帝王院高等学校
室内楽園と金色の獅子
「…記念撮影忘れてた」

主人公の自覚に欠ける俊が、はたと気付いた時、そこは楽園でした。



「………此処は何処だ。俺は蜜蜂か」

一人になった途端、色彩豊かな花々で溢れる楽園を見回し涙目になってしまう。だが然し、そんな心中にも関わらず表情は今にも殺人を犯しそうな強面となれば、同情するしかない。

「…多分、室内庭園だろうな」

観葉植物の向こう側に壁と、一面の窓が見える。開け放たれた窓から吹き抜ける風は穏やかで、時折小鳥の囀りが聞こえてきた。

友達が全く居なかった小中校時代を思い出し、手近なウッドベンチで膝を抱える。
隣に置いたハンバーグとおにぎりを切なく見つめるが、今は寂しさと悲しさでお腹がいっぱいだ。



「心の迷子だ…」


ぽつり、まるで詩人の様に呟いた台詞が楽園の中央にしつらえられた噴水の飛沫で掻き消される。
先程まであんなに楽しかったのにこの惨めさは何事だと考えて、唇を噛んだ。

折角、人生初の『親友』が出来ると思ったのに。
携帯番号とかメルアドとか日記的なものとか交換したり、休日にはバスで一時間懸かる街まで繰り出し、映画館や水族館や動物園や雑貨屋を巡りに巡ったりしたかも知れなかったのに。

まるで誰かから逃げる様に決まって夜、バイクと煙草と酒に囲まれた不健康な仲間と過ごした時間とはまた別の、光に祝福された時間があったかも知れなかった、のに。



お天道様の下で、同じ名前の友人と、二人。なんて、夢を見た。



「…タイヨー」


まるで恋人を呼ぶかの様な囁きは誰に届く事もない。無人の庭園には大好きな猫一匹居らず、甘い薫りを発てる花に縋るほどナルシストでもなかった。
慣れていた筈の孤独が、痛い。


昔、太陽の様に人懐っこく話し掛けてきた子供が居た。後になって向こうの方が年上だと知ったのだけど、だからと言って態度を変え恐縮する事はない。
人見知りするタイプである自分にとって、それは珍しかったと言えるだろう。



『ね〜、誰にも言わないからさ〜、俺にだけは名前教えてよ〜』

猫が戯れる様に、細い腕で腰に抱きついてきた金色の子供。
その度に体格だけは立派な癖に大人気なかったイチがガウガウ煩かったが、べーっと舌を出す子供が怯えて逃げていく事はなかった。

『へ〜、シュンって言うんだ〜。…じゃあさ、シュンシュンって呼んでい〜い?』

後にも先にも愛称で呼んでくれたのは彼だけだ。あの時も今日みたいに柄にも無く期待していたのだと思う。
まるで天使だと、馬鹿な事を本気で考えていた。

『えへへ〜。俺ね〜、シュンシュンが好きだよ〜』

きっと、友達になれるのだと。

『陛下より、いっぱいシュンシュンがだ〜い好き〜』

そんな身分不相応な事を、考えたから。

『シュンシュンに言わなきゃいけない事があるんだ』
『…何だ?』
『まだ、言わない。ううん、まだ…言えない』
『はは。何だ、真面目な顔して』
『俺ね、シュンシュンが大好きだよ』
『知ってる』

己の身を弁えず、そんな身分不相応な喜びで舞い上がっていたから。

『だから、………待っててね』
『何?』
『えへへ〜、秘密〜!』



きっと、罰が当たったのだ。





「…あ?」

前触れ無く噴水が止まった。
吹き抜ける風が運んできた声音に肩を震わせ、己が裸眼である事に僅かばかり焦る。
急ぎ漁った内ポケットから取り出したスペアを掛け、近付いてくる微かな足音に高鳴る鼓動を耐えた。

「何だテメェ、此処で何してやがる?」

明らかに警戒を宿した男の声。
煩いくらい、そして痛いくらいに早さと強さを増す心臓を無意識に押さえる。


知らない人間は怖い。


裸眼の時はいきなり殴り掛かってくるし、眼鏡を掛ければ弱い者と見なし残虐的な目で近付いてくる。


入学したばかりの中学生に、それを回避する術などなかった。
ただ理不尽に殴られていれば良かったのだろうか。ただ理不尽な暴力に従っていれば良かったのだろうか。
人として雄としての些細なプライドを捨てれば、良かったのだろうか。

そうすれば少なくとも、『不良と付き合いがある様な生徒は我が校の恥』だと、大人の台詞に登校拒否瀬戸際まで追い詰められたりはしなかった筈だ。


例えば、不良に絡まれていた担任教師を見殺しにしていれば、今頃。


「おい、何とか言いやがれキモオタク」
「ぇ…?」

掴まれた胸元を引き摺られ、強制的に直視する事になった男の唇が紡いだ台詞で、呼吸が止まる。

「…見た事がねぇ面だな。テメェが外部生か?あ?」
「新入生、で、す」
「担任の名は?」
「東雲、先生」
「ちっ。ならSクラスかよ」

汚いものに触ったとばかりに手を離した男が、苛立たしげに髪を掻き上げる。
キラキラと、陽光を反射させる金色の髪が。何処か懐かしく思えた。

「何ジロジロ見てんだ。…ちっ、俺様に抱かれてぇっつーなら殺すぞ、テメェの身を弁えんだな」
「………弁え、る?」
「不細工にゃ、お似合いの相手が居るだろ」

邪魔だ。
その台詞を脳が認識するより早く、体が浮いた。


鼻孔を擽る花の匂い、自棄に澄んだ視界、灼ける様な熱を帯びた左頬。


「テメェが二葉の腹、蹴った餓鬼だろ。…お返しだ」

しなやかな背中が見えた。

「まぁ、人違いでも構やしねぇけどなぁ。帝王院じゃ、俺が法律だ」

ああ、そうか殴られたのかと唐突に納得し、目前の背中が吐き捨てた台詞を理解する。

「生徒会の人…です、か」
「中央委員会副会長、高坂日向」
「こ…うさか、ひ、なた…?」
「…ああ、覚える必要はねぇ」

ガタン、と。
耳障りな音がした。


「不愉快だからな。」

長い足がベンチの上のトレーを蹴り払ったのは、判る。
大分冷めてはいたものの、食べてみなくとも誰もが『美味しそう』だと思う筈の、それは。


可愛い可愛いワンコが、作ったものなのだ。


「ぁ」
「ふん。俺様はお前なんざ認めねぇ、図に乗るんじゃねぇぞ」

どさりと、先程まで俊が腰掛けていたベンチに腰を落とした男が低く唸る。
腹が立っても耐えなければいけない。また、昔と同じ事になってしまう。始まったばかりの高校生活を、こんな事くらいで無にしてしまいたくない。

「見るに耐えない平凡ガリ勉だ。お前、生きてて楽しいか?」

嘲笑を浮かべているだろう唇が紡ぐ台詞は、ただただ心臓を切り刻む。

「どんな手使って一位になったか知らねぇが、すぐに追い出して、」

飛び散ったハンバーグを拾わなければ、と。殴られた瞬間何処かへ飛んでいってしまった眼鏡にも構わずトレーを掴んだ手が、痛い。


「…跪かせてやるよ、カスが。」

真新しい革靴に踏み付けられて、吐き捨てられた台詞に目頭が熱くなって、



『一緒に試験対策練ろうな、俊』

お日様の様に笑う、初めて名前を呼び捨てで呼んでくれた人の顔を思い出した。



「…やっぱ、罰が当たったのか」
「お前、」
「天使も太陽も、…似合わない」

顔を上げた瞬間、見開かれた金に近い茶の瞳を振り払い、目に付いたスペア眼鏡を拾う。

判っていた筈だ。




「…っ、待て!」

いつだって、独りぼっちだと。

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あきゅろす。
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