帝王院高等学校
彷徨える羊の合唱曲
「だから言っただろう、この世に俺以上のつまらない人間はまず存在しない。俺以上に無価値な存在が現れたとすれば、槍が降るだろう程度は有り得ない話だ。天変地異が起きるに違いない。

 運命、と言うものは余りに非現実的だと思わないか。運命と名付ければ酷く印象的に聞こえるだけの『必然』でしかない。
 つまり全て『脚本に基づいた舞台上』と言う訳だ。

 俺以上につまらない人間はまず存在しない。それはもう、確定的に。なんて無価値な雄だろう・と、他の誰でもなく俺自身が考えている。
 世界の摂理とは薄氷の如く儚いものだ。運命と名づければ全てが酷く有意義に思えてしまう。ああ、人間が作り上げた絶対率とは余りに単純だ。善きも悪きも等しく全て、運命なのだと一言で片付けられる。
 今日大切な誰かを失ったとして、『運命だったんだ』と己を納得させる呪文を唱えるのだろう。神になど祈った事もない癖に、望みが増えれば容易く願う人間だからこそ。そしてその脆弱さが愛おしいと思う。甚振るが如く慈しみ、見下すが如く観察したいと思う。
 けれど一時の退屈凌ぎにしかならない事を、俺は知っていた」

いつからか、己の強欲さに気づいた。この世の全てが恋しい。世の全てが愛しい。
けれどただ一つだけ、そうではないものが存在した事に気づいた。過不足なく愛しいのに、惜しまず愛でる事が出来ない『生き物』。人間だけが、俺の中で依存の対象になり得なかった。(いつか大事だと思い込んでいた記憶を思い出す事もなくなっていた日に)(思い知ったのだ)(己の愚かさを)(哀れさを)

「俺と言う生き物は余りに面白味がなく、余りに強欲で無価値な動物なのだ」

泣き顔が見たい。絶望の最中で負に飲み込まれる刹那の表情が見たい。(滅多に見られないもののだからこそ価値がある)(いつかステンドグラス越しに覗く月光の元に見上げた)(悪魔と同じ顔をしている鏡の中の自分に)(お前の死に顔が見たいと)(出来る訳がない戯言を繰り返した)
今にも狂い落ちる瀬戸際に手を伸ばせば、卵殻を割り出た雛の様に、その生き物は俺から離れられなくなるだろう。(鏡像世界のそれは誰だ?)(俺の様で俺ではない別の何かの様に見えた)(いつも)(いつも)(仮面を被らねば今すぐにでも殺してしまっていただろうと)

だからそう、俺から与えられる全てに絶望し、俺から与えられる全てで依存すれば良いのだ。(悪魔だ)(あれは自分などではない)(あの時この手で殺し損ねた悪魔)(神に仇なす矛)(天を貫かんと企んだバベルの塔は崩壊するだけ)

どうせ俺は何にも依存出来ない。
幼い頃には、何ら疑いもせず父と呼んだ人間の顔を、玉座の上では思い出す事もなくなった。ああ、哀れな女の死に顔は安らかだったか?
お前など産まなければ良かったとお決まりの様に繰り返した少女に、ならば何故生んだのだと。健気に待ち続けても誰も来ないのだと。9代男爵のメアになる事だけを夢見ていた可哀想な女に、既に登録されているメアの名を教えてやれば良かったのか。

「…俺以上に無価値な生き物は存在しない。
 何しろ俺と言う生き物は、求める唯一の為なら世界を躊躇わず見捨てる筈なのだ。けれど世界は一瞬で狂った。狂った様に咲き綻びた染井吉野が音もなく舞い落ちるマゼンタの世界で、俺はその男だけ見分ける事が出来たのだ」

俺の世界はあの生き物を中心に廻り続けている。今も一瞬先の未来も、俺と言う世界がこの世に存在する限り。


黒髪のノア。
黒い双眸を持つノア。
桜吹雪の中、真っ直ぐに駆けてくるお前を待っていた。
お前の人格を奪ったあの日からずっと。
篠突く雨の中ではなく、扇情的な出会いの日を待っていた。

それは、俺の事だった筈だ。



「なんてつまらない雄なのだろうか、俺は。
 …今はもう、捧げる愛の言葉以外何一つ、思い出せそうにないんだ」

俺は、…誰だった?











Symphony BAROQUE No.X








「…生まれる場所を選ぶ権利は与えられなかった。誕生の瞬間には生きる権利を否定されていた」

最後には捨てるなら、初めから作らなければ良い。
私はきっと、今まで失ってきた全ての人間にそう言いたかったのだ・と、思う。

「ならば早々と死ねば良いものを、その選択さえ許されていなかったらしい。俺が本来持っていた筈の感情と呼べるものを、お前が奪っていったからだ」

父にも。
母にも。
そして最後に、お前からも。
それでも今はまた、別の事を考えている。空虚に過ごしてきたと思っていたが、実際、そうでもなかったと言う事だろう。

それさえもたった今判った事だと言ったら、お前は嘲笑うだろうか?

「…本気で俺を遠ざけたいのであれば、その手で殺せ」

振り向かれもせずに放っておかれるより、躊躇わず捨てられる方がどれほど救われるか・と。

せめてもの慈悲として












彷徨えるの合奏曲
-A Wandering Sheep's Ensemble-













オシャンティーな洋楽が流れるヴァルゴ庭園東側。
寮と校舎の丁度中腹に当たる場所には、夥しい数の箱が立っている。一口に箱と言ってもダンボールではなく、洋服店にありそうな試着室じみた背丈の高い立派な箱だ。

「見ろよ、変な箱が並んでるぞ」
「腹減り過ぎて判んねぇ。雨吸ったジーパンが張りついて動き難い、心細い」
「心細いっておい、何処のうさぎちゃんだよ。人参嫌いの癖に」
「やっと迷路みたいなとこから抜け出せたのに、広過ぎるんだよ…」
「リブラだ。読めない英語はググるに限る」
「泥だらけの体操着着たイカつい兄ちゃん達に案内して貰わなかったら、俺のメンタルはあそこで死んでたぞ」
「滑らかな口当たりの絹ごし豆腐気取ってんじゃねぇ、顔面偏差値がんもどきが」

それを横目に、遭難中の登山家宜しく真顔で歩いている少年の姿が見える。寮を囲む大きな水路には時折ゴンドラが停泊しており、新歓祭の看板や花などが飾られていて、写真を撮るには絶好の光景だ。

「テメェ、顔の事言いやがったな?言っとくけどお前なんかユキオにもふじこにも、何ならトーマにもギリ負けてっからな」
「リョータには勝ってるから良いんだよ。あ、あとシロにも」
「抜かせ、身長も負けてんだろ」
「所がどっこい、俺の身長は総長と同じくらいなんですぅ。日本人平均は超えちゃってるんですぅ。180cm超えてりゃリア充だと思うながんもどき、日本パーリーピーポー界のキングオブカリスマは…」
「うちの父ちゃん」
「正解。ポッケに入ってた酢昆布をやろう、パチンコの景品だぞ」
「わぁ、すっごく湿ってる〜。留年したからって、パチスロで発散するって健全な18歳としてどうなの」
「…うっせーな、総長が居なくなったりしなかったら下んねー喧嘩なんか買わなかったっつーの。クソ共が、前は目も合わせなかった癖に総長が行方不明になったって聞きつけてから舐めてやがった。カルマは舐められたらおしめぇよ」
「カルマは血を啜り骨を舐める、レッドスクリプトワンコ」
「帰巣本能はなかったけどね☆全員もれなく迷子なう☆」

然し彼らは呑気に観光している場合ではなかった。何せ彼らの言葉通り、大絶賛遭難中なのだ。
敷地内の何処に居ても見える白亜の宮殿を手掛かりにリブラ寮周辺を彷徨った少年らは、柵で囲われている北棟を除くほぼ全域を迷いに迷った挙句、やっとヴァルゴ並木道まで出る事が出来た。早朝からのトラブルで工業科の手伝いをしている体育科の生徒ら数名が、昼食の為に戻っていたからだ。

「この学校は仕方ねーべや。そろそろケンゴさんに電話しそうな俺がいる」
「そいつは危険な考えだよピコ、幾ら四重奏の中じゃわりとマシに見えるったって、挨拶代わりにシャイニングウィザード掛けてくる戦闘民族だぞ。奴の頭の中にゃ、腐った蜜柑が詰まってる」
「おー、今の本人の前で言ってみろ?」
「此処は一つ、来ない確率90%のユーヤさんにメールするべきでしょ。機嫌が良かったら顔文字が返ってくる」
「100%寝てんだろ、永眠させとけ。寝た子は起こすなって言葉がある」
「副長の寝起きの悪さに比べたら」
「アレに比べたら全人類が天使に見えるわ」
「ちょっ、待てよ…!俺らの母ちゃんはああ見えてふわふわモコモコなスリッパが大好きなんだぞ?!」
「半端ない違和感を感じつつ、誰もが目を逸らしてるトップシークレットをでかい声で言うな。犬とゴリラのハイブリッドは、鼻も耳も利く地獄の番犬なんだぞ…」
「独り言言ってる時は高確率で日本語じゃねぇしな」

一般客の大半は保護者か、生徒一人に対して2枚まで配布されているチケットを使って入場した関係者だ。中にはチケットをネット販売している生徒も居る様だが、初等部・中等部の生徒数だけで千名を超えている為、実際不正入手のチケットが何百枚流出しているかは定かではない。
何処から見ても同世代の、それもおよそ真面目とは思えないヤンキー臭漂う迷子客を不審に思いながらも、部員のほぼ全員がムッキムキな柔道部の生徒は快く迷子少年らを案内してやった様だ。しかも別れ際、『柔道場が使用禁止じゃなかったら手合わせ願いたかった』と白い歯をキラッと光らせて宣った柔道部長の目はどうにもマジだった気がする。

「仕込みの後に珍しく仮眠取ってた時なんか、総長が起こしたらふにゃふにゃ笑いながら韓国語喋ってたかんな。総長は普通に頷いて聞いてたけど、あれ通じてたの?通じてたとしたら何なの、リア充のカリスマじゃ飽き足らずバイリンガルのカリスマに名乗りを上げちゃうの?」
「落ち着け、シーザーが最高じゃなかった事が一度でもあるか?」
「いやない」
「うちの母ちゃんは背中に刺青入ってる筋肉ダルマだけど、父ちゃんからはわりとひょいひょい投げられてるだろ。そこで思ったんだが、もしかしたら母ちゃんは柔道部に入ってるのかも知れん」
「な、んだと…?うちの佑壱が…さっきの暑苦しい集団に混じってキャッキャしてるなんて、トーマが許しても俺は許さんぞ?!」
「ケンゴが言ってたけど、カナメさんは小学生の時に合気道愛好会に乗り込んでってぶっ潰したって」
「一旦落ち着こうか、うちの錦織君は生まれた時から冷凍狼だった説あるから」
「んな事よりシロップだろ。アイツそう言えば加賀シローって名前だったな」
「佐賀シローだろ?」
「嵯峨は母ちゃんじゃなかったっけ?」
「いや知らんけど。嵯峨佑壱ってゴロ悪くね?何か足りない様な…」
「嵯峨山…?」
「それだ」

今更ではあるが、カルマは馬鹿犬率が高い様だ。これでもカルメニアを覚えている猛者ばかりだが、2文字以上の名字は覚えられないのかも知れない。

「総長の名前って何だっけ?初期メンバーは知ってるよな?」
「ユウさんが連れてきた時にいっぺん聞いた様な気がするんだけど、カナメさんも覚えてなかったんだよな」
「人の名前覚えるのが得意なハヤトはそん時まだ居なかったかんなぁ、アイツは肝心な時に役に立たねぇ男だ。芸能人じゃなかったらカツアゲしてんな」
「いやお前ハヤトより弱いだろ。四重奏で一番弱そうに見えるだけで、ハヤトとユーヤは五分だぞ?カナメさんが桁違いなだけで」
「あれでも初代副総長な訳。昔は誰ともつるまねぇ感出してたけど、いつからケンゴとユーヤと一纏めな扱いになったんだっけ?」
「ハヤトが入った後だろ?後入りの癖に、あっちゅー間にあの三人と打ち解けたんだ。まぁクラスメートだったからだろうけど」
「ん?何か思い出してきたぞ。最初はケンゴがハヤトに茶々入れてわぁわぁやってたんだよ。ハヤトが入ってすぐ誕生日だったじゃん?ケンゴって絶対メンバーの誕生日にプレゼントくれるんだよな」
「意外とハヤトもくれるよな。あの二人はそう言う所があるから嫌いになれねぇんだよ、イケメン狡い」
「ハヤトの誕生日のすぐ後に、アイツ熱出してぶっ倒れたんだ」
「良く覚えてんな。頻繁にインフル流行らせてっから忘れてたわ」

毎年カルマの元にインフルエンザを届けにやって来るサンタクロースこと神崎隼人は、10月の誕生日前後で必ず一度倒れている。お陰様でカフェの手伝いをしているカルマメンバーは、もれなく全員ワクチン接種必須だ。
過去に一度インフルエンザを移された高野健吾は、以降隼人の顔色を識別して風邪気味の隼人には近寄らない。健吾の本能的行動を見抜いているのか、相棒の藤倉裕也もインフルエンザで悩まされたのは一度限りだ。

「あん時、ケンゴとユーヤも熱出してユウさんのマンションに転がされてよぉ。トーマとマサフミもぶっ倒れて、移ってない奴は自宅待機になった」
「そうそう。実はカナメさんも38℃出てたのに、顔がクール過ぎて誰も気づかなかったんだ。ユウさんだけじゃ面倒見きれなくて、手伝わされてたカナメさんは高熱でテンション可笑しくなってて、嫌がるハヤトに座薬ぶち込んで…」
「んで、総長が七色のお粥を作…」

ぶるりと震えた犬共はそこで沈黙し、思い出してはいけないと本能が訴える過去に蓋をした。
あの錦織要ですらキャラ崩壊する様な感染力を誇るインフルエンザに、過去一度も罹った事がないシーザーにはカルマ内部で不死身説が流れている。商店街の入口を塞ぐ様に違法駐車していた軽自動車を持ち上げたと言う、真偽不明の伝説があるので強ち嘘とも思えないカルマ七不思議の一つだ。

「やっぱ総長は…某国から指名手配されたマフィアの息子だったりして…」
「香港映画?!」
「馬鹿な振りしてるだけで、トーマもきっと中国からのスパイなんだ…」
「アイツはただの馬鹿だろ。中国じゃなくて台湾だしな」
「香港は危険な所だよ。錦織要なる破壊神を召喚した罪深い国…」
「常温便もカチコチに凍るクール宅急便の事」
「一説によると、10km先で落とした小銭の音を聞き分けるって」
「精々200mだ。500円玉落とすとチベットスナギツネみたいな目で見つめてくる」
「ハシビロコウじゃなかったっけ?スナギツネはハヤトでしょうが」
「そうでした。我々はお狐様教の信者です」
「さっき東棟って書いてた建物にハヤトのポスターがベタベタ貼ってあって、時々カルマのポスターも貼ってあって、金玉キュってなったもんな」

現在地は嵯峨崎佑壱以下四重奏を筆頭に、軒並み阿呆しかいない疾風三重奏も、何なら川南北緯も生息している帝王院学園。加賀城獅楼については何ら危険性がないので除外しておくが、北緯に関しては油断ならない。獅楼より少し早く入隊した北緯は、遠野俊に並ぶ七不思議の一人だった。
隼人の舎弟の立場にある北緯は、風邪を引いた事がない。本人の証言なので信憑性は今一つだが、同級生の佑壱が「ナミオは十年連続皆勤賞だ」と言っていたので間違いないだろう。祖父が亡くなった時だけ慶弔休暇を取ったそうだが、それがなければどうだったか。

「サングラス掛けてる総長以外モロ顔バレしてるって考えるべきだと思うんだけど、皆に伝えるべきかしら?」
「もう遅い気がすんだよなぁ、フロントでトーマがホモに狙われてた時から…」
「はっ!そう言えば此処って…?!」
「気づいてしまいましたかマサキ君、そう、帝王院学園は男子校です」
「ハヤトが喰われちゃう!」
「アイツは食べる方だろ、あの食欲忘れたのか」
「あーね、罪のない海老が何千匹アイツの生贄になってきたか。あと油揚げ」

隼人の名誉の為に言っておくが、隼人がエビフライやおいなりさんを食べるのは、それぞれ週に一度くらいだ。大好物だからと言って毎日食べている訳ではない。

「真性のホモってのは、カナメさんとかケンゴとかより、ユウさんとかエリンギみてぇなガチムチが好きなんだ」
「エリンギはふじこのお嫁さんなのに?!」
「いや違う、エリンギは皆のアイドルだ。ぽっと出のチャラ男にはやれん」
「娘を嫁に出す父親かよ。ホモにはマサフミみたいなスラム街のヤンキー風もモテるらしい」
「麻薬密売組織の中ボスだろ、見た目が。奴はカルマで一番職質受けてんぞ」
「脇坂工務店で真面目に働いてるのに…」
「あそこの社長、光華会と繋がってるって噂ある」
「はっ、金髪俺様チビが怖くてカルマやれるか」
「いやお前より遥かにデカくなってたけとね」
「奴はハーフだ。生粋の日本人なのに180cmある俺の方が凄くね?」
「顔面偏差値でもボロ負けしてっけどね、ピコちゃん。どんな厳ついピコピコハンマーで殴られたらそこまでボコボコ肌になんの?」
「ふっ。ニキビだ」
「チョコ食べんのやめなさい」
「チョコは悪くない、甘いもんを食べたらニキビが出来るって言うならハヤトはどうなる、奴の細胞は高濃度の砂糖で出来てんだぞ」
「良いですかピコ君、リア充には産まれながらに宇宙規模のミラクルパワーが与えられるのです。セーラームーンがお月様のパワーでメイクアップしちゃう様に、生まれつき目が灰色のアイツにもミラクルパワーが宿っているのです」
「純日本人だってWikipediaに載ってた!」
「馬鹿野郎!あれが純日本人の股下か?!」

華麗なビンタが決まった。叩かれた方はへたりと座り込み、水路に添って設置されている白い欄干を震える手で握り締める。

「そ、んなの、裏切りよ…!アタシずっと騙されていたなんて…!」
「…現実を受け止めるんだピコ子、Wikipediaはたまに嘘つきなんだ。お前には俺が居るだろ?」
「マシャキ…」
「お前はハヤトが食えない酢昆布が食える、自信を持つんだピコ美。お前はおでんにはなくてはならない、最高のがんもどきだよ」
「マチャキー!」

ヒシッと抱き合った二人は同時に互いの脇腹に膝蹴りを決め、グフッと崩れ落ちた。ビシャビシャだが構わず、ムクっと起き上がった二人は同時に表情を消す。

「…駄目だな、俺達じゃツッコミが足んねぇ」
「ソルディオをコントで笑わせて追い出そう作戦Bも駄目か。総長の居場所は相変わらず判んねぇけど、山田の居場所は判ってっからな」
「あの餓鬼がカナメさんと同じクラスなのは間違いねぇ。カナメさんは大事なもんほど店の倉庫に置きたがるから」
「大事なもんなら、じゃがいもの空き箱に詰めるか?中等部卒業アルバムなんて一生の宝物だろうが、何考えてんだあの守銭奴」
「金の事だろ」
「くっそ、否定出来ねぇ」

要のアルバムを盗み見てきたカルマの犬共は、空気に溶けそうな平凡少年の顔写真を何とか覚えてきた。気を抜くと今にも忘れそうな平凡顔だったが、辛うじてまだ覚えている。
シーザーから三代目総長として紹介されてはいるが、佑壱を筆頭に全員が納得していない。どうにかなかった事にしたいものだが、数ヶ月の行方不明がなかったかの様にあっさり戻ってきた総長は「あ、俺はもう引退したただの腐男子なので」と言う意味不明な呪文で、全く話を聞いてくれない。

「年下に総長面されて堪るか。さくさく脅して自ら引退させてやるとして…問題は、クラスメートに冷凍狐うどんが揃ってるっつー所か」
「ブフッ。四重奏の目を掻い潜ってどうやって一年生を見つけるか。帝王院のブレザー着てる奴の誰かなのは間違いないとして、誰が何年生なのか全く判らん。山田の顔も実はあんま覚えてねぇんだよなぁ、残ってるのは変装させた時の画像ばっかだし」
「総長と2ショットのだろ?俺は総長だけトリミングしたから、山田は残ってない」
「総長ってばマジかっこよすぎない?何なのうちのパパのフェロモン、妊娠するわ」
「だからABSOLUTELYの銀髪に目をつけられたんだよ」
「さっきの柔道部だか空手部だかが、校章も学年章もお式以外にゃ着用義務がないっつってたな。ざっと見回した所じゃ、ついてる奴とつけてない奴の割合は半々ってとこ」
「進学科のSバッジは確実につけてる筈だって言ってたじゃねぇか。金ピカのバッジをつけてる生徒にゃ、下手な真似したらやばいってな」
「俺ら生徒じゃないから、意味不明なカーストシステムなんか知ったこっちゃねぇわ」

だからと言って腐男子に真っ向から刃向かえる犬は皆無だ。奴は確かに腐り果てたオタクだが、カルマを最強に押し上げたシーザーなのである。オタクだからと迂闊にカツアゲすると、口ではとても言えない大変な目に遭うのだ。

「あ、エリンギからメール届いた。添付写真ブレまくってて、トーマの眼鏡らしき物体しか読み取れねぇ」
「繊細なスマホ操作に慣れてないんだよ。エリンギの筋肉は優しさで出来てるかんな、どっかの横暴な筋肉と違って」
「副総長と書いてゴリラと読む。…っつーか、紅蓮の君って呼ばれてるらしいって聞いた時の俺の腹筋な、シックスパック超えてた」
「こっから歩いてすぐの所にカフェテラスがあるってよ。何でか斎藤も居るって」
「サイトー?」
「榊の兄貴に馴れ馴れしい、お洒落男子だろ。ユウさんの私服、斎藤が紹介した店で買ってるって」
「良し、こうなったら着替えようぜ」
「あ?何処でだよ。着替えなんか持ってきてねぇぞ」
「テメーの目は節穴かピコ、前見ろ前」

メイクアップストリートの看板が並ぶ馬鹿デカい露店の前に、まだらだが人の姿がある。チケット2枚から、と言う表記の隣に「最終日限定!終日レンタルOK」の文字が見えた。

「何事でござる」
「中学の修学旅行で京都行っただろ。観光地にはあるんだよ、レンタル衣装屋さんが」
「中学なんかまともに通ってねぇ僕はついていけません」
「そうだった。学校には来ねぇ癖に学ラン着てチンピラに殴られてたお前を、このマサキ様が颯爽と助けてやって、クラスメイトだったって判ったんだっけ」
「捏造すんな。颯爽と逃げようとしたお前の学ランが俺と一緒だったから、派手に巻き込まれただけだろうが」
「歳は取りたくねぇな、忘れたわ」
「4年前の事くらい覚えとけ」
「メタクソに殴られた頃に、女侍らせた赤毛が見てる事に気づいたチンピラが気づいてメンチ切った瞬間に鼻の骨砕かれて吹っ飛んだ事は、辛うじて思い出した」
「中一のパンチじゃなかったわな」
「あの頃はヤクザより遥かにやべぇと思ってたけど、まさか俺達のお母様になってしまうなんて、判らんもんだよ」
「第一声が『はっ、無様な雑魚共が』だった事さえ忘れればな…」
「総長が現れなかったら、お母様の進路はヤクザしかなかったと思います」

降り注ぐ雨ですっかり濡れてしまったチケットを握り締め、コスプレ屋台へふらふら寄っていく彼らは死んだ魚の目をしている。カルマの大半が佑壱に憧れて舎弟になったメンバーだが、獅楼の様に恋愛感情と錯覚する様なベタ惚れとは限らない。多くは心にえげつないトラウマを植えられている。現在のカルマはホスト顔負けのシーザーフェミニズムが蔓延しているので、流石に表立って遊び回る馬鹿犬は居ないが、過去を遡れば最もチャラかったのは間違いなくあの赤毛だ。彼の修羅場率の高さからも、その片鱗が窺えるだろう。

「両手に女の肩抱いてる絶倫ヤクザ、こえーわ。3P後に立てなくなった女の子の前で『やった気がしねぇ』っつったぞあん餓鬼、こえーわ。未だに夢に見るわ。何が紅蓮の君だよ。血塗れの赤犬だろうが」
「股間の凶器が凶悪過ぎて特注のコンドーム使ってるしな。生まれ変わったらユウさんになりたい」
「俺は総長」
「死ねよがんもどき」
「こないだABSOLUTELYの副総長をマンションに連れてったってマジかよ?いつの間に仲良くなってんだ?」
「卒業したらヤクザになるつもりじゃ…」
「んな馬鹿な、帝王院の特待生なんだろ?トークンだかチーチクだか、親衛隊もあるってホークが言ってたろ?」
「ンの親衛隊ってのはシロップの事だろ?」
「あー、そう言えばそんなの居たな」

刺されるだのは日常茶飯事、婚姻届を偽造されるだの、妊娠したと道端で叫ばれるだのも日常茶飯事・お茶の子さいさい。自分から別れを告げた癖に、逆恨みしてヤクザを連れてきた女も居ただろうか。女のアグレッシブさには感心する。
偶然カフェでランチ中だった高坂日向を見るなり飛び上がったヤクザは、ぺこぺこと赤べこ宜しく何度も頭を下げ、真っ青な顔で逃げていった。無理もない。どんなに可愛らしい顔をしていても、日本極道会の頂点に立つ光華会高坂組組長の一人息子だ。そんな男と毎日殴り合っていると言うカルマのオカンは何だろう。人類にゴリラが混ざったとしか考えられない。

「ユキオからもLINE届いたけど、マサフミが手当り次第喧嘩売ってリョータのトサカがトサカに来てて、女顔の坊さんと執事からナンパされてるから、3分以内に助けてくれってよ」
「俺の貴重な3分をユキオなんぞに捧げて堪るか。俺が人生の3分間を捧げられるのは、謎肉が敷き詰められてるカップラーメンだけだ」
「俺どん兵衛派だから相容れねっスわ。5分捧げなきゃ」
「つーか、何で食いもん屋が見当たらねぇんだ?やっぱさっきたこ焼き食っとけば良かった…」
「道に迷ったら、手を壁につけたまんま歩けっての、総長が言ってたんだよな?」
「改めて考え直してみたら、ハヤトだったかも知れん」
「俺は恨まれる覚えはねぇけど、お前は狐の呪いに掛かってからな。インフルエンザで寝込んだアイツの写真を勝手に撮って、ナンパする時に使ってっから」
「いやー、SNS時代だ。ちょっと見せただけなのに、いつの間にかコピーされててネットに流されてんだもん」
「腹が減ったなら川沿いに進め」

後ろから話し掛けられた二人は揃って振り返り、ぱちぱちと瞬いた。


「そ、」
「総ちょ…?」
「カイザーと呼ぶが良い」

異常に足が長い銀髪のサングラス男が、優雅に前髪を掻き上げている。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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