帝王院高等学校
まつろわぬ犬達の鎮魂歌
「一人ぼっちでどうした。お兄さんが遊んであげよっか?」
「何それ、だっせ」
「言ってくれるな小便小僧、眼帯を見るのは初めてか?」
「眼帯以前の問題だ。…つーか、中央委員会会長がンな所で煙草吸って良いのかよ」
「最悪が退学なら、まず安泰だ。俺は学園が望む通りの結果を築き上げてる」
「結果だぁ?」
「例えば成績、下院活動の実績、校外任務エトセトラ」
「親王陛下は校外活動も給料に含まれてんの?」
「普通科や工業科の奴らみたいに健全なアルバイトに精を出す余裕はないな。第一、学費も生活費も免除されてる帝君だ。自治会役員が進学科の生徒しか出来ないと言うのは、生活に余裕がある一点に尽きる」
「金がなきゃ余裕は生まれないってな」
「大人の意見だ」
「式典で挨拶してるアンタを見る度に、胡散臭ぇと思ってた」
「同感。自分が一番そう思ってる」
「何つったら良いか判んねぇけど、窮屈そう」
「鋭いねぇ。その年頃から聡すぎると苦労するぞ」
「経験談かよ」
「そうです。先輩の話は長くて面倒臭いと思っても、タダなら聞いておくもんだ」
「眼帯にマジックで『封』って書いて彷徨いてる様な、クソ痛い先輩の話でもか」
「くっく、今季の初等部自治副会長は辛口だな。その辛さはソルトかペッパーか気になる」
「何一人で笑い転げてんだ。笑う所じゃねぇだろ」
「あー。どうも俺は人と笑いのツボが合わないんだ。何でだ。こんな大怪我を土産に帰省しても、幼稚園に通ってる可愛い弟は『眼病は感染症』って呟いて、話もろくにしてくれない。普通お兄ちゃんが帰ってきたら飛んで抱きついてくるもんじゃないか?」
「知らねぇよ。弟持ちに愚痴れ」
「お前も同じだろう?」
「…違ぇよ」
「嘘つけ。お前の父親がハリウッド女優との入籍会見で絶賛賑わせたのは、ほんの先週だろう」
「最近男子校生はワイドショーなんか見んのか。暇を持て余してっから、んなクソダサい格好で堂々と歩けるんだろうな」
「エッジが効いてる。やっぱお前しか居ないよなぁ」
「は?」
「んー、俺の後釜?王冠の後継者」
「冗談だろ」
「俺が冗談を言うお兄さんに見えるか?」
「見えないって言って欲しいんだったらお生憎様、テメェは全世界の言葉を喋るっつー胡散臭い餓鬼より、遥かに臭ぇ」
「言ってくれるな、ガキンチョ後輩」
「そっちも餓鬼だろ」
「いーや、16歳と10歳には深い溝がある。青春時代の縦社会と言う、決して超えられないマントルが」
「中二病だけじゃなくポエマーかよ。濃い思春期だな」
「どうしたって不可能はある。一対一だったら絶対に負けない自信があっても、飛び道具の前じゃこのザマ」
「飛び道具?カタパルトとでも戦ったってのか?」
「石をぶつけられてたら死んでるよ」
「アンタ、生命力強そうだから」
「それが褒め言葉のつもりか。折角主治医が海外の手術を勧めてくれたのに、血を分けた母親の台詞が『自らが招いた敗北を忘れない為にそのままで良い』だと」
「何の話してんのかさらっさら判らねぇ。俺は忙しんだ、どっか行けよ」
「何でかお前以外が近寄ってこないんだ。もっと話そう。俺は多分、人の温もりに飢えてるんだ」
「全心全意、気持ち悪い」
「倉庫同然の図書館で、一人虚しくクロスワード雑誌眺めてるそっちも大概だろう。所でそれ、フランス語だろう?」
「…言葉を覚えるにゃ、こう言う単語を使ったゲームが手っ取り早いんだよ」
「誰の為に世界一口説き文句のフレーズが多そうなフランス語を勉強してるのかは知らないけど、将来女泣かせに育ちそうだな」
「どの面下げてほざいてんだよアンタ、自分の面見た事ねぇのか」
「俺の顔が何?そう悪くないと思ってるんだけど、お前みたいなイケメン少年にはどう映ってるんだろうな」
「無自覚が一番タチ悪いわ」
「数字の0に人って書いてレイトって格好良い名前だな。今流行りのキラキラネームって奴か」
「なんてこたぁねぇ、親父から一文字譲り受けてるだけだ」
「ああ、成程。兄妹で分けてるのか」
「しつけぇ、俺は一人っ子だっつってんだろ」
「一人っ子ってフレーズは、今初めて聞いたけどな」
「揚げ足取んなパーマ、モテたい野郎っつーのは無駄に髪を弄りたがる」
「煩ぇな、こりゃ地毛だ。俺だってお前みたいなさらっさらストレートに生まれたかった」
「お気の毒」
「なぁ、お兄ちゃんって呼ばれたくないんだったら俺の事お兄ちゃんって呼ばせてやるから、遊ぼうよ」
「うぜぇ」
「何と!今なら俺はトランプもウノも持ってる。どうだ、お買い得なお兄ちゃんだろう」
「お前…小学生相手に虚しくねぇのか…」
「お前じゃない、零人君。お兄ちゃんって呼んでみ?」
「そろそろ通報するぞ」






















「村崎先輩って呼んでも良いんだよ」





















違和感に気づかなかったのか。
と、自分自身に何故、あの時問い掛けなかったのか。

「拝謁の場を下さり、光栄に存じます」
「…いや、それはこちらとて同じ思いです。ようこそお越し下さった、キング=ノア=グレアム男爵」

あの日、遠目に見た神と呼ばれる男爵の姿と全く同じだったから?
年々立派に育っていく期待の息子が、年相応の無邪気な笑みを浮かべていたから?

「父さん、義兄さ…キング=ノア男爵は日本の事をもっと知りたいと仰っています。僭越ですが、俺…私は宿泊施設の候補地を幾つかピックアップして、」
「急く気持ちは判るが、お前はちゃんとソファに座ってから、深呼吸をした方が良い」
「私は冷静です。わざわざ申し上げる事ではありませんがグレアム男爵家と交流が得られる機会なんて、普通では考えられないチャンスでしょう?帝王院の為だけじゃない、日本の発展の為にもっ」
「秀皇」
「っ」

後悔を自覚するのはいつも、悲劇の幕が開けた瞬間ではない。悲劇が通り過ぎ、絶望に浸かりきった時なのだ。

「…失礼しました。多少興奮していたみたい、です」
「中学生らしい息子の姿を好ましく思わない親はないが、だ」

帝王院駿河は亡くなった父親から、一度だけ話を聞いている。
人付き合いが余り得意ではなかった生前の父が、たった一人だけ大学時代から交流を続けていた親友の話だ。彼は遠野夜刀と言い、急速に発展している日本医療会ではその名を知らぬ者は居ないだろう。彼が一代で築き上げた遠野総合病院は都内で最も規模が大きく、平成の時代へ移り変わってもニーズに答え拡張を繰り返し、現在の病床数は有に1000床を超える。

「お前の言葉尻を摘めば、今回の訪問で得られる成果は我が家の方が大きい」

夜刀から院長を譲られた娘婿は、鬼神と謳われた前代の名跡を見事に引き継いだ『神の手』と目されているらしい。らしい、と言うのは、40代に差し掛かるまでこれと言った病気をした事がない駿河にとって、医療会の神が医師としてではなく人生の先輩の一人に分類されるからだろうか。遠野龍一郎はおよそ気質とは思えない眼光の鋭さと存在感を兼ね備えているが、ブラックコーヒー缶に、こっそりガムシロップを3つも入れて飲んでいる所を見た事がある。エッジが効いたギャップに、いっそ恐怖を覚える程だ。

「過ぎる儲けは身を滅ぼす。幼少期に亡くなった祖父の言葉だが、早くに亡くした父から継いだ経営者としての立場になってみると、父との会話よりも、数少ない祖父の話を思い出す様になった」

駿河に残る帝王院俊秀の記憶は限りなく少ない。寧ろ祖父が亡くなってからも彼の偉業を讃え続けた大人達から聞いた話が、祖父の記憶に影響を及ぼしているのではないかとも思えるが、真偽を確かめる事は既に不可能だ。

「父…学園長は心配性なんですよ」
「言ってくれるがな、秀皇。経営者の責任は息子を持つ父親の責任よりも、割合としては重いのだ。妻と子を守るのは男の義務でもあり権利だが、社員とその家族では、義務以外に背負えはしない」
「感情の意味合いが違うだけでは?」
「私が職務に私情を挟むと?」
「そこまで言ったつもりは…」

母親らしい女性では決してなかったが、愛情深く何事にも優しかった帝王院舞子が亡くなり、悲しみに暮れる間もなく体を崩した鳳凰の晩年は、高校生だった駿河には重い責任として伸し掛かった。毎日が最後の会話になるかも知れないと言う、自己脅迫状態だったかも知れない。

「隆子と秀皇。私個人が愛おしく思うのは二人だが、それとはまた別の意味で、私を支えてくれる社員を好ましく思っている」
「その気持ちは…自治会長経験を与えて下さったお陰で、俺にも判ります」
「お前を子供扱いしているんじゃないぞ。拗ねてくれるなよ中央委員会長。歴代最年少の下院会長とあって、職員室だけでなく上院の理事も期待している。学園長の立場で言うのは宜しくない事だが…お父さんはとっても鼻が高いぞ」
「…学園長の功績を落とさない程度に励むつもりですが、父さんの親馬鹿を加速させる為ではありません」

少なくとも、衰えていく気力を必死で掻き集めていたのだろう父が、最後に残してくれた会話の殆どは不明瞭だ。強く覚えているのは、夜刀の弟であり叔父だと言う、遠野夜人の事だけ。

「羨ましい事だ。親子、仲が良い」

何処となく不自由そうな日本語の、けれどイントネーションは完璧。
フランス、イギリスで居を追われ、長くアメリカ大陸で暮らしていた不可視の一族を統べる当主であれば、日本語を理解しているだけでも素晴らしい勤勉さだと言える。だから当初には本能で感じていた筈の違和感に、駿河は気づく事が出来なかったのかも知れない。

「男爵家の『表』の話は多少見聞きしているが、…こう言っては何だか、どれも噂の域を超えない話ばかりだ」
「その通り。世間で囁かれているグレアムの話は、英国の見解が多分に含まれている。…我が父レヴィ=グレアムはこの国を聖地と定めた。その理由を、地上の人間は誰も知らない」
「『地上』、か。…いや、無用な詮索はよそう。貴方は個人的な客としていらっしゃってくれた。そうだな?」
「先に申し上げた通り」

駿河はノア=グレアムを見た事がある。
会話した覚えはないが、挨拶はした。男爵を取り巻く側近の一人に名刺を渡している。然程大きなパーティーではなかったが、日本大使館職員も参加した規模の祝宴だった。ノアの参加は前連絡がなかった為に、相当な驚きを以て迎え入れられたと言う事は確かだ。

「義兄さんは俺に名前をくれたんです。5歳あの時は意味が判ってませんでしたけど、父さんも話を聞いて下さい」
「我が家は、統率符と呼ばれる名を重んじています。秀皇に贈ったナイトの名は、私の育ての母とも呼べるナイト=メア=グレアムに因んだもの。今はまだ非公式の扱いですが、いずれ正式に名乗る場を用意したいと考えています」
「…秀皇は帝王院の嫡男だが」
「当然、留意しています。異なる二つを一人が支えるのは難しい。弊社は、12人の幹部が支えてくれている」

鳳凰の遺言じみた言葉を忘れず、可能な限りアメリカでの催事に参加する様にしていた駿河も例外ではなく、本心では男爵との会話を望んでいたが、参加客全員が同じ期待を抱けば叶う筈もなく。

「一年で12の星が巡る様に。この学園の校章を見ました。ステルスと帝王院は並び立つ事も、混じり合う事も出来ると確信しています」
「…両立ではなく統合、そう判断しても構わないと?」
「どの様に受け止められても結構、ご随意に。ステルスには、姿なき者の意味の他にも、何にも染まらず何にも迎合すると言う意味がある」

名刺を渡せただけでも僥倖、辛うじて繋がりを持てたと己を納得させたものだが、パーティー会場に滞在中の男爵は祝辞の一瞬だけ姿を表した後は、何処かに雲隠れしていたらしい。そうと知らされたのは、健やかに眠る5歳の秀皇を抱きかかえてやって来たエテルバルド伯爵が『先程は名刺をどうも有難う』と宣った後だった。

「…ふー。すまんが秀皇、母さんに夕食の時間を遅らせる様に言ってくれるか」
「父さん、大丈夫ですか?」
「秘書も役員も同席させないでおいて、良かったのか悪かったのか…」

中等部へ進学し、進級直前に中央委員会長への指名が決まった帝王院秀皇が異国からの来訪者を連れ立って学園長室のドアを叩いた日。つまりは今日の放課後、つい数時間前の話だ。

「話が余りにも美味すぎる。明らかな事は一つ、これは私個人が判断する問題ではない」
「待って下さい、臨時議会を招集するつもりですか?今から?!何日懸かると思っているんですか…!」
「秀皇、お前が言いたい事は判るが」
「上院のスケジュール合わせにいつも我々がどれほど苦労していると思っているんですか?小林先輩がアレな人だから何とかやってるだけで、俺がやるのは嫌ですよ?絶対しませんよ?と言うか無理でしょう?!」
「少し落ち着きなさい、秀皇」

あのパーティーの日、とうとう遠くから一瞬だけ姿を見る事が出来ただけの神皇帝が、今は駿河の目の前で優雅にティーカップを傾けている。状況が状況なだけに場所を駿河の私室へ移したが、帝王院の本宅へ招くべきだったのではないかと思わなくもない。

「今の理事長は東雲八雲会長です!財閥だけの規模をみたらうちより大きい、多忙な方です!それに理事には加賀城社長と嵯峨崎会長の名前も…っ」
「判ってる判ってる、招集するにしてもお前にやらせはしない」
「…言質は取りましたのでお忘れなく、父上」

学園の敷地にある本宅には学園関係者の姿は殆どないが、財閥関係者…早い話が秘書や財閥幹部の往来はある。理事会の招集は年度ごとに決められた日程だけで、現在の理事長は帝王院財閥の幹部だ。学園敷地内に理事が在留する事はないので、臨時議会を開く場合は理事のスケジュールを確認し、招集しなければならない。
年齢に似合わない冷静さと聡明さで励んでいる秀皇が此処まで嫌がる様に、駿河も出来る事ならやりたくないのだ。母が生前、実の妹の様に可愛がっていた嵯峨崎可憐は駿河の叔母も同然の人物で、その経営手腕は一経営者として尊敬に値する。然し苛烈な性格が災いして、尊敬の数だけ恨みも買っている。彼女の息子が在学時代に誘拐された時は、学園長になったばかりだった駿河の目の前で大事件が起きた。

『宮様、警察への連絡はちぃっとだけ待って下さると有り難ぇんだわ。なぁに、やられた事をやり返すだけだがね。誘拐犯の家族を誘拐して、ちぃとみゃあ、怖い思いをして貰うだけでよ…』

どんな手品を使ったのか、可憐会長は誘拐犯の妻と子を探し出し、自ら操縦するプライベートジェットの中に監禁した。息子を開放しなければ、このまま自分ごとお前の妻子も海も藻屑にしてやる・と。
鳳凰より年上だったが、この時まだ存命だった当時の小林刹那は『申し訳ない』と呟いた。まさかこんな手に出るとは思わなかったと言う、自戒の念が凝縮された言葉だったに違いない。その一言で、明神の力によって誘拐犯の家族が犠牲になった事が判明し、犯罪に対抗する犯罪に加担してしまった事も明らかになった。だが、嵯峨崎嶺一を泣きながら開放した誘拐犯は自ら出頭し、可憐に拉致された犯人の家族は被害届を出さないまま、一連の事件の真相は闇へ葬られたのだ。

「迂闊に可憐叔母様を呼べば、加賀城翁が肝を冷やすのは目に見えている。彼を欠席させるのは簡単だが、私の招集を断ったと言う名目で叔母様の怒りを買いかねない…」
「嵯峨崎会長は父さんには甘い方ですが、本心じゃ上院に加賀城が含まれている事を良くは思っていない筈です」
「…やはり、お前もそう思うか?」

帝王院財閥の基本業務は学園の経営だ。つまり帝王院学園本校の理事会とは、帝王院財閥全体の理事と言って良い。理事長こそ任期期間の持ち回りだが、20名ほど在籍している決して小規模ではない理事会には、それなりの野望が渦巻いている。共通しているのは帝王院財閥の為にならない対立ではない、と言った所だろう。

「叶が含まれていないだけ、小林常務の招集は問題ないと思います。小林先輩の母上もまた、嵯峨崎会長とは違った意味で苛烈な性格の様ですから」
「雪菜は私の前では聡明で健気な大和撫子だが、…守矢がやらかした一件に関しては庇い切れん。大前提、男女の問題に他人の私が口を挟めはしないだろう」

唯一の救いではあるが、駿河に牙を剥かないだけで、理事は一枚岩ではない。岩ではなく、バラバラザラザラの砂利だ。

「小林先輩曰く『大殿には空蝉の姫を娶る権利義務があるのに、一夫一妻に甘んじているから無用な争いが起きる』そうです」
「息子よ、何故唐突に私を悪者にするんだ」
「上に立つ人間は多少悪者にされても痛む腹はないでしょう。同じ天宮でも、宮の俺と大宮の父さんでは価値が違う」

亡き母の『愛人歓迎』と言う言葉を思い出した駿河は、がくりと項垂れた。親子のきな臭い会話を静かに見守っている男爵は、ダークサファイアの相貌以外は笑っている様に見える。
些細な違和感を感じさせるのは、ただの緊張だろうか。どう見ても駿河より若く見えるが、十年前に見掛けたのは遠景の一瞬だ。まじまじと見た訳ではなく、男爵の第一秘書を名乗った伯爵もまた、駿河よりずっと若く見えたが幾つか年上だった。ヨーロッパ人にとってアジア人は幼く見えると言うが、ステルシリーに俗世間の価値観は適応しないと考えるしかない。

「この話は一時保留としたい。受け入れて貰えるだろうか、男爵閣下」
「今日の所は、私を兄と慕ってくれる弟との再会を懐かしむだけで十分です。今後の話は、互いに緊張が解れてからでも遅くはないでしょう。せめてファーストネームで呼び合える仲になるまで」

世界の皇帝とは思えないフランクな台詞に、室内電話で母親へ連絡している息子を一瞥した駿河は襟を正した。

「ならばこの場では帝王院駿河の取引客ではなく、帝王院秀皇の友人、人生の兄として迎え入れたいと思う。二人共、それで良いかな?」
「やった!…っと、また興奮した」
「願ってもない」
「宿泊先は当家が責任を持とう。グレアム当主の身柄を市政に任せたのであれば、今回の来訪に政治的な意味があると邪推させかねない材料になってしまう。あくまでも」
「個人的なゲストとホストの関係で」
「我が家としては何日滞在して貰っても構わないが、上から接触したがる声が出るのは時間の問題だろう。日米が友好関係にあるからと言って、日本はグレアム家の正しい認識がない。交友関係が築ける価値の真価も、当然ながら理解していないだろう。失礼な真似に出て政府同士の対立になっては、私が負える責任の範疇を超えてしまう」
「父さんは考えすぎですよ」
「いや、駿河氏は正しい。お前には難しいか、ナイト」

要領が良く賢い所為で多少傲慢な所がある秀皇を、揶揄めいた笑みで諭したキング=グレアムは人としての器の大きさを感じさせる。世界中の有権者が求めるほどのものかどうかは駿河には判断出来なかったが、財閥当主としての対面を守り続ける必要性は、少なくとも今のこの状況では感じられなかった。向こうの言葉に従うとすれば、まずは気さくなコミュニケーションから始めよう、と言う事だ。

「余り意味を持たないとは思うが、友好の証にこの国での証を差し上げたい。自らの口で言うのもどうだと思うが、私の名は多少の力を持っていると自負している」
「天神が持つ権力は理解しています。だからこそナイトは、後継者を持たない私にとっても価値がある」
「…父親としては複雑な気持ちだが、最大の褒め言葉として受け取ろう。まずは食事からと言いたい所だが、滞在して貰う部屋に案内する所から始めようか。外で待たせているお連れの方にも」
「特別のご配慮、感謝します」
「いや、気楽にしてくれないか。私も肩の力を抜く事にしたんだ」
「そうですよ義兄さん、義兄さんは今日からうちで暮らすんですから、父さんは義兄さんの父さんみたいなもんです」
「「父さん?!」」

今すぐにでもゲストルームに案内すると言わんばかりにそわそわしている秀皇の台詞で、図らずも声が揃った天神と男爵は顔を見合わせた。

「その、あの子が言う様に、駿河でも父さんでも好きに呼んで貰って構わない、ぞ?」
「では、その様に。私の事も、」
「そこについては、任せて貰えると嬉しい」
「?」
「帝王院家に皇帝がやって来たとあらば、洒落を効かせる意味でも…まぁ、悪い様にはしない。夕食の前に、敷地内を案内させよう。秀皇、任されてくれるか」
「はい!有難うございます、学園長!」
「今日は本当に年相応に見えるな。いつもそのくらい可愛げを見せてくれても良いんだが…」
「行きましょう義兄さん。俺は生徒の代表なので個室を貰っているんですが、寮にも部屋があるのに3つも部屋があっては持て余すので、中央委員会の仕事がある時はスコーピオの自室を使っているんです。案内しますからついてきて下さい!」
「それじゃ、お言葉に甘えてお願いする。駿河学園長、此処で一度失礼を…」
「息子のテンションが気にはなるが、目に余る様だったら叱ってくれ」

違和感は些細なものだ。初めまして。たったその一言。
駿河には、ほんの一瞬ではあるが面識がある。直接的な会話こそしていないが、秘書の一人に名刺を渡したあの時、駿河が名刺を手渡したのはエテルバルド伯爵ではなかった。けれどどう言う経緯があったのか、男爵と数時間語り合った秀皇が眠ってしまった後、抱いて運んできた薄い茶髪の伯爵は、満面の笑みで駿河の名刺を見せつけてきたのだ。

『名刺を貰っておいて良かったのだよ。このホテルはセキュリティを配慮して部屋番号の記載がない。日本大使館職員にこれを見せると、此処まで案内してくれた』
『これは…息子が大変なご迷惑をお掛けしました』

そうだ。違和感。
駿河の名刺には振り仮名の表記はなかった。渡した後に気づいた失態だったが、とにかく名刺だけでも渡しておくべきだと必死だったのだろう。だから日本人でもまず読めない漢字表記で、外国人がすぐに理解する難易度の高さは、理解出来る。

『ノアの命は絶対だ。貴方が恐縮する必要はない。…所で、この名字は日本でも珍しいでしょう?』
『まぁ、それなりに』
『私では読めなかった。ご子息の名前を聞いていた陛下が、この名刺が親族だと教えて下さったお陰なのだよ』

神の忠実な従者はそれ以上は語らず、やって来た時と同じ様に静かに去っていった。
駿河は男爵をこの目で見た。向こうの視界にはあの瞬間、何百人が映っていたのだろう。駿河は夥しい数の秘書の一人に、辛うじて渡した一枚の名刺の効果に、期待などしていなかった。鳳凰が果たせなかった夜刀との約束は、駿河にとっては生前に出来なかった親孝行としての意味しかない。結局の所、ステルシリーの威光に群がる皆と駿河には、温度差があった。形振り構わず挨拶をしたいと言う気持ちは、皆無だったのだ。

けれど、駿河の名刺は男爵の目に止まったそうだ。
そうして彼の皇帝は帝王院秀皇と名乗ったのであろう5歳の少年をゲストとして持て成し、有能な秘書が読めなかった名刺を指差し、それを日本大使館の人間に見せろ・と。恐らく、その様な指示があった。


「…まさか、本人が単身同然で来日するとは」

認識していたのだ。
あの時、幾つもの国から何百人も訪れていた規模こそ大きくはないが決して小さい訳ではないパーティー会場の中で、ゲストの一人でしかない帝王院駿河を。全世界が注視する、あのキング=ノア=グレアムが。

「初めまして、か。確かに向こうにとってはそうだろうが、…いかんな。また秀皇にチクリと叱られそうだ」

違和感。あの瞬間気づいていれば、後の展開は変わっていたのだろうかと。
例えばせめてあの時、友人と呼ぶには年齢が離れていて、兄と呼ぶほど親しいとは言えなかった外科医に相談していたとすれば。全ては後の祭り。



キング=ノアを名乗る、優秀にして恐ろしく美しい男がやって来た、ほんの数年後。
実の父親も小馬鹿にする様な、少しばかり傲慢な所があった優秀な息子は、別れの言葉もなく居なくなってしまった。


「秀皇が居なくなった事で気落ちしていると聞いていたが、健勝で何よりだ」
「み、かど?」
「…そうだったな。そうだ、そなたから貰った我が名は帝王院帝都。それで良い」
「お、おま、お前は、秀皇の部屋から落…!」
「この通り怪我一つない」

砕けて割れ落ちたステンドグラス。
榛原大空が泣きながら狂った様に叫んだ声を、駿河は覚えている。ごめんなさいと喚き散らしながら、彼を殺したのは自分だと言った。秀皇が保護した、あの子と同じ名をつけられた黒い毛並みの犬が、ガラスの破片に塗れて死んでいた。絶望の夜、通り過ぎていく秋の終わりは真冬よりも冷え切っていた筈だ。

「弟とは時折兄が目障りになる事がある。単なる兄弟喧嘩だ」
「な、なに、何のつもりで…」
「秀皇は賢い少年だ。すぐに戻ってくるだろう。それまで私は、贖罪…いや、反省をしなければならない。何一つ案じる必要はない。全ては昨日と同じ今日として継続するだろう」

あれは幻だったのか。
それとも、新しい悪夢が始まったのだろうか。

「墓石を手配する事を許して欲しい。黒き騎士を埋葬する墓だ。私は彼…いや、彼女に詫びねばならない」
「…何が」
「声が掠れている。疲れているのだろう。少し休むと良い。そなたが守り続けた職務は、私が引き受けよう」
「………俺はもう、何が何だか…」

義父さん、と。呼ぶ時はいつも何処か照れ臭そうに呼んだ金髪の青年は、死んだ犬と同じ場所で見つかったそうだ。
地上三階。けれど時計台の裏側は山の斜面をそのままに急勾配になっていて、スコーピオの地下階が剥き出しになっている。裏側から見れば、秀皇の自室からだと実に4階以上の高さがある。幾ら天然芝に覆われていても、掠り傷一つないのは明らかに不自然だ。

「義母上が心配している」
「隆子は…そうだ、神威、あの子は…?」
「何も考えず、今は暫し安らかに休むが良い」

違和感。
例えばあの時、明神の誰かが傍らに居てくれたのであれば、などと。



「…穏やかな夢を、義父上」

どう足掻いても、己の無能さが露呈するだけ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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