Slave





夢を見た。
幼い日の悪夢を。
燃え盛る炎。
泣き叫ぶ声。

置いていかないで。

助けて。

熱い。

耳の奥底から、今も離れない絶叫。
助けを求める声は、いつしか憎しみをぶつけるようにも聞こえて。

命惜しさに見殺しにしたんだ。

悔やみ、苦しめ。

そして、煉獄で焼かれてしまえ。

責め立てる声は幼く、あの日の憧憬を蘇らせる。
唐突に奪われた、幸せだった日々。
幼い少年にとって、世界のすべてだった村は無惨にも焼き払われ、抵抗した父母は目の前で殺され、焼け崩れた柱の下敷きになった弟を、見殺しにして逃げ出した。

二度も、殺したんだ。

世界のすべてに拒絶されるような感覚に、体が震える。
誰と共に居ようと、いつも心は孤独だった。
隣に眠る少年も、この腕の本当の汚さを知れば、きっと離れていくだろう。
身代わりではないと否定しても、失った思い出と重なる黒い髪、碧い瞳。
故郷では珍しくもなかったその色は、いつしか失ったものの象徴となっていた。
梳くように髪を撫でれば、ぴくりと瞼が震え、開かれた空色の瞳。



「……セフィロス?」

「悪い、起こしたな」

「ん…」



まだ眠いのだろう、もう一度髪を梳いてやれば、重そうに瞼をぴくぴくと動かした。



「もう少し寝ていろ」

「……ん…」



肯定か、漏れただけか。
ひとつ喉を震わせると、ザックスはそのまま眠りについた。
決して告げられない、この想い。
ザックスは、自分を兄のように慕っている。
遠い過去に切り捨てた思い出と、倒錯するほどに。
けれど、身代わりという歪んだ贖罪は、いつしか最も醜いものにその姿を変えた。

その唇を奪い、蹂躙してしまいたい。
その体の、心のすべてを貪り尽くしてしまいたい。

押さえつけれた恋情はやがて下劣な肉欲へと変貌し、心を蝕むようになっていた。
ザックスはもう、ある程度の日常生活は送れるようになっている。
簡単な文字の読み書きも覚え、手ずから教えた剣の扱いや体術も、元々才能があったのだろう、たったの一年で驚くほどに上達した。
少しずつ、距離を置くべき時が来ているのかもしれない。
規則正しい寝息に、こみ上げる衝動を押さえつけ。
ベッドの傍らに置かれた水を取り、一気に飲み干した。





















-lust-






















ジェネシスからその報せを受けたのは、昼を過ぎた頃だった。
名ばかりの「騎士階級」から解放されるために、プレジデントに巨額の金を支払い、貴族の地位を買い取ったと。
先日の王族への侮辱行為から粛正されたヴラマンド家の男爵位は空位となっており、ジェネシスはその爵位を買ったのだ。
王宮から少し離れた丘の麓にある屋敷も同時に買い上げたと言い、少ない荷物を纏めに帰ってきたのだ。



「…寂しくなるな」

「ここからは馬車で来れば、そう遠いわけでもない。寂しければ遊びに来い、茶くらいは出してやる」



くしゃくしゃとザックスの頭を撫で、ジェネシスは笑う。
爵位を手に入れたとはいえ、元々は奴隷であったジェネシスに対する貴族達の風当たりは強い。
神羅の抱える三人の騎士は、神羅の力を確固たるものにしていた。
その柱のひとつを手放したことには、理由がある。
セフィロスが、騎士となるに足る才覚を持つもの――ザックスを囲っていると、把握が出来たからだ。
手放したジェネシスは、人の下に付くのを良しとしない性格であり、他の貴族と手を組むことはないと踏んだのだろう。



「スコーンとジャム、持ってくからな!」

「あぁ、落ち着いたらな」



家具などはすでに新しい屋敷に送られているようで、服や身の回りの雑貨だけを鞄に詰め込むと、ジェネシスは立ち上がり、腰に剣を穿いた。



「仕事の当てはあるのか」

「心配か?」

「……悪いか」



セフィロスの言葉を軽く受け流し、ジェネシスはにっと笑う。



「王家が、武官として登用してくれるそうだ」

「王家が?」

「あぁ。何でも」



一度言葉を切り、ちらりとザックスに目を向ける。
当の本人はきょとんとした表情で、何度か瞬きをして。



「どこかの子犬が、随分と王女様に気に入られたらしい」



そう告げると、鞄を肩に掛け、手を振ってジェネシスは部屋を後にした。
まだ時折引き攣るような痛みを覚える傷は、自ら焼き切った奴隷時代の名残。
刻みつけられた番号を見ることすらも憎らしく、鉱山から脱走してすぐ、番号を焼き潰した。
本当の自由には、まだ辿り着けてはいないけれど。
一歩ずつ、確かに前に歩いている。
その確信だけが、数え切れないほどの苦難を乗り越える糧となった。
今日からまた一歩、前へと歩き出せる。
屋敷の扉を開けば、吹き抜けるのは冷たい風。
これから受けるだろう苦難を示されているようで、小さく苦笑を漏らした。





















年の瀬も近付く頃、押し花の添えられた手紙が、ザックスの手元に届いた。
押された印は、王家の紋章。
初めて受け取ったエアリスからの手紙に、ザックスは胸を踊らせていた。
ザックスに読みやすいようにと、簡単な文章で書かれた手紙。

『おひさしぶりです。寒い日が続きますが、元気ですか?
 私は元気です。ラプソードス男爵も、元気にしています。
 冬の王宮は、あまりお花が咲かなくて、春が待ち遠しいです。
 暖かくなったら、また遊びに来てください。
  エアリス』

セフィロスの隣で読んでいれば、向けられた視線は寂しげで。
それでも浮かべている笑みに、首を傾げた。



「セフィロス?」

「何だ?」

「…なんか、寂しそうな顔、してた」



ぺたりとセフィロスの頬に触れ、ザックスは心配そうな顔をする。
反射的にその肩をぐっと押し離し、セフィロスは視線を逸らした。



「セフィロス…?」

「…ザックス、今日からジェネシスの居た部屋で暮らせ。もう、ここには来るな」



突き放すように言うセフィロスに、ザックスは目を見開く。
唐突に告げられた言葉は、ザックスにとって最も聞きたくなかった言葉だった。



「…な、なんで…」

「同じ屋敷の中だ、そう離れる訳じゃない」

「俺、セフィロスと居たい…セフィロスといっしょがいいっ」

「お前とは一緒に居られない」

「やだっ、そんなのいやだ…っ!」



ぼろぼろと涙を零すザックスに、セフィロスは頭を振り、背を向ける。
ザックスは、裏切られたと感じるだろうか。
捨てないと、離れないと誓った相手が、一年半も経たない内に「一緒に居られない」と告げたのだ。
けれど、ザックスにとってはこうしたほうが良かったのだ。
このまま一緒に居れば、いずれザックスを傷つけ、悲しませてしまう。
そうなるよりは、裏切り者だと罵られた方がずっと良い。
嗚咽を漏らすザックスに、罪悪感が増していく。
振り返り、何か声を掛けようとした瞬間。
離れまいと強くしがみつき、ザックスは泣きながら、声を紡いだ。



「っ……ぉれが…ひっく……きらいに、なったの…っ?」

「……違う」

「なんでも、する…ふ、ぅっ……なんでも、いうこと、っ、きく、っく、から…」



何でもする。
何でも言うことを聞くから。
だから、そばに置いて。
どこにもやらないで。
泣きながら訴えるザックスに、セフィロスは唇を噛む。

ザックスが離れたくないというのは、あくまで思慕の情からだ。
ザックスは、俺に恋慕の情を寄せてなどいない。
この二つの心の間には、決して埋められない溝があるのだ。

そっとその頬に触れれば、びくりと肩を震わせ、見上げる潤んだ空色。
次から次へと溢れる涙が指を伝い、零れ落ちる。
両手で頬を包むと、ザックスは不安げな表情を浮かべる。



「…俺は、お前に酷いことをするぞ」



ひとつ囁けば、強張った体。
見開かれた瞳に気付かないふりをして、奪うように唇を重ねた。
ほんの一、二秒の短い口付け。
けれど、それは恐ろしく長い時間に感じた。
そっと唇を離せば、驚いたような、呆然としたような表情で、ザックスは真っ直ぐにセフィロスを見つめて。
あの過酷な環境の下で育った心は、それでも綺麗なまま。
穢してしまう。
踏み躙ってしまう。
それだけが、ただ、恐ろしいのだ。



「……セフィロス…」



赤みを増していく頬。
この一年間で、初めて知った行為。
愛し合う者が交わすそれを、誰よりも慕う人から与えられた驚き。
覆い隠すように、きつく胸に抱き留めた。



「…夜まで、俺は外に出る。もし俺が帰ってきた時、お前がこの部屋に居たなら、俺はお前に酷いことをする」

「……ひどい、こと…?」

「あぁ…痛くて、苦しくて、とても辛い思いを、お前にさせる」



本来有るべきではない、同性での性行為。
苦痛を強いられるのは、受け入れる側だけなのだ。
どれほど優しくしても、どれほど労わろうとも、それだけは避けられない。



「…それが嫌なら、晩までにジェネシスの部屋に行け」



不要だと残された家具も、いくつか残っている。
ザックスの荷物は多いが、重いものはあまりない。
今から動かせば、日が暮れるまでには移動も終えられるはずだ。
しがみつく指を振り解き、着慣れたコートを掴む。
背中で聞こえる、小さな泣き声。
心を握り潰そうとするあの声と重なり、胸の痛みにぎゅっとシャツを掴む。
これ以上遅くなれば、更に深く傷付けるだけになる。
そうなる前に、選んだ選択肢は間違いではないと。
嗚咽に耳を塞ぎ、部屋の扉を閉めた。



→Slave 6-2







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