素が失われてしまった。コクリと音を発てた喉が耳障り、右手に握った何かから力を抜けば、

「…防衛本能による現実逃避は己を守る為の術です。恥じる事はありません」
「…」
「尤も、聞いていないでしょうがね」

それはリノリウムを弾いて甲高い悲鳴を発てる。

「そう言えば、…囚われの姫君を救った勇者に体でお礼なさるおつもりでしょう?」
「ひ、め」
「キャスト不足、と言いたい所ですが、現実的に物好きも存在する世の中です。お礼、と言うには奉仕義務が課せられる」

唇を撫でた長い何か。
ああ、指だ。と、何の感慨もなく瞬いて、全身を支配する黒い何かに目を伏せる。


灰色の世界が黒に変化しただけだ。
今更、何を嘆く必要もない。


「物好き」
「そう、人の価値観はそれぞれですよ。絶対などと言う言葉は、それこそ絶対存在しない」
「物、好き。居たら、結婚してくれるかな。小さいマイホームでお弁当作って貰って、…日曜日にデートするんだ」

夢、と言うよりは憧れに近い。
平均的に家族に憧れるのは男子で、女子が憧れるのは花嫁衣装を着た自分に、だ。
現実的な女子は外見や肩書きに恵まれた男へ思いを馳せる思春期を経て、軈て食い扶持を稼いで来る馬車馬の様な男へ嫁ぐ。

「それに見合う代償を払えば良い」

囁く冷たい声に笑った。
出来損ないでも世間一般では優等生に入る自分は、このまま大学へ進んで何処かの企業に就いて、稼いで来る馬車馬の様な男へ嫁ぎたい物好きな女性を娶る。
子供が産まれ孫が産まれ、縁側で流行のゲームをしながら律儀に払い続けた年金で余生を過ごし、最後くらいは仕方なく嫁いでくれた妻も泣いて看取ってくれるのだろうか。

「平凡だなー、うん、…平凡だ」
「緊張感がありませんねぇ」
「アンタはいいねー」

下半身を這い回る指の感触に鳥肌を発てる皮膚、それから意識を逸らしながら伸ばした両手で裸眼の美貌を挟み込んだ。

「恵まれた人間には、一生判らない。アンタは見上げるだけの向日葵を笑う、傲慢な太陽だ」

細められた双眸に何の変哲もない、自分の顔。

「太陽は貴方の名前でしょう?山田太陽君」
「欲しいものは何でも手に入って、望んだものは何でも手に入って、挫折なんか知らないまま、いつまでも幸せなんだ」
「へぇ、貴方は私のアナリストでしたか。初めて知りました」
「アンタはいいね、…絶望してしまえばいいのに」

蒼い蒼い瞳に笑う唇が映った。それは誰のものだろう。
見開かれた双眸に笑いが止まらない。超至近距離から見る顔はやはり美しいまま、何の抵抗もなく平凡な人間からされるがままだ。


ちゅ、と。
触れるだけで離した唇。見つめたまま、挟んだ頬を両手で撫でる。

「変な顔」

微動だにしない美貌を真っ直ぐに、

「破滅してしまえばいいのに。助けてくれって俺なんかに縋るくらい絶望するなら、俺は喜んで手を差し出してやるよ」
「…」
「安堵したアンタが俺の手を掴もうとしたら、」


両手を離す。
離れた美貌を前に首を傾げ、


「こうやって、笑って手を離す。
  そのまま真っ暗な絶望に真っ逆様、ジエンド。現実はリセットなんか出来ないから、本当の意味でのゲームオーバーだ。
  これが俺のベストエンディングだよ。…どう?楽しそうでしょ、白百合閣下」
「…」
「烈火の君なら、ゲートの向こうに居ます」

微動だにしない男の表情を横目に、立ち上がろうとした筈だ。
数メートル先には零人と獅楼が居る。人質の二人を見付けた風紀委員長は何の変哲もない生徒から興味を失い、二人を救うだろう。

後は佑壱達に合流するだけで良い。
日向一人相手なら、あのメンバーは負けないだろうと思うからだ。



なのに。
起き上がろうとした体は未だにリノリウムの上、離れた筈の美貌がすぐ目の前にあって、冷たいダークサファイアが真っ直ぐに網膜を貫いていた。
離した筈の両手すらリノリウムに磔られている。冷たい手が手首を掴み、逆らえない力で強く。

「んっ」

噛み付く唇、這い回る舌。
燃える様に熱い。深海に湧き出したマグマの様に。


「ぷはっ!…だから、好きな子、苛めるのはダサいっていった筈ですよねー」
「…」
「ぅ、ん!ふっ、は、あはは、やっぱアンタはいいね、こんな平凡相手に捨て身の嫌がらせか、んんっ」

食らい付いてくる唇の雄々しさに笑える。見た目とはまるで正反対だ。世の中の女性はこう言うギャップに弱いのだろう。
ああ、そう言えば、俊だけが始めからこの男を鬼畜二重人格だと言っていた。腹黒そうだとは思っていたものの、二重人格には思えない。


「どっちが、本物だろ」


無意識に呟いた台詞で長い指が喉を掴む。濡れた唇は赤、艶やかさに眩暈がした。
きっと自分の唇も。

「どっちも、本物の叶二葉に見える」

力を込められた瞬間呼吸出来なくなるだろうと他人事の様に考えながら、それならそれでも良いかと全身から力を抜く。

「そっか、名字嫌いなんだったね」

こんな平凡相手に殺人など犯す愚か者には見えないからだ。万一殺されたらその事実すら隠蔽されそうだが、うちの父親も大概腹黒い。然も蛇より執拗に調べ上げて、胃に穴が開く様な仕返しをするだろう。

「綺麗な顔、高い身長、賢い頭、人望、柔らかい物腰。全部揃ったアンタは誰からも認められて、誰からも好かれて、いいね」
「貴方からは嫌われている様ですがねぇ」
「好きになる筈がないだろ、偽物なんか」

初めて、虚を衝かれた様に間抜けな顔をしたこの男を視た。ああ、こんな人間らしい顔をしていればまだマシなのに、と。僅かに浮き上がる親近感からまた、笑える。

「優しく人を見下す様な人間、好きになる筈がないだろ。それならまだ、冷たく突き放しながら見守ってくれる方がずっといい」
「状況を判ってない様ですね、相変わらず」
「汚れんのはアンタだ」
「─────…は、」
「こんなちっぽけな人間に我を失って、汚れんのはアンタだけ。
  可哀想な被害者。そう、アンタは被害者なんだ。俺なんかに振り回されて追い掛けて来た時点で、もう。
  ─────勝負は付いてる。」
「はは、ははははは、あははははは!」

開いた唇から笑い声が響いた。
見開かれた双眸はそのまま、笑い声だけが狂った様に暗闇を揺さ振り続ける。


「本当に、優秀な人だ。…そして愚極。」

喉から離れた手が目尻を撫でた。ぞくりと背を走る違和感に眉を寄せて、見つめた表情には微笑。
本当に、幼い子供が母親を見る様な柔らかい微笑。それも初めて見たものだ。

「恵まれた?誰からも認められている?それは誰の話ですか?
  産まれ落ちた瞬間から不必要な私に、産まれ落ちた瞬間から敗者の私に、この眼は何を見ているのでしょうね」
「何だよ、それ」
「は、はは、…分析者の貴方に教えて上げます。その小さな頭で答えを導いて御覧なさい」

開け放したままのシャツから手が忍び込んでくる。面白くもなんともなさそうな表情が胸に潜り込み、付いているだけの乳首を噛んだ。

「んゃ、」
「問1、父親の顔を知らない子供は自分が産まれる3年前に父親を亡くしていた。
  問2、二人の兄は黒髪黒眼。
  問3、三歳にして同性から性的暴力を受けた子供は家族から海外に送られ、幼少期を見知らぬ土地で過ごす」

面白くもなんともなさそうな表情が腹を這う。他人に触られた事など一度もない下半身をまさぐる手の冷たさ、無機質な声音、快感よりその冷たさに竦み上がる。

「二年。地獄と言う言葉すら生易しい生活を強いられ、人として備わる一切の感情を破棄された」

粟立つ皮膚。

「与えられたのは身を守る術、人間を虐げる術、そして自分が人間ではない事を知らされる五歳」

唇が触れた所だけが熱い。

「神の元へ招かれた子供は、それからずっと唯一神の忠実な下僕。平伏するより他無い圧倒的な存在を前に、敗者のまま、今も尚」
「ぁ、つい」

心臓の皮膚一枚隔てた胸元だけが熱い。燃える様な温度に頭を振って、力の入らない手で無意味な抵抗を続ける。

「認められる日など生涯訪れない。無用な争いを産まぬ為に生涯独り身のまま、女を娶る事もないでしょう。子供は死ぬまで独りきり」
「熱、い」
「好かれるとは恵まれた事ですか?嫌われているのは可哀想な事ですか?
  優秀な山田太陽君、世間一般の人間は他人の向ける目を気にしているものでしょう?」
「指、冷たい」
「残念ながら理解したくとも不可能ですねぇ、…人間とは面倒な生き物だ」

どうしたら絶望出来ますか?

と、囁く声に痙き攣る背中。冷たい指がずっと奥まで伸びて、信じられない様な窄まりを撫でた。

「女ならば凌辱されれば嘆くでしょう。然し私の恵まれた外見を前に、嘆きは喘ぎへ変わるだけ」
「ゃ、やだ」
「困りましたね、私は貴方を好きでも嫌いでもないのです。愚かな人間はつまらない感情に支配され秩序を乱す。私の責務は、乱れた秩序を正す事」
「やだやだ、ゅ、指、やだっ」
「校内を混乱に陥れた首謀者全てを捕らえ、見合った代償を払わせるべく懲罰しなければなりません」

渇いた冷たい指先が押し込まれる。ゆっくりと、酷くゆっくりと。
痙き攣れる皮膚。それを割り裂く冷たい何か。刺す様な違和感は微かな痛みを伴い、異物を押し出そうと窄まる内部は益々違和感を加速させるばかり。

「痛い、から、やだっ」
「そうですか。然し奉仕するには無知過ぎる貴方に、出来る悦ばせ方など他に存在しないでしょう?」
「こわ、怖いから、やだっ」
「おやおや、先程までの強気な態度はどうされました。少しくらい抵抗した方が、凌辱感を煽り人間の征服欲を満たすのではないでしょうかねぇ」
「ゃ、って、言った!」
「懲罰がこの程度で済むなら安いものでしょう?停学は懲罰室で済みますが、退学となればね」

脅す様に唆す様に鼓膜を震わせる悪魔の囁き。何処から何処までがこの男の本当なのだろうか。一瞬だけ見た表情はやはり偽物だったのだろうか。


痛い。
怖い。

渇いた指に痙き攣れた皮膚が裂けそうに痛い。


「せ、んぱ」
「何ですか、後輩君」

「たすけて」


何を呟いたのかは覚えていない。
動きを止めた男が覆い被さって来た時に、凄まじい音が響いたのは判った。


「っ」


息を詰める二葉の喉が見える。
抱き込む様に覆い被る体が強張って、頬に温かい何かが落ちてきた。



ポタリ、ポタリと。



「メイユエに泥を塗る様な真似は控えろ、洋蘭」

暗闇に紛れ込んだ黒い誰かが囁く声。低い低い印象的な声音に瞬いて、先程の凄まじい音の発生源だろう割れた陶器の破片が砕け落ちる様を呆然と見ている。

「貴方が単独行動とは珍しいですね、上香」
「王の名に恥を産む。…貴様が我らの情報を与えたその男は、速やかに処分する」
「…この私が勝手を許すと思いますか?
  ─────美月の狗が。」

起き上がった二葉の鋭い眼差しを視た。滴る赤を視た。
その鋭利な横顔が胸元から取り出した何かを素早く投げ付ければ、黒い人影は消える様に闇へ溶ける。

「…プライベートライン・オープン、コード:セカンドよりセントラルへ」
『中央スクエア応答』
「直ちにキャノンセキュリティを強化、…後で円卓を開く。枢機卿を集めろ」
『了解』

鋭く低く囁いた横顔は刺々しく闇を睨んだまま、

「血、血が、いっぱい」
「…?ああ、怪我はありませんか」

漸く振り向いた美貌が今頃気付いたみたいに瞬いて、落ちていた眼鏡を拾う。

「困ったものです。美しい私を狙うストーカーが後を絶たず、怖い思いをさせましたね」

白肌を伝う赤にはまるで興味が無いとばかりに掛けた眼鏡を押し上げて、優雅に優雅に制服の乱れを整えながら、

「違、うだろ。さっきのは俺、俺が狙われてた。アンタ、アンタが庇ってくれなかったら今頃、」
「勘違い甚だしい。貴方なんか襲う物好きなど存在しませんよ、自意識過剰ですね」

吐き捨てた声の冷たさにもう、何も言えない。突き放す様な目が逸らされ、しなやかな背中が遠ざかる。



「鬼ごっこには飽きました。
  何処へなり行きなさい、桃太郎さん」


暗い世界に唯一の赤。
どうして。

←いやん(*)(#)ばかん→
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