帝王院高等学校
永遠に続く愛の種を植えましょう
ひつじ、ひつじ、黒羊。
あの子は牡羊座のブラックシープ。

毎日が夢うつつの出来事の様だった。
何処から何処までが現実なのだろうかと、絶え間なく問い掛けていたのに、答えはいつだって見つからない。

「…通りゃんせ、通りゃんせ、此処は何処の細道じゃ」

静かだ。一人きりになるといつだって世界には音がない。色もない。何もない。
網膜に映る他人は誰もが喜怒哀楽を表現していて、喜んでいる時も悲しみに暮れている時も生きているのだと主張しているけれど、鏡に写る自分は昨日も今日も同じ顔をしていた。明日もきっと、今日と何一つ変わらない筈だ。

「天神様の細道、」
『クラウンクロノスタシス・インスパイア、マスターリング保持者に報告』

ザァザァと音がする。水の音だ。近くからも遠くからも。
ひたひたと近づいてくる人の気配がした。人とは違う気配もする。

『元老院保有シャドウイング複数台が中央区キャノン=ティターニアに入城』

一つ残らず想定通りだ。筋書きから外れる事など、今まで一度も起こらなかった。今日は昨日の連続で、明日は今日の継続なのだ。


「俊」

ああ、何処で。
何処で羊が呼んでいる気がする。まるで真夏の蝉が死に逝く最後の瞬間の様に、微かな声で。でもそれは自分の声だった。

「ナインが行動を起こした様だ」
「そうらしいな」
「私の人格を移植した夜刀のアンドロイドへは教えてやらないのか?」
「機械はどう足掻いても人間にはなれない。人形が心臓を手に入れた所で、体内に巡っているのは血液とは似ても似つかないものだ」
「そう、私もお前の脳内で再生された記憶の残滓に過ぎない。この星の何処にも、リヴァイ=グレアムは存在しないのだから」

羊。

「だが遠野夜人の再生には成功した」
「脳だけ、だろう?あの子の心臓は引き離されて、イブの体内に宿っている」
「脳が死ななければ人格は消滅しない事が証明された。人形に心臓は必要ない」
「物騒な独り言だ。お前は心臓を持つ人形。けれどお前個人の人格は、夥しい数の人格によって抹消されてしまった。可哀想に」
「皮肉なら俺には無用の長物だ。この学園でほんの一時の青春時代を謳歌した遠野俊と言うポーンは、プロモーションの果てに消えた。己の弱さに絶望し、俺に帰依しただけだ」
「君は神様になるのか?」
「俺は馬」

真っ白な羊。

「馬はお前じゃない。私が与えたナイトは馬ではなく夜を示し、ハーヴェストが与えたナイトもまた、夜人と同じ艷やかな黒髪を持つ快活な子供への祝福だった筈だ」
「ナイトの銘は呪われている。ナイト=メアはその手でノアの命を奪った」
「幾らお前だろうと、私の夜人を謗る事は許さない。あの子はお前に怒っているだろう」
「永遠に続く死の向こう側で、目覚めを与えたのは俺」
「どうして私の脳は生き返らなかった?」
「誰かが殺したんだ」
「誰か?」

あの子は綺麗な純白の羊。
誰があの子を穢したのだろう。

「レイナード=アシュレイが土葬された墓を暴く以前に、つまりはレヴィ=ノア=グレアムが息を引き取るまで看取った誰かが、お前の頭蓋骨を割った」
「ふふ。面白い事をする人間が存在するものだ。そうであれば、我が孫も私を再生する事は出来ないだろう」
「神は慈悲を安売りしない。お前が神の塔に何を望もうと、あれは天神の器だ。地に巣食う蟲の生は相応しくない」
「天神、か。オリオンが崇拝していた帝王院俊秀ならば知っている。彼にも会ってみたかったが、逃げられた」
「未来を見通す大宮司に、お前如きが会えると思っていたのか?」
「やはりお前は夜人には似ていない。遠野に巣食う蟲は、そうか、お前の事だ」
「今更気づいたのか」
「帝王院でありながら名乗る権利を持たず、ナイトの子でありながら統率符を持たない。そのどちらも与えられているルークに並ぶ為にお前は、CHAθSの鍵を隠した。あそこには真実が保管されている」
「…」

世界か?
宿命か?
それこそが神の脚本だと?

「ルーク=フェイン=ノア=グレアムの未だ解析されていないDNAの秘密を紐解く為の、最後のピースが」
「子守唄を見つけなければ始まらない。まだ、幕は上がり始めたばかりだ」
「ベルセウスの鍵は私も知らない。あれが脈動を始めたのは、ナインの時代だ」
「キング=ノアの鍵はノヴァと共に消滅した。マスターキーはルークのプラチナカードだろう」

笑わせるな。
誰が何を決めようが意味はない。
守ると誓ったのだ。
己の人格を失おうが、命を捨てようが構う事はない。

「人に殺されたキリストは、神の祝福を経て蘇るだろう。マリアの子は正真正銘の神になり得るのか?」
「俺の脳で飼われているだけの複製人格が、良く喋る」
「ベルセウスの起動コード、エンジンの脈動を呼び覚ます呪文は知っているのか?あれを私はビブラートパルスと名付けた」
「俺に判らない事はない。その銘を持つ者の望みは常に、同じ業を負う」
「自分と同じ血族の血を以て試したのか。酷い男だ」
「あれにはグレアムの血も流れている。どんな呪いが降り掛かろうとも、傍らに森羅万象を掌握する陰陽が存在する限り問題はない」
「ファーストの血を与えられた、罪深き紅鏡の眷属。光響、…ふふ。成程。王響が恋い焦がれる訳だ」
「俺が方舟を見つけ次第、あの子は歌うだろう。蓄積された友の呪いを払拭する為に。あの子は既に本能で悟っている」
「呪われたいのか、開放されたいのか。お前は何がしたいのか」
「つまりは俺が諸悪の根源だとあの聡明な頭で回答を弾き出し、俺が失った歌を代わりに歌ってくれるんだ。確定したシナリオは撤回する事が出来ない。俺は祝福のレクイエムの最中で歌うだろう」

軋む運命の羅針盤の上で、
悲鳴に似た不協和音で断末魔の叫びを撒き散らそうが、



「Killing me(俺を殺せ)、と。」

愛を歌う蝉を止められる者など、何処にも。
















「Hey、ミスターダイチ」
「何だねミスターぱっち」

ずぶ濡れの三人組が自動販売機の前で打ちひしがれている。

「ハウアーユー」
「アイムファインファッキュー」
「お前ら何で英語なの?」

三人共財布を握っていたが、リブラ領域の自動販売機で小銭が使えるのは屋内だけだ。建物の中に入れない一般客の彼らはカードリーダーしかついていない自動販売機に敗北し、表情を失っていた。

「此処は一体全体何処なの?」
「名探偵☆三軒屋大智が推理するに、ヨーロピアンだよ。コストコで買ったコーヒー豆のパッケージにこれっぽい城が載ってただろ」
「ほっほう、お母さんのお肌みたいな色のコーヒー豆の事か」
「俺はそこまで言ってない。今の発言は命の危機を迎えるぞ、気をつけなさい」
「次から気をつけます。念の為聞いておきたいんだが、ヨーロピアンって何処なの」
「ヨーロッパはヨーロッパに決まってるだろ。全く、ぱっちは商業高校で何の勉強をしてるんだね」
「主に簿記とエクセル。英語検定三級落ちた事は実家の養母ちゃんには話したけど、チンコがデカい方のお母様には言ってない」
「地理を蔑ろにすると立派な犬になれませんよ。今度また無人島に行った時に、去年と同じく迷子になったらどうするんです」
「スマホがあれば大丈夫なんじゃないの?」
「お前ガラケーじゃん」
「違いますぅ、プリペイドですぅ。今月は金なくてチャージしてないから受信専用機だけど」
「俺はバイク買いたかったから携帯解約したけど、給料入ったらスマホ買うし。そんで総長の新しいメアド登録するし」

Fクラス生徒が生活しているリブラ西棟周辺に人影はなく、スマホを持っているのは三人組の中で一人だけ。それも日本離れした敷地にテンションが上がって撮影三昧に更けた因果か、電池残量3%と言う世知辛さが、開始直後の消費税を思い出させた。

「バイト増やしてもすぐに金が入る訳じゃないんだよなぁ」
「それな。総長が居なくなって集会にも来る奴も減って、マミーは荒ぶってヤクザ顔負けの猛獣感漂わせてるし、ガチで脱退考えかけてたもん。そりゃ携帯解約しちゃうでしょ?」
「店にABSOLUTELY幹部が来た頃からカルマの平穏は消え去ったよね」
「ABSOLUTELYなんて死ねば良いのに」
「でも最近の総長は山田に夢中なんだろ?」
「何だよあんなデコパッチ、何が良いんだよ」
「ぱっち…!そうだよ、同じ山なら山田より山崎のぱっちでしょ!カルマと言えば山田よりザキヤマ」
「よせやい、ザキ界隈のヒーローっつったらママだもの」
「「あれは寧ろジャギ様」」
「副長の名前を言ってみろ」
「嵯峨崎」
「佑壱」
「初代副長の名前を言ってみろ」
「錦織」
「金目」
「「お前が勇者か!」」

喉は渇き果て、お腹が空きすぎてテンションが可笑しい彼らはフラフラと歩き始めた。大自然を感じさせる山奥にぽっかりと開いた土地で、予算の多すぎる映画のセットの様な異様な世界観は、図太いカルマの不良ですら萎縮してしまう様だ。
錦織要の良いとこ3つ言ってみようゲームで「顔」と「ピアノ」以外に上がらなかった彼らの会話はすぐに終了し、五分ほど寮敷地を練り歩いた所で壁面に貼られた派手なポスターを見かけた彼らは、眉を吊り上げたのだ。

「誰だカルマのポスターに落書きなんかしやがったのは?!」
「なになに、シーザーになりたいだと?!無理に決まってんだろ、死ね!いや殺す!」
「俺だってなりたいわ馬鹿野郎!」
「なになに、カルマぶっ殺すだと?!上等だ、掛かってこいやお坊ちゃんがよぉ!」
「何がミカドインだ!言い難いんじゃボケぇ!」
「ケンゴさんの顔の上に『顔だけアイドル級モンスター』って書いてある」
「「これ書いた奴は見る目あんな…」」
「流石と言うか何と言うか、我らが副総長の顔に画鋲刺されてんだけど、これに関しては怒る気がしねぇ」
「タンスの角で頭打って死ねって書いてね?」
「シロップ以外の全員が写ってるポスターで、ここまでズタボロにされるユウさんの人気者感」
「強さの分だけ買うんだよ、恨みってのは」
「つーか、何でこの辺だけカルマのポスターめっちゃ貼られてんの?景観の損ない方が異常なんですけど…」

Fクラスを知らない彼らは背筋に冷たいものを感じ、いそいそとその場を離れた。やや離れた所に手すりの様なものを見つけたが、何処まで続いているか判らない上に、柵の向こう側には水面が遠い水路がある。幅もかなりなもので、飛び越えるのも下へ降りるのも不可能だろう。

「あっちに行けば、さっきの屋台通りに出られるかも」
「マサフミがやらかしたばっかだろ。これ以上悪目立ちしたらバレるぞ、顔に画鋲刺されてた犬王から」
「カルマ以外には容赦ねぇからな、俺らの副総長はよ。つってもカルマにも容赦ねぇんだけど」
「どうすんだよ。俺のスマホも腹も非常事態宣言中なんだぞ」
「恥を忍んで大声で助けを叫ぶ、とか?」
「テンションイカれて騒いでる一般客の振りしろよ」
「ほう。では誰を呼ぶ?」
「一番呼び易いのはトーマかな?」
「二人揃って遭難確定だな」
「名探偵☆三軒屋大智が推理するに、もっとちゃんとした人間を呼ばないと後悔するぞ」
「探偵さん、トーマに人権はないんすか?」
「人権は人間にのみ与えられるものです」
「流石のぱっちも、マサフミとユキオは呼ぶだけ無駄ってのは、理解してる様だけど?大穴狙いでユーヤさんは?」
「「来る訳ねーだろ」」
「ですよねー」
「実は俺、必殺の呪文を編み出してる」
「ぱっち、君も人が悪い。我々は今正にヨーロピアンブレンド香る男子校で迷子になっているんだよ?」
「母ちゃんに見つかったら殴られるだろうけど、こんな時には縋りたくなってしまうよね」
「あの上腕二頭筋に包まれて死ぬなら本望…とは、流石に言えねぇわ。ミンチ死が目に見えてる。そんな惨たらしい死因はいやん」
「で、どんな呪文?」
「『こんな所に美味しそうな明太子があるっすよ、お父さーーーーーん』」
「「ギャハハ」」

スコーンと三人組の頭にスニーカーがヒットした。
くるっと振り返った彼らは「何だコラ!」と叫びかけて、仁王立ちしているドレッドヘアと雨に打たれても逆だっているモヒカンヘアを見つけたのだ。

「何騒いでんだお前ら、恥ずかしいでしょうが!」
「…おい、何で俺の靴両方とも脱がしたんだリョータ。お前が両方脱げば良いだろうが」
「ユキオが脱がなかったんだからしゃーねーだろ?俺だって片っぽ脱いでんだぞ」
「お前ら、チビハゲ…ごほ、宮原先輩が困ってるだろ。年上を困らせんなよ、カルマの恥晒しが」
「もうほんと何でこんな最低DV野郎がモテるのか意味判んね。言ってやれよマチャフミ、女は泣かすもんじゃない、喘がすもんだって」
「セフレからも着拒されるリョータ君はマサフミ君に抱かれて泣かされとけば?」
「んだとぉ?!やんのかテメェ!良ぉし上等だぁ、行ってやれマチャフミ!」

びしょ濡れのスニーカーを拾って履き直していたドレッドヘアの前で、パンツまでびしょ濡れの三人組は目を見合わせると、傘を差している長身の隣で、帝王院学園の制服を着た小柄な生徒を見遣った。

「ねぇ、剃りたてのスキンヘッドが自棄に凛々しいそこのボク」
「ちょっと変な事を聞きたいんだけどさ」
「自動販売機の使い方って、知ってる?」

叩きつける雨音だけが、自棄に響いた。



















「小さな怒りなんだ。時間が経つと消えたり、強く燃え上がったりする事もある」

世界各地を拠点にしているステルシリーで、中央区本部直属の部署はそれほど多くはない。
判り易い所で言えば主に発展途上国を巡り、資本の種や人材を発掘している対外実働部だろう。初代レヴィ=グレアムの時代から、ルークに継承されるまで円卓の頂点に有り続けたライオネル=レイが認めた唯一の後継者は、レイだった。

「可哀想と、言いましたね」
「うん。世界の何からも助けて貰えなかった子供は、可哀想でしょう?」
「そう感じた貴方は、」
「僕は何もしないよ。僕には何の力もないんだ。帰る家も、名前もない。貴方にはどっちもあるよね、エリザベート=セシル=ヴィーゼンバーグ公爵閣下」

然し対外実働部ランクB時代、反逆罪によるアビス投獄を免れた代わりにアビスの烙印を押された彼は、国内立入禁止を命じられた数年後に『エデンの冒涜』と呼ばれる大事件を起こし、クライストの烙印も追加されている。

「…恨まれているのは承知しています」
「僕は恨んだりしてないよ。ただちょっと、羨ましいだけ」
「…」
「おばあちゃんは何もしないの?」
「今の私に何が出来ますか」
「今のステルスは火種を燃え上がらせているんだよ。そしてそれこそ、ノアが消えるサインなんだ」

嵯峨崎嶺一と共に駆け落ちを企んだクリスティーナが極秘出産しており、その衝撃の事実は物資を配給していた区画保全部の知る所となる。臨時集会が開かれ円卓で話し合われた際、中央区に居る筈のない嶺一本人が自身の子供である事を認めた為、ライオネル=レイの責任を問われるまでに至った。
然し、証言台に立った嶺一がクリスティーナを妊娠させるに至った経緯を頑なに喋らなかった事から、禁忌の子供エアフィールドは観察処分になっている。当時90歳を超えていた初代特別機動部技術班長コード:テレジアが、ノアに寛大な処分を求めた事も資料に残っていた。円卓内のトラブル以外には口を出さない筈の元老院でも意見が分かれた様だが、最終的にキング=ノア=グレアムは妹同然のクリスティーナと嶺一に恩赦を下している。

「千と万と嘘を重ねていても、欲しいものを欲しいと言えるヴァーゴであれば良い。けれどあの子は違う。私達がロンドンで顔を合わせる事も余りありません」
「ずっと同じ家で暮らしてたのにねぇ。二葉は従わせられないよ?うちの家は全員そう。皇にしか従わない」

けれど円卓の枢機卿らから、それでは余りにも寛大過ぎるとの意見が出た。先のルークの件で中央区は大問題を抱えたばかりだ。この期に及んでエアフィールドの存在を許してしまえば、ノアのシンフォニア兄妹は揃って謀反を起こした事になる。
最早嶺一を国外追放だけで片づける訳にはいかないと、円卓の総意で、嵯峨崎嶺一の身柄は特別機動部サブマスターの名目でライオネル=レイの支配下に収められた。嶺一の監察役になる事が、一位枢機卿であるライオネル=レイの責任に対する処分相当だと思われる。

「私の顔なんて見たくもないでしょう」
「だったらイギリスには行かなかったんじゃない?」
「可哀想な目に遭ったあの子が戻ってきた日を覚えています。自分がアレクサンドリアの代わりになると、子供とは思えない目で言いました」

然しそれで一応は収まった筈の問題は、エアフィールド誕生の年の冬に様相が変わった。キング=ノア自らの手による『ロードの殺処分』によって、新たな火種が巻き起こったのだ。
正統な手順で統率符を与えられた帝王院秀皇ことナイト=グレアムは姿を消し、日本国籍上は彼の息子として認知されているルークが中央区にやって来る事になった。ノアの代理としてナイトの成長を見守る役目だったロードは、アビス投獄ではなく自らの命で罪を購っている。ならばクリスティーナだけを不問とする訳には行かない。

「私は予感していました。いつか我が家は、あの子の群れと化すでしょう。王室から警戒されているヴァーゴとは違い、アランバートの様に無視される事もなく、まるでいつかのマチルダの様に」
「…お父さんみたいに、って?」
「自分の意思を誰にも悟らせず、我慢と引き換えに押しつけられる」

拗れた円卓と、ノアが自ら手を汚した事で腰を上げた元老院の臨時議会が開かれる。
三歳の誕生日を控えていたルークをナイトの代わりとして養育するべきだと言う派閥と、シンフォニアの反逆で生まれた子供を認める訳にはいかないと言う派閥と、ルークを認めるのであればエアフィールドも認めざるえないと言う派閥、実に様々な意見が交わされた。
最終的に議論は平行線のまま、シンフォニアプロジェクトの全権を許されていた特別機動部サブマスター、シリウスの責任問題に発展している。当時中央区詰めだった彼は自ら責任を取る事を申し出た為、特別機動部長ネルヴァは無期限の謹慎処分を下した。

「穢らわしい我が家の名と共に、国に忠誠を誓わなければならない公爵の呪縛を」

己の部署の部下とは言え、ランクAであるシリウスを容赦なく手放したネルヴァの決断に異を唱えられる者はなく、一度意見が割れた事でそれぞれの派閥が睨み合ったまま話し合いは終了する。
それから間もなくコード:テレジアの死去の報告が中央区に届くと、エアフィールドを推す派閥がルークの対抗馬として禁忌の子供の中央区入りを希望した。時同じくして教育係をつけられたルークはその才能を広く認められ、ノアの下で暮らす事を許されるまでに至る。
1歳差のロードとクリスティーナの罪の証はそれぞれ頭角を現していったが、2年が過ぎる頃には、初代レヴィ=グレアム生き写しに成長したルークを軽視する者は少なくなった。ルークはそのままコード登録され、5歳でランクを与えられている。その頃に何処からともなく現れた黒髪の子供をネイキッドと名付け、9歳で爵位を継承するまで天才の名を謳われる以上に、円卓からも元老院からも恐れられていた。

「二葉には押しつけられるんだ」
「ロンドンの言いなりになる様な子ではありません。王族は期待に取り憑かれている様ですが、ヴァーゴが爵位を継承すれば…ユニオンジャックはステルシリーに吸収されます」
「ふふ。そうさせたいみたい」
「そうですよ。ヴァーゴの得にならない事をしない性格は知っていますが、もう少しやる気を出して欲しいものです。しっちゃか?めっちゃか?…に、すれば良いのに」
「上手上手、おばあちゃん僕より全然日本人っぽい」
「褒めても何も出ませんよ」

そんなルークが任命した現ランクAの一人、欧州情報部長コード:ベルフェゴールだけが正体不明だ。過去に本人が中央区の円卓会議に出席した事もあるが、ノアと同じ様に仮面を被っていた。当時の映像を確認すると年齢も性別も不明、子供の様な体躯だった事だけが判る。三年前の話だ。

「僕の想像だけど、イギリスを再起不能にしたいだけだったら、二葉より日向の方が上手にやるかもねぇ…」
「貴方はそう思いますか?」
「おばあちゃんが可哀想だって思ってるのはさ、小さい頃の日向でしょ?やっと乳離れしたくらいの小さな赤ちゃんの事。でも僕の考えは違うなぁ。帝王院に飼われてる空蝉も忍者を語ってるけど、日向には本物の忍者の血が流れてるんだ」
「ニンジャ?」

以降は音声のみで会議に出席している為、誰も違和感は感じていないらしい。一度として会議の場に現れない組織内調査部に比べれば、それなりに面識があると言った所だろう。各部署の関係性が希薄である事も原因かも知れない。それとも、絶対的な存在であるルーク=フェイン=ノア=グレアムの決定に逆らう者が存在しないだけか。

「そうだよ。宰庄司秀之…秀幸だっけ?が結婚したのは、神坂日輪って男の娘だった。伊賀忍の子孫で、最後の頭首の曾孫だよ」
「こうさかひのわ…アレクサンドリアと高坂?」
「ふふ、漢字がちょっと違うかな。戦後改名するまでは神様の坂って書いてコウサカだったんだ。元々は大店の娘と結婚して家業を継いだんだけど、婿を取った長女に譲って、50歳くらいで隠居してる。次女が東雲が管理してる神社で巫女をしてて、末の娘と宰庄司の当主が結婚したんだ」
「帝王院は複雑な家柄だと聞いてはいますが、今の話は帝王院に関係があるんですか?」
「宰庄司秀幸は俊秀って人の、腹違いの弟なんだよ。俊秀は学園長のお祖父さんで、僕のナイトは俊秀の玄孫なんだ。格好良いんだよナイト。優しくて怖くて甘やかしてくれて、僕を繋いでくれる」
「繋いでくれる?」
「放っておくと僕すぐに死んじゃうから、死ぬなら俺の為に死ねって言ってくれた。僕はいつだってナイトの子供が産みたいのに、ナイトはモテるんだ。カルマだから不細工な女共に言い寄られて、鼻の下を伸ばしてるんだよ。酷い男でしょう?」

真顔で忙しなく瞬いているセシルに微笑みかけた貴葉は、然しの端に違和感を感じてセシルから目を離したが、雨足が強まった視界に人の気配はほぼない。辛うじて暖簾を上げている出店が幾つか残ってはいたが、並木道を歩いている酔狂な客は自分達だけだ。

「だから叶らしく榛原様にお仕えしようとしたのに。アキちゃんは二葉にしか興味がなくて、僕の事を飼ってくれそうになかった」
「…」
「僕ね、二葉を守らなきゃって思ったんだよ。二葉にはおばあちゃんが認めるくらいの権力があるんだから、アキちゃんに従う理由なんかないんだもん。二葉にはステルシリーの部下も、風紀委員の仲間も、ABSOLUTELYの仲間だって居るんだから、アキちゃんがしゃしゃっちゃ駄目だよ。宵の宮には誰も逆らえないんだ。例え二葉が、宵の宮って呼ばれてたって」
「家に帰りたいのですか?」
「…女は駄目なんだって」
「古い時代の言葉でしょう。イングランドでは古くから女性の方が上の立場ですよ」
「でも、お母さんが言ってたんだ。お父さんが龍神を継いでくれなかったら、お祖父ちゃんが死んだ時に分家の反乱が起きてたって」
「マチルダは貴方達を守った?」
「お父さんはマチルダって呼ぶと怒ったでしょう?」
「アレクセイは犬の名前です。我が子をそんな名で呼ぶ母親が居ますか?」
「うふふ、なぁんだ。マチルダは愛情表現なんだ。馬鹿だねぇ、お父さん。そんな大事な事を知らないまんま死んじゃったんだ」
「…誰にも言いませんか?」
「僕が誰に告げ口するって言うの?十歳で死んじゃった事になってるのに、友達が居そうに見える?」
「まぁ。私にも友人は居ませんから、お揃いですね」

自虐的な台詞で見つめ合った二人は、くすくすと肩を震わせる。

「公爵様のお友達は女王様とお姫様達でしょ?」
「サジ…ベルハーツの言葉を借りれば、あれはただのビッチです」
「ビッチなんて言葉知ってたの?」
「勿論です。アランバートがゴシップ誌を賑わせる度に、変に気を回した者達が私の元へ来ます」
「おじいちゃん、プレイボーイだもんねぇ。チャンスとばかりに寄ってきて慰めたがる奴が居る訳だ?」
「私が女だからか、男達のそれは心底軽蔑するほど酷い」
「おばあちゃんの愛人になったら、イギリスを牛耳ったも同然だからねぇ。おばあちゃんの愛人は何人居るの?因みに僕は、ナイトと太郎とアキちゃんの順で食べたいなぁ、って、思ってるけど」

無邪気な微笑みを浮かべて宣った孫に首を傾げた公爵は、真顔で『それは美味しいのですか?』と言う。サファイアの瞳でぱちぱちと瞬いた孫は、雨避けのフードを被ったまま意味もなく足元に目を落とす。

「…あっれー?もしかしておばあちゃんって、ピュア公爵?」
「ヴァージニア、ピュア公爵とは何ですか?」
「今まで彼氏居なかったの?」
「また馬鹿にして。私にだって彼氏くらい居ます」
「誰?」
「アランバートです」
「それ彼氏じゃなくて旦那。彼氏って言うのはデートしたりキスしたりする相手の事だよ?」
「アランバートとは結婚式でキスをしましたし、新婚旅行でベルギーとスペインに行きました。まぁ、公務みたいなものでしたが…」

何処か恥ずかしげに俯いた人の言葉で、週三回は男のエキスを搾り取っているビッチは沈黙した。

「エッチは?」
「妊娠したら困ります。私の身に流れるヴィーゼンバーグの血は呪われているので、母から性交を禁じられました」
「うん、判った。おじいちゃんが可哀想」
「どう言う意味ですか?アランバートの何処が可哀想なんですか?」
「エリザベート=マチルダ=ヴィーゼンバーグは何人も産んでるじゃない。おばあちゃんも同じかも知れないでしょ?」
「…そんな事は、考えた事もありませんでした」
「おじいちゃんの病気、オリオンに治して貰おうよ。死んじゃったら二度と会えないんだよ」
「…」
「それに、おばあちゃんが処女のまま死んじゃったらそれはそれで可哀想だし」
「ヴァージニア?!」
「おじいちゃんって、まだ勃起するのかな?」
「ヴァ、ヴァージニア?!」

英国の女帝と謳われる公爵が90年以上の人生で最も大きな声を出したのは、正にこの瞬間だった。

←いやん(*)(#)ばかん→
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