帝王院高等学校
勇者が討伐されたって本当ですか?!
柔らかい肉を貫く痛み。
こちらを真っ直ぐを映した、麗しい色違いの瞳が見開かれる光景を見ていた。

(ああ)
(やっと)
(目が覚めた)

ごらん。
滴るこれは、赤いだろう?


「救いを願うのであれば選べ」


(ああ)
(やっと)
(真実を全て、思い出した)

ああ、…愛しい人よ。
たった今、貴方は荊の牢獄へ堕とされたのだ。

(可哀想な子)
(貴方は唯一の生贄)
(悪魔へ捧げられる白羊)


「天を見上げ縋る様に願うか、神の偶像の前で跪き乞う様に願うか」


あの月が満ちる前の十三夜。
叩きつける雨の大地に光はなかった。

(嘘だらけの世界で)
(鮮やかな色に満たされた世界を生きてきた)
(灰色の世界の寂しさを忘れる事が)
(唯一の慈悲だったのだと)
(そう、信じていたからだ)


「祈るのであれば眠り続けろ」


おいで。
おいで。
脆い獣の姿を捨てて、浅ましい人の姿を選んだ貴方。
もういいかい。
もういいよ。
狂った羅針盤は、何処に隠れてもずっと、変わらず貴方だけを指している。







「孵化しなければ、死ぬ事はない」






(まるで刺すように)


















「俺は助けてって言ったんだ」
「ああ」
「あの子は助かったんだよね」
「ああ」
「だったらどうして、俺はあの子の事を覚えているんだろう。どうしてお前さんは記憶を奪わなかった?」
「俺に失敗はない」
「知ってるよ。きっとあの子は、帝王院とは関係ない誰かが助けたんだ。だったらあの日、お前さんは誰も助けなかった?」
「いや」
「誰を助けたんだい?」
「知る必要はない。どうせ忘れる」
「俺があの子を見つけられなかったから」
「そうだ。契約通り、此処での記憶は残らない」
「折角、英語覚えたのに」
「そうだな」
「どうして記憶を奪うの?天神は酷い神様だから?」
「それは違う。神は見返りを求めない」
「お前さんは何?」
「鬼だ」
「あ、そっか。そうだったね」
「灰原太陽」
「うん」
「お前の羽根を剥奪する」
「うん」
「真実は凍結され、虚言に塗り固められる」
「全ては虚無の底」
「お前の楔を解き放つ為には、符を集めなければならない。器、魂、業。それぞれは独立し、それぞれは一つだ」
「…なぞなぞみたいだね」
「灰原を救った十口の業は放たれた。帝王院大空の嫡子を救った叶を淘汰する権利は、蝉にはない」
「良かった」
「けれど、蝉でも犬でもない草を生かせとお前は願った」
「そうだよ」
「枝から落ちた葉は腐敗し、跡形もなく消えるが宿命」
「自然の摂理に逆らったんだ。後悔はないよ。結果的に願いは叶った」
「弱い蝉は必要ない」
「お前さんは強いだろ。俺が弱くたって、困らない癖に」
「そうだな」
「それなのに、どうして強さを押しつけるんだい?」
「天神の威光を穢さない為に」
「お前さんの?」
「いや」
「あはは。判った、別の神様が生まれたんだね」
「俺は神にはなれなかった」
「?」
「それは、俺には与えられなかった名前だ」
「…そうなんだ」
「蝉は天神以外の命を願ってはならない」
「うん」
「お前は罪を犯した。そして、お前と同じ願いを口にしたもう一人の蝉も」
「もう一人…?」
「お前達の羽根を剥奪し、地に縛る」
「お前さんは一体、誰の願いを叶えたの?」
「光を見間違えた、愚かな龍の願いだ」
「…龍」
「陽の系譜。光の名を持つ者は三人。空の系譜。翼を持つ者は三人。緋の系譜。血に業を負う者は、その中の三人」
「…」
「お前に空の系譜を集める事は出来ない」
「絶対思い出せないって事じゃん」
「けれどもしお前が、天を見つけ出す事が出来たその時は」
「その時、は?」
「遥か高い神々の広野から、祝福の旋律が与えられるだろう。…せめてもの慈悲だ。俺が失った歌を探せ」
「探してどうすればいい?どうせ忘れるんだから、教えておくれよ」
「…そうだな。例えば、」
「例えば?」











「一発、殴られてみろ」














通りゃんせ、
 通りゃんせ。


「天守が狂ってしまったらしい」
「あれほど人間嫌いだった男が妻を娶ったらしい」
「獣を家族と言い切ったあの陰陽師は」
「千と万の言と呪を操った狼の息子は」
「唯一の友だった安倍晴明の姿が、もう視えないそうだ」

「清明は死んだ」
「都を守って死んだ」
「帝はお隠れになられた」
「都を捨てたまま戻ってこない」
「天守は壊れた」
「御仏から与えられた力を失って、もう謳う事は出来ない」

「狐の子は」
「狼の子は」
「いつか蝉の様に謳った」
「帝の為にその命を捧げた」

「陰陽師は死んだ」
「天を支える陰陽は滅びた」
「女狐の息子は一本の桜に」
「金狼の息子はただの人に成り下がった」

「桜は軈て枯れるだろう」
「人は軈て老いるだろう」

「今年の富士は涙雪が降り続いた」
「永遠の如き凍土の上にも日が昇る」
「最早この国に王はいない」
「王を護る獣も居ない」

「けれどどうだ」
「あれほど人々を惑わした魑魅魍魎の姿も消えている」
「八百万の神々をも悩ませた悪しき気配が消えている」
「帝はお隠れになられた」
「天孫は常世の女王に呼ばれてしまったのだ」
「黄泉比良坂を下った雄は二度と戻らない」
「この国は魑魅魍魎に支配されるが宿命を負っていた筈だ」

「人々の為に戦った陰陽師は居ない」
「人々が神の使いと恐れた獣達の姿もない」
「ならば魑魅魍魎が蔓延る筈だ」
「この国の終焉が始まる筈だ」
「陰陽師達が歌う祝詞を失った静寂の日出国」


「富士が火を噴いたそうだ」
「降り積もった凍土を一瞬で焼き尽くした富士の灰が降り注いだそうだ」


「東を見るが良い。悍ましい炎が、大地の上で翼を広げている」
「最早慈悲深い太陽は昇らない」
「時の流れが狂ってしまった」
「世界は正しい形を失った」

「西を見るが良い。輝けない光が、夜空に繋がれたまま静かに漂っている」
「あれは奈落で羽根を休めていた『歯車』の姿だ」
「あれは時空の番人でありながら罪を犯した『道標』の姿だ」
「帆を持たぬ世界は、ひたすら真っ直ぐ流されていく」

「龍の如く空を泳ぎ続けた『歯車』は、死んでいく命を見送り続ける事に疲弊し空を捨てた」
「自分が泳がなければ、終わりへ向かい続ける時が巡らない事に気づいたからだ」

「歯車を導く役目を負った『道標』は、大地ばかり眺めている歯車の目を塞ぐ為に罪を犯した」
「無垢な人の子に知恵の実を与える事が大罪だと知っていて尚、嫉妬の炎を消せなかったからだ」

「絶望した筈の歯車が紅蓮の翼を広げたそうだ」
「大罪を犯し夜の世界に追放されたままだった道標が目を覚ましたそうだ」
「空を捨てた龍は二度と飛べない。ただただ犬の様に吠え続けるだけだ」
「夜に繋がれた光は二度と輝けない。あれは嫉妬に狂い燃え尽きた、星の残骸だ」


此処は何処の細道じゃ。
 天神様の細道じゃ。


「犬が吠えている」
「月はそれを見ている」
「魑魅魍魎は逃げていく」
「八百万の神々よりも永く存在する始まりの光に怯えている」


「清明の木が枯れたそうだ」
「天元の命が尽きたそうだ」

「けれど天元の血は続いていった」
「天を支える陽の系譜は生き存えた」

「ほら、東屋の犬が呼んでいるぞ」
「狂った天元の系譜を呼んでいる」
「お前からは虚無の匂いがするそうだ」
「お前が失った力は何処へ消えてしまった?」

「飛べない龍が呼んでいる」
「二度と輝けない月はそれを眺めている」
「もしも彼らが再び出逢えたとすれば」
「決して届かない筈の太陽と月が重なり合ったとしたら」

「今度こそ、虚無の扉が開くだろう」
「今度こそ、天孫の魂すら呑み込んだ真実の混沌が現世に降り立つだろう」

「混沌には色がない」
「混沌には夥しい数の星が煌めいている」
「神でもなければ人でもない虚無が嗤うその時」
「歯車と道標は、再び虚無に繋がれるのだろう」

「この世のあらゆる物を呑み込んだ虚無は望んでいる」

「空虚な時限を漂いながら待っている」
「白日へ戻る瞬間を待っている」
「生きる事も死ぬ事も許されない己が」
「命を欲しがった刹那から」


「死ぬ事を願い続けている」


ちっと通して、



「あれは妖怪さえ怯える、無限が生んだ有限の歪みそのものだ」








もういいかい?

(…まだだ)
(声が聞こえる筈なんだ)
(幼子の声)

もういいかい?

(静かな夜)
(星も月も眠る地球の何処かで)
(今度こそ、終わらせようとするだろう)

もういいかい?

(生み出す事しか出来ない己の業を)
(抜け殻として置き去りにしたお前は)
(笑いながら泣いている)
(泣きながら笑っている)
(命が奏でる幸福に近づきたがる)
(終焉に待つのは絶望だと知っている癖に)


(終わらせる事が出来ない癖に)
(終わってしまう命を生み出す事をやめられないお前は)




(今の己が矛盾している事を、…理解しているのか?)










「世界は崩壊した」「眩い光に呑まれた」
「虚無の番人は人に擬態したらしい」「己が作り出した時の流れをたゆたっている」
「天孫は虚無に喰われ」「陽の系譜は陰り」
「「妖は息絶えた」」

「誰が帝を唆したのか」「神の領域への道を示したのか」
「雪深い山道を裸足で歩いた道化師は」「二度と目覚めない黒猫の骸を決して離さなかったらしい」
「己の体が凍りつこうとも」「魂だけを燃やし続け、王は願った」

「それは真実か?」「王の器は空っぽだ」
「だって彼は時限の果てに繋がれた」「生きる事に疲れたからだ」


「「知恵の実を食らう罪深さを私は知った」」
「人の感情は猛毒だ」「愛は容易く理性を奪う」
「この子は人になりたいと言った」「これほど浅ましく愚かな、人間に」

「浅ましい私が願ったからだ」「悍ましい欲望が滲み出ていたからだ」
「あの子は愛を恐れ、逃げた」「人と猫は同じ時間を生きられない事を」



「「ずっとずっと、恐れていたからだ」」










「「この健気な猫が愛したあの子の体を、…俺は悪びれもせず奪ってしまった・と」」




















柱時計が大きな音を放つ。
正午の窓辺は薄暗い。雨粒こそ落ちてこないだけで、ロンドンの週間天気は曇天を告げていた。

「数学、英語、オール満点。そろそろ大学に進む気は?」
「冗談だろう。俺様にンな暇はねぇ」

久し振りの日本語は、普段使わない舌の筋肉を動かすらしい。公爵家の玄関で『ボンジュール』と叫びながらやって来た何処ぞの性格破綻者と言えば、アメリカ大陸の地下でじっとしている事が出来ないらしく、世界中を飛び回っている癖に流暢な日本語だった。
丸1ヶ月振りの再会で日本語を思い出す時間を多少要した高坂日向とは、脳の出来が違うのだろうか。純粋に褒めている訳ではない。大半は皮肉だ。

「叔母様から連絡がありましたよ。君、実家に電話したんでしょう?」
「疚しい事は何もねぇが、屋敷の電話を鳴らさせるのもな」

屋敷からほど近い国立学校に在籍している日向は、殆ど屋敷から出る事はない。
所謂通信教育の状態で数年過ごしているが、公爵家の『名目上は』跡取り息子に対して、学校が異論を唱える事はなかった。お陰様でレポートの期限さえ守れば、テスト日にはわざわざ教師が試験用紙を持って監督にやって来てくれる。

「携帯なんざ初めて契約したが、想像以上に早く出来て拍子抜けしちまったぜ」
「さっき教師が来てらしたんでしょう?番号は聞かれませんでしたか?」
「俺様が携帯電話を持っている事すら知らされてねぇ奴に、ナンバーを教える義理があるか?」
「ふふ。今の君には保証人になってくれるパトロンも、使用料を喜んで支払ってくれるパトロンも、事欠かないでしょうからねぇ」
「阿呆抜かせ」
「おや、阿呆は悪口ですよ?私はB型なので、馬鹿と呼ぶならまだしも。因みに阿呆はA型、おたんこなすがO型、あっかんべーがAB型の褒め言葉です」
「馬鹿抜かせ大馬鹿野郎」
「褒めないで下さいよ、好きになってしまったらどうするんですか?」
「気色悪い事抜かすな」

今日は午前中に採点結果を持ってきた教師が、応接間に通されセシル=ヴィーゼンバーグの御機嫌伺いに必死だった。いつもの如く日向の優秀さをこれでもかと持ち上げていた様だが、セシル公爵が口を開く事は一度としてなかったそうだ。同席していた使用人の一人から聞いた話である。
ピロートークにしては盛り上がりに欠ける話だが、生来の美貌と天使と呼ぶには毒が強い性格で屋敷中に手駒を増やしている日向の武器は、その体一つだった。晴れやかな笑顔で『金持ちしか抱かない』と宣っている叶二葉と、ある意味で日向は似ていると言えるだろう。認めたくはないが。

「こっちこそ、真っ赤な携帯電話を買い与える様な薄気味悪いパトロンと同衾なんてお断りですよ。萎える所か不能になってしまいます」
「余計な心配をしやがる。全部テメェの稼ぎだ」
「他人名義で掻き集めた他人名義の口座に眠る資産、の、間違いでは?」
「鬱陶しい奴だなぁ、暇ならライラと遊んでろ。お前といっぺんヤってみたいっつって、前から煩ぇんだよ」
「レイプを愛あるセックスと信じている様な頭のネジが緩いお子様、三つ指ついてお断りです」
「あれでも19だ」
「ああ、そうでした。12歳のお誕生日、おめでとうございました?」
「…ありがとよ。そっちこそ、12歳の誕生日おめでとう」

今頃か、と思った瞬間、日向は今日が二葉の誕生日だと言う事を思い出した。お互い記念日などと言う習慣はないので、プレゼントなんてものは勿論ない。

「とうとう獅子の屋敷に篭ったまま、スクールには殆ど通わずじまいでしたねぇ。貴方と仲良しになりたい子供達は大勢居るのに」
「は。餓鬼のお遊びに付き合ってる暇はねぇ」
「3年前、提携校が増えた事は話しましたよねぇ?」
「あ?何の話だ」
「判ってる癖に。今や財閥を牛耳っているノヴァの思惑通りに、帝王院学園はグローバル化を加速させています」

教師が置いていった日向の解答用紙を眺めていた二葉は、テーブルの上に腰掛けて足を組むと、ばさりと解答用紙から手を離した。
真夏だろうが黒一色の二葉が、黒いTシャツの上に羽織っている黒いサマージャケットの裾がテーブルの上を波打っている。

「閉鎖的だった環境に国際学部を設け、Fクラス同様の曖昧な立場だった留学生に基礎教育の機会を与え、単位不足でも卒業させていたFクラスに留年制度を適用。馬鹿でも不登校でも卒業させていたのは過去の話と言う事ですねぇ。天神一極集中だった帝王院グループ役員の中にも、その手腕を認める者が見受けられます」
「…長々、どうでも良い話をしやがる」
「初等部は否応なしに相室ですからねぇ、対人恐怖症か潔癖症の子供には敷居が高い。けれど中等部からは状況が変わります。学年上位一桁台の生徒には、幾らかのご褒美がある」

きちっと椅子に座って本を読んでいる日向の目の前に顔を近づけてきた二葉が、満面の笑みを浮かべていた。鬱陶しいとばかりに表情を崩した日向は背凭れに体を預け、二葉から距離を取る。

「…待っていたんでしょう?今のロンドンには、貴方を否定する者は少ない」
「さぁ、何の話か判らねぇなぁ」
「目論見通りですか?貴方が屋敷に篭る様になったのは9歳になる頃でした。正式な国際学部が増設され、本校全学部に通年共通受験が行われる事が決定した頃。それまで帝王院高等学校…高等部の一般受験は推薦入試だけでした」

ユニオンジャックを掲げた狭い島国、ロンドンは更に狭い。
ニュースはヨーロッパ経済と王室の動向に釘付けで、アメリカ大統領と日に日に増える難民の話題は尽きる事がない。遠く離れた日本のニュースは滅多に入らない。日向に日本の話をしたがる物好きは、ふらっとやって来る二葉だけだ。

「正式に決定しましたよ。今季以降、ロンドン分校にも昇校制度が適用されます。ご感想は?」
「…想像より早かったな。テメェが何か仕掛けたのか?」
「まさか。ほんの少し、ノヴァの前で呟いただけですよ」
「ノヴァ?会ったのか?」
「いえ、陛下名義で勝手にLINEのアカウントを作って、グラビアアイドルの水着写真の顔を陛下の仮面アイコンでコラージュして載せたんです。1時間くらいで中央情報部にバレて犯人探しが始まったので、ヤバイと思ってつい元老院の仕業に違いないと言っちゃったんですよねぇ」

完全に楽しんでいるだけだろうとは思ったが、踊らされた側は堪ったものではないだろうと同情する。

「そしたらですよ?アカウントを開設して100記事ほど投稿したと言うのに、たまごっち、マインスイーパー、ドラクエ、モンハン、バイオハザード、ファイナルファンタジーはプレイ時間が長くなりそうなのでまだ手はつけていませんが、ボンバーマンとロックマンのレヴューを修士号を取った時の論文以上に力を入れて書いたのに」
「おいおいおいおい、待てテメェは何の話をぶっかましてやがる?」
「それを無視して元老院の奴らと来たら、ノルマンディーで食べたフレンチトーストが美味しかったと言う投稿で私に辿り着いてしまったんです。流石はノヴァですねぇ、投稿記事を流し読んで十分程度で私が犯人と見抜くとは。然し我らが陛下に至っては、中央情報部がなりすましアカウントを見つけたと報告した瞬間『セカンド』と呟いておられましたからねぇ。彼は言葉足らずなので、その一言では誰も気づかなかった。故に私は沈痛な表情で跪き、『真犯人は私が必ず見つけ出しましょう、それ即ち唯一神の冥府揺るがすほにゃららをほにゃららら〜』」
「…もうその話は良い。テメェ、キングに何を吹き込んだんだ?」

身振り手振り、何処のブロードウェイスターだと言わんばかりにテーブルの上でもぞもぞしている二葉を制し、日向は話を本筋へ引き戻した。
ルーク=フェイン=ノア=グレアムに一言伝えたい言葉は、犯人が判った瞬間に拘束しろ、だ。巫山戯た茶番劇で何十人が踊ったかと思えば、これ以上は聞くに耐えない。決して『ほにゃらら』で片付けて良い話ではないだろう。

「麗しのマジェスティはまだ12歳なのに、四六時中玉座に張りついてはシコシコシコシコ仕事に掛かり切りで、このままでは盗んだバイクに跨り、まだ見ぬ地平線の向こうまで走り出してしまうでしょう・と」
「嘘つけ」
「ええ、嘘です。バイクに跨る所か、発情期の女性達に跨がれている頃でしょう。近頃は国内のクラブ巡りでまともに回線も繋がりません。今までは誘われても退屈凌ぎでしかなかったセックスに、漸く興味が現れたみたいでねぇ」
「は。何人のメア候補が餓鬼連れて乗り込んでくるか知れねぇな」
「そんなヘマはしないでしょう。少なくとも私のぼやきを鵜呑みにしたノヴァは、ご丁寧に我々の進学時期に合わせて昇校制度を拡充なさいましたけれど。当のノアは、保健体育の授業でお忙しいご様子」
「くはっ。笑かすな」
「叔母様は何か仰っていましたか?」

二葉がやって来た時に土産だと嘯いていた紙袋へ手を伸ばせば、ひょいっと二葉の手が先に紙袋を取り上げた。
誰もが良く知るファーストフード店のロゴが描かれた包みを一つ取り出した二葉が、紙袋をポンと投げて寄越す。中身は薄っぺらいバンズで安っぽい肉を挟んだだけの、良くあるハンバーガーだ。

「いつも通りだ。毎月律儀に電話を掛けてくるが、元気かの一言しか言わねぇ。通話が携帯に変わったって、お袋の性格は変わりゃしねぇよ。帰って来いだの何だの煩ぇのは、親父の方だ」
「流石、神坂のご当主。誇り高き忍者の子孫は、獅子など恐るに足らずと言う事でしょうか」
「忍者だぁ?」
「いえ、お気になさらず。私もこの件については然程知りませんので」
「訳判らん奴だな」
「然し君、潔癖性の癖にそんなものは食べられるんですねぇ」
「糞だと思えば、糞を喰うより幾らかマシだろうが」
「食べながらする話ですか?」
「テメェがこの程度気にするタチだったか?」
「下水に浸かったままチーズを食べた事はあります。ああ、それと死体の前でハンバーガーのパテを抜いて死体の口に詰め込んだ事はあります。私は嫌肉家なのでねぇ、肉の塊であるハンバーグなど同じ肉の塊が食べれば良いのですよ」
「人の体を肉の塊っつー奴はテメェくらいだ。嘘ばっかほざきやがって」
「おや、私は素直な人間ですよ?ほら、これだってパテは白身魚ですからねぇ。フィッシュアンドチップスもたまに食べますが、ザギンのシースーが一番です。まぁ、銀座など行った事もないんですが」
「ぎんざ?」
「23区に変わる以前は、京橋にあったそうですよ。今の2区の辺りです」
「…ふーん」
「日本生まれと言っても、実際5年程度しか住んでない場所ですからねぇ。すっかり土地勘もなくなっているでしょう」

それでも考えは変わらないのか、と。二葉の言葉の裏にそう尋ねてくる声を聞いた様な気がした。

「山奥の一体が私有地、全寮制」
「ええ。セキュリティ激甘とは言え、閉鎖空間です」
「テメェみてぇなサイコパスはあっちじゃ珍しい部類だろうが。抜け出すのはともかく、おいそれと部外者が入れる代物じゃねぇ」
「そうでしょうねぇ。私ほどの知識と技術があれば可能でしょうが、一般人に今の上院理事会の目を掻い潜るのは難しいでしょう。ああ、リンとランに一度忍び込ませてみたいものです。特にリンの方はあからさまに私を敵視している」
「気づいてて放ってんのかよ、向こうにとっちゃ胸糞悪い話だろうな」
「あの二人を抱きました?」
「…馬鹿か、餓鬼は趣味じゃねぇ」
「お姫様にでもなるつもりですかねぇ。既にロンドンには君が居ると言うのに、文仁は何を考えているのでしょうか。可愛い娘が食い物にされる事くらい、火を見るより明らかでしょうに」
「妹の方はそうでもねぇ」
「一卵性双生児でも性格は違うものですか」
「…必死に似せてるみてぇだがな。ヴァーゴの名がお前に与えられてる限り、」
「ヴァージニアは私ではありませんよ。とは言え、叶貴葉はとっくに死んだ人間です」

公爵家には、他の貴族にはないしきたりが幾つかある。
跡取りには王室から名が与えられ、アレクセイ=ヴィーゼンバーグにはマチルダと言う名が譲られた。セシル=ヴィーゼンバーグの父親がエリザベート=マチルダ=ヴィーゼンバーグの甥だった為、アレクセイが引き取られた数年前に亡くなっていた彼女の名を引き継いだと言う訳だ。

「父はアレクサンドルの名を継がないまま、姉はヴァージニアを名乗れないまま。どちらも死にました。そして私は二人に会った事がない。ああ、それと叶桔梗とも。…他人事なんですよねぇ。叶に関してもこの家に関しても、私は部外者でしょう?」
「そう思ってるのは、お前だけだ」

王室が貴族に与える名前は大抵決まっている。
誕生する直近で亡くなった王族の名前が継承される事が多く、叙爵するとまた名が与えられるのが通例だ。単身で栄爵の栄誉を受けたアレクセイには子爵の称号があったが、爵位としては下位だった。成人時に公爵を継承していれば新たな名前が与えられていただろうが、彼は正式な継承の手続きを済ませる前に家を飛び出してしまっている。

「大変不本意ではありますが、今回に限って私は君の選択に従いますよ」
「あ?」
「言質は取りました。君の警護名目で、特別機動部長であるこの私自らが同行しましょう」
「正気かよ。ルークが認めたってのか」
「ええ。懇切丁寧にお願いしましたからねぇ」
「お願いって、まさか本気で俺を守るつもりって事ぁ…ねぇわな。何を企んでやがる」
「実は、…年度末に中途編入面接を受けるそうなんです」
「はぁ?」
「聖地へ乗り込む為には多少の犠牲は必要でした」

日向は二葉の台詞の意味を計りかね、贔屓目にも決して美味とは言えないハンバーガーを適当に咀嚼し、氷が溶けたアイスティーのグラスで胃の中へ流し込む。
沈痛な面持ちでテーブルから降りた二葉は、薄手のジャケットのポケットに手を突っ込んだかと思えば、黒い何かを取り出した。パチンと言う軽快な音と共に銀色の刃が見えた瞬間、それがナイフだと判る。

「当然ですが、君に選択権はありませんよ。権限差異をお判りでしょうか、欧州情報部長?」
「合理的且つ端的に説明しろ」
「ふーちゃんを日本へ連れてって」
「…ああ、そうかよ。テメェなんざと話が通じると思っていた俺様が馬鹿だった」
「有名なアニメでは、ヒロインが主人公に甲子園に連れて行けと言うそうです。甲子園よりはずっと簡単ですよねぇ?」
「どうだかな」

野球などした事もない日向は、丸めたハンバーガーの包装紙を投げつけた。避けもしなかった二葉の右頬にぽすっと当たって、ころりと転がる。

「ストライク」
「どう見てもボールでしょう。私のストライクゾーンはおでこです」
「あ?」
「あ、こんな所で油を売ってる場合ではありませんでした。聞いて下さい高坂君、今日はハンターの集いがあるんです」
「殺し屋にミーティングなんかあんのか?」

はっと顔を上げた二葉が柱時計を見遣った瞬間、部屋中に音が響いた。一時間刻みに時報を告げる柱時計は定期的にメンテナンスされている為、狂いはない。

「もう13時…!よいこは9時に寝るそうですが、ロンドンとNYの時差を失念していました!」
「おい、」
「ではさようならマドモアゼル、私は今日こそ勇者より先にミラボレアスを狩ります」

誰がマドモアゼルだ…いやミラボレアスって何だと言う日向の心の中の突っ込みは、微塵も届かなかった。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!